第7話『私の居場所はカフェ・ルアン』
それから、いくつもの日が過ぎた。
冬がゆっくりと春の気配を運び始めたころ――
結衣は今日もカフェ・ルアンのドアを開けた。
「おかえりなさい、結衣」
いつものようにリリィが微笑み、ルルが明るく手を振る。
カウンターには綾音の姿もあった。
彼女とはすっかり仲良くなっていた。言葉は少なめだけど、隣にいると落ち着く、不思議な安心感がある。
ふたりで並んでホットミルクを飲んでいると、店の奥からルアンが現れた。
「今日は、大事なお話があるの」
店長のその言葉に、場の空気が少しだけ変わる。
結衣と綾音は、静かに耳を傾けた。
「もしもあなたたちが望むなら……このカフェで働いてみない?リリィやルルのように、ここを“守る人”として」
ふたりは目を見合わせる。けれど、次の言葉はもう、心の中で決まっていた。
「……はい、やりたいです」
「私も……ここにいたいです」
「ただし――」ルアンは柔らかく言った。
「ここで生きることを選べば、現実の世界の人たちからは、あなたたちの記憶は少しずつ消えていくわ。あなたたち自身も、外に戻ることはできなくなる」
一瞬、胸の奥がちくりとした。
けれど、結衣ははっきりと言った。
「それでも、私はここにいたい。だって――」
「ここが、私の居場所だから」
綾音も頷く。その頬には、ほんの少しだけ涙の跡が光っていた。
ルアンは微笑み、そっと手を差し伸べた。
「ようこそ、カフェ・ルアンへ。今日からあなたたちは、この扉の番人ね」
店の奥、あの不思議な“扉の部屋”が、今までと違ったあたたかさで開かれていく。
扉の先で、たくさんの笑顔と秘密を守るために――
ふたりは、新しい一歩を踏み出した。
そして――
今日も、あの鐘の音が、静かに響いていた。
ここまで『カフェ・ルアンと秘密の扉』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
ちょっと不思議で、ちょっとあたたかくい。
そんな物語を目指して書きはじめたこの短編シリーズですが、最後まで描ききることができたのは、読んでくださった皆さんの存在があったからです。
この物語の主人公・佐倉結衣は、ごく普通の女の子です。
だけど、そんな彼女が「カフェ・ルアン」という場所と、そこにある秘密の扉に出会ったことで、ほんの少しだけ世界が変わっていく。
私たちの人生にも、きっとそんな「ちいさな扉」がどこかにあるのかもしれません。気づかずに通り過ぎてしまうような、小さな奇跡たち。
「リリィ」や「店長」、そしてカフェに訪れた不思議な客たちも、それぞれが何かを抱えながら、静かに、そして優しく結衣と関わってくれました。
誰かの過去を癒したり、未来への一歩をそっと後押ししたり。
そんな居場所を描けたことが、私にとっても何よりの救いでした。
この物語に触れて、読者の皆さんの心にも、ほんの少しでも優しい風が吹いたなら──それ以上の喜びはありません。
またいつか、「カフェ・ルアン」でお会いできる日が来るかもしれません。
そのときは、どうかあたたかいコーヒーを片手に、またこの扉を開いてください。
それでは、またいつかどこかで。
心からの感謝をこめて。
──Leak
追記:
結衣が「店員」として迎える新たな日々を描く物語を、今後綴る予定です。
またこの場所で、皆さまと再びお会いできることを願って。