第三話
闘技場の舞台から自分に割り当てられた控え室へと歩む。その間、マリウスは終始無言であった。
サンダルの底に打たれた鋲が石床を打つ。
カツーン、カツーン、と足音が壁にぶつかり響き渡る。
薄汚れた銀のような鉛色の髪は短く刈り上げられ、戦場で幾人もの血を吸ったような赤い目は恐ろしい程に鋭い。
マリウスの体躯は大きく、短衣からはみ出た両腕、両足の筋肉は逞しい。幾つもの傷を持つ面貌で泣く子も黙り息を潜めそうである。
実際に彼は戦場で数多の猛者を右手に持つ大きな剣で屠ってきた英雄である。味方にとってはこの上なく頼もしく、敵にとっては悪夢と呼ぶべき災禍のような男だろう。
戦場ではどんな強敵にも怯む事なく、不利な局面にあっても動じる事のない沈着冷静な豪傑だった。
今回の決闘においても動揺など微塵も見せていない。
そのマリウスが自分の控え室へ続く扉を開けて中へ入ろうとして目を見開いて驚いた。
出て行く時には居なかった女性がそこに居たからだ。
それは、しっとりとした長い黒髪に悲しみに、濡れた青い瞳のとても美しい女性――
「……ライザ様」
「マリウス様……」
――ゆったりとした白い貫頭衣に身を包み、肩からは瞳と同じ青色のドレープを流した姿はそこはかとなく色香が漂う。
この美女こそマリウスが王太子達と決闘をする原因となったライザ嬢である。
彼女の美しい顔貌は、しかし今とても悲しみに満ちた表情で蔭を帯びていた。
「申し訳ありません……私のせいでマリウス様に多大なご迷惑を……」
「この決闘は俺が俺の為にあなたの名誉を守りたくて受けたのです」
マリウスがライザ嬢に向ける目はとても優しい。
「あなたが気に病む必要はありません」
「ですが、こんな不利な条件を強いられて戦わねばならないなんて……」
決闘は命懸けである。
真剣を振るい、魔術を行使して戦うのだから命を落としてもおかしくはないのだ。
だから、一戦するだけでも体力と精神力をかなり削られてしまう。それを一日で五戦もするなど尋常ではない。
しかも、マリウスはこの決闘において権力者である王太子達を殺してはならないという不条理な条件を課せられている。対してミカエル側はマリウスを殺しても問題とならないのだ。
殺しにきている対戦者を殺さないよう手加減しながら戦えなど、とても対等な決闘とは言えない。
「今からでもお逃げください。マリウス様が私などの為に命を賭す必要はないのです」
「俺はライザ様への理不尽が許せない」
強い意志を宿す赤い瞳には怒りの炎が灯っていた。
「もとは私がリーン様を害したのがいけなかったのです」
対して慚愧で染まる青い瞳は悲しみに濡れている。
「もとを質せばあなたを婚約者に持ちながら王太子のミカエルが浮気をしたのが悪い」
「いいえ、いいえ、全ては私が悪いのです」
マリウスの刺すような断言にライザは頭を振った。
彼女の濡れ羽の黒く輝く長い髪がさらりと揺れる。
「私が愚かだったのです」
彼女の青い双眸から湛えられた雫が一筋流れて光った。
その一条の儚い光は美しく、そして哀しい……