【会議前日、午後――今日くらいは】
舞台の傍を離れて、エルザをリサさんのところに引き渡してから、私は何やらみんなが集まっているところが気になって近づいてみた。
人だかりの中心には、どうやらレオンさんがいるみたいだ。珍しいこともあったものだね。
レオンさんは、王都出身の騎士さん。色々あって田舎に来ているらしいけど、何があったのか詳しく聞いたことはない。赤面症らしくて、ことあるごとに顔が真っ赤になるけど、表情自体はあまり動かない。あんまり誰かと仲良くしているところを見たことがないけど、近くに盗賊が現れたときや、畑が獣に襲われたときは、真っ先に向かっていって村の皆を守ってくれる。
今は何をしているのかと見てみれば、どうやら切っ先を潰した剣を持って、演舞をしているみたいだ。まるで見えない敵と戦うような、それでいて踊るような、しなやかで鋭い動きで空を斬ったり突いたりしている。なんだかすごそうな技が決まるたびに、周囲から感嘆のどよめきが上がった。
一段落して、レオンさんが剣を体の前で構えて静止し息を長く吐いた。
周りから拍手が起きて、私も一緒に手を叩いた。
「すっげー! さっすが師匠!」
聴衆の最前列にいた少年、ドミニク君が、興奮気味な声を上げた。
ドミニク君は15歳の男の子。数年前にご両親を亡くした後は、色々な人の助けを借りながらも一人でしっかり暮らしている。そういえば、最近よくレオンさんについて行ってるのを見かけるなあ。師匠ってことは、弟子入りでもしたのかなあ。
と思った次の瞬間、少し頬を赤らめながら剣を鞘に仕舞うレオンさんが否定した。
「師匠じゃない。ほら、これで満足か」
「まだ!」
「まだやれって言うのか」
「おれもやる! おれと戦ってよ!」
どうやらドミニク君にお願いされて演舞を披露していたらしい。そして続けてドミニク君がなかなか無茶なことを言う。
レオンさんもそう思ったらしくて、顔をしかめた。
「さては、祭りの出し物にかこつけて稽古をつけてもらう気だったな」
「へへへ」
「断る。お前にはまだ早い」
「ええー! なんでだよー!」
「僕も見たい! レオン兄さんやってよ!」
不満げに叫ぶドミニク君の隣で、イェフ君が加勢した。
「イェフ……」
ユリアさんの困ったような声。レオンさんのため息が続いた。
「いいじゃないやってあげれば。遊んであげたら?」
群衆の中から、イレーネさんが声を上げた。
声の主に気づいたレオンさんが、パッと顔を赤らめて、それから動揺したように目を逸らした。
「えっ……いや、でも……」
「本人がやりたいって言ってるんだし。怪我しても自己責任でしょ」
「そんな無責任な……」
「私も見てみたいわ。対人戦」
「……そうですか? じ、じゃあ……」
「ほんと!? やったー!」
あ、そこ折れちゃうんだ……と思ってたら、飛び上がって喜んだドミニク君の頭に、ターニャさんの拳が振り下ろされた。
「いってー!」
「こら、イレーネ。馬鹿なこと言うんじゃないよ。レオンも流されない」
「ええー!」
ターニャさんの大人たちをいさめる言葉に、ドミニク君とイェフ君の抗議の声が響いた。
「そうだぞー。そんなことよりもう一曲聞いてくれよ。こないだ出来たばかりの新曲!」
群衆の中から、今度はノーマン君が出てきて、レオンさんに場所を譲るように顎をしゃくって見せた。押しに弱いレオンさんは、同時に助かったとばかりにそそくさと退散する。
「師匠~! 待ってよ~!」
「師匠じゃないと何度言えばいいんだ」
「レオン兄さ~ん!」
レオンさんを追いかけて男の子たちも去っていく。
代わりにどこからともなくマイケさんが現れた。
「なになに、また弾くのぉ? じゃあ私も踊っちゃう~。あっ、クラちゃんだあ一緒に踊ろ~」
「ええええ」
突然名指しされて、マイケさんに手を引かれて輪の中心に連れて行かれる。マイケさん、私の4つ上だからか、なんとなく私を妹扱いしている節があるんだよね。まあ、悪い気はしないけど……でも、踊りはそんなに得意じゃないんだけどなあ。
「みんなも一緒に踊ろうよぉ。楽しいよぉ?」
「だな。よっしゃ、さっきの続きといこうか!」
ジャラーン、とリュートの音が辺りに響いて、それから軽快な音楽が流れ始めた。
マイケさんに手を引かれて、若干引きずられるように、たくさん踊って、歌って、少し疲れたな、と思ったところに、ティラさんやリサさんたちが、人力の荷車を引いてやってきた。
「みんなー、そろそろ疲れたでしょ。色々持ってきたから食べな~」
「男たち、お待ちかねの酒もあるよ。子どもたちにはジュースも」
辺りに歓声が響いて、踊りは一旦中断となった。
いつのまにか辺りはだんだん暗くなってきていて、なんだか少し寂しいような気持ちになる。でも、みんなで朝飾ったランタンに火を点けて、また素敵な雰囲気が辺りに満ちた。
「クララ、これ」
カレンちゃんに車椅子を押してもらっていたエルザが、私の元にやってきて、両手に持っていたジュースのジョッキを私に1つくれた。
「わあ、ありがとう。カレンちゃんは?」
「私はあっちにある。……それじゃ」
「カレンちゃん、ありがとう」
「ん」
エルザのお礼に小さくうなずいて、カレンちゃんはターニャさんがいる方へ駆けて行った。
「リサさんがお酒運ばないとってなったときに通りがかって、ここまで連れて来てくれたの」
「そっか。ありがたいね」
「うん。みんな優しくて、大好き」
ジュースのジョッキを両手で包み込むように持って、エルザが嬉しそうにはにかんだ。
周りでは、いろんな人たちが思い思いに集まって、ティラさんたちの料理を食べたり、ジュースやお酒を飲んだりしながら話している。
「ノーマン、お疲れ。すごくよかったよ」
「当然だろ? 聴いてくれてありがとな」
「お前、確かに音楽はいいが、いつももう少し働いてくれれば言うことないんだが」
「もー今日くらい小言やめてほしいっすわヒューベルトさーん」
「ヒューベルト、そのくらいにしてやれ」
「あはは……」
ハリー君、ノーマン君、ヒューベルトさん、アントンさんが近くでそんなことを話している。その少し向こうがわでは、ロナルドさんやマイケさん、ギルベルトさんたちが騒いでいるのが見える。
「ぉお~ら、レオン。もっと飲め飲め! ノリ悪いぞ」
「ちょ、ロナルドさん零れてるってぇ、あっははははは」
「ぁんだぁ? 俺の酒が飲めねぇってのか?」
「ロナルド、どうどう。リサ~、ちょっと水とおしぼりくれ」
「はいよ」
ロナルドさんを落ち着かせようとするギルベルトさんや、水を渡そうとするリサさんを振り払って、ロナルドさんがグラスを振り回す。
「水なんかいらね~。酒持ってこい酒!」
「の、飲みすぎですよロナルドさん……」
「なぁ~に言ってんだよ、まだぜんっぜん飲み足りないっつーの」
傍に居合わせたエマヌエルさんに制止されても全く通用していない。
かと思いきや、突然ガタっと立ち上がったマイケさんが、店の中で踊り始めた。体がぐにゃぐにゃ、まるで骨がないかのように動く。に、人間業じゃない。
「あはははは! ちょっとカレン見てみな! マイケ人間やめてるよ!」
「……うーん」
「ちゃらら~、ちゃらららら~」
机とカレンちゃんの肩をバンバン叩きながら大笑いするターニャさんに、なすがままにされながら、グラスを両手で持って果実酒を口にするカレンちゃん。マイケさんは踊りながらでたらめな歌を歌い出す。
「い、イレーネさん。さっきはごめんなさい、対人戦……お見せできなくて……」
「ん? ああ、さっきの。別にいいわよ気にしなくて。……十分かっこよかったから」
「え、あ……ありがとうございます……」
「師匠何照れてんだよ」
「何照れてるんだよーっ」
「こら、やめろ!」
レオンさんはまだ子どもたちに絡まれてるみたいだ。
絡まれてるといえば、向こうの方では牧師さまとサマンサさんがまた絡まれているのが見える。
「だからねオスヴァルト、世界は誰か特定の神とかいう一人格に作られたわけではなくてね、この世界に無数に存在する空気、水、火、植物、それらに宿る精霊たちの集合体でね……」
「何が精霊だよ神とおんなじくらい意味不明なんだけど。っていうか牧師さま聞いてる?」
「あの、わかりません、何もわかりませんけど、とりあえず今日くらいやめにしませんか?」
「牧師さま、わ、私、もう少しパンとかもらってきますね」
「あ、ありがとうサマンサ……」
マリアナさん(と無言でお肉にがっついているパミーナちゃん)と、ヴィンフリートさんに挟まれている牧師さまが、逃げるように席を外したサマンサさんを困ったような視線で追いかけている。気の毒に……でも助けてはあげられない……。両側で話し続ける二人が怖いし……。
「フレデリック。何か普段の生活で困っていることはないか。流通に変化はないかね」
「え、ええ……概ね例年通りですよ。お気遣いありがとうございます、領主さま」
「そうか。何かあったらすぐ連絡するように。ベンヤミン、また仲介をよろしく頼むぞ」
「承知いたしました」
端っこの方で、フレデリックさんがエドヴィンさまとベンヤミンさんと何やらお祭りらしくない真面目な話をしている。フレデリックさんが普段便利屋さんとして村の外と関わり合ってるから、一番エドヴィンさまたちと直接連絡を取り合ってるのもあの人なんだよね。でも今日はいつもの視察じゃないんだから、あんな真面目な話しなくても……。
と、そのとき、ティラさんの驚いたような声が辺りに響いた。
「まあ! ルイス、来てくれたのね!」
その意外過ぎる名前に、その場にいた全員が驚いて声のした方に視線を向けた。
一瞬にして注目を浴びた青年、ルイスさんが、嫌そうに顔をしかめる。
「そういうんじゃないから……」
ルイスさんは、2年前からこの村に住んでいる男の人で、いつも村の近くにある川で釣りをしているから、あんまり村で会うことがない。不愛想で無口、でも言うことはズバッと言う性格みたいだけど、それ以上のことは何も知らない。ちょっと冷めた雰囲気で、苦手と言えば苦手。
そのルイスさんが、木のバケツをずいっと近くに立っていたユリアさんに差し出した。
「これ、今日釣ったやつ。よかったら。香草とバターで焼くと美味いから。じゃ」
「え? ちょ、ちょっと……」
言いたいことだけ言って立ち去ろうとするルイスさん。差し出されるままにバケツを受け取ったユリアさんが困ったような声を上げると、その代わりなのか、傍にいたエラちゃんベラちゃんがルイスさんの前に立った。
「お祭り、参加しないの?」
「ごはん、食べないの?」
「しない。食べない」
「どうして?」
「どうして?」
「興味ない。俺がいても盛り下がるだけでしょ」
「そんなことない」
「みんな喜ぶ」
「……そういう気分じゃない、俺が」
「じゃあどういう気分?」
「どういう気分?」
「……眠たい」
そこまで言って、ルイスさんは双子を押しのけて立ち去って行った。
や、やっぱり怖い……っていうか、ルイスさん相手にあれだけ話したエラちゃんたちすごいなあ……。
「……今日は、比較的ご機嫌みたい?」
エマヌエルさんがぽつりと呟く声がいやに響いた。続けてノーマン君が頷く。
「だな。差し入れくれたし」
「でも、今日くらい一緒に遊んでくれたらよかったのにね」
「わーい、私魚大好き。せっかくくれたんだし、食べよ食べよぉ」
ハリー君の言葉を遮るように、また踊り出しそうなテンションでマイケさんがそう言うと、凍りかけていた空気がまた動き出した。
「そ、そうだね。せっかくくれたんだもの、美味しくいただきましょう。焼いてくるからみんな待ってて」
「私も手伝う」
「私も手伝う」
「ありがとう、一緒に焼きましょう」
ティラさんとエラちゃんたち、ユリアさんがそう言って小屋の方へ戻っていく。
あらかた飲み食いしたらしいノーマン君がまたリュートを弾き始めて、お祭りの楽しい雰囲気が戻ってきた。