【会議2日目、朝――次の犠牲者、その周囲】
ふっと意識が浮上して、私は誰に起こされるでもなく目を覚ました。自分で言うのもなんだけど、普通じゃありえない。いつもより疲れて早く寝たからかしら。
別にそのまま布団のなかでうだうだすることもないので、ベッドから抜け出して身支度を整える。何気なく窓の外を見ると、朝にもかかわらずどんよりとした暗雲が空を覆っていた。嫌な天気。ただでさえ不穏なことをしようっていうのに、さらに陰気にしないでほしいわ。……まあ、キラッキラの晴天だったら、それはそれで嫌でしょうけど。結局天気なんて関係ないってことね。
ここまで色々考えて、身支度もあらかた終えたというのに、パミーナはやって来ない。
まさか……と嫌な予感を覚えながら、パミーナの寝室に急ぐ。
「パミーナ」
扉を開きながら声をかける。そこに広がる光景は、緋色に染まった調度品とその中央に転がる哀れな人間だったもの――ではなく、いつも通りの部屋の中、寝台の布団の中で丸まるようにして眠る弟子の姿だった。
ほっと息を吐きつつ、いつもと逆の立場に妙な気分になりながら、私はパミーナの身体を揺する。
「パミーナ、もう起きなさい」
「んうぅ……おししょー? ……ゆめか……」
「現実よ」
「……? ――って、うぇえ!? お師匠!? お師匠が起きてる!」
「失礼ね貴女」
私に気づいた瞬間、ガバッと起き上がるパミーナ。寝癖がすごい。そういえばこの子はちっちゃいときからこうだったわね、寝起きは。もともとくるくるのくせ毛だから、整えるの大変でしょうね。まあ、私も枝毛だらけの痛み放題の髪だから人のことは言えないけど。
「珍しいこともあるもんですねえ……はっ! 実はここは死後の世界だったり!? 私はもう死んでて、身体から抜けた魂がひとりでに理想の生活を夢見てるとか!?」
「そんな馬鹿な事あるわけないじゃない。貴女の理想しょぼいわね」
「ひででででで! ひょ、やめへくらはいおひひょう!」
冗談交じりに愛弟子のほっぺたを引っ張ると、パミーナは予想通りの悲鳴を上げた。
「痛いの? じゃ夢じゃないわね」
「うう……私の方がもっとましな起こし方しますよぉ……」
「そうね。いつもありがと。で、さっさと支度しなさい。出かけるわよ」
「え? どこへ?」
「当たり前じゃない。今日、誰が犠牲者となったのか確かめに行くのよ」
「――ああ……」
私の言葉に、ちょっと悲しそうな顔をするパミーナ。現実の惨状を思い出したらしい。もぞもぞとベッドから起き出る。
「そういえば、お師匠、昨夜の占いの結果はどうなったんですか?」
「教えてあげてもいいけど、なんだか不公平な気もするから、会議のときに発表するわ」
「そうですか……。……朝ごはん、後回しですね」
不自然な間の後、何を言えばいいのかわからなくなったのか、パミーナはぼそりと呟いた。
広場に着く前に、今日の犠牲者が誰なのかはわかってしまった。数人の野次馬たちが、一軒の家の前に集まっていたから。
「ベラ! ベラ! ああああああ……!」
ティラが、自らの家の扉から少し離れた場所で泣き崩れている。その体の向く方を見ると、男衆が担架を抱えて行くのが小さく見えた。その男衆の中から、何か言われたらしいアントンが戻ってきて、ティラの横に跪いた。その肩に手を置くと、ティラは泣き叫びながらアントンを押し倒さんばかりにその胸に沈んだ。
「ベラちゃん……」
傍らでパミーナが両手を口元にあてがう。
家の中から人影が現れた。エラだ。自分の親の前に歩み出して、もう点のようになってしまった片割れの乗った担架を見ながら、立ち尽くす。そっと手を伸ばして、自分の頭のくせ毛を梳かした。もういらないってことなんでしょうね。見分けをつける相手はもういないから。偶然か意識的になのか、来ている服も灰色を基調とした、明るいんだか暗いんだかどっちつかずな色だった。
「――エラちゃん、……なんと言ったらいいか……」
当たり前のようにいて、祈りを捧げていたオスヴァルトの隣で黙とうしていたサマンサが、エラの挙動に気づいて、彼女の隣で膝をついた。
「……いいの。ベラは私で私はベラだから。2人で1人分、喋っていたのが1人になるだけ」
「そんな……」
哀しげに目じりを下げるサマンサ。けれど、エラの達観した様子に何をいうこともできないらしい。
と、重苦しいその場に場違いな声が響く。
「ま、よかったんじゃないの? これでエラはほぼ人間確定と見ていいわけだ」
「!! 何てこと言うの! まるでベラが死んで良かったみたいに!」
「ティラ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ティラが声の主――ルイスに掴みかかる。一切抵抗しようとしないルイスだったけれど、ティラが何かする前にアントンがそれを引き離した。
「いいだろ、別に。少なくともエラが処刑されることはないだろうし。自分のもう1人の娘が死ぬリスクが下がったわけだ。――ま、今夜人狼に殺されたって知ったことじゃないけど」
「お前!」
「ティラ、落ち着け。……お前も、どういうつもりだ」
「どういうも何も、客観的に状況を分析しただけだけど」
「本気で言ってるんですか? この状況で、そんなことを言えるなんて」
キッとした目をしながら、サマンサが参戦する。が、ルイスに堪える様子はない。
「悪い? 泣いたって笑ったって事実は変わらない」
「人でなし!」
ティラが絶叫する。そのまま、今度はルイスに攻撃することなく泣き崩れた。
「――人じゃない方がましよ」
また、別の人の声が響いた。振り返ると、じっとティラたちを見つめるカレンがいた。
「カレン、やめな」
後ろからターニャがその肩を掴む。
「人間である方がいいなんて、なんて傲慢。世界で最も罪深い生き物が。ざまあみろ」
「カレン! ――もう、行くよ」
語調を強めて、ターニャがそのままカレンの腕を引っ張っていく。去り際、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……お前も、もう行ってくれ。これ以上妻を貶めるな。他の皆も、もう放っておいてくれ」
今までに聞いたことがない、絞り出すような悲痛な声で、それでもなお静かに、アントンが言う。そのあまりの重く沈んだ声に、それ以上誰も何も言うことができず、1人、また1人と、悲劇一色の家族の前から離れていった。
それから、私はパミーナを連れて、何人かの人に話を聞いて回っていた。
「ベラの様子? いや、あまり言葉にしたくはないな……悪いな。けど、人狼による襲撃ってのは間違いないな」
「本当に痛ましいことです。どうしてこんなことが起こってしまうのでしょうか……」
まずベラを運んでいった男衆。担架を運んでいたギルベルトとエマヌエルが悲痛な面持ちで答える。その傍ら、手伝っていたロナルドとハリーも続く。
「やっぱ、武器とまではいかずとも、盾くらい作っておいた方が良かったかねえ」
「どうでしょう、意味はあるのでしょうか」
「ないよりましな気がしねえか?」
「それは、まあ……確かに」
「だろ? 間に合うかわからんが、ちょっと鉄打ってくるわ」
一度決めたら猪突猛進タイプのロナルドが、自分の作業場の方角へ走っていく。
「ところで、他の農夫たちは? ヒューベルトやノーマンは」
「ヒューベルトはベンヤミンさんに報告へ行ったきりだ」
「ノーマンは……起きてるんでしょうかね……」
「貴方、ノーマンといつも一緒ってわけでもないのね」
「まさか。仲はいいですけど、そんな訳にもいきませんよ」
困ったような笑いを浮かべて、でもすぐにハリーは顔を曇らせた。
「でも、ずっと一緒にいても、ある日突然引き離されることもあるんですよね……ちょっと探しに行ってこようかな……」
「ベラちゃん……」
パミーナがまた悲哀を込めて呟く。ギルベルトがしみじみとした顔で腕を組んだ。
「そうだなあ、もういつ死んでもおかしくねえ。せめて今日生きてられることに感謝して、悔いがないようにしておくべきかもしれねえな」
「また来たのかい。今日はあんたの話を聞いてやる気分じゃないんだけど」
次に来たのはターニャの牧場……だけど、何よずいぶんな言いようじゃない。
「いいわよ。今日は喋りに来たんじゃなくて、聞きに来たの」
「そういう問題じゃないんだけど……」
嫌そうな顔をするターニャをまるっと無視して、私は話を続ける。
「さっきのこと、どう思ってるの?」
「どうって……何が? ベラのことなら、本当に胸が痛むよ。ティラたちにも申し訳ないことをした」
「それよ。カレンは何であんなこと言ったのよ。あの子何かあるわけ?」
ズバッと聞くと、ターニャは黙ったままじっと私の顔を見た。負けじと見返すと、あきらめたように口を開く。
「……それを聞いてどうしたいのさ」
「どうもこうもないわ。今後の参考にするの」
「占う対象ってことかい? 別にいいだろうけど、無駄足だと思うよ。アタシはカレンを信じてる」
「その割に、昨日は『疑われても仕方ない』って言ってたわよね?」
「『疑われても仕方ない』とは言ってない。『その言い方だと疑われる』って言ったんだ。あの子があの調子だから。カレンも気が動転しているんだ。……はあ、仕方ないね」
引き下がらないという強い意志と共にターニャを見つめ続けていると、ターニャはため息と共に話した。
「あの子はね。人が得意じゃないんだよ。詳しくは知らないよ。昔飼っていた動物を大人たちに殺されたらしい。区別がつかないのさ。あの子からしたら、人を殺す人狼も、動物を殺す人間もね」
「区別ならついてる」
「! カレン……」
出し抜けにターニャの後ろから声を上げたカレンに、ターニャはびっくりした様子で振り返った。ちょうどいい。本人に聞いた方が早い。
「カレン。貴女さっきティラに向かって『ざまあみろ』って言ったわね。あれどういう意味?」
「どういうも何も、そのままの意味」
「そのままって、なんでそんなこと言うの」
隣からパミーナが口を挟んできた。カレンは私たちを睨みつける。ものすごく鋭い刃のような、嫌悪に満ちた視線。
「何でそんなことを答えないといけないの? ざまあみろって思ったからざまあみろって言った。それ以外何もない」
「カレン」
「人狼は生きるために人を殺す。人は何の理由もなく動物を殺す。自分の罪深さに気づかない人間が、正しく生きる人狼の餌食となった。それを悲しんでいた。それでいい。もっと不幸になればいい」
「カレン、やめな」
「自分の罪に気づかないなら、気づかないまま死ねばいい!」
「カレン! いい加減にしな!」
ターニャの一喝。カレンはビクッと体をこわばらせて、押し黙った。パミーナが呆気に取られているのが横目にわかる。
「……カレン。それなら、牛や豚を育てて、殺してしまう私も罪深いのかい」
大きく息を吐いて、ターニャが尋ねる。うつむいたカレンは、ゆるゆると首を振った。
「――ターニャは、違う。ターニャが殺すのは生きるため。大事に育てて、ごめんねって謝りながら殺して、少しも余さず大事に食べて、食べられないところも活用する。だから、違う」
そう言うと、カレンはサッと踵を返して、元居た小屋に走り去っていった。
ひとまず家に戻り、遅い朝食兼早めの昼食を済ませ、私とパミーナはまた外に出ていた。
「あれ、マリアナさんにパミーナちゃん。き、奇遇だね」
「あら」
ばったりと遭遇したのはフレデリック。今日も今日とて幸が薄そうな顔をしている。
「聞いた? ベラが噛み殺されてしまったって……」
「聞いたし、見たわ」
「見たって言うんですかね。どっちかというとちらっと見送ったって感じじゃ……」
「そ、そっか。きっとアントンさんもティラさんもエラも、すっごく悲しんだろうなあ」
「ティラは嘆いていたわね。エラはどうなのかしら」
「強がってるだけですよお。あんなにずっと一緒にいたのに……」
パミーナが少し涙声になる。フレデリックがしみじみとうなずく。
「そうだよね……。……こんなことが、これから毎日、毎晩続くんだよね……」
低い声で言うフレデリック。重い空気が流れた。
――でも、今更何なのかしらね。初めからわかっていたことじゃない。毎日の処刑と毎晩の襲撃は、始まってしまったらもう終わらない。人間か人狼か、どちらかが勝つまでね。
気まずい空気に気づいて、少し焦ったようにフレデリックが顔を上げる。
「そ、それで2人はどこに向かってたの? マリアナは“聖導師マリウス”様の代理人……えっと、占い師、なんだってね。昨日は誰か占った?」
「ええ、もちろん。結果は会議のときにね。今は教会に向かってるわ。誰かしらいるだろうと思って」
「もしかして、今後のための情報収集? いやあ、すごいねえ。頑張って。僕はまた仕入れの準備しに行くよ。こんなことになってても生きるために必要なものは出てくるからね。それじゃ」
早口で、いそいそと聞いてもいないことを言いながらフレデリックが去って行く。パミーナはその後ろ姿を見送りながら、
「フレデリックさんって……なんか、掴みどころがないですよねえ」
と呟いた。
「どういうこと?」
「だって、なんとなくふわふわしてるじゃないですか。身のこなしも言葉も。昨日の会議でも、皆自分の意見言ってすごい、自分には無理だーなんて言いながら、結構ちゃんと考察してましたし」
「……確かにねえ」
「なんか怖いなあ。あの優しい感じで実は人狼かもしれない、ってことがあるんですもんね」
パミーナがじっと遠ざかっていくフレデリックの背を見ている。いつになく真剣な目に、私は何か声をかけたりすることなく足を踏み出した。
「あっちょ、お師匠! 無言で先に進まないでくださいよー」
「行くわよ」
「遅いですってー」
私を追いかけるパミーナの声は、いつも通りののほほんとした声に戻っていた。
「マリアナさん、パミーナさん……お2人も来たのですか」
教会の前で掃除をしていたサマンサが、私たちに気づいて箒を動かす手を止めた。
「こんにちはー」
「お2人も、ということは他にも来たのね。ミサの日ではないと思うけど」
「アントンさんたちやユリアさん親子、あとハリーさんとノーマンさんも自主礼拝にいらっしゃってるんです」
「かなりの大人数ね」
すると、サマンサの背後の扉が開いた。アントン、ティラ、エラの3人が出てくる。アントンは私たちをちらりと一瞥すると、何も言わずに妻子を守るように背を向けた。一瞬見えたティラの目は白ウサギのように赤く、エラはいつも以上に表情が抜け落ちていた。……ふーん。そりゃショックよね。娘が殺されるってどんな気分かしら。私は子供を望めないけど、強いて言えばパミーナが殺されてしまうようなもの。……考えても仕方ないわね。なるようにしかならないのだから。
彼らに続いてオスヴァルトが顔を出した。3人を見送るように一礼してから、私たちに目を向ける。
「……貴女がたも来たのですか。今日はギーマ教論議に乗る気はありませんよ」
いつもと変わらず穏やかな顔に、少し嫌そうなのが透けて見える。まあ私は基本的にギーマ教否定派で、ここに来るときといったらギーマ教の是非について議論するときだったから、当然といえば当然かしら。でも今日はそんなことのために来たんじゃない。
「結構よ。私たちもそんな気はないわ。――それに、私自身今は“人狼会議”に乗った上“聖導師マリウス”の代理人を名乗ってるのだから。下手なことは言えないわ」
「驚きましたよ。貴女がマリウス様の代理人を名乗るなんて。……それで、どのようなご用向きで?」
「別に。貴方やここに訪れる人たちの様子を見に来ただけよ」
「そうですか。どうぞ、中へ。……ただ、あまりお客様を刺激しないようにだけお願いします」
「信用ないわね」
「お、お邪魔しまーす」
道を開けられて教会の中に入ると、サマンサの言った通り、ユリアとイェフ、ハリーとノーマンがそれぞれ固まって座っていた。ユリアとイェフとハリーの3人は熱心に祈っているようだけど、ノーマンはつまらなそうに、どこか居心地が悪そうに座っている。ずず……と背もたれからずり落ちるようにして、また起き上がる弾みでこっちを振り返った。
「――あ? マリアナとパミーナだ。珍し」
ノーマンのその声に、他の3人も顔を上げて振り返る。
「本当だ。こんにちは、また会いましたね」
「……こんにちは。ほら、イェフ」
「こんにちは」
ユリアに促されたイェフがぺこりと頭を下げる。よく躾けられていることで。
「どうも。熱心なことね。ミサの日はまだ先じゃなかった?」
「ミサはしばらく中止です。それどころではないでしょうし」
答えは後ろから帰ってきた。サマンサを引き連れたオスヴァルトが扉を閉める。
「あら、そうなの」
初耳のことに驚いていると、ユリアが祭壇の方に歩を進める足音がした。ユリアはそのまま跪いて祈るように目を閉じる、その横にイェフがくっついて真似をした。
「――ミサの日だから教会に行かなければならない訳でも、ミサの日以外に教会に来てはならないわけでもありません。神はいつでもすべての信者の声を聞いてくださいます。私のような業の深い信徒でもお救いくださいます。必ず」
「ごうって?」
母親の言葉に首を傾げるイェフにノーマンが答える。
「簡単に言えば罪のこと」
「つみ?」
「悪いこと」
「母さんは悪くないよ」
純粋な眼でじっとノーマンを見るイェフ。ノーマンがたじろいで生まれた沈黙を、オスヴァルトがユリアに話しかけることで破った。
「ユリアさんは業が深くなどありませんよ。でもその通り、どんな人でも主なる神は必ずお救いくださいます」
「牧師様……。どんな人でも、ですか」
「ええ。どんな人でも、必ず」
「……例えば、処刑されたり、人狼に襲撃されたりしても、神はお救いくださいますか」
「はい。真摯な心で会議に臨んだ方ならば、神はその魂を楽園へ招き入れてくださいます」
思わず笑ってしまいそうな言葉が、このものものしい教会の中で、この牧師によって語られると、それらしく聞こえてしまうからすごい。この「それらしく聞こえる言葉」は、会議においては結構脅威なのかもしれないわよね。
「……牧師様。変なことを聞きますけど、良いですか」
ユリアとオスヴァルトの会話を聞いていたハリーが口を挟む。
「はい。何でしょう」
「牧師様は、昨日僕らのことを人狼ではないと信じてくださいました。僕らが熱心なギーマ教徒だから。それは本当にありがたいことです。その信頼を壊してしまう質問かもしれませんが……けれど、人狼がギーマ教徒となることはありえないのでしょうか。もし人狼がギーマ教徒となったとしたら、神はそれでもその人狼を救うのでしょうか」
「…………」
オスヴァルトが押し黙る。答えられないのかしら。《永約聖書》は人狼を悪魔として描いている、会議によって人狼を次々と処刑する話が、神聖な伝説として語り継がれている宗教だものね。そりゃあ答えられないわよ。
「――お救いくださいます、きっと」
床の方をじっと見ながら、囁くように言ったオスヴァルトが、立ち上がって、祭壇に置いてあった《永約聖書》を手に取る。
「人狼がギーマ教徒になろうと考えるかはわかりません。洗礼を受け、ギーマ教徒を名乗ったとして、自らの身の破滅を示唆するこの宗教を、心の底から信じることができるのかはわかりません。ですが……もし、もしも、心から主なる神を信じ、その救いを信じ、《神の三律法》を守り抜くことができる人狼がいるとすれば……その方の魂は間違いなく神に赦され、楽園へ行くでしょう」
「牧師様……」
聖書の表紙を見つめながら、まるで聖なる呪文でも唱えるように、言葉を紡いでいくオスヴァルト。祈りを中断して顔を上げ、その言葉を聞き入っていたユリアが呟いた。
「そんなことはなかなかできることではありません。人間の受ける試練より、ずっと過酷なものでしょう。むしろ、人狼でありながら敬虔なギーマ教徒の方がいたら、その方は尊敬にすら値するかもしれませんね」
優しい目をして信者たちを見回すオスヴァルト。聖書を祭壇に戻し、冗談を言うときのように小さく笑う。
「まあ、人狼の性質は『邪悪・虚偽・疑心』で、《神の三律法》とは正反対ですから。洗礼を受けた人狼がいたとして、熱心に主なる神を信じる気にはならないと思いますがね」
「あら、私への皮肉かしら」
「いえいえ、まさか。マリウス様の代理人が何をおっしゃる」
茶々を入れると、オスヴァルトは少し焦ったように、また困ったように笑った。
「お師匠、神様より精霊大好きですもんねー」
「事実精霊たちは真実を教えてくれるわ。まあ、神みたいに世界を超越した知覚できない存在ではないから、絶対的に尊い存在とは言えないかもしれないけれど」
パミーナが、オスヴァルトより全然皮肉たっぷりに言うのを、あえて真面目に返す。
そんな話の中、さっきまで眠そうにしていたノーマンが、私の言葉にふと顔を上げた。
「そういやマリアナは結局ベンヤミンさんを占ったのか?」
「その話は会議のときまでしないって決めてるの」
「何だよそれ。まあ別にいいけどさ。――会議? 待てよ、もう結構時間ヤバイんじゃね? 広場行かないと」
ノーマンの言葉に、その場にいた全員の頭の上に『!』の記号が見えた気がした。
「そうでしたね。今日も陽五刻に“人狼会議”があるんでした。皆さん向かいましょうか」
オスヴァルトがそう言って、私たちはそのまま広場へと向かうことになった。
さあて……今日はどうするのかしらね。