老人
顔を上げると病院のある窓が目に入った。
いつの間にか目的としていた総合病院までたどり着いたのだ。
窓には人がいた。
老人である。
老人は窓から外を眺めている。
病室だろうか。
ベッドの上で上体を起こし、窓の外を見ている老人の光景が目に浮かんだ。
窓との距離は数百メートルはあるのではないだろうか。
この川岸では距離感が狂っていて、それが百メートルなのか二百メートルなのかもよくわからない。
窓から見える老人は小指の爪ほどの大きさもないのだ。
あることに気付いた。
老人は私を見ている。
その眼には憐れむような光が宿っているではないか。
死をまじかに感じている者が、己と同じ境遇のものを感じ取ることができるとでもいうのか。
しかし、これは大変な事だと気付いた。
川の外の人に私を認識されたのだ。
この好機をものにすれば、川縁から出られるかもしれない。
手を振ってみた。
老人は確かに反応を示した。
身体を動かすのが見える。
私はさらに大きく手を振った。
老人は窓から姿を消した。
ベッドから降りたのだろう。
もしかしたら誰かに私のことを伝えてくれたのかもしれない。
やがてあの老人がまた窓に姿を現した。
よかった。
こちらを見ている。
また手を振った。
ここにいる、助けてくれと叫ぶ。
しかし、あろうことか、老人は開いていた窓を閉め、そのうえカーテンを閉じてしまった。
その顔には見てはいけない不浄のモノでも見てしまったかのような表情が浮かんでいた。
その口は念仏を唱えるかのようにもごもごと動いていた。
今は目も合わせてくれない。
しばらく待っていたが、もうその窓のカーテンが開くことはなかった。
この川に入って、いや入ってはいない。
川と通常の世界との境目に様な川岸に滑り込んでしまってから、いったい何人の人を見かけたであろうか。
あちら側に、老人や買い物帰りの女性、こちら側ではカヌーの男、気配だけならもっと多い。
しかしそのどれとも接触することはできていない。
私は一人だ。




