第九話
神前決闘はこのまま続行される事となり、次の対戦までの休憩に控え室に戻ったマリウスを再びライザ嬢が迎えた。
だが、前回と異なり二人は無言であった。
椅子に腰掛けたマリウスの火傷に軟膏を塗り込んでいくライザ嬢。
その傷に悲しげな目を向けながら黙々とマリウスの手当てをする。
マリウスの火傷は思ったよりも軽くはなさそうだ。だが、マリウスは痛がる素振りも見せずライザ嬢の作業を見守った。
「……手際が良いのですね」
そのライザ嬢の慣れた手付きにマリウスが沈黙を破った。
「貴族の令嬢が治癒師の真似事など……おかしいですよね」
「そんな事は……俺は素敵だと思います」
「ありがとうございます」
ライザ嬢は笑った。
それは美しくも何処か寂しい。
「本来なら貴族令嬢がしてはいけない振る舞いなのですが……」
ライザ嬢は手を止めずにぽつりぽつりと自分の事を吐露し始めた。
「私は焦っていたのです」
ライザ嬢は婚約者ミカエルがリーンにどんどん傾倒していくのに堪えられなかったのだと語る。
ミカエルがリーンの治癒魔術を褒めれば治癒師の技術を身に付け、リーンのお菓子が美味いと賞賛すれば料理を学ぶ……こんな事が続き、ライザ嬢はいつの間にか一人で何でも出来るようになっていた。
「ふふふ、私は平民になっても生きていけそうです」
自嘲気味に笑う彼女はとても痛々しい。
マリウスも同じように感じたのか、眉間に皺が寄り膝の上に置いた拳をギュッと握り締めた。
「マリウス様、血が……」
力が入り過ぎ爪が食い込んでマリウスの手から血が滴る。ライザ嬢はその拳に温かい手を添えてマリウスの目を覗き込んだ。
「お願いですからご自分を傷つける真似はおよしください」
マリウスが緩めた拳を取り、ライザ嬢は傷を丁寧に手当てする。
「俺は知っています」
「はい?」
その一部始終を眺めていたマリウスからぽつりと言葉が溢れた。
「ライザ様はとても優しい方だと……いつも高潔で誇りを忘れず、だから直向きに努力をしていました」
「いいえ……いいえ……私は愚かな女です。嫉妬に狂い、無駄と分かっていながらリーン様を憎まずにはいられなかった」
ライザ嬢の悲哀の色を映す瞳にはもう嫉妬の炎は無く、理知的だけど悔悟に翳っていた。
「それは違う!」
その陰が我慢ならなかったのだろう、マリウスはつい声を荒げてしまった。
「婚約者に裏切られようとも、皆に認められなくとも、ライザ様はずっとずっと頑張ってこられた……その忍耐、その努力、その深い愛情を無惨に否定されて正気でいられなかったからと言って誰があなたを責められましょう」
ライザ嬢を害する者達への激情はそのまま彼女へ向けたマリウスの強い想いなのだろう。それが分かるからなのか、ライザ嬢は黙したまま辛そうな目をマリウスへ向けるだけだった。
だがマリウスは己が想いの返答を期待していた訳ではないのだろう。すくっと立ち上がると部屋の出入り口へと向かって行った。
「だから、あなたを穢す全ての存在を俺は許せない」
部屋を出て立ち止まったマリウスは振り返らず一言だけ言い残して扉を閉めた……