屠龍(ドラゴン・スレイン)ではなく「詩経」
*1
半年前から火龍が現れ、田畑を荒らして困っているという村人からの訴えで私は火属性の魔法使いを相棒に龍退治に来ている。彼女の名はサラ。小柄で限界が低く、ブチ切れると手に負えないのが難点だが、切れなければいい女である。
龍は生きていれば狩猟の伴やペット、死んでも歯は民芸品、肝は医薬原料と言ったように全身余すところなく利用される為、その数を減らし近年見かけることが稀になってきた。今回のような大物は珍しい。
困っているとはいえ、貧しい村人からボッたくるのは主義に反するので安い値段で請け負っているが、屠龍師でもあるサラの本当の狙いは龍自体。私の目当ては龍が持つと云われる龍玉である。お互い協力はするけど目的は別々。片方が倒れた場合、残った者が総取りという約束。漁師と同じ厳しい世界である。
*2
例によって途中は省略してしまうが、サラと私は夕刻、村からそれ程遠くない岩石だらけの渓谷で火龍と対峙していた。想定外なことに火龍は知恵を持つ龍-賢龍だった。おまけにサラは火属性の魔法使いの為、相手のイメージをトリガーとする四字熟語の特性上、火炎呪文のヒット率は高いが相手の火炎呪文に対する耐性も高い。火炎呪文が派手に次々と決まっているように見えるが、その割に効果はないという悩ましい状況で、思いの他苦戦している。
火龍が灼熱の吐息を吐く。
-三界火宅 火上注油!
知恵ある龍に気圧されたサラは、忍耐力がない自身の欠点を如何なく発揮し、吐息の凄まじい火力を相殺する為、火炎呪文を連唱してしまった。
四字熟語の蓮唱を聞いた私は師匠の最期を思い出す-。
敬愛していた師匠は闇落ちした兄弟子を長年追い続けていた。やっと兄弟子を追い詰めた先で-元々同じ流派であり、かつ実力も拮抗していた為-遂に四字熟語を連唱してしまった。
四字熟語の連唱-二連四字熟語は呪文の効果が乗数倍になるが、相手が四字熟語で返した場合、それが返歌となり古代魔法「詩経」の扉を開くことになる。「詩経」は四字熟語よりはるかに強力な魔法であったが返歌による呪文返しが可能な上に、歌の交歓が途絶えたとき片方の術者に累積された全ての呪文の効果が被さるというあまりに危険な弱点があったため、今では使い手は途絶えている。改良版の呪文:四字熟語でもその欠陥は完全には解消されず、故に呪文の効果を蓄積するスタートボタンになる四字熟語の連唱は忌避されている。
-勇者不懼
火龍のゴロゴロと響くような低い声がする。普段聞けば何の変哲もない強化呪文だが、サラの二連四字熟語の返歌となってしまっている。
途端、地面に光り輝く魔法陣が描かれ、彼女と火龍を閉じ込める決闘場となった。決闘場は2人(1人と1匹?)の戦いの帰趨が決するまで解かれることはなく、障壁に包まれた魔法陣の中は、外に居る私からでは何の手出しも出来ない。
-九鬼嘉隆
サラが返歌を返す。
2人の頭上に古の文様で彩られた巨大な対局時計が現れる。持ち時間は、何故か囲碁の竜星戦に則り1時間の様だ。手に汗を握る2人の呪文の掛け合いが続く。対局時計が2人の残り時間を刻んでゆく。
-師匠は呪文合戦に敗れ、闘技場に蓄積された全ての呪文の効果をその身に受け、跡形も残らなかった。
苦い思い出が蘇る。
-角膜上皮【火龍】
-悲情城市【サラ】
…ん?
良く聴くと今回は詩歌の雅で高度な掛け合いではなく、単なる「しりとり」の様だ。2人のレベルが師匠達とは違い、それ程高くないからだろう。「しりとり」であれば同じ呪文と「ん」で終わる呪文は敗北を意味する。
対して師匠達の戦い-詩吟は美しかった。あの時、戦いであることを忘れ、私はしばし師匠達の掛け合いに聞き惚れた。それに比べ今回は最後の語を繋いでいるだけ。個々の呪文のイメージも固まらないまま、ただただ時間に追われている。人名やら映画のタイトルやら、そもそも呪文なのか本人達にも判らなくなっている。
-支那蕎麦【火龍】
今度はサラの番だが、サラが持ち時間を使い切り、秒読みが聞こえる。サラは追い詰められるとぶち切れて、相手に罵詈雑言を吐きまくる悪い癖があるのだが、今日はその様子もない。あれっと思って良く見ると、さっきまであれ程吹き出していたサラの汗が止まっている。
そう言えば、血液が溶岩で灼熱の体温を持つ火龍と一つ所に閉じ込められて、かなりの時間が経つ。人である彼女は悪態も付けない位、体力の限界に達しているのだろうか。
コンビを組んで短かったけど、楽しかった-。
彼女の呪文で肉をこんがりと焼きBBQを楽しんだり、2人仲良く並んで寝転んで小麦色のお肌に焼いたり、焚火を囲んでガールズトークをした日々が走馬灯のように蘇る。私はまた師匠のように大事な人を失ってしまうのだろうか。
「ば、ば、ば・・・。」
懸念していた様に、忍耐力がなく長期戦に向いていないサラがとっ散らかって来た。
「50秒」「1、2、3……」
対局時計が情け容赦なく時を刻む。
追い込まれたサラがまるで八つ当たりするような、苦し紛れの呪文を放つ。
-爆裂呪文
天を振り仰ぎ見て、血を吐くように叫んだ。
「ブブーー。」
対局時計が無情な判定を下す。
呪文自体に「呪文」という文字が入っている初歩的なミス。おまけに「ん」で終わっている。2重の意味で駄目である。フィールド上に蓄積された全ての呪文の効果ー目ん玉やら歴史上の人物やら食べ物やらーが渦を巻いて華奢で小柄な彼女に襲い掛かり、その姿が見えなくなった。一方、火龍は激闘の疲れでがっくりとその巨体の膝をついた。
*3
非情なようだが私はその瞬間を待っていた。戦いの帰趨が決し、両者に弛緩が訪れるこの時を。
-電光石火
稲妻の素早さで動き、消えかかっている障壁を突き抜ける。そして、火龍の右手から龍玉を掠め取った。
魔力の元である龍玉を失った火龍は、急激に小さくなりトカゲのような大きさの蛟竜となった。
蛟竜は恨めしそうな顔でこちらを見ると「キィ」と甲高く一声鳴いて物陰に姿を消した。
私は荒い息を整える。
-これで、これからは村が火龍に襲われることはないだろう。しかし、犠牲も大きかった。
-出来ることなら、本当はサラを助けたかった。
最低なやり方しか出来なかった自分の不甲斐なさと悔しさに、両目から止めどなく涙が溢れる。
自分は無敵とでも思っていたが、鼻っ柱をたたき押された感じがする。
(私だってヘコンダり、反省することもある。)
*4
ひとしきり思いっきり泣いて気持ちが落ち着いた後、私は傍らに転がっていた今回の獲物である龍玉を改めて手に取って眺めた。甘夏位の大きさなので何とか片手で持てる。龍玉は吸い込まれるように透明でキラキラと瑠璃色に内側から柔らかに光り、とても美しい。
「おいで。私を使ってご覧。」
龍玉が私を呼ぶ。心に直接響いてくる。私は誘われるがままに、魅入られたように両手で龍玉を抱きかかえると、龍玉を発動させようと自分の魔力を龍玉に注ぎ込み・・・。
ハッと我に返り、慌てて龍玉を封印箱に放り込む。トカゲ位の蛟竜を知恵ある火龍にする程の魔力を秘めたこの珠は所有者を蠱惑する危険な呪われた魔法道具の様だ。呪われた魔法道具は取扱いが難しいので買取先が限られる上に、値段も付きづらい。
やれやれ。
私はため息をついた。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。