#8 怪我の功名
「カールゼンの悪魔め!」
その衛兵が叫ぶ。だが、数名の衛兵が彼をすぐに取り押さえ、銃を取り上げて連行していく。私と数人の衛兵は、倒れた大使の元に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、大丈夫、なんともないようだ。」
転んだ際にぶつけた肘をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる大使。
おそらくはカールゼン軍に恨みを持っての犯行だろう。やれやれ……使節を守るという立場にありながら、なんてことをしてくれたんだ。今さらそんなことをしたところで、なんにもならないというのに。
と思いながら、私は後ろを振り向く。
私は一瞬、目を疑った。
そこには、血まみれになって倒れているニコル少尉がいた。
「ニコル少尉!」
私は青ざめる。奴の銃は、彼女に当たったようだ。私は彼女の元に駆け寄り、抱き寄せる。
脇腹から、血が流れ出ている。彼女は右手を上げながら、なにかを言おうとしていた。
「あ……あ……」
「しゃべるな、少尉!今助ける!誰か!医療班か、衛生兵を!」
私は首に巻いたスカーフを取り出し、腹部に巻く。白いスカーフがあっという間に真っ赤に染まる。私はハンカチを取り出して、腹部に当てる。それでも血が止まらない。ぼたぼたと滴り落ちるニコル少尉の血。
いつもあれだけ平和ボケしている顔が、血の気と生気を失っている。こちらを見ているが、目の焦点があっていない。
「駆逐艦の医務室に運びます!」
担架が運ばれてきた。看護士が、彼女の脇腹に止血剤をかける。
そのまま、私も医務室まで付き添った。すでに気を失っているようで、ぐったりしたニコル少尉の傍らについていく。
そして、医務室の奥の集中治療室へと運ばれていった。私は、その手前で引き止められる。
ああ、なんということだ。私がもっと早く気づいていれば、彼女が撃たれることはなかったかもしれない。
「ロベルト少尉殿。我々の軍服ですが、どうか着替えてください。」
乗員の1人が、私に着替えを持ってきてくれた。
言われてみれば、私の軍服は血まみれだ。風呂に行き、着替えるようその乗員は私に言う。
「看護士からの話では、緊急手術が始まったようです。おそらくは1時間はかかるだろうと。」
「彼女はどうなんだ!?助かるのか!?」
「出血は酷いですが、幸い内臓には損傷が見られないようです。右脇腹に1発、かすめただけのようですから。」
「そ、そうか……」
思いのほか無事だったことにホッとした。私は、その士官の持ってきた軍服を持って風呂場へと向かう。
だが、後悔の念を引きずったまま風呂に入ったものだから、時々私が、
「ああ!くそっ!」
と思い出したように叫んでは、周りの人達をビクッとさせてしまったことは申し訳ない。
医務室に戻ると、手術は終わり、ニコル少尉はベッドに移されていた。私は、彼女のベッドの横に座る。
だが、意識はまだ戻らない。点滴で痛み止めを投与していることもあり、ぐっすりと寝ている。
それにしても、今の彼女は驚くほど無表情だ。意識がないのだから当然なのだが、これほど無表情の彼女をみたのは初めてだ。喜怒哀楽の塊のような彼女が、これほどまでに表情を見せないことに、私は違和感を覚える。
いつの間にか、彼女の喜怒哀楽に付き合うのが当たり前になっていた。彼女が元気な時にはうるさいやつだと思っていたが、無表情で静かな彼女をこうして目の当たりにすると、もう一度あの小生意気な彼女に会いたくなってしまう。
数時間経ち、大使が医務室に訪れた。未だ意識を回復しない彼女をみて、申し訳ないと一言詫びていた。だがもし彼女ではなく、大使にあの銃弾が当たっていたら、ようやく終息に向かいつつあるこの2つの星の間の争いが再燃したかもしれない。彼女の身を呈しての行動は、歴史の逆行を止めたのかもしれない。
それから、何時間経っただろうか?
私は、いつの間にか椅子の上で腕を組んで寝ていた。が、うめき声のようなもので目を覚ます。
「う……ううーん……」
どうやら、ニコル少尉の意識が戻ったようだ。うっすらと目を開ける彼女。
「おい、私が見えるか!?」
私は声をかける。まどろんだ表情で周りを少し眺めた後、私の方を向いて言った。
「あ……あれ?私、なんでここに……」
どうやら、あの瞬間の記憶がないようだ。私は話す。
「衛兵の一人が、カールゼン共和国の大使を撃とうと銃を構えた時に、君がとっさに大使を押し倒し、代わりに銃弾を受けてしまったんだ。」
「あ、ああ、そういえば、そんなことをしたような……って、大使殿は大丈夫だったんですか?」
「君のおかげで大使殿は無傷だったし、外交問題にもならず、今は平穏無事に交渉は進んでいる。」
「そ、そうですか。良かったです。」
「今は、大使殿よりも君だ!血まみれになって倒れて、大変だったんだぞ!?」
「ああ!そういえばロベルト少尉!」
「な、なんだ!?」
「私に向かって、バカって言いませんでしたか!?」
「は?そんなこと言ったか?」
「言いましたよ!そこだけはなぜか、はっきり覚えてるんです!」
「血が噴き出しているのに、身体を動かそうとしたからだ!仕方ないだろう!」
「あれ?そんなことしたんですか?私。そういえばロベルト少尉、なんでうちの軍服を着ているんです?」
「君の血で染まってしまったからな、私の軍服は。それでここのを借りている。」
「ええーっ!?そうだったんですか……ごめんなさい、私なんかのために。」
「服なんてどうでもいい!あんなもの、また手に入れれば済むことだ。だが、君は君しかいないんだぞ!もっと命を大事にしてだなぁ……」
するとニコル少尉、少し微笑みながら私に言う。
「初めてです。私に命を大事にしろって言った人は。」
「そ、そうなのか?」
「あ!でもちょっと待った!それで思い出しましたよ、少尉殿!私に銃を向けて脅したこと!」
「あ、いや、すまない。だが、あの時は、君が敵か味方か分からなかった時だったんだ。これも仕方がないだろう。」
「まあ、おかげでこうして気兼ねなく話ができるわけですから、いいんですけどねぇ。」
意識を取り戻した途端、急に元気になりやがった。でも、この方が彼女らしい。
私の顔を見ながら微笑む彼女を見て、私は彼女の手を握った。
「あのさ、ニコル少尉殿。」
「な、なんですか!?急に手なんか握ってきて!」
「いや、その、なんていうか……ニコル少尉が意識を取り戻したら、言おうと思っていたことがあるんだ。」
「なんですか?手を握りながらだなんて。まさか、私に向かって愛の告白しようだなんてこと、考えてないでしょうね!」
「いや、まあ、そうなんだけど。」
「はあ!?私にですかぁ!?」
唖然とする彼女。だが、私はめげずに続ける。
「こう言ってはなんだが、君は大雑把でおおらかで、うるさくて明るくて、バカみたいな笑顔が似合う人だ。そう言う人が、私の傍にいてくれると、私は嬉しい。」
「なんですか、それは!?褒めてるのかけなしているのか、どっちなんです!」
「正直に言ったまでだよ。自分でもわかってることだろう?」
「まあ、そうですけど……でも、告白というのはですね、もっと相手をその気にさせるような甘い言葉を並べてするものじゃないんですか?」
「今さら、君相手にそんな遠慮はいらないだろう。そんな遠慮のいらない相手だから、私は、君のことが好きになった。今回、銃弾で倒れ、血まみれになった君を失いたくない。本気でそう思う自分を見て、自分の本心に気づいたんだ。」
「あ、あの、ロベルト少尉さん?」
「なんだい?」
「私からも、いいですか?」
「ああ、いいよ。」
「……私って、ご存知の通りドジな女ですけど、そんな女で本当にいいんですか?」
「そうだな。そのドジっぷりには慣れた。」
「ええ~っ!?もっと言い方があるでしょう!個性的でいいな、とか。」
「そうだな、言い方を変えるなら、そのドジっぷりが面白い。一緒にいて楽しい。」
「うーん、褒められてるんだか、けなされてるんだか……それはともかく、実は私もですね、戦艦の街を巡っているうちに、ああ、この人とずっと一緒だったらいいのになあ、って思ってたんです。きっとパフェが毎日美味しく食べられるのになあって。」
結局、食い物の話か。でもまあ、これの彼女らしい。
「だから、私からもお願いです。お付き合いさせて下さい。いや、しましょう!」
「うん、そうだな、また一緒にパフェを食べたり、映画を観に行こうか。」
で、ニコル少尉、自分の言った言葉に急に恥ずかしくなったのか顔が真っ赤になり、点滴が逆流してしまうんじゃないかと思うほど血圧が上昇する。急に血圧が上がったので、看護士が飛んできたくらいだ。
そこで気がついたのだが、よく考えたらここは狭い駆逐艦内の医務室だった。
医師も、看護士も、そしてニコル少尉の様子を見にきていた他の乗員も数名、周りにいた。
そんな中で私は、なんともだらしのない愛の告白をしてしまった。
この話は、翌日にはすっかり艦内全員の知るところとなる。
点滴も外れ、まだ包帯をつけたままながら、医務室を出ることができたニコル少尉と私を、周りがにやにやとしながら見つめてくる。
「いやあ、200光年もの距離を超えて巡り会えたこのお2人を、祝福いたします!」
「結婚式は、ちゃんと呼んでくださいよ!」
ニコル少尉と共に食堂で食事をしようものなら、この調子で冷やかされる。私もニコル少尉も、破れかぶれの笑顔を振りまいて応えるしかなかった。
さて、私は自室に戻る。椅子の上に座る。そして、ベッドの方を見る。
そこには、なぜかニコル少尉が座っている。
「あの、ニコル殿。なぜ私のベッドの上にいらっしゃるのですか?」
「なんですか、愛人がベッドの上にいちゃあいけないんですか!?」
「えっ!?愛人」
普通「恋人」って言わないか?ニコル少尉の星ではそう言うのか?うーん、どちらにせよ、ニコル少尉のことを表現するには、あまりにも違和感のある響きの言葉だ。
「愛人というより、なんだか愛玩動物のようだけどな。」
「うわぁ!失礼な!こう見えても私も女ですよーだ!ちゃんと見てください!」
といって、服を脱ぎ始めるニコル少尉。すっかり下着姿のニコル少尉。私は思わず、赤面する。
だが、そのわき腹には大きなシップのようなものが貼られている。
「まだ、痛いかい?」
「うん、ちょっと。でも、思ったより大丈夫かな。」
「そうか。じゃあ……」
下着姿になったニコル少尉を見た人は、バトロクロスには大勢いる。
が、その下着の裏側まで覗けた男性は、この星域にいる人では、おそらく私だけだろう。私は湿布以外の部分を剥がしにかかる。そして、ゆっくりと優しく抱きしめる。
普段は元気なニコル少尉が、うっとりとした目でこちらを見つめてくる。胸に手を触れると、心拍が高鳴っているのがよく分かる。
そして、まだ傷も癒えていないというのに、この能天気娘と私はこの日このまま、ベッドの上で共に過ごしてしまう。
さて、その翌日。この能天気娘は、中尉に昇進していた。これまでの交渉時の功績だけでなく、大使をかばったことが評価されてのことだった。