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「マリーは私の親友なの。一緒に刺繍をする仲なのよ」
「ほう、今度何か贈ってもらおうか」
ニヤリと笑って言うレオナルドに、ローザは軽く眉をひそめる。
「刺繍は趣味だけれど、上手ではないの。マリーは凄く上手で生き物なんてまるで生きているように見えるのよ。私はよくわからない動物がたまに出来上がるわ」
ローザの言葉にマリーは苦笑しながら首を振る。
「ローザの刺繍も味があって可愛いわ」
「褒めてくれてありがとう」
マリーの後ろで微笑んで立っているコンラートに視線を移してローザは軽く手を振った。
「コンラートお兄様もお久しぶりです。最近はお忙しいとか……」
「そうだね。事業の勉強が大変で忙しいよ。ローザちゃん、ご婚約おめでとうございます」
畏まって祝いを述べるコンラートにマリーも慌てて頭を下げてる。
ローザはレオナルドの様子を伺いながら手を振った。
「改めて他人行儀なのは止めてほしいわ。マリーとはいつまでも親友だと思っているから、畏まらないでね。それに本当に結婚できるかわからないし……」
なぜ自分を好いてくれるのか分からないまま婚約をしたローザにとっていつレオナルドに飽きられるかわからない。
もしかしたら、婚約解消もありえるとにおわせるとレオナルドはピクリと眉を上げた。
「俺がお前を手放すことは無い」
グイっと腰を抱き寄せられるローザを見てマリーは顔を赤らめた。
「凄く愛されていて羨ましいわね。お兄様」
「そうだな」
兄妹で笑っているのを見てマリーは恥ずかしくなってくる。
(これじゃ、馬鹿なカップルみたいじゃない)
レオナルドに抱き寄せられているローザに気を使ってマリー達は去って行った。
せっかく友達に会えたのに満足に話せなかったとローザは落ち込む。
忙しくて気持ち的にも刺繍をする状況でないが、そのうちマリーと刺繍をするために会おう。
ぼんやり考えていローザの腰を抱きながら、レオナルドは歩き出した。
「どこに行くの?」
まだ来たばかりなのに会場を出ようとするレオナルドにローザは問いかける。
「少し散歩をしよう」
「散歩?」
胡散臭いと思いながらも、レオナルドの腕が腰に回されていて逃げられない。
ローザは仕方なくレオナルドと一緒に歩き出した。
初めて来た場所なのに、レオナルドは目的地があるかのようにスタスタと歩く。
会場を出て廊下を歩き、屋敷の奥へと向かうと人の気配がしなくなる。
使用人もパーティー客をもてなす為に忙しく働いていてレオナルドとローザが屋敷の奥に歩いて行くことを気にしている者は居ない。
薄暗い廊下を歩き、地下へ続く階段を歩いてく。
「地下室みたいですけれど……」
こんなところに何の用があるのかと顔を顰めるローザにレオナルドは薄く微笑んだ。
「地下室に用事がある」
「レオナルド様が?」
信じられないと思いつつ、レオナルドに促されてゆっくりと階段を降りて行く。
明かりが付いていない地下室は真っ暗で右も左も分からない。
暗闇の恐怖でローザは自分の腰を抱いているレオナルドの胸に抱きついた。
「暗すぎて怖いわ……」
「大丈夫だ」
胸に抱きついているレオナルドの顔すら見えない暗闇。
視界が全く見えないほどの暗闇の中レオナルドはゆっくりと歩き、部屋の中央付近で立ち止まった。
並んでいる棚の中に手を入れて ゴソゴソと何かを探しているようだ。
いくら王子でも他人の家で何かを探しているのは泥棒ではないかとローザは不安になってレオナルドの腕を引っ張った。
「ねぇ、大丈夫なの?勝手に良くないと思うわよ」
か細く言うローザの言葉を無視してレオナルドは何かを探し当てたように手が止まった。
「レオナルド様?」
暗闇に目が全く慣れず、何も見えない不安を感じながらレオナルドの名を呼ぶと背後から急に第三の声が聞こえた。
「レオナルド様、当主が地下室にまもなく来ます」
ルーの声が聞こえるが暗闇で姿が見えない。
すぐ背後に声が聞こえて悲鳴を上げそうなローザの口をレオナルドが塞いだ。
大きな手で口を塞がれたかと思うと、ぐっと後頭部を掴まれ今度はレオナルドの唇で塞がれる。
(一体なんなの?)
暗くてよく見えないが、レオナルドに口付けされていることは分かる。
意味が解らずパニックになっていると、地下室が明るくなった。
視線だけを向けると、ランタンを持った屋敷の当主が目を見開いて立っているのが見えた。
抱き合ってキスをしているローザとレオナルドを見て驚愕している。
名残惜しそうにローザの唇から離れるとレオナルドは不機嫌な顔をして屋敷の当主を見つめた。
「愛する婚約者と密会を楽しんでいたのに邪魔が入ったか」
「……それは失礼いたしました。しかし、ここは暗いですしその、別の部屋を用意しましょうか」
レオナルド王子の見てはいけないものを見たような顔をしてしどろもどろに屋敷の当主は言う。
「いや、他人の屋敷ですることではなかったな。そろそろ失礼しよう」
顔を赤くしているローザの肩を抱いてレオナルドはゆっくりと歩く。
当主は困った様子を見せながらもランタンで行き先を照らしてくれた。
「大したおもてなしもできませんで……」
「いや、十分楽しませてもらった」
満足そうに答えるレオナルドにローザは唇を尖らせる。
(何よ、絶対何かを探していたわ。それに、あの女を傍に置いているじゃない!)
縁を切ったとは言っていなかったが、ローザの傍にはおかないと言っていたじゃないかと怒りが湧き上がってくる。
気配を感じることが出来ない得体の知れない美女に怒りを感じる。
暗闇に一瞬現れたが、もうルーの姿はない。
(愛人がいる人なんて絶対に心を許さないんだから!)
自分に触れてほしいと思いながらも、愛人がいる人は絶対に嫌だとローザは再び心に誓った。