第三話
殿下は、動きを凍てつかせた我が主の前で、やたら饒舌に語った。
「ほら、俺って可愛い美少年じゃん? 実は結構お金かけてるんだよねー。肌のお手入れとかね、お抱えの錬金術師に化粧水やら保湿用のクリームやら作らせたりしてさ、寝る時間にも気を使ってるんだよ。寝不足は肌の大敵だからねー」
それは、およそ武勇の国に生きる男が語る内容とは思えない物言いだった。
「あなたは、それでも男か!」
怒りの限界を超えて、我が主ユキノが大声で怒鳴り散らす。
「そっちこそ、それでも女かよ?」
そして、言い返された。
「男の服を着て、男の振る舞いをして、男のように、俺に武器を向ける君はさ」
チエル殿下が、縁側に座ったまま、その可愛らしい顔で我が主を見上げる。
「俺に男か、なんて言えるほど、真っ当に女をやってるのかい?」
「私は、宝刀に選ばれた〈剣客〉です。男か女かなんて、関係ありません!」
「俺に男らしくしろって説教しといて、自分は特別、は通らないでしょ」
「ぐぬ……!」
殿下の言葉が、我が主を抉った。
「それに男も女もないなら、別に男の服を着る必要、ないんじゃない?」
「これは、動きやすさを意識しているだけで……!」
「へぇ、そうなんだ。ふぅ~ん?」
「ぐッ、何てムカつく笑顔……」
ニヤニヤと笑いながら首をかしげている殿下に、我が主が奥歯を軋ませる。
「君くらいの年齢ならさー、街で流行を追っかけたりするのが普通じゃない?」
殿下はそう言って、我が主に向かって肩をすくめた。
「でも君、流行とか完全に無視して、ひたすら素振りしてそう」
当たりである。
いや、正確にはほぼ当たり、である。
我が主は鍛錬を怠ることのない武人だが、素振りばかりしているワケではない。
王都にある道場にいって稽古をしたり、騎士団の訓練に混じったりする。
それが普通の子女がすることかと問われれば、否ではあるが。
むぅ、確かに、我が主が送る日常は普通の子女のそれとはかけ離れているか。
「フ、見識の浅さが露呈しましたね、殿下」
しかし、何と我が主、ここで何故か腰に手を当てて勝ち誇った。
「私とて一人の貴族子女。流行の先端を追うくらいはしますとも!」
待て、我が主。無駄に見栄を張っても恥をかくだけだぞ。
と、思いはするが私は武具。我が主のプライドに蹴りを入れる無粋はしない。
ここは沈黙を保って、静かに彼女の主張を見届けることにした。
「ご覧いただきたい。ここ数年、騎士の間で流行している魔剣鍛冶の作品です!」
言って、彼女が持ち出したのは私と共に携えていた大焔摩であった。
我が主はそれを、流行の品として持ち出したのである。
私は選択を間違った。
主がそんな行動に出る前に、無粋を働いてでも彼女を止めるべきだった。
「おー、五年くらい前から名が売れだした正体不明の刀工っていう、あの」
「そうですとも。丸一年、お小遣いを貯めて買いました!」
我が主、そこまで己の懐事情を赤裸々に語るのはどうなのだ。
「いかがです、殿下。私も立派に流行を追えていることでしょう!」
「でも武器の流行って、女の子が追うものかな?」
「ぐぅ……!」
殿下から、当たり前すぎる指摘が飛んできた。
そして我が主が、急所を突き刺されたかのようなくぐもった呻きを漏らす。
むしろ、どうしてその指摘を受けないと思ったのか。
さすがに我が主の頭がそこまで弱いとは思いたくないのだが、私も……。
「でもすごいね、アサクラの魔剣ってなかなか手に入らないらしいし」
「でしょう、でしょう!?」
すごい勢いで我が主が復活した。
好きなものに関する話題だからか、先刻まで見せていた怒りも霧散している。
「四年前、父上が手に入れたアサクラの魔剣を見たときにファンになりました!」
「ああ、そういえばサクラヅカ辺境伯が買ってたねー、一振り」
チエル殿下が気づいたように言う。
有名な刀工の作品ともなれば、客に関する情報も出回るものらしい。
「ちなみにユキノちゃんは、アサクラの魔剣のどこが好きなの?」
「私は――」
殿下の問いに、私は馬車での我が主の早口を思い出した。
哀れ、チエル殿下もまた、あの超速饒舌口上の餌食となられるのだな。
「私は、アサクラの魔剣の美しさが、大好きです」
と、思ったら、私の予想は外れた。
彼女が挙げたそれは、私も聞いたことがないものだった。
「これを鍛えた人は心から『美』を知る人であると、私は思いました」
「……そっかぁ」
我が主の答えを聞いて、殿下が何故か嬉しそうに破顔する。
「そっか、そっかぁ! いやぁ、まさかそこまで言ってもらえるなんてなぁ!」
彼はいきなり声を大にすると、照れくさそうに笑って身をよじった。
思いがけないその反応に、我が主が狼狽する。
「殿下、それは一体、どういう……?」
「ん、ちょっとついてきてよ」
空になったキリコを縁側に置いて、チエル殿下はおもむろに立ち上がった。
そして、目で我が主に促し、さっさと屋鋪の裏手へと歩き出す。
「何なんだろう……。ツキカゲ、わかる?」
『さすがにわかりかねる。ここは、ついていくしかないだろう』
「むぅ……」
一声漏らし、我が主ユキノは殿下に続いて歩き出す。
屋敷は思いのほか大きく、グルリと回るだけでもそれなりに時間がかかった。
そうして歩いているうち、我が主が何かに気づく。
私の魔法的な感覚も、それを知覚した。これは、何かが焦げている匂いか。
「そういえば、煙が上がっていたな」
『うむ』
中庭に赴く前に気づいたことだ。
屋敷の向こうの空に、煙がたなびいているのが見えた。
さらに進むと、いよいよ焦げ臭さが濃くなってくる。
いや、それだけではない。焦げ臭さの中にかすかな甘い匂いが混じっている。
「こっちだよ」
チエル殿下が下駄を鳴らして曲がり角の向こうへと姿を消す。
そこで我が主は一度足を止めた。
目を細めたその顔は、チエル殿下の意図を探ろうとするがゆえの表情か。
「行くしかない、か。ツキカゲ」
『了解した』
意を決し、私を携えた我が主が殿下が消えた曲がり角の向こうへと臨む。
そして、窓を曲がった先にあったのは――、
「ようこそ、俺の鍛冶場へ」
一面に咲き誇る、桜であった。
「……これは」
小さく漏らし、我が主は絶句する。
果たして、彼女が目を奪われているのはどちらなのか。
視界いっぱいに花を咲かせている、大量の桜の木か。
それとも、桜の木々の間にポツンと建っている、小さな鍛冶場の方か。
鍛冶場は今も炉が燃えていて、煙突から高く煙がたなびいている。
私達が見た煙は、ここから上がるものだったようだ。
主が呆けているところに、ザァ、と、一陣の風が吹く。
するとどうだ、枝が揺れて、見事な桜吹雪が舞い散っていくではないか。
「綺麗でしょ」
鍛冶場の前に立って、チエル殿下がニコリと笑う。
「うちの屋敷の裏山は桜の山なんだ。俺も、初めて見たときはびっくりしたよ」
彼は自慢げに言う。しかし、それも当然か。
これほどの見事な桜の群生地、そうそうお目にかかれるものではない。
「だから、ここに鍛冶場を置いたんだ。魔剣鍛冶アサクラの、ね」
「アサクラ……、では、あなたが?」
ようやっと我に返ったらしい主ユキノが、驚愕の表情で殿下に問う。
すると、チエル殿下は気恥ずかしげに「うん」と答えた。
「アサクラはね『桜色のアーティスト』って意味でつけた名前なんだ」
そう言うと、殿下は我が主に「来て」と促し、鍛冶場に向かう。
我が主は周りをキョロキョロ見回しながら、殿下に従って歩いていった。
鍛冶場にあるのは、いっそ簡素とも呼ぶべき品々だった。
鉄を焼く炉に、鍛えるための叩き台に、使い込まれた金槌に、魔法陣の敷布。
魔剣は、剣を鍛える工程のさなかに魔法構造式を埋め込む必要がある。
場所によっては、そのための大掛かりな設備などもあったりするのだが……、
「魔法構造式の埋め込みは、これ一つで十分なんだ」
床の一角に敷かれた魔法陣の敷布を軽く踏みながら、彼は言う。
何てことないような語り口だが、私から見ればそれは異常という他にない。
私が見た大焔摩の魔法構造式は芸術と呼ぶべき精度を誇る超一級品だった。
先述した大掛かりな魔法設備を用いた上で、十人単位の術者が必要なレベルだ。
それを、こんな使い古された魔法陣一つで、しかも術者も一人だけとは。
もし事実ならば、殿下の魔法の腕前はこの国でも史上屈指に数えていいだろう。
「…………」
我が主は、鍛冶場を軽く歩いて、壁に立てかけてある鋼の棒を手に取った。
その黒ずんだ鋼は、これから剣になるであろう素材か。
「今打ってるのがそれ。完成するまで、半年はかかるかなぁ」
「半年も、ですか……?」
我が主が鋼の棒を壁に立てかけ直し、問い返す。
剣一本にかける時間としては確かに長すぎる気がする。
「俺さ、魔法は得意なんだけど、肝心の体力がなくてね。時間かかるんだ」
「何を気弱な。体を鍛えればよいではありませんか」
我が主の言葉に、チエル殿下は「だよねー」と苦笑する。
「ところでユキノちゃんは驚いてないの? リアクション、期待してたけどな」
「いえ、驚いてます」
後ろ頭に手を組む殿下へ、我が主はごくごく真顔でそう言った。
「ただ、驚きすぎて頭の中が冷たくなってしまいました。今、すごく冷静です」
「わぁい、こっちの想定の三回り以上、驚いてくれてた!」
チエル殿下が諸手を挙げてピョンと跳び上がる。
なるほど、我が主の反応がやけに薄いと思っていたが、単に驚きすぎていたか。
感情が一周して、逆に冷静になってしまうほどの驚きだったらしい。
「ちなみに騙りじゃないからね?」
「それは、言われずともわかっています」
「本当ォ~?」
「はい。むしろ、納得しています」
探るような目で見てくる殿下に、我が主はさっぱり言い切った。
「殿下のお姿から感じられる『美』の在り様が、私が大焔摩に感じるそれに通ずるものがありましたので、ああ、やっぱり。と、今は思っています」
「う、あ。はい……」
どうやら、我が主の飾り気のないコメントが、殿下には不意打ちだったようだ。
これまで余裕を保っていたその顔が、途端に紅潮してしまった。
「殿下は、ずっとここで剣を打ち続けているのですか?」
「うん。そうだね、ずっとここで打ってるよ。城にはほとんど行ってない」
彼が登城していないことは、私も主も知っていた。
国王陛下がそれを許している事実は、城に上がる者にとっては周知の事実だ。
王家の一員ともあろう者が、理由もなく登城を拒む。
それもあって、チエル殿下は王家きっての変人と呼ばれているワケだが――、
「陛下が登城しなくてもよいと言われた裏には、こんな理由があったのですね」
「あ、それは勘違い。単に俺が城行きたくないってワガママ言っただけ」
「あれ!?」
魔剣鍛冶アサクラとして、少数ながらも質の良い武器を市場に供給する。
それこそが登城しない理由だと納得しかけたところで、本人から否定された。
「俺が城に行かない理由は、そこに俺の居場所がないからだよ」
「居場所……」
「この国で、俺の居場所はここだけさ。この屋敷と、鍛冶場だけだ」
変わらぬ笑顔で紡がれた言葉は、今までの殿下の物言いとはまるで違っていた。
我が主も感じ取っているであろう、その深い諦念は、一体何事か。
「相手が君じゃなかったら、この婚約、俺は自分から断ってたよ」
告げられた彼の一言に、我が主の体がかすかに震える。
彼女の手に掴まれている私には伝わってくる。我が主は、竦んだのだ。
「それは、一体……?」
「ユキノちゃんはね、俺の憧れの相手なんだ」
「あこがれ……?」
我が主が音だけを繰り返すと、チエル殿下は恥ずかしげに「うん」とうなずく。
「君の話は、結構前から聞いててさ」
「はい……」
「最初は、俺と一緒だなぁって、思ったんだ」
片や、女性でありながら、男の振る舞いをする我が主。
片や、男性でありながら、女のような格好をするチエル殿下。
まるで鏡写しのような二人ではないか、と、私も感じてはいたが……、
「でも違ったよ。君は、俺なんかと全然違ってた」
チエル殿下は、そう言っておどけるように肩を竦めた。
「俺ね、本当は強くなりたかったんだ」
語られた言葉は、過去形だった。
「でも、強くなれないの。俺、どれだけ鍛えても無駄なんだ」
「え、な、何故です……?」
我が主が狼狽しながら問う。
すると、チエル殿下の笑みに深い陰りが混じった。それは、諦念か。
「俺ね、エルフの取り替え子なんだ」
殿下の告白に、我が主はハッと息を呑んだ。
取り替え子とは、妖精や亜人を先祖に持つ一族に起きる突発的な先祖返りだ。
これを起こした者は、人でありながらその先祖の特徴が色濃く出る。
そういえば、何代か前の王妃が、エルフの血を継いでいたと聞いたことがある。
「エルフの特徴、わかる?」
「確か、魔法的素養に優れ、反面、肉体的には虚弱で、そして――」
「そう。自然治癒力が異常に高い亜人、だね」
そういうことか!
鍛えても強くなれないという殿下の言葉の意味が、ようやく理解できた。
極論、鍛錬とは肉体を痛めつけて順応させる行為だ。
しかし、高すぎる自然治癒力は、その順応すらも回復させてしまう。
鍛えても、鍛えた分だけ治ってしまう。
高すぎる治癒力が、自然成長以外の肉体の変化を許してくれないのだ。
「そんな、それでは私は、何という失礼なことを……」
今さら、自分が吐いた言葉の意味に気づいて、我が主が顔を青くする。
しかし殿下はそれを「別にいいよ」と笑って許した。
「君を責めてるんじゃないよ、ユキノちゃん」
「チエル殿下……」
「でも、俺は俺を強くできない。それを知ったときは、キツかったなぁ」
あくまでも笑ったまま、彼は言う。
しかし、その唇も、目じりも、一見してわかるほど震えていた。
語るどころか、思い出すのも辛い。
チエル殿下の表情が、言外にそう物語っていた。
「ですが、殿下には一流の魔剣を鍛えられる腕があるではないですか!」
我が主が、努めて声を張り上げて殿下に向かってそれを言うも、
「ただの自慰だよ。魔剣鍛冶なんて」
チエル殿下はそれを、一言で切って捨てた。
「俺自身が強くなれないから、せめて何か『強さに関わるもの』をこの手で造りたい。そんな逃げの発想が、魔剣を鍛えるようになったきっかけさ。笑えるだろ?」
「それでは、ダメなのですか? 殿下にとって励みにはならないのですか?」
「励みにはなってるよ。……励み以上にはなってくれないけどね」
肩をすくめる殿下の声に混じる、露骨な自嘲。
我が主はそれを聞いて何を思うのか。武具でしかない私などには計り知れない。
「だから君なんだよ、ユキノちゃん!」
と、そこでチエル殿下の表情がパッと明るくなった。
「え、私……?」
「そうさ! 君は俺なんかと違う。全然違う! だって君は、逃げてないだろ!」
いきなりすぎる殿下のテンションの変化に、我が主の戸惑いが増す。
「君はまっすぐに、自分の思うように振る舞ってる! それはすごいことだよ!」
キラキラと瞳を輝かせて、チエル殿下は我が主を褒め称えた。
「この、強さしか重んじられないクソみたいな国の中で、女の子なのに誰よりも強く、誰よりもワガママに自分を貫けてる君が、俺にはとても眩しく映えるんだ!」
「ちょ、殿下、やめてください。そんな……」
高らかに声を張り上げる殿下に、我が主は軽く俯き、縮こまる。
手放しの称賛などされたことがない我が主だ。こういう反応にもなろう。
「君が俺の兄貴を順番にブチのめしたって聞いて、俺は息が止まるほど驚いたよ。そして期待した。もしかしたら、もしかしたら自分の番が回ってくるんじゃないかって!」
「あの、殿下。わかりましたから、もう、そのくらいで――」
我が主が縮こまったまま殿下を止めようとするが、まぁ、止まるまい。
チエル殿下は完全に火がついてしまっている。
「〈剣客〉の称号を継いで、兄貴達をのしていく君に心の底から憧れたよ。そして、ついに俺の番が回ってきた。君と婚約できることが、どんなに嬉しかったか!」
「殿下、やめてください。お願いしますから」
まだまだ止まらない殿下の歓喜の発露に、我が主も声を固くする。
そこまで恥ずかしいものだろうか。
褒められ慣れていない、というのもなかなか考えものかもしれないな。
「俺と君が似てるなんて、とんでもない。君は俺みたいな逃げ腰の弱虫とは全然違う。君こそ、まさに俺の理想なんだ。憧れるよ、憧れないワケがない!」
されども、殿下はやはり止まってくれない。
それどころか、彼の熱弁はさらに加速していくばかりだ。
「俺はずっと逃げ続けてきただけで、君はずっと自分を貫いてきた。ほら、全然違うだろ? だから、俺が君に惚れるのなんて当たり前の話で――」
「もうやめてって、言ってるでしょッ!」
だが、我が主の突然の叫びが、チエル殿下の言葉を遮った。