逢い引きの手引き
この小説は、短編投稿ではありますが「机上の推論」の続きとなっております。
前作を読まれていない方でも今回の話を短編として楽しむことは可能なので、もし気が向いたのであればこれを読んだ後、前作を読んでいただけると嬉しいです。
キーワードの『写真部とは名ばかりの』から前作を簡単に読むことができます。
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生徒手帳によれば部活と認められる条件に、部長一人、副部長二人を選出すること、とある。なので必然的に部員数が最低でも三人は必要になってくる。しかし、ここの写真部は部員数が二人にも関わらず部活としての部費も貰っているし、顧問もいる。
この事を加賀先輩に尋ねたところ、先輩曰く「必要とされてるってことだよ。写真部がないとたくさんある行事ごとの写真が撮れなくて困るでしょ、ね」だそうだ。
そして、今日は非常に珍しく名ばかりの写真部が活動をする行事の日。この高校の文化祭、瑠璃祭だ。
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ちょっとした劇をはさんだ瑠璃祭実行委員の開会式も終わり少しの間暗転が続く。
俺は首に下げたカメラの重量に耐え切れず、首から外して体育館の床に下ろした。それと同時に肩が脱力し、ため息がもれる。疲れた。
でも、まだ開会式。事前に配られた手のひらサイズのスケジュール表を胸ポケットから取り出す。この体育館の中はステージを照らすためカーテンが閉めきられているで薄暗くて見づらい。
11時半まではこの体育館で部発表。それからの模擬店が一号館の1階で1時まで、そしてその時間に中庭で書道部が贈る書道パフォーマンス。午後からは学年合唱で今日は終わりだ。それを全部撮るのだから今日はまだまだ長い。
その時、年季の入った放送スピーカーからノイズが走る。そして、週に一度しか聞くことのない声質が若干の掠れとともに体育館に響く。
『写真部の生徒はドクターペッパーとモンスターエナジーを買って部室に来るように、よろしくね』
それほぼ名指しだから。
缶ジュースを2本ということは部室に2人いると推測できる。ドクターペッパー2本なら加賀先輩だけの可能性もあるけど、1つはドクペでもう1つはモンエナだ。
これは絶対に面倒な展開。あの写真部に人が来ているということは、それは完全に客だ。
そして、問題がもう1つある。この敷地内にモンスターエナジーを売っている自動販売機がない。
取り敢えず、真紅の参百五拾ml缶を買いモンスターエナジーは悩んだ結果、となりの自動販売機に売られている紙パックのオレンジジュースで代用した。安いし。
なんか、最近この購入作業が板に付いてきたようで怖い。
部室、予備6室のスライド式のドアを開けると加賀先輩が駆け寄ってくる。先輩との距離は数センチ。毎週思っているが、きっと加賀先輩のパーソナルスペースは一般人と比べとても狭い。
「ありがとね、いつも。今日はお客さんの分まで」
「いや、モンエナはこの学校じゃ売ってないのでオレンジジュースにしましたよ」
くすっと笑みをこぼす加賀先輩。そして教室の中心辺りに向かい合って設置してあるイスの片方に座っている依頼人の方へ指をさす。
そこに座っていたのは、少女と言っても何ら差し支えのない小柄な生徒だった。ここの制服を着ているのでかろうじで学生だと分かったくらいだ。それに童顔な顔とショートカットの髪が何となく幼さを際立たせている。
「こちらの人はさすがに紹介しなくてもわかるよね、葵くん」
加賀先輩は意地悪を言うようではなくごくナチュラルに言う。ということは、この人は有名人なんだろうか。……まったくわからない。
「どなたなんですか」
加賀先輩はコミカルな動きで大袈裟に驚いてから答える。
「生徒会長さんだよ。生徒会長の茅野ななかちゃん」
たしかに言われてみればこんな顔だったような。
曖昧な記憶の中から今日の開催宣言を思い出そうとする。そこでふと思いつき、首から下げているカメラで撮った写真を見返す。開催宣言をしている写真は最初の方なのですぐに見つかった。たしかに今ここにいる少女と同一人物が写っている。
「それじゃ、わかったところで、葵くんも一緒に相談聞くよね?」
「お断りです」
即答すると、加賀先輩は肩をすくめてからわざとらしく苦い顔を作って「ぐもん、ぐもん」と口ずさみ身を翻して少女の前に座った。
加賀先輩が生徒会長の茅野先輩の前に座るといっそう身長差が分かる。何となく迷子センターで親の名前を訊いている光景が思い浮かんできた。いや、それは少し馬鹿にしすぎかもしれないが、この生徒会長は絶対に電車を小学生料金で乗れる。
そんな愚にもつかないことを考えていると、ふと自分の手持ち無沙汰さに気づいた。接待が終わった以上、俺が今ここにいる意味はない。
急に呼び出されたのでいつもは部室に持ってくるはずの本を持ってきていない。これでは暇だ。……撮った写真でも整理するか。正直言ってこれからの部発表は退屈そうだし。
そう思い、窓にもたれて、無駄に重いカメラを首から外す。緑色の矢印がついた再生ボタンを押してカーソルボタンで写真を左に送る作業に入った。
「藤城くんを見つければいいんだね。でも、今日学園祭に来るっていう保証はあるの? もう卒業しちゃったんだし」
「最後に柊と帰ったとき、柊が、今年の瑠璃祭で私に会いに行くって言ってたから」
加賀先輩が一瞬考え込んだかと思うと、加賀先輩の眼が卑しく輝いた気がした。先輩の姿勢が少し前かがみになり茅野先輩の顔に少し近づく。
「それにしても、やっぱり二人って仲いいよね。妬けるな、ふーふー」
「ひ、冷やかさないでよ」
茅野先輩の顔が万華鏡に赤を一滴落としたように、一瞬で赤く染まる。そして、座ったままイスをズリズリと引いて俯いた。
「ごめん、ごめん。そういえば二人は幼馴染なんだっけ。家が近くで昔はよく遊んでたとか」
「そう、だから帰りが一緒の時があるだけ」
その言葉は真っ赤な顔のせいで何の説得力も持っていない。
「でも、柊くんって茅野ちゃんの妹ちゃんと付き合ってる噂あったよね」
茅野先輩の体が凍りつく。膝の上の手は握り締められ、俯いたまま唇に力が入る。その噂を俺は聞いたことがない。きっと俺の入学する前の噂だろう。そう思いつつ、ブレている写真を一枚消去する。
「それは……ただの噂」
その言葉はまるで自分に言い聞かせたいような淡々とした言葉。
「噂かどうか直接訊いてみればいいんじゃないかな? 訊けば答えてくれるよ、たぶん」
「妹に直接訊くなんて、なんか私が妬いてるみたいで……みっともない」
「そうじゃなくて、柊くんにだよ。電話か何かで訊けば噂かどうか簡単に白黒つけられるよ」
「電話はダメ。……なんか、まるで私が柊に気があるみたいじゃない。そもそも、もし電話ができたら今日、加賀ちゃんのところに依頼しに来てない」
「なら、私が代わりに柊くんのところへ電話しようか?」
「それじゃ結局同じ。柊に私のことを訊いた時点で私が柊に気があるように思われる」
俯いた顔は恥ずかしさで火照っているのか現状を深刻に考えているのか分からない。そんな注文の多い生徒会長を見つめて加賀先輩はにこりと微笑んでいるだけでそれ以上言葉を口にはのせなかった。
「そんなことより、今からの部発表には吹奏楽部の人は出るような気がしたんだけどいいの?」
今さら気がついたようなリアクションで素早く腕時計を確認する生徒会長。かと思うと俊敏なターンで方向転換しドアを開けて教室から出て行った。
一瞬にして静かになった部室。その空間に炭酸飲料のプルタブを押し上げる時の音がプシュと鳴る。そして加賀先輩が口を付けた。
「柊くんが茅野ちゃんと会うのはたぶん明日だからあんなに焦らなくてもだいじょぶなのにね」
「明日会うとは誰も言ってないですよ」
「そうかもね」
余裕そうにドクぺを煽る。窓からの風が加賀先輩の前髪を優しく揺らした。
「それにしても面白い子だよね」
「そうですね、あれで生徒会長には見えません」
「見た目は小学生だけど、しっかりと生徒会長としての仕事はしてるみたいだから偉いよね」
「たしかに生徒会長って大変そうです」
先輩がもう一口ドクぺを飲む。
「一年前までは茅野ちゃんも写真部だったんだよ。だけどね、生徒会長になったら忙しいみたいで逃げるように退部しちゃった。吹奏楽部も忙しいみたいだしね」
「そうなんですか」
「なんか、あんまり興味ないみたいだね」
「あんまりというか完全にないですけど」
先輩はドクペの缶を床に置き、座ったまま俺の方を向いた。
「ならば、話してあげよう」
「いや、お断りします」
「聞いてみれば世界が変わるよ」
「今の世の中が嫌いじゃないんで変えないでください」
「茅野ちゃんはね、写真が大好きで自分のマイ一眼レフを持ってるくらいなんだよ」
急に話が始まったぞ、俺の意見は尊重されないのか。
「しかも、写真部の備品よりエクスィペンシブなやつだよ。そして常にカバンには高性能デジカメも仕込ませてあって、あれは完全にやれる人の装備なんだよ」
刺客にしか聞こえないが、詰まるところあの生徒会長は写真が好きらしい。そんなに写真が好きなら生徒会長なんてやらなければいいんじゃないかと思ったけど、この写真部は名ばかりでしかないので確かにこの写真部にこだわって入部し続けている意味はない。写真が好きなら尚更この部活に愛想が尽きるのは当然な気がする。
「だから、生徒会長になるって言った時はびっくりしたよ。でも、考えてみれば茅野ちゃんは前々から生徒会長に立候補するって決めてたんだと思うんだよね。茅野ちゃんの妹っていうのは、茅野ちゃんよりも身長が高いし、成績も申し分ない。茅野ちゃんは対抗心を燃やしてるんだよ。妹にね。
今でも時々心配だよ、茅野ちゃんが茅野会長だなんて。茅野ちゃん結構お茶目なとこあるしね。まあ、だから私があの作戦を考えられたんだけどね」
「武勇伝が始まりそうなのでそれ以上はいいです」
「えーいいの? 策士な私の武勇伝だよ?」
先輩が大袈裟に口を尖らせてイスから垂れる両脚を同時にスイングさせる。やっぱり武勇伝なのか。
「まあ、いいや。作戦の方の話は明日にでもするよ」
しなくていいから、と少しため息をこぼすとさっきまで生徒会長の座っていたイスの脚の横に、俺が買ってきたオレンジジュースが置いてあるのに気づいた。忘れていったのか、それともモンエナじゃなかったのが気に食わなかったのかは分からない。でも大事なことを思い出した。まだ買ってきた飲み物の代金をもらっていない。
「茅野ちゃん、オレンジジュース忘れてったみたいだね。悪いけど届けておいてほしいな、私模擬店にすぐ行きたいから。茅野ちゃんは生徒会長さんだから瑠璃祭実行委員といっしょに体育館の前の方に座ってるからわかりやすいよ。部発表が終わってからでいいから届けてほしいな」
「そんなことより、先輩。まだお金をもらってないんですけど」
「いいかい、葵くん」
「はい」
「模擬店のドーナツはミスタードーナツの100円セールで仕入れてきたドーナツを120円で売ってるんだよ。これって明らかに詐欺だよね」
「だからなんですか」
先輩は立ち上がり俺の方へ数歩進んでくる。そして丁寧な姿勢で頭を下げた。
「お願いします。今持っているお金は模擬店に使いたいんで、ジュースの代金は明日持ってきます」
意外な行動に俺は数歩後ずさる。先輩が俺に向かって頭を垂れたことは今まで一度もない。そのせいかとても申し訳なく感じてしまう。
一歩後ずさる俺を追いかけるように先輩は前進する。俺の水月あたりに先輩の頭が軽くぶつかった。
「いいですよ、先輩明日で」
「ほんと?」
前髪の下からのぞく上目遣いの眼がキラキラ輝いている。今更、今お金を渡してくれとは言い難い。
「本当です」
「ありがとう! 私は葵くんみたいな後輩を持てて幸せ者だよ。それじゃ、私は体育館に部発表を観に行ってくるね」
そう言い残し、加賀先輩はドアを開けて出て行ってしまった。教室には静かすぎる空気が流れる。
面倒だ。これからオレンジジュースを届けなきゃならない。それに写真も撮らないと。行事の日というのはなぜこうも面倒なのだろうか。
俺は一度あくびをしてから眠いなと心思で呟きカメラを首にかけ直す。忘れずにオレンジジュースの紙パックを拾い上げ、雑用業務に従事すべく重い足取りで体育館に向かった。
♜
部発表が終わり体育館内の照明がやる気なさそうにゆっくりと点き始めた。そして周りの人はぞろぞろと立ち始める。姉によればこれからの模擬店はかなり混み合うらしいので、それを知っている2、3年の方が心なしか迅速に動いているような気がした。
俺は首からかけたカメラを右手で持ち、左手でオレンジジュースのパックを持つ。明らかな左右の重みの違いに少しだけ身を左に傾ける。
走る人もいる中、人の波とは逆方向に足を進める。急がないと生徒会長も模擬店の方へ行ってしまうと思ったが、そんなことはなくまだ忙しそうに他の生徒に指示を出していた。
「茅野先輩」
呼びかけたとき、彼女はどこかへ行こうとしたようで振り向くと同時に転んだ。両手を広げたまま床に飛び込むような感じで大胆に転ぶ。確かにここにはマイクの延長コードや照明のコード、他にも何のコードかわからないようなのが散乱していて危ない。
「……大丈夫ですか」
か細い二の腕で自分の身体を起こそうと必死になっているところへ声をかけると、返事の代わりに今にでも噛み付きそうなほどの睥睨を返された。いくら睨まれたって俺のせいじゃない。
やっとのことで立ち上がり、転んだせいでついた埃を払うと俺を数秒見据える。
「君はたしか……写真部の」
「そうです」
「小間使い」
「だいたいあってます」
何だかすごい惨めだ。
「何の用?」
「オレンジジュースを返しに来ました」
「オレンジジュースって……子どもっぽいから置いてきたの、届けに来るなんて律儀すぎ」
先輩の容姿の方がよっぽど子どもっぽいと思ったがその言葉は喉の奥で止めた。子どもっぽさを気にしているということはこれを言ったら逆鱗に触れる。
「なら、いりませんか」
ほんの数秒、茅野先輩は目をきょろきょろと泳がせると手をまっすぐ差し出す。そして俺の方を向かずに、差し出した手でオレンジジュースを渡すよう促した。
「せっかくだし……もらっといてあげる」
「なら返します」
その小さな手にオレンジジュースを置く。
「それではこれで」
「ちょっと待って。君、名前は?」
「薬袋です」
「なら、薬袋くん。私たちのクラスはドーナツを売ってるから」
「はい、時間があれば寄ろうと思います」
さっき加賀先輩が、詐欺って言ってたやつか。たぶん行かない。
そこで茅野先輩はヘッドセットをした男子生徒に舞台から呼ばれて行ってしまった。
あれが今回の依頼人か。さっきの依頼内容を話された時点では、加賀先輩は藤城くんが「明日来る」ということを言っていた。どうしてそう判断できるのか俺には分からないが、肝心のどこで会えるかなどの詳細は一切話していない。依頼人に加賀先輩が直接話さないことはいつものことだけど一つだけ疑問点がある。
―――俺に話をふらない。
決して話をふってほしいわけではない。でも加賀先輩が俺を関わらせないということは変な話だ。もしかしたら、先輩はこの依頼をまだ完遂できておらず、ただ現時点で分かることだけで「明日来る」と判断したのかもしれない。
そう考えるのが妥当だが、根本的にそんな憶測は誰が必要とするわけでもないので、考えるのはここら辺でやめておく。そんなことより模擬店の写真を撮らなきゃならない。
俺は右手が辛くなってきたのでオレンジジュースを手渡して空いた左手にカメラを持ち変える。模擬店の時間は通常自由時間。でも俺にはここの写真部には似合わない写真部らしい活動が用意されている。ため息をつくごとに腕時計の針がいつもよりスローペースで動いているように感じた。
♜
模擬店が行われているすし詰め状態の廊下から、やっとのことで這い出た俺はきっと波に流されて打ち上げられたメヒカリのような顔をしていたに違いない。そして今はのんびりと、ほぼ人の来ない二号館の3階から、中庭で行われている書道パフォーマンスを撮影中。まだ始まったばかりで長方形の大きな紙にはたけかんむりしか書かれていない。
模擬店は一号館の1階で行われ、2階は主に図書委員の古本市、3階には各クラスの様々な展示品、そして4階は全校生徒の楽屋として使用されている。一方二号館の方は、1階の化学実験室でバザーが行われるものの2階から上は何が行われているわけでもなく、風が筒抜けている。なので3階まで上がれば学園祭の喧騒もどこ吹く風だ。
一人が墨の入った大きなポリバケツを持ち、もう一人が身長以上の高さがある筆を器用に使い、一文字目が完成する。【笑】だ。
悠長に書道パフォーマンスを見ながら考える。
加賀先輩は、藤城は明日茅野先輩と会う、ということを言っていた。普通だったら今日会う可能性も否めない。それでも、加賀先輩は明日と言った。ならば藤城という人自身が一日目に茅野先輩と会っては都合の悪い理由を加賀先輩は知っているはずだ。それは何か。
次の字に入る前に書道部は墨をポリバケツに入れ直している。俺はふと窓に背を向けもたれる。
そういえば、他にも茅野先輩の妹の話もしていた。藤城柊と付き合っているという噂。それが事実かどうかは語られなかった。でも茅野先輩と藤城という人が歳は違えど幼なじみということは言っていた。そうなると茅野先輩の妹も幼なじみで、藤城という人と親しいことは十分考えられる。その関係が延長し先輩の妹と藤城が付き合っているのかもしれない。
でも引っかかる部分がある。もし、藤城と先輩の妹が付き合っていると仮定すると、なぜ藤城は妹ではなく茅野先輩に「瑠璃祭へ行く」と伝えたのか。俺には今までの二人の距離感は分からない。だからもしかしたら、幼なじみという仲の良さから、ただ単に「瑠璃祭へ行く」と伝えただけなのかもしれない。
ただ現時点で俺の分かる事実として加賀先輩を信じれば、今日茅野先輩と藤城という人が会うことはない。憶測として、藤城という人と茅野先輩の妹が噂だけの不確かな恋愛関係だとして、もし藤城という人が茅野先輩との交際を申し込むとしたら、まず茅野先輩の妹との噂をはっきりとさせてから茅野先輩に交際を申し込むはずだ。
書道部が二文字目の字を書き上げた。二文字目は【顔】だ。二文字で【笑顔】。
この瑠璃祭、生徒の自由時間は意外と少ない。この模擬店の時間が生徒の唯一の自由時間だ。その時間ですら自由に行動できないのは、ある部活に所属している人だけ。写真部(加賀先輩は例外)、そして今まさに書いた字の仕上げにかかっている書道部。でも書道部は写真部と違い、自由時間がないのは書道パフォーマンスのある一日目だけだ。茅野先輩の妹が書道部の部員なら、書道パフォーマンスの催しに奔走するはずだ。
加賀先輩が、茅野ななかの妹は書道部だということを知っていれば、今日藤城が茅野先輩の妹と話をつけられないから、藤城は茅野先輩と会っても意味がないと推測できるはずだ。
でもこの推測、欠点がある。もし藤城という人と茅野先輩の妹が携帯なりなんなりで連絡をして、噂のことについて終息がついているのなら、今日藤城は茅野先輩に会うかもしれない。もしかして藤城は携帯を持ってないとか。それとも純粋に、大事な話だから直接話そうと考えているのか。
結局俺が今いくら考えても藤城という人がどんな人なのか分からない限り、俺には憶測にもならない妄想を一人で考えているだけでしかない。
書道パーフォーマンスも終わったようで、書道部総出で大して人数のいない観客に礼をしている。
そういえば最初の方のパフォーマンスしか撮ってない。べつにいいか、疲れたし。
窓から首だけを出してうなだれていると、風と共に不思議な感覚が額を掠める。
強制されないと無意識の内に依頼人のことを考えている自分に少しだけ笑ってしまった。でも同時に、もしかしたら加賀先輩に侵食されてるのかもと考えたので、完成した【笑顔】のようなまっすぐとした笑顔ではなかったかもしれない。
2/2
二日目の催し物として【のど自慢】というものがある。この催しにはこの二日間の中で最も期待していた。期待といっても、この多忙な二日間の中でまったく興味を持てない他の催し物に比べて、まだ爪の先ほどの興味を惹かれただけで、期待していないと思えるほどには期待していただけだ。
各クラスで1グループずつステージに上がり歌を披露するといったものである。出場者は自由で、手堅く音楽部の部員を出すクラスもあれば、野球部というステータスからは想像できない美声でギャップにより会場を沸かせる出場者もいた。
そんな催し物もつい十分ほど前に終わり、体育館で運悪く加賀先輩と目が合ってしまった俺はそのまま部室に連行されるような形でさらわれ、今は部室で毎週使うイスに腰をかけ、本を読んでいる。今日は本を準備しておいてよかった。
「そんなに臍下三寸を曲げないでよ」
そんなところを曲げる熟語はありませんよ、加賀先輩。
「へそなんて曲げてませんよ、何の用ですか」
「なら良かった。ちゃんとした理由があるんだよ。まずは、これありがとう」
そう言って、差し出してきたのは昨日返してもらえなかったジュース代だった。勝手なイメージだけど、何となく加賀先輩は、明日持ってくる、と毎日言いそうだったので延滞料金のことも考えていたのに、約束通り今日返されたので何となく肩透かしを食らった気分になる。
今財布を持っていないので取り敢えず返してらったお金をポケットに入れる。
「で、これはお願いなんだけど」
「もう貸しませんよ」
俺の目の前で「ちっちっ」と指先をメトロノームのように動かすと顔を近づけてくる。
「この模擬店をやってる今に、藤城くんに会って訊いてきて欲しいんだよ」
俺は指で挟んでいた栞を本に挟みこみ本を閉じた。
「嫌です。ていうか顔知りません。それに直接訊きに行ったなんて茅野先輩が知ったら怒りますよ、電話ですら嫌がってたんですから」
「バレなきゃだいじょぶ。お願いだよ、ね」
ポケットからスマホを出すと写真の隅に写った人を指でさす。きっとそれが藤城なんだろう。そしてさらに近づいてくる加賀先輩の目は催促ではなく脅迫の色をしている。怖いからやめてください。
肺の空気を全て出すくらいの深いため息が無意識にこぼれた。
「なら、先輩一つだけ質問していいですか」
加賀先輩に訊くのはしゃくな気がしたが、藤城という人を知っていて俺がそのことを訊ける仲の人なんて加賀先輩くらいしかいないのだから仕方ない。
「藤城っていう人は携帯とか持ってないんですか」
「携帯は持ってたよ。でもね、電話が大嫌いなんだよ」
窓際の日差しの中で、先輩は俺が推理しようと試みたことをを読んだのか、無邪気な笑顔に妖艶な瞳のなんとも言えない表情を見せた。
藤城柊は予想以上に優しそうな顔をした人だった。それにほかに写っている人と比べて背も高く、もしこの人がモテると聞けば何の疑いもなしに信じてしまえそうな気がした。
加賀先輩が見せた写真は写真部の集合写真らしく、並んで写っている人の中には一眼レフを持った人もいた。今でこそ写真部の部員数は二人だが去年は多かったようだ。なぜこれだけいた部員の中で残ったのは加賀先輩だけだったのか。まあ、それは単純に去年は一年生の加賀先輩と三年生しかいなかったんだろう。……いや、そういえば並んでいる人の中にひときわ小さな女子生徒がいた。そういえば昨日、加賀先輩が、茅野ちゃんも写真部だった、と言ってた気がする。
でも、結局今も残っているのは加賀先輩だけか。……知らなきゃ良かった。退部しづらくなる。
俺はため息と共に考えている事を吐き出し、忘れようとした。加賀先輩に同情はしない。したら今よりもっと振り回されそうだ。
そんなことより今は藤城を探さなきゃならない。藤城が茅野先輩の妹との不確かな恋愛状況の話をつけるなら人気のないところを選ぶはずだ。そしてこの二日間人気のないところといえば二号館の2、3、4階のどれか。
部室を出て渡り廊下をわたり二号館の3階に到着。もし昨日みたいに模擬店を行っている廊下を通ろうとすれば俺のなけなしの気勢は大きく削がれていたに違いない。
取り敢えず2階から探そうと階段をため息とともに降りると、踊り場で人とすれ違う。
それは紛れもなくさっきスマホの画面に映っていた、藤城だった。ホワイトのシャツに黒い七分袖のテーラードジャケットという服装で写真で見た時よりシャープにきめているような印象を受けた。
「あの、すみません」
振り向いた藤城は不思議そうに俺を見た。振り向いたはいいが本当に自分が呼ばれたのかと不安そうな顔をしているようにも見えた。
「当然すみません、藤城さん、ですか」
「はい……ええと、君は?」
「写真部の薬袋と言います。少し訊きたいことが、ありまして」
いつも思うけどこういう時に自分がしっかり喋れてるか心配になる。自分の人見知りの部分はいつか克服しないと。
「写真部の人か。ごめんね、僕今急いでて、行かなくちゃいけないんだ」
俺の方を向いたまま階段を一段上る。ここで行かせても俺にとっては実害ゼロだ。でも訊かなければならないことがある。加賀先輩に命令されたからじゃなく、茅野先輩に同情したわけでもない。もう俺は面倒事に巻き込まれている。今は逃避するより解決したほうが手短に終わる気がするだけだ。
「二号棟の2階から上は何もありませんよ。誰かと会う約束でもしてるんですか」
藤城はふっと笑った。そして少し懐かしさを感じてるような目をしながら俺に言う。
「もしかして、薬袋くんは加賀さんに言われて僕に会いに?」
「まあ、そんな感じです」
「相変わらず何考えてるのか分からないな」と苦笑しながら手すりにもたれる。「いいよ、訊かれたことは話そう」
「茅野ななかさんに告白するんですか」
「単刀直入だね。まあ、そうだよ。そのつもり。ななかちゃんに今日の予定は伝えてあるんだけど、僕の方がまだ色々とね」
「噂のことですか」
「そう、根も葉もない噂をはっきりさせないとね。このかちゃんは僕の事をどう思ってるか分からないけど話をつけないとさ」
茅野先輩の妹の名前ってこのかっていうのか。まあ、覚えておかなくても一生会うことはないと思うからいいだろう。
「茅野先輩は――――」
俺の言葉を遮るように、階段の上から声が降ってくる。
ちらりと上を向いた藤城は俺に「ごめんね、行ってくるよ」と言い、無理やり身体を動かしているようなぎこちない軽快さで階段を上って行ってしまった。
まだ、十分に訊けてない気がしなくもないけど、ここで彼が降りて来るのを待っているのも暇だし疲れる。あとは今話したことを加賀先輩に伝えて全て任せよう。俺に話をふらないようにと祈りながら。
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「加賀先輩、ギター弾けるんですか」
「雰囲気だよ、雰囲気。持ってたほうが歌うときに見栄えがいいでしょ」
「弾けなきゃ持ってても重いだけだと思います」
「なら、ギターの代わりに葵くんと舞台に立とうかな」
「遠慮しておきます。言ってたじゃないですか、私のワンマンショーにするって」
「そうだね、でもこれはよろしくね。私が合図したら私に投げ渡して欲しいんだ」
加賀先輩が白いハンカチを真ん中で抓み俺の目の前に差し出した。そして目で俺に手を出すよう促す。妙に膨らんだハンカチを加賀先輩が持っていることにより、何となく奇々怪々とした雰囲気が、この舞台裏の薄暗さもあいまってひしひしと伝わってくる。加賀先輩がそっとハンカチを撫でるとりんごがハンカチの中から落ちた。
「加賀先輩なんでりん――――」
「それでは、次の出場者は! 2年生、加賀さん! ステージにどうぞっ!」
加賀先輩の瞳が一瞬俺を覗き込むように見つめ、これからのステージを楽しむかのようにはにかむ。
「りんごよろしくね。EYE HAVE YOU!」
司会者の声に遮られ、なぜりんごなのかを訊くことができなかったがこれは加賀先輩なりに何か演出を考えているのだろう。
二日目の午後には自由発表というものがある。各クラスで2グループまで出場させることができ、何を披露してもいいことになっている(なんでもと言っても過度な肌の露出はまずいらしく、それで退場になった男子生徒が数年前にいたらしい)。
それにしても、一つのりんごをこうして手に持っていると坂から転がってきた大量のりんごを思い出す。一つしか取れなかった。そういえばカレー屋でラーメンを注文し続けたこともあったな。あの時はタイトル画面に戻されるところだった。
少し回想をしていると、加賀先輩の歌声が聞こえてくる。聞いたことのない曲なので曲名は分からないが激しいギターリフに続く加賀先輩の熱のある声が会場を圧倒する。
まさか加賀先輩にこんなに才能があるとは知らなかった。写真部なんて退部して音楽関係の部活へ入部すればいいのに。そうすれば写真部の活動も依頼がこないだけ平穏になる。
会場を盛り上げるボーカリストの一番近くでその歌を聴けているという優越感にステージの下手で浸っていると、先輩がちらりと俺を一瞥してさりげなくこちらに手招きをする。りんごを下手から投げ渡して俺の仕事は終了。客席に戻ろう。
「こんなところにりんごが。りんごといえばこの曲かな。〈Bad Apple!!〉」
結局、加賀先輩のワンマンショーは大成功を収め、単なるコアゲーマーとは思えないパフォーマンスは幕引きとなった。
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盛大に行われた瑠璃祭は閉会式をもって華やかに幕を閉じた。正直、半分以上は寝ていたので閉会式はどんな感じだったのか不明瞭にしか思い出せないが、とにかく周りの人たちは最後まで盛り上がっており、そんな興奮冷めやらぬ状態の人たちに混じりながら体育館を出た。
一旦教室に戻りSHRで担任の今井から、昨日の合唱は良かった、などとお褒めの言葉を頂き、有頂天の先生は満足した表情で1年1組を絶賛してSHRは終わった。
たしかに1年1組の合唱は高評価だった。しかしこれには練習成果の他に今井の面子が関係していると考えてしまってならない。今井は音楽教師で、そんな人の担当するクラスが低評価では音楽教師としての今井の立場が危うくなってしまう。それでこういう評価になったのだと思う。
そんなことを考えながら、帰るため階段を下りていると加賀先輩がにこにこしながら待ち構えていた。
引きずられるような形で部室まで連れて行かれ、不承不承といつもの定位置にイスを置いて座る。
「ごめんね帰り際に、まだ葵くんから藤城くんの話を聞いてないと思ってね」
疲れたのですぐ帰ろうと思っていたのにまだ一仕事あるのを忘れていた。
「そういえばそうでしたね」
「藤城くんは何か言ってた?」
「なんか、噂の片を付けるみたいな事を言ってましたよ」
「ほかには何か言ってなかった?」
「ほかに……」
会話した内容が完結にまとめると今話したことで全てなので、これ以外何かを求められても困る。それに俺は、加賀先輩ほど今回の依頼の状況が分かっていないのでどの情報がどれだけ有力なのかが分からない。
「……そういえば、藤城さんが、ななかちゃんには今日のことは伝えてあるって言ってました」
その言葉で、加賀先輩はイタズラの仕掛けを考えついた子どものような無邪気な笑顔で、不意に俺の頭を撫でた。
「葵くんはやっぱりいい子だね。感心しちゃうよ」
「……そうですか」
加賀先輩が撫でるのをやめ、そのまま腕を組む。図らずも手が離れるのを惜しいと思ってしまった。
「今度は私が話してあげるよ。昨日の続きの武勇伝をね」
「本当に話す気だったんですか」
「もちろんだよ。私は約束は守る主義だからね」
約束はしてないんですけど。でもここで話を拒否したところで、昨日のごとく話は始まる気がする。……相槌だけ打って聞き流すか。
「これは知ってると思うけど、茅野ちゃんと藤城くんは同じ写真部だったんだよ。
それで二人の関係っていうのがどう見ても幼なじみじゃ済まされないくらいの仲でね。別に仲が良すぎるとか、そういう単純な話じゃなくてむしろその逆。二人の距離感はすごくぎくしゃくしてたんだよ。二人とも相手のことが好きで距離感のつかみかたに戸惑ってたの。そんな分かりやすい二人の態度のことを写真部の全員が知っていて、微笑ましいなと思いながら写真部の全員で見てたんだよ。
そしてある日、私は茅野ちゃんに相談されてね。どうすれば柊と話せるようになれるか、てね。だから私は作戦を提案した。
ここからが私の武勇伝。私は〔部室に大事な物を忘れて届けてもらう作戦〕を考えたんだよ。まず普通に帰るフリをして藤城くんの目に留まりそうなところに茅野ちゃんの携帯をさりげなく設置する。後に気づいた藤城くんが茅野ちゃんを追いかけて携帯を届けさせに行く。家が近所だからそのまま二人で家にゴールイン、ていう感じの作戦。最後の方は藤城くんもわざとやってるって気づいてたみたいだけど、まんざらでもなかったみたいだから、特に何か不満を言うわけでもなく、藤城くんが写真部を引退するまでやってたんだよ」
「そうですか」
「むぅー、ちゃんと聞いてた?」
加賀先輩は頬をほんの少しだけふくらませ、唇を尖らせる。思わずその顔に鼻で笑ってしまった。
「さて、話も終わったし茅野ちゃんがここに来るのを待つとしますか」
「呼んでるんですか」
「もちろん。だから私は今から茅野ちゃんが来るまでゲームをするんだよ」
茅野先輩が来るまでの時間とゲームをする理由は関係ないと思うけど、ゲーム好きな加賀先輩にとってそれは理由になるのかもしれない。
夏の上旬。もう時間は夕方だというのにまだ太陽は白いままで強い光を放っている。窓越しに眺めるそんな光景に瑠璃祭の終わりを感じていると、テレビの前でPS3を機動する音が聞こえた。
数分して茅野先輩が教室に入ってきた。その表情を見て直感する。面倒になる、絶対に。
茅野先輩はまぶたの下を赤く腫らし、歩く足が何となくおぼつかない。
今にも泣き出してしまいそうな茅野先輩を一瞥してから、加賀先輩はゲームを一時中断したままテレビを消して、彼女をイスに座るよう促してから加賀先輩も向かい合うようにしてイスに座った。
「遅かったね、茅野ちゃん」
「体育館の、片付けしてたから。それで……話って」
「藤城柊の話だよ」
加賀先輩は茅野先輩の双眸を見据えてから笑顔をつくる。それに対して茅野先輩は目をそらして袖で涙をぬぐう。
「別に柊なんて……。今日の瑠璃祭は成功したし、それで……十分」
自分をごまかすような茅野先輩のひとこと一言が冷たい雨滴のようで、湿っていて暗い。言葉を口に含む度、震える声が涙の気配を仄めかしていた。
確かに茅野先輩が藤城の事をすでに諦めているのは懸命かもしれない。この下校の時間帯。もし、藤城 が茅野先輩と会うにはあまりにも時間が遅すぎる。
それに前回のように、加賀先輩が無理やり俺を依頼に干渉させるようなことはしなかった。もしかしたら、加賀先輩は今回の依頼を完遂できなかったのかもしれない。
「最近、携帯変えた? まだ二年生の時と変わらないアイフォン使ってるのかな?」
「変えては、ないけど」
「それじゃあ最近、写真のアプリ開いてる?」
「……開いてない」
「そうだと思ったよ。写真が大好きで毎日ハイエンドなコンパクトカメラを持ち歩いてる茅野ちゃんにとって携帯のカメラアプリと写真アプリなんて必要ないもんね」
そこで加賀先輩はまるで自分の作ったストーリーに感心するようにうなずく。
「話は変わるけど、昔やったあの藤城くんと一緒に帰るための作戦覚えてる? あれはなかなか功を奏したよね」
加賀先輩の余裕そうな笑顔を見て確信する。さっきのことは前言撤回。加賀先輩は今回の依頼をすでに完遂している。でもそうであっても今のことだけじゃただの点で、線として繋がっていない。説明がこのまま続かなければ俺に回ってくる可能性があるので少しだけ身構える。
「それがどうしたの」
「藤城くんは茅野ちゃんと帰っているとき瑠璃祭を見に行くって言ってそれ以上の詳しいことは何も言わなかった。きっと藤城くんが詳しいことを口で伝えなかったのは恥ずかしかったからだよ。だから口以外の方法で伝えた。
それは、置いてきた携帯だよ。藤城くんは茅野ちゃんの携帯に今日の詳細を保存した。部室にはまだ部員がいたと思うから、追いかけている途中の廊下とかでね。みんな部活をしてるか帰ったかだと思うから廊下は無人だっただろうね。そしてその詳細を保存した茅野ちゃんの携帯を本人に返してから茅野ちゃんに直接、たぶんテレながら、今年の瑠璃祭でななかちゃんに会いに行く、と伝えたんだよ」
「ちょっと待って、私の携帯はロックが掛かってるから保存する事は不可能だと思うんだけど」
加賀先輩が鼻を鳴らして微笑む。
「カメラ機能はロックが掛かってても使えるよね。伝えたいことを紙か何かに書いてそれを撮影すれば写真として茅野ちゃんの携帯の中に残る。藤城くんが退部したのは3年生の退部にしては明らかに遅い3月くらいだったし、あれからだいたい四ヶ月、まったく写真のアプリを開かない茅野ちゃんのことだから見てないってことも十分に考えられる」
茅野先輩は俯いていた姿勢を少し上げ、少し考えるようにしてから、ブラウンのカバンの中から携帯を取り出す。そして何やら操作をしスマートフォンの画面から上げた顔は、さっきまでの翳った表情など微塵も感じられなかった。
加賀先輩がそのスマートフォンの画面をのぞき見ると「がんばってね」と言葉をかけて、嬉しさのあまり呆けたような茅野先輩をイスから立たせて背中をぐいぐいと押して教室から出した。
ここにいても、もう意味のない俺は明日にでも返そうと思っていた部の一眼レフを備品がいつも置いてある棚に戻して、自分のカバンを背負う。
「もう帰るの?」
加賀先輩の件が終わり、ゲームを再開し始めようとコントローラーを片手に持った加賀先輩が俺の袖をつかむ。あと少しで完全下校の時間なのにまだこの人はゲームをやる気なのか。
「今から茅野ちゃんは屋上でロマンチックな星空デートをするみたいなんだよ。藤城くんは星を撮るのが好きだからね。けど、もし先生とかに屋上での事を訊かれたら星空撮影会って言っておいて欲しいんだよ、先生たちにはそう言って屋上の使用許可を出してもらってるからね」
「べつに構いませんけど」
「お願いね。明日は金曜日だから部活あるからね。今日の疲れで学校休まないでよ。休んだら葵くんの寝ているベットに私も寝に行くから」
それは脅迫なのか? 謎だ。
「なんてね、じょーだんだよ」
加賀先輩の笑顔が逆光で影に沈む。その悲しげな表情が逆光の見せる幻影だと分かっていながらどこか悲しげに見えてしまって、俺は加賀先輩から思わず目をそらしてしまう。カバンを背負い直して加賀先輩と目を合わさずに部室を出た。
3/2
いつもの自動販売機の前に立つ。110円を投入してオーダーされているドクターペッパーを購入する。まだ昨日の疲れが姿を消さない。寝る前に考え事をしていたせいであまり眠れなかった。
真紅の参百五拾ml缶を取ろうと屈んだ時、視界に小さな上履きが入り込んだ。側面に紺の線が2本入っているので三年生だと分かる。
顔を上げてちらりと視線をやると、あの生徒会長だった。昨日の星空デートのおかげなのか初見の時より不機嫌そうじゃない。
「昨日は、ありがとう」
「いえ、俺は何もしてないんで」
茅野先輩が自動販売機のラインナップを流し見る。お金を自動販売機に入れて、ひと呼吸おいてから零した冷たいため息が夏の熱気を少しだけ凝固させた気がした。
「加賀ちゃんが嘘をついたのは知ってる。だからその、気づいてないのかコイツ、みたいな目やめて」
もとからこういう目なんだ。被害妄想はやめてほしい。
たしかに昨日の加賀先輩はただ虚言を披露しただけだ。あの加賀先輩の推理には線にならない点がある。あれは推理でもなんでもなく一部現実性に欠けた虚構でしかない。
「聞いたときは少し取り乱してたから気づかなかったけど、冷静になれば気づけた。でも感謝してないわけじゃない。加賀ちゃんのおかげで昨日は楽しかったし」
茅野先輩がのばす指がブラックコーヒーのボタンを押す。吐き出されたコーヒーを取り出してから、ためつすがめつした結果、結局コーヒーを開けはしなかった。
昨日の加賀先輩の推理では、加賀先輩は茅野先輩のスマートフォンをのぞき見るまで星空デートの予定を知らなかったことになる。それなのに茅野先輩を部室に呼びこの依頼を完遂して見せたのは放課後だった。普通なら昨日の学園祭での自由時間、藤城が茅野先輩の妹と話をつけてきてから茅野先輩に会うことも考えられる。あの自由時間は一時間半ほどの時間があったので時間的な余裕は十分あるはずだ。それでも加賀先輩は星空デートの結末をまるで見透かしていたかのように、あの放課後に茅野先輩を部室へ来るよう指定した。そして事前に屋上の使用許可も先生から得ていた。きっと加賀先輩は二日目の午前中、もしくは一日目にでも藤城に電話やラインなどで連絡をとって茅野先輩とのデートの詳細を訊いたのだろう。
ため息をついて、手に持ったドクぺをポケットに押し込み、再び110円を投入してアイスココアを買う。
「茅野先輩これと交換しますか」
「私を子ども扱いしないで!」
「なら何で手をこっちに差し出しているんですか」
「くっ、くぅ……」
反応がおもしろいので先輩の差し出す手の上ギリギリでアイスココアを揺らしていると、そのままひったくられた。そして俺を見上げるようにして睨みつける。
「……で、君も何か騙されたんじゃないの」
「まあ、でも、俺にまで嘘をつく理由が分からないんですよね」
加賀先輩が推理をせずにシンプルで何よりも正確に今回の依頼を完遂したのなら、俺が藤城柊に直接会って来いと命令されたのは加賀先輩自身の嘘をより信じ込ませるための手段ということになる。しかし、根本的に俺に嘘をつく理由が分からない。茅野先輩の場合は藤城への電話を嫌がっていたからという理由があるけど俺にはそんな理由がない。加賀先輩の性格からして、推理できなかったのを後輩の俺に見られたくない、という先輩としての矜持的なことはなさそうだし。
「私には、分かるけど」
茅野先輩の言葉が自動販売機にぶつかり虚しく落ちる。一瞬流れた沈黙を容赦なく夏の陽射しが焼き切った。
「写真部が廃部寸前だからだと思う。今だって部としての人数は足りてない。……それは、それは全部、私のせい……だけど」
何か口にすれば先輩が崩れてしまいそうなくらい脆く見えて、俺は相槌すら言葉にすることはできなかった。
「君が入部する前に加賀ちゃんしか部員がいなかったのは、私があの時の2年生を全員やめさせたから。私が、先生と二人で写真を撮りに出かけたせい。
2年生は全員女子で、今年の二月くらいに私は先生と二人っきりで写真を撮りに行った。本当は2年生の部員があと二人来る予定だった。でも結局来なくて、私は先生と二人で写真を撮りに行くことになった。
……先生も比較的若かったっていう理由と、もともと三人しか行かない予定だったから先生の車で行ったっていう理由が、私と先生の二人っきりっていう状況と重なって、私と先生の逢い引きの噂が流れた。もちろん、何人かの先生は写真撮影のことを知っていたんだけど、この話が保護者とかの間で広まって噂のままじゃ収拾がつかなくなったから、学校側はそれなりの処分を考え出した。結局は処分を受ける前に疑いは晴れて処分も免除された。でも処分の対象に……私は入っていなかった。
もともと、その逢い引きをしたっていう噂の中で写真部の誰が先生と逢い引きをしたのかは分かってなかった。知っていた人はもちろん何人かいた。でも、誰なのかを知っている人はこの状況が逢い引きじゃないって知ってるはずだから誰も私の名前を出さなかった。私の名前をこの噂の流れている中で出したら絶対に処分を受けるのは私だって分かってたはずだから。そして結局、色々な疑惑が向けられた2年生の写真部員は退部していった。今年3年生って時だったからみんな履歴書に謹慎処分なんて傷をつけたくなかっただろうし、単純に周りから何かを言われるのにうんざりしてたんだと思う。
そんな時、加賀ちゃんがね……自分が処分を受けるって言い出して、私は止めようとしたんだけど何の言葉も言えなくて……。
きっとそのことを加賀ちゃんは今でも恨んでいて、嫌がらせのために私にはいつも優しく接してるのかもしれない。でも私はそれに絆されちゃって、今の関係が続いてる。
人の相談を解決するから、必要とされているから、写真部は今でも残ってる。でももし解決できないってことが君から漏れたら写真部がなくなるかもしれない。きっと加賀ちゃんはそれを気にして君に嘘をついた。それに十月には私の生徒会長の任期が終わるから私も写真部存続のことにあまり口を出せなくなる」
今までの話を俺が聞いていたのか確認するように茅野先輩が俺を見上げる。俺は茅野先輩を一瞥してからドクペの入っていない方のポケットへ片手を入れた。
「……この話は独り言だから、私が写真部のことで君に頼ってきてるみたいな勘違いはしないで」
茅野先輩は自動販売機に背を向けて歩き出す。顔をのぞくことはしなかった。若干傲岸な態度をとろうとする茅野先輩の悲しむ表情なんて見る必要がない。
それに、陽射しに消え入ってしまいそうなほど色の薄くなった後ろ姿と、地面に焼き付いた濃い影との差異が何よりも茅野先輩を語っているような気がした。
♜
学園祭は終わった。写真部という部活が持つ不安定さを俺に聞かせて。茅野先輩が言っていた、嫌がらせのために私に優しい、というのは彼女の個人的な希望のはずだ。加賀先輩に恨まれなければ自分の罪を許せないのだろう。でも、たぶん加賀先輩が茅野先輩にそんなことがあった今でも優しいのは、また写真部に戻ってきてほしいと思っているからじゃないだろうか。
そんなくだらない人と人の心情を妄想する。そんなの俺が考える話じゃない。茅野先輩が加賀先輩に向ける負い目は俺に何の関係もない。茅野先輩の悔恨なんて結局は彼女自身のごく個人的な問題だ。
俺はいつもの定位置に座りながら本のページをめくる。加賀先輩は何やらヘッドホンをつけゲームをしている。テレビ画面に映るのは、永遠と振り続ける雨の中を駆ける色の消えた少年。
俺の入部した部活は、高校生活の華やかな青春を飾るフィルムの一コマみたいにドラマチックではなかった。それでも、まだフィルムの一コマとしてこの写真部は成り立っている。所々劣化した部分を孕んだままで。
写真部で起こったこの話は、懐中に沈め取り出せなくなるくらい深いところへ入れておこう。俺が深刻に考え込む話ではないし。時間が加賀先輩の嘘と茅野先輩の罪をかき消していくのを待てばいい。
「どうしたの? そんなに集中して本読んで」
「べつに、特に集中して読んではないです」
気づけば加賀先輩が近づいてきていた。加賀先輩は俺を見て相変わらずの笑顔つくる。
「昨日の嘘はバレバレだったかな。さすが葵くんは敏いね」
「なんのことですか」
白々しい言葉が口から出る。肩をすくめて笑った加賀先輩は「優しいね」とつぶやき窓を開けた。
「その反応は私が嘘をついた理由も知っているのかな、茅野ちゃんに何か吹き込まれたか。茅野ちゃんってその話を結構いろんな人にするから、きっと叱って欲しいんだろうね」
加賀先輩は笑顔のまま話を続ける。でもそれはいつもの見慣れた笑顔じゃない。加賀先輩の瞳は窓の外のどこか遠くを見つめたまま虚ろな影を映す。
「過去の話はどこまで行っても過去の話以外に成り代わることはないからね、今となってはなんでもないよ。でもそれに葵くんが同情してくれるとは。ちょっと嬉しいな」
加賀先輩が俺に顔を近づける。風で揺れた加賀先輩の髪が俺の肌をくすぐった。
「それじゃ、同情してくれてるみたいだから今日は一緒に帰ろう」
「一緒には帰れませんよ。俺は自転車で、加賀先輩は電車じゃないですか」
「そこは青春の若き力の見せ所だよ、葵くんなら電車と自転車の並走なんて余裕だよね」
いや、無理だろ。
「とにかく帰ろうよ、部活の終わる時間にしては早いけど。それに、寄り道もするから時間が必要だしね」
そう言って、加賀先輩は荷物をまとめ始める。ゲーム機もいつもの場所にしまいすぐに帰る支度を済ませると俺の腕を引っ張り始める。
「暗くなる前には帰りますよ」
「それは、私と星空デートをしたくないってことかな?」
「加賀先輩とは遠慮したいです」
「まったく、可愛くない反応だな~、初心だった5月とは大違い」
悔しそうに言う加賀先輩にはいつもの笑顔がもう戻っていた。そして不意に背を向けて俺の肩にもたれる。
「写真部のことは心配しなくてもだいじょぶだよ」
俺にもたれた背中がゆっくりと離れていく。
「―――だって空には、まだ星すら上ってないからね」
心配してませんと言い返そうとしたのに、そんな声は加賀先輩の帰りを急かす声に消えた。
ご精読ありがとうございました。
質問や誤字の指摘などなんでもござれです。どうぞお気軽に。
ここからは長くなるのでお時間がありましたらどうぞ。
今回の話はとても季節外れになってしまってすみません。本当はもっと早く書き終わり夏には投稿できる予定だったのですが予想以上に本文が長くなってしまいまして。気がつけば年末の投稿になってしまいました。
この小説は推理を思いつき次第書く予定ですが、基本的にはあまり思いつかないのでとても遅めの不定期更新になると思います。どうかお許し下さい。題名は「写真部とは名ばかりの」のつもりです。
この小説にはゲームのセリフやゲームのプレイ画面が出てきます。
体育館のステージ下手での、加賀先輩とのやり取りに出てくる、白いハンカチからりんごを出し、去り際にEYE HAVE YOU!と言うのは『メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』というゲームのワンシーンです。
次に出てくる、坂から転がってくる大量のりんごを一つしか取れなかった、カレー屋でラーメンを注文し続けタイトル画面に戻されるところだった、というのは『できない私が、くり返す。』というゲームに出てくる状況です。
最後に加賀先輩がやっている、永遠と振り続ける雨の中を駆ける色の消えた少年、というのは『rain』というゲームです。
いらない説明かとも思いましたが一応決めているので紹介します(説明であってステマじゃないですよ)。どれも楽しいゲームです。
それでは、またいつか(o・・o)/~