SCENE8 タク その2
「前にも言ったと思うが、俺は嘘が嫌いだ」
社長は、おれの部屋にあるおれのソファにふんぞり返りながらそう言った。ソファは一人がけの小さなものだったから、縦幅も横幅もデカい社長には、ちょっとばかり狭い。今も社長の巨体に隠れて、その下のソファが見えないぐらいだった。
「もう一度だけ聞いてやる。だからタク、正直に答えろよ」
正直も何も、おれは最初から事実しか喋っていない。それはおれにとっても信じたくないことだったけれど、どの角度から見ても、それは動かしようのない事実だった。
「ですから……、ベッツィーは……その、すでに……食べられちゃってて……」
どこで、誰に、ということは伏せていた。李さんの店に迷惑はかけたくなかったし、それにおれ自身もベッツィーを食べたメンバーの中に入っているからだ。
ベッツィーがもうすでに亡くなっていることだけでも、社長を激怒させてしまうだろうに、それに加えて「自分もベッツィー食べました」などと言えるわけがない。
社長は「ああ……」と呻きながら、額に手を当てて上を向いた。
「何て可哀相なベッツィー……。アホなオンナに連れ出されただけでなく、食われてしまうとは……」
社長も一応、ユキエはアホだと思っていたらしい。どうでもいいことだけど。
「哀れだ!」
「はいっ?」
「哀れだ。そう思うだろう? ベッツィーの痛みを思うと、夜も眠れないだろう? なあ、テメーら」
社長の手下たちが示し合わせたかのように、ウンウンと肯いた。
「オマエもそう思うだろう?」
ずずいっ、と社長はおれに向かって身を乗り出してくる。社長の真ん前に正座したおれは、無駄だと分かっていながらも、身をすくませた。
「は、はあ……」
「この悲しみは、どう表現してもしきれない。そう思うな?」
「は、はあ……」
「悪いと思っているな? ベッツィーに対してすまないと思うだろう?」
「そ、それはまあ……」
「じゃあ、五千万だ」
「へ?」
おれは今、「世界間抜けヅラ選手権」なるものがあったら、絶対に優勝間違いなしだろう。それぐらい自分でもアホっぽいツラをしているなと思った。
「聞こえなかったのか? 五千万だ、五千万」
「な、何が……」
「何がだぁ? そんなことも分からねえのか、このボケが!」
社長の胴間声がアパート中に響き渡った。ああ、後で大家のバアさんに文句を言われるな。
「慰謝料に決まってんだろ」
「そそそ、それは一千万……」
「アホかテメェは! ユキエの分と、ベッツィーの分と、合わせて五千万だ。これでも安いぐらいだぜ」
「そんな……!」
目の前が真っ暗になっていく気分だった。せっかく、せっかく万に一つの幸運をつかんで一千万を手に入れたというのに、今度はその五倍だと? 誰か、嘘だと言ってくれ!
しかし嘘が嫌いな社長の言うことは、やはり嘘ではなかったんだ。
「人のオンナに手ぇ出してただで済むと思ってんのか? 誰よりも大事なベッツィーを食われて、おとなしく引き下がれとでも言うのか? いつからオマエは俺様にそんなことを言えるほど偉くなったんだ。あァ!」
「そそそ、そんなことは……」
「オマエな、本当なら今頃、問答無用でボコボコにして、バラバラにして、豚のエサにされてても文句言えねえ立場なんだぞ。分かってっか?」
「は、はい……」
社長が何かを言うたびに、おれの体が縮んでいくようだった。出来ることなら、そのまま縮んでいなくなってしまいたい。
「それを、たった五千万の慰謝料で済まそうとしてるんだ。どうだ、優しいだろう俺様は?」
「お、おっしゃるとおりで……」
「だったら今すぐに金をかき集めて来やがれ! 三日以内に五千万、耳をそろえて俺のところまで持って来いよ! 分かったかカス野郎!」
「は、はいっ!」
おれは逃げるようにして、ドアのなくなって自分の部屋から飛び出していった。
分かっているんだ。この状況で、命があるだけでもかなり運がいいってことは。でも五千万はデカすぎる。おれにどうやって五千万を手に入れろと言うんだ、あの社長は。ああ、今度こそヤミ金融のお世話になるしかないのか。でもその前に……。
「と、いうわけなんだよ~、イデ~!」
「だから、何で俺に泣きついてくるんだ!」
おれはとりあえず真上の部屋へと駆け込んだ。遊び歩いているだろうイデの居場所を、セージから聞き出すためだ。だが予想に反してイデは部屋にいた。
もう夜もふけ、捨島が本領を発揮しようとしている時間帯だ。セージはこの島に住んでいる割には真面目な男なので、部屋にいるだろうと思っていたが、遊び好きが服を着て歩いているかのようなイデが、この時間に部屋にいるのは珍しい。
イデは特に野球が好きだというわけでもないのに、ナイター中継などを眺めていた。セージはいつものように本を読んでいる。夕方に見たときはアリスを読んでいたが、今は「長くつ下のピッピ」だ。セージの趣味がイマイチ良く分からない。
「だって、いくらか金貸してくれるって言ったじゃん、昼間」
「ああ? だってお前、一千万手に入れたんじゃねぇのかよ」
「増えたんだよ、五千万に!」
「へー、そりゃー、お気の毒」
カキーン! テレビの中では、ジャイアンツの四番がホームランを打っていた。
「だから、貸してくれーっ!」
「おれが貸しても、五千万には足りねぇだろ?」
「それはそうだけど、まったくないよりはマシ!」
おれはそう言うと、今度はセージに向き直った。
「セージも! 貸してくれ! 頼む!」
セージはイデと違って遊び歩かないから、金もだいぶ溜め込んでいるに違いない。
「……貸してもいいけど、俺の金とイデの金を合わせても、五千万には足りないと思うぞ」
「何で? あんなに賭け試合に勝ちまくってんのに!」
「コイツが……」
セージがイデを視線で示す。
「しょっちゅう遊び呆けてるし、それにコイツの医者代が……」
「セージ!」
イデがセージの言葉をさえぎった。
「医者代?」
今、確かにセージはそう言ったように聞こえた。どういうことだ? イデが医者にかかっているとでもいうのだろうか。
「何でもねえよ。聞き流せ」
「聞き流せったって……」
「金貸さねえぞ」
「聞き流しマス」
逆らえません、お二人には。
翌日、おれはドカドカドカッ、という乱雑な足音で目が覚めた。
夕べはそのままイデとセージの部屋にご厄介になることにした。
おれの部屋はドアが外れてしまっていたし、あそこの部屋はいつ社長が乗り込んでくるか分からないから落ち着かない。
ちなみにユキエは李さんの店にその身柄を預けてきた。おれは昨日の時点でユキエだけでも社長に返したほうが良いと思ったんだけど、ユキエがどうしても戻らないと言い張ってきかなかったのだ。何だか良く知らないけどユキエとメイリンは気があったらしく、メイリンは快くユキエを泊めることを了承してくれた。
それはどうでもいい。とりあえず今は足音だ。時計を見ると、午前九時過ぎ。というよりもう十時近い。部屋をぐるりと見回すと、ちょっと離れた布団の上にはまだイデが寝こけていた。セージの姿はない。
おれは掛けていたタオルケットを抱えるようにして、この寝室とリビングとを分け隔てているふすまへと近づく。そしてそれをほんのちょっとだけ開けてリビングの様子をうかがってみると……。
そこにセージがいた。早起きのヤツは、リビングでいつものように本を読んでいたらしい。セージの手には「オズの魔法使い」の表紙が見える。
リビングにいたのはセージだけではなかった。上品そうで身なりのいい格好をした十代後半ぐらいの女の子と、やたらと気の弱そうなサラリーマン風の男。
おれはそのどちらにも見覚えがなかった。セージの知り合いだろうか。セージとこの二人はリビングに座っていた。そしてセージを含めた三人を取り囲むようにして立つ、数人の男たち。おれはこいつらにも見覚えがなかった。
しかし、場の雰囲気からして、何だかヤバそうな感じがする。セージたちを取り囲んでいる男たちはお世辞にも好青年とは言えない奴らばかりだし、奴らは揃いも揃ってみんな土足で部屋に上がりこんでいた。招かれざる客であることは間違いない。
おれは物音を立てないように移動し、イデを揺り起こす。
「おい、イデ。イデ!」
小声で呼びかけるが、イデはまったく起きる気配を見せずに、まだ夢の中だ。なんでこんな状況で呑気に寝ていられるのか。おれはイデの図太すぎる神経をうらやましく思った。
「部屋を散らかすと、同居人がうるさいんだ。きちんと相手はしてやる。だから外に出ろ」
隣の部屋でセージがそう言うのが聞こえた。もう一度、細く開けたふすまからのぞくと、セージは真っ先に部屋から出ようとしているところだった。取り残された形になっている、女の子や土足の男たちはどこか戸惑ったような顔をしている。
そりゃそうだろう、イデもそうだが、セージだってかなりのゴーイング・マイ・ウェイだ。慣れない人はみんな戸惑う。まあイデに比べれば、セージの方がまだ常識を持っているし、お人好しであるからマシなんだけど。
女の子や気の弱そうな男や土足の男たちが、セージの後を追うようにゾロゾロと部屋から出て行く。おれはもう一度、さっきよりも幾分か大きな声で、イデを叩き起こした。
「おい、イデ!」
だがやはり、イデはビクリとも動かない。なんて寝汚いヤツだ。
一行が部屋から立ち去ると、おれはイデを放って外へ出た。
ベランダのようになっている廊下から階下をのぞき見ると、ちょうど昨日、社長のバンが止まっていたあたりに二台の高級車が――そりゃあもう、見ただけで高級なことが分かってしまうようなシロモノ――が停車していた。
そのうちの一台に向かって、身なりのいい女の子が何やら怒鳴りつけている。かと思ったら、さっきの土足チームがセージに向かって襲い掛かった。
けれどもそこはそれ、掛け試合チャンピオンのセージには、相手にもならなかったらしい。あっと言う間に男たちを叩き伏せた。さすがはセージ。
そうこうしている間にも、高級車の一台――女の子が怒鳴りつけていた方だ――が、逃げるようにこの場から走り去っていく。
残された女の子とセージはしばらく何やら話し合っているようだったが、その話もすぐにまとまったようで、もう一台残っていた方の高級車へと乗り込んでいった。
オイオイ、セージどこに行くんだ。そして気弱そうな男が運転席に納まったかと思うと、二台目の高級車も滑るように走り出した。
「何なんだ、いったい……」
一部始終を見ていたにも関わらず、おれは事態がさっぱり飲み込めないでいた。
「うわっ、何なんだコレ!」
部屋の中からイデの声がする。ようやっと起きてきたか。
おれが部屋に戻ると、イデは踏み荒らされたリビングを見て、目を丸くしていた。
「何か、ヘンな奴らが来てたよ」
「……どーせ、セージ目当てだろ?」
「多分そうだと思う」
未だに負けなしのセージを討ち取れば名があがる。そういった単純な思考の持ち主が、不意打ちを仕掛けようとこの部屋に乗り込んでくることは、しょっちゅうとはいかないまでも、ほどほどにあることだった。さっきの土足の男たちもその類だと、おれは判断した。でもそうすると、あの女の子の存在に説明がつかないけれども。
「で、そのセージは?」
「知らない女の子とどっか行った」
「オンナだぁ?」
途端にイデが不機嫌丸出しの顔になる。
「セージの奴、『オンナには興味ありません』みたいな顔して、オレよりモテるんだよな。許せねえよなあ」
愚痴るように言う。でもこれはイデの言うとおりだった。イデはセージと比べて、見た目で引けを取っているわけではないのに、女の子はこぞってセージの方を向く。やはり「負けなしの喧嘩屋」という肩書きがきいているのかもしれない。
対してイデは、本人は決して望んでいないのに変態に好かれてしまう性質だった。この間も変態オヤジに言い寄られているという噂を聞いたが、こうやってグチっているところを見ると、あの噂は本当だったのかもしれない。
「タク! どーでもいいけど早く支度しろ」
「へ? 支度? 何の?」
「メシだメシ。メシ食いにいくぞ。それに、お前は金集めだろ」
そうでした。こうやって、呑気に構えている場合ではないのでした。
『いらっしゃいませ~』
李さんの店へ入ると、そういう弾んだ声がおれたちを迎えた。
異様なことは続くもので、この日、李さんの店はいつもと違い繁盛していた。まあ繁盛といっても、テーブルの八割が埋まっている程度ではあったが。それでも李さんの店にしては大繁盛と言っていいだろう。
繁盛の理由は、さっきの弾んだ声にある。
ユキエとメイリンだ。
ふたりともエプロンを身につけ、ちょこまかとテーブルの間をすり抜けるようにして料理を運んでいる。そしてやって来た客には、あの愛想たっぷりの弾んだ声。李さんの店と言えば、李さんの無言、無表情のプレッシャーというイメージがあったが、二人のウェイトレスはそのイメージを払拭して有り余るほどの効果があったようだ。
「あっ、タクちゃん!」
ユキエは入ってきた客がおれたちだと認めるやいなや、持っていた料理を近くのテーブルに押し付けて跳んできた。
「どう? どう? カワイイでしょ。メイリンちゃんに借りたんだぁ~」
身につけたエプロンの端を両手でつまむと、ユキエはその場でくるっと一回転。
「若奥サマみたい?」
「えーあーうー、まあ……、そうだな……」
おれは何と言っていいのか分からずに、そうやって言葉を濁した。別にエプロン姿のユキエが可愛くなかったというわけではない。むしろ逆だ。思わずうっとりとしてしまうほどに可愛い。
そうなんだ。ユキエはアホだが可愛いのだ。
いつもニコニコとしているし、舌足らずで間延びした口調もどこか庇護欲をかきたてられる。だからクラブで初めて会ったときも、思わず声をかけてしまったのだし、部屋に連れ込んだりもしちゃった訳で……。
でもなんでユキエはおれなんかに付いてきたのだろう。
ユキエは、中身はともかく見た目は可愛いのだから、声をかけてくる男なんてウンザリするほどいただろうし、それ以前にユキエには社長がいた。確かに社長は、ユキエぐらいの若い子からすれば「ゲッ!」と呻いてしまうほどのヒゲオヤジだけど、でも少なくともユキエは社長のところにいれば生活に困ることなどなかったはずなのだ。
それがどうして家出までして……。
「どうよ、ダブル看板娘の威力は」
おれの思考はそう言うメイリンの声にさえぎられた。メイリンはユキエが着けているのとはまた違ったデザインのエプロンをしていた。何故か得意げに胸を反らしている。
「出来ればおそろいのエプロンにしたかったんだけど、昨日の今日だし、用意できなかったのよねぇ」
「でも、このエプロンカワイイよ。ユキエ、お気に入り」
そう言うユキエのエプロンは、やっぱりピンク色だった。
「オレ、海鮮がゆとビールな」
おれと一緒に店に入ったイデは、もうすでに空いた席に座りそう注文している。体に良いのか悪いのか分からない組み合わせだ。
「昼間っから酒飲むつもり? 駄目よ、ビールは」
メイリンにそうたしなめられ、イデは顔をしかめた。
「いいじゃんかよ。昨日もそうやって飲ませてくれなかったじゃん。今日は飲む」
「駄目。セージから言われてるのよ。イデに酒飲ますなって」
「何だそれ!」
「知らないわよ。でも何か真剣な顔して言うから、思わず了解しちゃった」
「……セージの奴~」
イデは唸るようにそう言うと、テーブルに突っ伏した。おれはそんなイデの向かいの席に座る。
「イデってさ、何か病気なの?」
「はあ? 何でそうなる」
「だって昨日もさ、医者代がどーのってセージが言ってたし、酒飲ますなっていうのも……」
「テメエ、聞き流せって言ったろ」
じろり、と睨まれて、おれは黙り込んだ。これ以上追究して、本当に金を貸して貰えなくなったら困る。
しばらくして、おれとイデの前に海鮮がゆが置かれた。おれは何も注文していなかったのに、いつの間にかイデと同じものを注文していたことになっていたらしい。まあ、美味かったからいいけど。それから、ビールの代わりに出されたのは、良く冷えた緑茶だった。
「で、お前どうするわけ?」
食べながらイデがそう聞いてきた。金のことだ。
「とりあえず、友達めぐりしてみようと思う」
昨夜、じっくりと考えてみた。昨日はもうパニック状態にあったせいか、もうヤミ金融に頼るしかないと思っていたけど、冷静になってよくよく考えてみれば、借りてもおれには返すアテがない。返せなけりゃ、どんどん借金は雪だるま式に増えていって、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えている。
「それから、実家にも連絡とってみる。集められるだけ集めて、あとは社長を拝み倒すしかないだろ」
実家とは五年くらい連絡をとっていなかった。おれが一方的に家を出て、連絡先も教えてないから、まったくの音信不通だ。
ひさびさに連絡をとって、かける言葉が「金貸してくれ」っていうのも、親不孝の見本みたいだなとは思うけれど、今はそんなことに構っていられるほど余裕はない。
「五千万はデカいよなあ……」
おれは大きく息を吐いた。
「なあ、タク。ちょっと考えたんだけどよ……」
イデが何かを言いかけた。しかし、その言葉は続かない。
その時、李さんの店のガラス戸が、割れてしまうのではないかというほどの勢いで開け放たれたからだ。店の中にいた誰もがガラス戸に注目した。
イデもまたガラス戸に気を取られ、言いかけた台詞を止めてしまったのだ。