【会議前日、朝――祭りの準備をする人々】
――悪夢の始まり、その前夜祭へようこそ。
小鳥のさえずりが夢うつつに聞こえてくる。
閉じた瞼に柔らかな光が映って、ゆっくりと意識を浮上させていく。
そっと目を開けて伸びをして、ベッドから抜けて窓を開けると、穏やかなそよ風が私の頬を撫でた。
「んっ――いい天気」
もう一度ぐぐっと伸びをしながら、私は清々しくてちょっと冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
私の名前はクララ。洗礼名はメータ。
神聖ルスタ王国の最西端の小さな村、フィライデン村でお花屋さんをしている。
住人が30人しかいない限界集落だけど、母さんの地元である自然豊かなこの村が、私はずっと憧れだった。5年前に独り立ちしてここに越してきてからは、大好きなお花に囲まれて、素敵な仲間たちと一緒に暮らしている。
今日は、のんびりしている暇はない。
だって、今日は春のお祭りの日。小さな小さなこの村では、数少ない「いつも通り」じゃない日。お花屋さんである私は、お祭り会場である広場をお花で色とりどりに飾るという使命がある!
というわけで、パンとチーズで簡単に朝ごはんを済ませて、最低限の身支度をして、早々に表のお店に向かった。
「おはよう、クララ」
「フレデリックさん! おはよう! でも、どうしてここに?」
「やることなくなっちゃったから、手伝うことないかな、と思って」
お店の方に回ると、フレデリックさんが、傍らに荷車を引いた馬を伴って入り口のところで立っていた。村の便利屋さんであるフレデリックさんは、いつもは定期的に隣町へ行って、この村でとれる農作物や毛皮なんかを売って、そのお金でこの村では揃わない日用品を買い付けたりしてるけど、今日はその仕事はお休み。だって今日はお祭りだから。
今日も色んな人のお手伝いをして、その一環としてここにも来てくれたんだろう。
「本当? 助かる! 一人で飾り運ぶの大変だなーって思ってたの! あ、でもごめん、花飾りの仕上げが先になっちゃうけど」
「いいよ、待ってる。もし僕にもできることがあったら言って」
「うん! とりあえず、中入って座ってて!」
「ありがとう、お邪魔します」
フレデリックさんは店の前に馬を繋いで、お店に入ってきた。
私は、温室から運んできた、伐ってきたばかりのお花を持って、ここ最近ずっと作っていた花飾りの方へ向かう。大きな花輪とか、こまごましたたくさんの花飾りを作るのに、さすがにこの朝だけじゃ間に合わないから、花が長持ちするように工夫しながら、何日かかけて作っていた。でも、やっぱり一番目立つところには、一番きれいな花を使いたい。
花輪たちに新しい花を差し込んだり、結んだりして最後の仕上げをする。全体のバランスを見て、形を整えて。
一番の自信作は、支柱を組み合わせて作ったパネルに花を固定したフラワーアート。分割して運べるようにしたとはいえ、正直これが一番かさばる。だから、フレデリックさんと一緒に少しずつ荷車に積んで運べるようにしたのは本当に助かった。
「いやあ、本当にすごいね。年々豪華になっていってる気がするよ」
荷車に積み終わった花飾りたちを見ながら、フレデリックさんが感嘆の声を上げてくれた。
「えへへ、ありがとう。この村じゃあんまりない私の活躍の場だからね」
「そんなことないよ、君の花がこの村を毎日彩ってるんだから」
「そんなそんな」
「それじゃあ、そろそろ行こうか。もうみんな広場にいるよ」
そう言って、フレデリックさんが馬を柱に繋いでいた紐をほどく。
私も、花吹雪が入った籠を持って、フレデリックさんの隣へ駆けた。
「みんなって、みんな?」
「うん、まあ、大体……」
「そっかあ。じゃあまたいない人もいるの?」
「わからないよ、始まってみないと」
そんなことを話しながら、私たちは広場へ向かって歩き出した。
「あー! フレデリックー! クララー!」
広場の入口へ入ると、私たちにいち早く気付いたティラさんが、大声を上げて手を振った。
ティラさんは村のパン屋さんで、とっても元気な働き者。この村には珍しく二児の母で、ティラさんが作る料理はパンに限らずどれもとってもおいしいの。
「ティラさん! ユリアさん! それにイェフ君も、こんにちは!」
私はそう言ってみんなに駆け寄った。フレデリックさんは先に馬を繋いで来てるからまだこっちには来ない。
ティラさんは、お祭りのために建てられた小さな小屋の軒先で、お祭りでみんなに振る舞う料理を作っているみたいだった。傍らに、ユリアさん、イェフ君親子もいる。ユリアさんは靴屋さんだけど、今日はティラさんのお手伝いに回っているみたい。少し心配性なところがあるけど、おだやかで優しい人で、息子のイェフ君も、まだ12歳なのに頑張り屋さんのけなげな子って印象がある。
「準備おつかれさま。よかったらこれ食べな」
「わあ、いいの? ありがとう!」
ティラさんが差し出してきた小ぶりのパンを受け取る。焼きたてなのかまだ温かい。こんなに贅沢なことはないな、と思いながらかぶりつく。いつ食べてもおいしい。
「クララさんいいなー」
「こら、イェフ」
「イェフはさっき食べたでしょー。あとは本番までがまん」
私のパンを見て、イェフくんがうらやましがる声を上げると、両側から二人の母親にほとんど同時に叱られていた。
「クララ、これから飾りつけ? こっちはほとんど準備できてるし、手伝いましょうか?」
こっちに向き直ったユリアさんが私を気遣う言葉をかけてくれた。
それに応える前に、背後から別の人の声がする。
「必要ない。それは俺たちの領分だ。運んでやるから指示をくれ」
「あんた」
ティラさんが驚いたような声を上げる。
振り向くと、農夫のアントンさんが、荷車から下ろしたらしいパネルの一部を抱えて立っていた。アントンさんはティラさんの旦那さんで、ティラさんとの間にエラちゃん、ベラちゃんという双子の娘さんがいる。ぶっきらぼうだけど面倒見は良くて、いいお父さんだなーって思う。それに、毎年結婚記念日には、ティラさんや娘さんたちに内緒できれいな花飾りを私に注文してくるしね。
……そういえば、エラちゃんとベラちゃんはどこにいるんだろう?
二人の代わりに、アントンさんの背後には、同じく農夫のエマヌエルさん、ハリー君、ヒューベルトさんがいて、無事馬を繋げて来たらしいフレデリックさんとパネルを運んでいる。
「みんな! どうもありがとう!」
「大丈夫だよクララちゃん、フレディと二人だと大変でしょ」
「僕ら、建て込みとか食材運びとか大体終わって暇してるんです」
「そういうわけだ、こっちは任せてくれ、奥様方」
私のお礼の言葉に応えてくれたエマヌエルさん、ハリー君に続いて、ヒューベルトさんがそう言うと、ユリアさんは了承の意味かぺこりと小さく頭を下げた。
「……行くぞ。これはどこに置くんだ」
アントンさんが音頭を取るように私に話しかける。
「それは舞台の奥に組み立てて飾ろうと思うんです。こっちへ」
「へえ、それはそれは豪華になりそうだ」
歩き出した私についてきながら、エマヌエルさんが声を上げる。彼はこの村の農夫たちの一人。私がここに来た2年くらい後に村にやって来た移住者、だけど、見た目の通り気立てがよくて優しいから、あっという間に私を含めみんなと仲良しになった。
「で、お前、仲良しのあいつは今頃どこで油を売ってるんだ」
「ぼ、僕もわかりません……でも、たぶんマイケさんと一緒に出し物のリハーサルでもしてるんじゃないですかね……」
「そうか……じゃあ仕方ないか。だがあいつがいないとサボりとしか思えんな」
「あはは……」
ヒューベルトさんとハリー君が少し遠くでそんな話をしている。
ヒューベルトさんはなんだか不思議な雰囲気がある男の人で、濃い色の瞳をしたつり目をしている。怒るとちょっと怖いけど、でもとっても真面目な人。今も、この場にいない農夫に対しての小言をハリー君に言ってる。
そのとばっちりを受けているハリー君はというと、私より1つ年上の男の子。だけど、親しみやすいし、穏やかな人だから、なんとなく「さん」付けより「君」付けの方がしっくりきて、以来ずっとそうしている。
少しして、広場の中心に建てられた舞台の前に到着した。
傍らで、舞台にリボンや幕で飾りつけをしているのは、ターニャさん、カレンちゃんと、ギルベルトさん、ロナルドさんたちだ。
「おや、おかえりあんたたち。それからおはようクララ」
「おはようございますターニャさん! 飾りつけ手伝います! たくさん持ってきましたよ!」
「あっはっは、仕事が増えたねカレン」
「……ん」
パネルや花飾りを見せながら言うと、ターニャさんが豪快に笑って、カレンちゃんに声をかけた。
ターニャさんは快活で気が強い女の人で、色んな家畜たちの世話を、ターニャさんとその養女のカレンちゃんの二人だけでこなしてしまっている。この村の肉とか、ミルクとか、チーズとかは全部ここで賄われている。ただ、色んな動物たちを育てているわりに、好物は燻製ハムとビーフジャーキーらしい。「お酒に合う」って、お酒との無限ループをしているところをたまに見る。
声をかけられたカレンちゃんは、19歳の女の子。あんまり喋っているところは見たことがない。ターニャさん曰く「人見知り」らしいけど。いつも長い髪で顔を隠すようにうつむいていて、けどターニャさんには心を許してるみたいで、酪農の仕事を一生懸命やっている姿はよく見かける。
梯子に上って幕を吊っていたギルベルトさんやロナルドさんも、梯子を下りて飾りを運ぶのを手伝ってくれた。
ギルベルトさんが、パネルを運びながら話しかけてくる。
「これは奥の壁に建てるんだよな。ちゃんと骨組みは作ってあるからな!」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「へえ、こりゃまた壮観だなあ。嬢ちゃんやるね」
「えへへ、ありがとうロナルドさん」
ギルベルトさんは村の大工さん。村で一番の力持ちで、正義感が強くて働き者だから、みんなに頼られている。今日は、この舞台や、みんなが休憩するための小屋、飾りつけのためのパネルとか、色々作ってくれている。今日のために一番貢献しているのはギルベルトさんなんじゃないかな。
そしてロナルドさんは、村の鍛冶屋さんで、とっても陽気でお人よしな人。農夫たちが使っている農具や、私たちが使う調理器具なんかはほとんど全部ロナルドさんが作っている。とっても仕事が丁寧で長持ちするからありがたい。
一緒に花飾りを運んでくれた農夫たちにさらに人数が追加されて、飾りつけはどんどん進んでいく。私は指示出しくらいしかしていなくて、実際動いているのは男衆で申し訳ない……。
ふと、カレンちゃんが、舞台端の柱に飾られたリースをじっと見ていることに気づいた。
「カレンちゃん、そのリースがどうかした?」
思わず声をかけると、カレンちゃんはビクッと身体を震わせて、それからこっちをゆっくりと振り返った。
「……とってもきれい。色使い、好き」
「あ、ありがとう」
赤やオレンジの温かみのある色を基調としたそのリースが気に入ってくれたみたいだ。カレンちゃん自身には紫色とかが似合いそうだけど、でもこういう色も好きなのかな。
すると、カレンちゃんはまるで誰もいないか確認かのするように辺りを見回して、それから私の耳元に口を寄せて囁いた。
「今度、ターニャの誕生日。お花飾り、こういう色の、動物の毒にならないやつ。届けてください」
そこまで言って、ちょっと離れると、私をじっと見つめる。
なるほど、そういうことね。カレンちゃん、本当にターニャさんと動物たちが好きなんだなあ、と思いながらうなずくと、カレンちゃんはそのままターニャさんがいる方に走り去っていった。
少し遠くにいたエマヌエルさんが、物珍し気な顔をして近寄って来る。
「あれ、今カレンちゃん話してた? 珍しい。どんな話をしていたの?」
「ふふふ、ターニャさんへの誕生日プレゼントの依頼だったよ」
「ああ、なるほど。素敵な家族愛だね。そうそうクララ、これはどこに飾る?」
「あ、それはね――」
「クララ! やっと見つけた!」
エマヌエルさんの質問に答えようとしたとき、遠くから女の人のかん高い声が聞こえた。
びっくりして振り向くと、服屋のイレーネさんが肩で息をしながらずんずん近寄って来る。
「もう! どうしてそんなテキトーな恰好してるの! クララの分の衣装も用意してあるって言ったでしょ! 早く店に来て!」
イレーネさんが怒りを滲ませた声を上げて、私の腕を掴む。村一番の美人さんなので怒ると迫力がある。美術作品みたいな整った顔立ちと絹みたいな長い茶髪が、今は彼女を戦の女神か何かのように錯覚させていた。
「そ、そんなに怒らなくても……」
「怒ってないわ! 急いでるの!」
「えーと、クララ、行っておいでよ。こっちは僕らでなんとかするからさ」
「うん、ありがとう……あ、その花飾りは他のと繋げて、広場の入り口に吊るそうと思ってたやつなの、そうしておいて」
「わかったよ、ありがとう」
「ほら、行くわよ!」
「わ、わかったから、引っ張らないでぇ」
エマヌエルさんに最後の指示を出して、私はイレーネさんと一緒に一旦広場を後にした。