第一路 正義をその手に
落とし物から始まる物語は多い。やれ魔法のアイテムだとか美少女だとかそういうものから主人公が冒険に巻き込まれてしまうのは定番だが、現実はそんなことは起きないし、もう僕も高校生になったのだから荒唐無稽な妄想をしたりはしない。じゃあどんな妄想をするのかといえば思春期の男子がする妄想なんてたかが知れていて、大金が落ちているとか――
「……パンツだ」
エロいもの、それくらいのモノである。
僕の通学路には住居が密集していながら通勤時間帯であるのにまったく人通りのない場所がある。学校まで後500メートル程度にある丁字路、その中央にパンツが落ちているのだ。
断っておくが、僕は変態ではない。
ミラーと白線とパンツがある光景、どこかから落ちてきたのか、または穿いていたものが落ちた……流石にそれはないか。見渡せば近くにマンションがある。ベランダがこちら側を向いているので洗濯物が風か何かで落ちてしまったのだろう。
「……パンツだ」
別にこの言葉が口癖というわけでもないが、また口にしてしまう。今までパンツ自体に興奮するような変態ではなかったとは思いたいけど、実物が目の前にあるという状況でテンションが否応なく上がる。
冷静に状況を分析してみよう。僕はいつものように制服で通学中、いつものように丁字路を左に曲がろうというところでパンツに出くわしたのだ。まだ登校時間までに余裕がある。落ちているパンツ……は淡いピンク、色は派手ではないがフリルが何層かついていて可愛らしい印象だ。このような下着を好むのはたぶん年齢的にも若い人だと思うのだが一体どんな人なのだろう、やはり小さな女の子だろうか。いや違うな、パンツの大きさからいって小学生などのお尻に対して大きすぎる気がする、少なくても同年代以上ではないだろうか・・・しかし最近の小学生は発育がいいというし、何より女子のパンツは伸縮性が高いと聞くから逆にもっとお尻の大きな女性という可能性もあるな、趣味趣向の世界では年齢など問題ないわけだし。しかしこのパンツを無理矢理に穿いたような素材のくたびれのようなものは感じないから、合わない相手に穿かれている可能性はないと思うのだが所詮は僕の想像、まだまだ所謂おばさまが穿かれている可能性だってあるのだ。
「一体何を分析しているのだろうか」
パンツ同様に頭の中がピンク一色になってしまっていた。道端に落ちているパンツを凝視するなんて変態そのものじゃないか。そもそも僕は通学途中だ、学生がこんなことに時間を使っていいわけがない。去ろうとする僕の後ろ髪をパンツが引く。それは惜しいだとか勿体ないだとか、そういうものでは決してない正義の心だった。
このパンツを僕が最初に発見してよかったとも言えるのではないかということである。この次にこの道を通るのが下着泥棒だったとしたらこのパンツは持ち主のもとへ帰ることはなく、変態の餌食になってしまうのではないだろうか。ここで僕が拾って交番なりに届けてあげれば持ち主の元へと帰る可能性がある。
「少なくとも変態の魔の手にかかることはない」
義を見てせざるは勇無きなり、正義を信じる心の赴くままに僕はパンツを手にする。その手こそ魔の手ではないかだって? 御冗談を。
握った手から伝わる情報は少ないが、僕が普段はいているものとは全く違う手触りだった。いっそ自分もこれをはこうかなと思えるほどの素材感、これがシルクというやつなのだろうか?きっと匂いも違うのではないだろうかと考え始めた瞬間。天使か悪魔か、僕に囁く可能性。変態の一矢。手汗がパンツを濡らしていく……。
「……これ、女装癖のおっさんのじゃないよな?」
確率的に言えば皆無に等しいものであったが、通学路にパンツが落ちている状況がそもそも異常事態なのだから、落とし主が普通ではない可能性だって十二分にある。昨日の天気予報は雨だといっていたから皆部屋干しをしているのだろう、結果的に晴れているのだが早朝ゆえか周囲のマンションで洗濯物を干している家はない。なのにこんな場所にパンツ1枚落ちている。パンツ1枚だけ干していた?
「それこそ不自然だ」
だとすればこのパンツはどこかのおっさんが落としておいて拾った男を狙うハニートラップの可能性が!……色々とおかしい気もするが、今までの状況を鑑みると辻褄が合うのだ。
慌ててパンツを広げて観察する……と違和感を憶えた。下着にくたびれた様子がない。少なくとも体は男の方が女より大きくなりやすい、しかもおっさんの尻となればこのパンツのキャパシティをはるかに超えているはずだ。
やはりこのパンツは女の子のものであるということなのだ。となれば次に気になるのは。
「匂いか」
なぜか低くていい声が出てしまった。別に変態行為をしたいというわけではないのだけれど、よくマンガなどで匂いを嗅いでいるシーンを見るたびに気になっていたのだ。あれには何の意味があるのかと。
猫や犬は匂いで物を確かめるらしい、人間も動物だから匂いから何かわかるのかもしれない。とすれば匂いを嗅いでみる行為は落とし主を探す上で非常に大切なことではないだろうか?
唾をのんだ。
「ぁ……あのっ!」
「――ッ!???」
後ろから声をかけられた。あまりにも驚きすぎてパンツを握ったまま動くことができない。
動悸が激しい。声の主は女の子だった。持ち主か?いや警察か!?
考えがまとまらないし、動揺して動くこともできない僕のパンツを持たない左袖が一度、二度三度と引かれた。衣服であれ体を触られるという行為がきっかけで、僕の緊張は限界を迎えたのかかえって振り返ることができた。
袖を引いた相手は女子高生だった。
うつむいた少女の瞳は赤みがかった前髪で見えない、どうやら髪をかなり長く伸ばしているようで腰まで伸びた髪とスカート……いやいや考えてはいけない。ブレザー姿の彼女は怯えるような恥ずかしがるような……ってやはりパンツの持ち主なのだろう。
(スタイルがいい子だなぁ)
身長はやや低めなのだろうが制服の上からでも胸が大きいのがわかる。猫背になっているのでより強調されてブレザーの隙間からチラチラ見える肌色と肌色の谷の間の深さが……。
「そ……それ、私のです」
絞るような声で少女は言った。彼女の左手は俺の左袖を掴んだまま右手で僕の持っているパンツを指さしている。僕は動揺するのかと思ったが、緊張のピークを迎えた行動は自分でも考えられないもので。
「そうか君のだったか、よかった!」
爽やかな笑顔を振りまいて、彼女の右手にパンツを返したのである。きっとこの少女が可愛かったことと、その胸の谷間にやられたのだろう、とっさに好青年を演じたのである。一番の理由は道端でパンツを持っている状況から解放されたかったという事だろう。
いきなりパンツを手渡された少女は驚いたようなそぶりでパンツと自分の顔を交互に見た後。
「……がとう」
小さく呟いて去っていった。彼女の制服は近所でも有名なお嬢様学校のものだった。きっといいところの控えめなご令嬢だったのだろう。彼女の髪と残り香が、風に揺れた。
パンツの感触を確かめるように右手を軽く握って天に突き上げる。正義を守って少女を助ける。まさに勝利の瞬間だった。
完全な遅刻だった。




