第八話
薄暗い通路から開けた闘技場に出ると、マリウスを天から注ぐ光が襲った。それと同時に観客席が騒めく。
闘技場には既に次の対戦者ダールが待機しており、入場してきたマリウスを睨みつけた。
「両者、前へ!」
審判の指示に従い二人は開始線まで進み出た。
互いに向かい睨む二人の視線が宙でぶつかる。
「逃げ出さずによく来られたものだ」
「俺に逃げる理由はない」
「ふん! 私にカルマンやザックの時のような卑劣な手段は通じんぞ」
「俺は何も恥じる真似はしていない。お前らと違ってな」
二人が牽制する中、先程と同様に審判から宣誓が闘技場に響き渡った。
「始め!」
審判の合図でまず動いたのはダールだった。彼は優秀な魔術師である以上その初手はどうしても呪文詠唱となる。
ところが――
「業火よあれ!」
ダールの口から出たのは詠唱後に魔術を発動させる為の起動の言葉。
「なっ!?」
審判は目の前で起きた事の意味を悟り絶句した。
ダールは開始前に呪文を唱えておき魔術を発動状態で待機していたのだ。これは先に説明があったように完全な違反である。
魔力で産み出された豪炎が柱となってマリウスを襲った。
「ダール殿!」
審判は強くダールを睨みつけたが、ダールは涼しい顔で流す。
「この決闘は無効……いや、貴殿の反則負けだ!」
「何を言う、先の対戦ではザックが同様の手段を使われたではないか」
先程はザックが無理強いしたのであってマリウスが予め準備をしたわけではない。それなのに、曲解して自分もやって何が悪いと嘯くダールの態度に審判はいよいよ憤慨した。
「この場は神前決闘であるのに……あなた方は何処まで神を愚弄すれば――ッ!?」
「え!?」
審判は叱責の途中で絶句し、ダールもいきなりの事で唖然となった。
「馬鹿な!」
「マリウス殿、生きて!?」
いきなり炎の柱が真っ二つに斬られ、中からマリウスが飛び出してきたのだ。
そのままマリウスは一気に距離を詰めダールを殴り飛ばし、倒れ伏した彼に剣を突きつけた。
ダールも審判も、他の会場にいる誰もが予想だにしなかった展開に闘技場の時間が止まる。
「しょ、勝者マリウス!」
凍った時を動かしたのは審判の勝利宣言であった。
わっと観客席が沸く。
今まで誰からも声援を貰えなかったマリウスの勝利が初めて讃えられた瞬間だった。
炎で少し焼け焦げたマリウスは、しかし平然と今まで通り開始線まで戻る。
その時になってダールは正気を取り戻し審判へと迫った。
「ま、待て、今のは無効だ。貴様が俺に話し掛けて注意を逸らしただろう」
「貴殿らは何処まで身勝手な……」
審判の目にはダールへの怒りが見える。
「貴殿の反則を以て王太子側の敗北を宣言する!」
「なんだと!?」
激情にカッとなったダールは審判に掴み掛かった。
「貴様も下劣な悪女の味方をするか!」
「……離しなさい。審判に対する恫喝も違反行為ですぞ」
静かな怒りの声に冷水を浴びせられたかのようにダールははっと手を離した。
「この際だから貴殿らに忠告する」
この時の審判の声は何故か信じられないほど広い闘技場に響いた。
「ライザ嬢の名誉も魂も神に捧げられた。その彼女を冒涜し穢す行為は神への供物に唾するのと同じ」
つまり、審判は自分達が唾棄するようなものを供し神を冒涜するのかと言っているのだ。
「あまりに神を軽んじるような言動を繰り返す貴殿らが神の恩寵を賜る筈もなし。これ以上の続行は無駄である」
「貴様! こちらは王太子の陣営ぞ!!」
ダールの脅しを審判は鼻で笑った。
「貴殿らはライザ嬢を卑劣な悪女と言うが、女性を相手に五人がかりで決闘を挑み、代理人のマリウス殿とは尋常に勝負はせず、負ければ権力で神聖な神前決闘を穢す……」
審判の目に神でも宿ったのか、彼に睨まれたダールは息を飲み怯えた。
「どちらが卑劣な行いか……全ては神が見ておられるぞ!」
「ひっ!」
一喝されてダールは不様に尻餅を突く。
そんなダールもはや無視して審判は右手を天へと伸ばした。
「ここにマリウス殿の勝利を――」
「待たれよ」
勝利宣言を止めた人物に審判は驚いた。
それが他でもないマリウスだったのだ。
「決闘は続行してもらいたい」
「しかし……」
「この決闘はライザ様の潔白を神に問うもの。俺は正々堂々と全ての試練を乗り越え、彼女に神の恩寵があるを証明したい」
マリウスの考えは分かる。
このまま途中で決闘に勝利してもミカエル達は決して納得しないだろう。闘技場を出た後にはマリウスも審判も、そしてライザ嬢も無事でいられる保証はない。
マリウスは神から潔白の裁定を受けた事実が欲しいのだ。
誰の目にも明らかな勝利を民衆の前に示せば神がライザ嬢の正当性を認めたのだと誰もが思う。そうなれば王家でもライザ嬢へ手出しするのは簡単ではなくなるだろう。
「……分かりました」
マリウスが続行を望む以上は審判も折れる他なかった。