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離脱

「終わったのか」


 取調室から出てきた大森に署長が声を掛けた。


「一山超えました。あとは彼らに任せれば大丈夫でしょう」


 出てきた大森に入れ替わって藤田が取調室に入り、武から事情聴取を行っている。

 武は、それまでの態度からは一転して協力的であり質問に応じた。

 寧ろグループで知っていることあったこと、見たことを細かく早口でまくし立てるため、藤田が抑えなければならないほどだ。


「ただ、この後も経過観察を行わなければなりません。当院で観察したいのですが武君の入院の許可をいただけませんか?」


「秘密は守ってくれるんだろうね」


「医者には守秘義務がありますから喋りませんよ」


「わかった。あとくれぐれも署内の事は喋らないで欲しい」


「署内の事とは?」


「取調室を使ったことだ。私的使用など無かった」


「はい、治療の為に入っただけですから」


 血で汚れた顔で大森がニヤリと笑うと署長は少し後ずさった。


「ところで私の看護師は今どこに」




「お、お疲れ様です」


 応接室で待っていた看護師の谷町に大森は迎えられた。

 長時間の対応で疲れただろうから、休憩できるようにと署長が用意していた。

 疲れていたし、断る理由も無いので谷町も大森も使わせて貰っていた。


「流石先生ですね。一時間で説得してしまうとは」


「いや、君たちが準備を進めてきてくれたからだ」


 応接室のソファーに座った大森は、ねぎらう谷町の言葉に応えた。


「先生の指示に従っただけです」


「必要な事だよ。でなければ上手く行かなかった」


「しかし、取調室に入れて食事や睡眠を奪う事が必要なのですか?」


「ある、脱洗脳のためには対象から患者を隔離する必要があるし、疲れさせる必要がある」


「どういう事です?」


「グループはメンバーが抜け出すことを恐れている。そのため抜け出さないように色々と工夫している。飲み食いもそうだが、何より帰属意識を植え付けて患者が離れないようにする。あるいは相互に牽制させて抜けられないようにしている。それらを遮断するためにも隔離する必要があった。まあ、これは警察がやってくれたから楽だったが」


 カルト教団のようなグループでは回りを信者に囲まれ彼らにとって都合の良い、あるいは良かった出来事しか話されず、他の情報が入ってこない。まるで周囲の風景を遮断されたトンネルの中に入るような感じだ。

 トンネルに入り込んだ人は、遠くに光る出口に向かう他は無い。既に入り口から自ら入っているため引き返すことなど考えてはいない。

 脱洗脳には、その状態から解放する必要がある。


「質問攻めには意味があったのですか?」


「ある。質問することで脳を疲れさせ、考える余力を奪うことが出来る。人間の脳は単調な作業をしているとストレスを受けるからね。単調な質問を行い続ければ疲れるよ。他にもこちらからの情報のみを与える事でトンネルに入った状態にする事が出来る。グループにいると連中が自分たちにとって都合の良い情報のみを対象に聞かせ続けるから隔離する必要があるしね」


 また、質問によって疑問を抱かせることも出来る。そして、こちらの情報、被害者の損害、社会的な犯罪の度合いを聞かせることも出来る。その意味では質問攻めにも意味がある。


「でも食事や睡眠を制限するのはやり過ぎでは?」


「これも脳を疲れさせ、考えられなくするためだ。食べないと体力が回復しないように精神も回復できない。食事や睡眠を制限することで考える余力を奪い治療者の言葉を受け入れやすくする必要がある」


「私が検察官役をやる必要は無かったのでは?」


「いや、グループの犯罪行為を正義だと考えていた。人間は悪い事を行うには心理的な抵抗がある。だが良い行い格好いいと思っていたら犯罪行為だってやる。自分たちのやっていることが犯罪行為である事を聞かせるためにも必要だった。治療に必要な情報を聞かせるためにも必要だった。質問攻めの質問を幾つか指定したのも自分の行いを改めて認識させるためだ」


「そこまでするんですか。てっきり投薬治療をするのかと思いました」


「確かに薬を使う事もある。だが脱洗脳は基本的に対話だ。情報や考え方などを修正して戻す。投薬すれば一時的に良くなるが、薬が切れれば元に戻ってしまう。初期に身体的な障害、気分が晴れないとか身体が痛いとかなら緩和するために使うが、基本は対話療法だ」


「対話ですか」


 血の滲んだ包帯を巻いた大森を見て谷町は呆れた。このような異様な風体で対話など、事実上の脅迫や恐喝ではないかと谷町は思う。


「しかし、どうして頑なにグループを庇おうとするんですかね」


 取調室で最初に見た時、武は頑なに供述を拒否した。大森先生が来るまでその態度は変わらずグループを明らかに庇っていた。


「犯罪行為を正義だと言われ続けていたからな。悪いことだとは思っていない。普通人間は悪い事をしようと思わない。だが、正しいと言い聞かせていると正しいと思い込み、寧ろやって当然と考える。客観的に見て犯罪行為だとしても、実行している本人は正しいと本気で思っている」


「な、なるほど」


 虐めと同じで、虐めを受けている方が虐めと感じていても、虐め側は遊びの延長としか考えておらず、虐めがエスカレートするようなものだ。


「それに人間は社会性がある。社会性とは属する集団への帰属意識だ。自分の属しているのが犯罪グループでも集団は集団。その集団の為に貢献しようと考える。自分から裏切るような真似は決してしようとしない。むしろ裏切り者や集団に仇為す者を見つけ出して問い詰めることを行う。それが当然と言った感じでね。一昔前の共産主義者のグループの内ゲバと同じだ」


「はあ」


 理解出来たのか出来ないか、曖昧な返事を谷町は返した。


「ですけど情報を出したことを伝えられてあそこまで怯えますか? 確かにノルマを達成しなかったら殴られたりしていたようですけど」


「いや、殴られることは重要ではない。そういう暴力的な行為はマインドコントロールでは大きく作用しない」


「そうなんですか?」


「ああ、暴力に怯えているのは見せかけに近い。最も重要なのは社会性、集団に対する帰属意識、忠誠心だ。集団に対する忠誠、献身を行う事が人間には美徳とされている。そして集団を危機に陥れる事をタブーとするようになる」


 だから自分のミスで集団を窮地に陥れること、中でも裏切りを最大の悪と考えるようになる。特にマインドコントロールされている内は自分の所属する集団が世界の全てと思い込んでいる。その集団が破滅すれば、自分も一緒に破滅すると考えている。


「あの時、自分が不用意に出した情報でグループが捕まったと聞いたとき、彼は世界が崩壊したような気分に陥ったんだろう」


「ですが、それでも自分の行い、犯罪行為を認めないものですかね」


「自分の行いを否定したくないのだよ」


 人間誰でも頑張って努力すれば報われると思っている。特に純粋な青年は。

 だが、今までの行為が無意味だと知ったとき、それまでの自分、つぎ込んだ時間、つぎ込んだ労力、全てが否定される。


「特に若い内は人生経験が無いから一日一日が貴重だ。それが台無しになったんだから認めたくない」


「なるほど。それにしても認めてからずっと話し続けるなんて。凄い豹変ですね。今までの態度が嘘みたい」


 今までグループに対して頑なに忠誠を向けていたのに、一転して牙を剥き、時に憎悪さえ見せている。

 あまりの変わり様に谷町は引き気味だった。


「基本的にマインドコントロールは騙しだ。対象を騙すことで成り立っている。騙すという事は人間社会では悪だ。相互の信頼、信用があってこそ社会が成り立つ。その信頼、信用を裏切る騙しは人間社会において最大の悪だ。だからこそ騙した人間は嫌悪を抱かれる。特に強く信じていた分、その反動は激しい」


 信頼していた友人に裏切られて、今までの関係が崩壊して憎み合うという事が起きるのも不自然では無い。

 至極真っ当な理由だ。

 リーダーに裏切られたことを知って激しい憎悪を武が抱いたのも当然だ。


「先生、お見事です」


 谷町は短時間で武をマインドコントロールから解放させた大森を褒め称えた。


「……」


 だが大森の返事はなかった。


「先生?」


 谷町が肩を軽く触ると大森は、無言でソファーに倒れてしまった。


「先生!」


 失血で失神してしまった大森に谷町の声は届かなかった。

 谷町の声を聞いた松田が駆けつけてきて救急車を呼び、大森は病院に逆戻りとなった。

 消えていく赤色灯を見て松田が呟いた。


「全く、失神するほどの失血なのに良くやるよ。本当に精神科の先生なのか?」


「いえ、精神科と内科は必要だからやっているだけで専門はデプログラミングと言っています」


「デプログラミング?」


「英語で脱洗脳という意味です」


 松田にはその意味がよく分からなかった。

 ただ、失血で失神するほど治療にのめり込む意欲の強い先生である事だけは分かった。

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