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SCENE5 タク



「うう~ん……」

 眉間にしわを寄せ、うなりながらマツヒロはルーペを覗き込んでいる。おれはそんなマツヒロの様子を、冷や汗を流しながらただ見ていることしか出来ない。マツヒロのルーペの下には、ダイヤがゴツゴツついたネックレスがひとつ。果たしてマツヒロはこのダイヤのネックレスにどのくらいの値段をつけるのだろうか。

 マツヒロは故売屋だ。しかもかなり金払いのいい故売屋だった。おれはここのほかにもいくつか故売屋を知っていたが、持ち込んだ貴金属を一番高く買い取ってくれるのはマツヒロの店であると思っている。だからおれはこの店を贔屓にしているし、マツヒロの方もおれの顔を覚えていてくれるぐらいには大事な客だと思っているようだ。

 ふと、マツヒロがルーペを下ろした。眉間に寄ったしわをもみほぐしながら、大きく息をつく。

「ど、どうだ?」

 おれは怖々と尋ねた。このネックレスの値段いかんによって、おれのこの後の人生が決まってしまうんだ。怖くもなるってもんだ。

「いくら欲しい?」

 マツヒロは口元を歪めて笑った。こいつには詳しい事情を話してはいないものの、おれが今すぐに大金を必要としていることを、雰囲気で察したのだろう。

「一千万!」

 おれはとりあえず、今必要なだけの金額を口にした。多めにふっかけて、余分な金をせしめようとか、そういったこずるい考えは浮かばなかった。そんな余裕など、今のおれにはないのだ。下手をすれば東京湾に沈むことになっちまう。

「よし、買った!」

「売った!」

 簡単な言葉のやりとりで、売買契約成立だ。マツヒロの「買った!」の声が、何よりも素晴らしい言葉に聞こえた。

 ああ、神は存在する。ありがとうありがとう、おれは救われた。今なら何べんでも祈っていい。聖書をすみずみまで朗読してもいい。メッカに向かって拝んでもいい。そのぐらいの気持ちになった。



 ことの発端は三日前。おれはいつものように夜遅くまでクラブで遊び呆けていた。酒を飲んで、バカやって。その時知り合った女の子を部屋に連れ込んだりもした。けれど、これがいけなかった。もっと良く女の素性を聞き出せば良かったんだ。でも、そのときのおれは誰もが認めるほどに酔っ払っていたから、そんなことは考えなかった。

 すべてが終わり、夜が明けてから、おれはコトの重大さに気づいた。おれが部屋に連れ込んだ女は「ユキエ」といって、おれが勤める会社の社長の愛人だったんだ。

 おれはリトマス試験紙も裸足で逃げ出すほどに青くなった。おれが勤める会社が普通の会社で、社長も普通の社長だったなら、おれだって何もここまで青くならずに済んだ。でもおれが勤める会社は普通でなく、社長もまた普通でなかった。

『バンディッツ・カンパニー』というその会社は、社員にあらゆる窃盗行為をさせ、そのあがりを収めさせる。そして盗みの成績に応じて給料が渡されるといった、およそ本土では考えられないような組織なんだ。

 一応、「会社」とは言っているものの、それが会社などではないことは誰でも分かっていること。そこの社長だって、それ相応の人物である。つまりは、「社長」というよりは「ボス」とか「親分」とか言うほうがしっくりくる人物だったんだ。

 おれはこともあろうにその社長のオンナに手を出してしまった。それでもまだ望みはあった。バレなければいいんだ。しかしそんなおれの期待はもろくも崩れた。おれが手を出してしまった社長のオンナは、その……まあ、アレだ。ちょっと頭が弱いというか……。


 そう、つまりバカだったんだ!


 どうやらよりにもよって社長の前で「タクちゃんがねぇ……」とおれの話をベラベラしゃべったらしい。

 そのあとお決まりのごとく、おれは社長の前に引きずり出され、

「おう、お前どうオトシマエつけてくれるんだ」

 と脅されたというわけだ。

 まあおれの必死の弁明の甲斐あってか、社長は「慰謝料一千万」で手を売ってくれた。その場で殺されなかっただけでも儲けモンだった。おれは泣いて感謝したさ。でもな、あとから冷静になって考えてみるとだな、おれに一千万なんて金が用意できるわけがねぇ。

 そこでおれは上の階に住むイデに泣きついた。イデの相棒であるセージはこの島で人気の「賭け試合」で負け知らずの喧嘩屋だ。だから結構な金を溜め込んでいるのではないのかと考えたわけだ。……まあ、そうでなくても何かあったときはイデとセージに泣きつくのが慣習となっていたんだけど。

 けれど頼みの綱であるイデにも「オレらが一千万持ってるように見えんのかコンチクショー!」と一蹴されてしまい、おれは途方に暮れた。見えるから泣きついたのに。

 しかしそれでも近所のよしみか、イデはいくらかならば都合をつけてやると言ってくれた。だからおれは足りない分をなんとかかき集めるために島中を駆け回るハメになったのだった。


 そこで出てくるのがこのダイヤのネックレスである。

 おれはヤミ金融へと足を向けていた。出来ればヤミ金融になんて関わりたくなかったが、社長に殺されるよりはマシだと判断したんだ。今思えば愚かな判断だったけれども。

 その際、おれは葛木の屋敷を仰ぐ道を通った。別にその道を通らなくても、いくらでも道はあったはずなのに、何故かそのときのおれは葛木の屋敷の脇を通ったのだ。それが幸運だった。

 葛木の屋敷は馬鹿でかい。当たり前だ。葛木は捨島でも一番の金持ちだ。

 葛木ならば一千万なんてポ~ンと払えるんだろうな。うらやましすぎるぜチクショウ。とまあこんなことを考えながら歩いていたら、空からダイヤが降ってきたのだ。


 嘘じゃない。ビロードが張られた、いかにも宝石類が入ってます、といった具合の箱がくるくると飛んできて、おれの後頭部を直撃したんだ。

「いってーなチクショウ! 何なんだよいったい! ふざけんなバカヤロー!」

 八つ当たりする相手もいなかったから、おれは天に向かってそう叫び、ビロードの箱を拾い上げた。それを思い切り地面に叩きつけてやろうと思ったんだ。でも良く見ればその箱はなんだか豪華そうに見える。「なんだ……?」とわずかな期待を込めて箱を開けてみると……。

 その中には期待以上のものが入っていた。

 おれはその足でマツヒロの元へと向かった。思いがけず舞い込んできた幸運が逃げてしまわないうちに、必要なもの、つまり金に換えてしまおうと思ったからだ。

 おれはツイている。本当に必要なときに、必要なだけの金が手に入ったんだ。これは万に一つの幸運だ!

 だけど、おれは忘れていたんだ。人生は楽ありゃ苦もあるんだってことを。世の中そうそう甘くはないってことを。


 マツヒロから大金を受け取ったおれは、それを紙袋に詰め、後生大事に抱えて家路を急いだ。この金と、あとはイデのところにいるユキエを引っ張って社長のところに置いてくれば、とりあえずおれの命は助かるんだ。

「イデーっ! イデぇーっ!」

 アパートに帰り着くと、おれはそう叫びながら階段を駆け上がる。さっき入浴中だったイデの元へ乗り込んでいった時と同じように、イデたちの部屋のドアを勝手に開けて、勝手に上がりこむ。しかしリビングにいたのはバスタオル一枚のイデではなく、仏頂面で「不思議の国のアリス」を読んでいるセージだった。

「あれ? イデは?」

「知らねえ」

 セージは本から顔を上げることすらせずに答えた。

「どこ行ったか知らない? オンナと一緒だったハズなんだけど……」

「さあな、飯でも食いに行ったんじゃないのか?」

 やはり険しい顔つきのまま、セージは答える。そんなに難しい顔をして読む本じゃないだろう、アリスは。てゆうか、それ以前に何故アリス?

 ……まあいい、今はそれどころじゃあない。とりあえずはイデの所在だ。正確にいうならイデと一緒にいるであろうユキエの所在だ。

 おれは「邪魔した」と一言残すと、踵を返してイデたちの部屋を出た。

 飯でも食いに行ったというならば、多分「李さんの店」だろう。


「李さんの店」はこじんまりとした中華料理店だ。味は悪くないのに、何故か評判が悪い。あそこの店は猫の肉を使っているとか、いやいや巨大ネズミの肉だとか、一昔前の都市伝説みたいな噂が絶えない店なのだ。けれどイデはあの店の味がいたくお気に入りであるらしく、ほぼ毎日のように通っていることを、おれは知っていた。

 階段を二段抜かしで駆け下り、おれは李さんの店へと急ぐ。李さんの店はここからそう遠くない。しかし運命はおれを簡単に李さんの店へと導いてはくれなかった。


 アパートを出たおれは、思わず息を呑んで立ち止まった。

 アパート前の道路には、一台のバンが止まっていたのだ。もちろんただのバンではない。とっても見覚えのあるバンだった。クリムゾンレーキのボディーを持ったそのバンは、まぎれもなく社長のもの……。それが間違いでない証拠に、社長本人がバンに寄りかかるようにして立っている。そうやって、おれが出てくるのを待っていたんだろう。

「よう」

 社長が、その中国武将を思わせるような巨体をバンから離しておれへと一歩近づいた。おれはそれに気おされて、一歩退く。それを合図にしたかのように、バンの中から数人のチンピラどもが現れた。こいつらの顔にも見覚えがある。社長の手下だ。つまり『バンディッツ・カンパニー』の社員、おれの同僚でもある。

「ユキエ、どこだ?」

 ヤニで黄色く染まった歯を見せながら、社長が笑う。でも目が笑ってない。

「さ、さあ……。お、おれも今、探しているところでして……」

「タクよぉ……。俺は嘘が嫌いだ」

 ポン、と社長の手が俺の肩に置かれる。酒と煙草の混じった臭いが、おれの顔面を襲った。

「ユキエがここに来てることは分かってんだ。ベッツィーもな」

「ベ、ベッツィー?」

 何でここでワニが出てくるんだ? ユキエは確かにこのアパートを訪ねてきたけれど、ワニのことなんかおれは知らない。

「ごまかすなよタク。ネタはあがってんだ」

 社長は一枚の紙切れをおれの目の前に示して見せた。それには丸っこくて可愛い文字で、こう書かれていた。


『これからは、タクちゃんのところで暮らします。探さないでください。あと、ベッツィー連れてくね。バイバイ(はぁと)』


 それはおそらく、いや間違いなくユキエの書いたもの。世間一般でいう書き置きってヤツだ。

 あああああ~! 探さないでくださいっていうなら、何で行き先を書くんだ! ご丁寧にワニのことも書いてあるし! あの娘はアホですかーっ!

 ………………アホなんだろうな、やっぱり。

 おれは泣きたくなった。

「さあ、ユキエとベッツィーを出せ」

「ええっと……、それが……、今すぐというわけには……」

「アァ?」

「ですから……! 今ちょっと留守にしてまして……。だから探しに行こうかなーって……」

 社長に睨みをきかされて、おれはこのまま亀みたいに首が引っ込むんじゃないかってくらいに肩をすくめた。そんなおれから視線を外し、社長は手下のチンピラに何事かを命じた。それに応じて、チンピラのうち二人がバンの中から金属バットを持ち出してくる。おれはそれでボコボコにされるのかと、血の気が引く思いだったが、その予想に反して、チンピラどもはおれの脇を通り過ぎて行った。

 チンピラ二人は、アパートの俺の部屋の前で金属バットを振り上げる。そして容赦なくドアを何度も何度も打ちすえた。その音に驚いたのか、大家のバァさんが自室のドアから顔を出してきたが、おれたちの尋常でない様子を目に入れるやいなや、さっさとその顔を引っ込めてしまった。ボコボコになった哀れなドアを、チンピラどもが今度は蹴りつける。ドアは外れて、内側へと倒れていった。

「俺ァ、てめえの部屋で待たせてもらうからよ。さっさとユキエとベッツィーを連れてきな。一時間以内にな。このままバックレやがったら、東京湾に沈むくらいじゃ済まねえからな。分かってんだろうな、このウスラボケ」

 そう言うと、社長はおれの部屋へと入って行った。土足のままで。

 おれは身をひるがえすと、脇目も振らずに走り出した。もちろん行き先は李さんの店だ。

 もはや一千万とユキエだけでは、おれの首はつながらない。それに加えてベッツィーの身柄も無事に保護しなければ、東京湾に沈む以上の恐怖がおれを待っている。

 ああ! いったいおれが何をしたって言うんだ! 確かにユキエのことを良く確かめもしないで部屋に連れ込んだのは軽率だったと思う。けど、アレはアレで合意の上でのことだったし、別に犯罪でもなんでもない。ユキエは社長の愛人であって、別に妻だというわけでもないから、不倫だということにもならないし。それが何でこんなことに……!

 おれは猛然とした勢いで李さんの店へと走った。今タイムを計ったなら、きっとオリンピックだって夢じゃないくらいのスピードだったに違いない。


「ユキエーっ!」

 叫びながら李さんの店へと飛び込んでいく。

「あ、タクちゃんだ!」

 思ったとおり、ユキエは李さんの店にいた。イデとそれから李さんの妹であるメイリンと一緒に薄暗い照明の下、食卓を囲んでいる。

「あのねあのね、メイリンちゃんがね、今度タクちゃんとユキエの相性占ってくれるって。きっとタクちゃんとユキエは相性バッチシだよ」

 ユキエは嫌になるほどウキウキしていた。俺に差し迫った危機のことなんか、微塵も感じていないんだろうな、きっと。いや絶対。

「どうだ? 金、集まったか?」

 イデまでもが呑気そうな声でそう聞いてくる。イデはもちろんもうバスタオル一枚ではなく、派手なアロハにワークパンツといった格好だった。

 おれはそんなイデを無視してユキエにつめよる。

「ベッツィーは?」

「ベッツィー?」

「そうだよ! ベッツィーだよ! お前、社長のところから連れ出したんだろ!」

「うん、そーだよぉ。でもね、ユキエ、落としちゃった」

「落とした?」

 どうやったらワニを落とせるんだ。おれは頭を抱えてうずくまった。あと一時間。そんな短い時間でこの島中を探し回らなきゃならないのか。無理だ。絶対無理だーっ!

「ベッツィーって?」

 蚊帳の外だったメイリンがイデにそう聞いている。

「ワニだってよ。ワニ」

 食事の手を休めずにイデが答えた。

「ワニ?」

 同じく我関せずと食事を続けていたメイリンの箸が、ふと止まった。

「ワニって、ひょっとして……」

「知ってるのかっ!」

 おれは食らいついた。どんなにわずかな情報でもいい。今はベッツィーにつながる何かが欲しかった。

「首のところに黄色いリボン巻いてたワニのこと? 何かペットっぽい……」

「そう! それだっ! どこで見た? どこにいる?」

「どこも何も……」

 メイリンは持っていた箸で食卓の上を差した。行儀が悪い。

 おれはメイリンが示した箸の先を視線でたどる。そこには、それはもう美味しそうな唐揚げが……。

 イデはその唐揚げをひとつつまんで頬張った。

「美味いぜ、コレ」

「ワニ食うな!」

 真っ白だ……。おれは真っ白に燃え尽きた……。おれは滝のような涙を流しながら、卓上の唐揚げを見つめることしか出来ない。すべては手遅れだったのだ。

「おしまいだー。おしまいだー。おれはもう、おーしーまーいーだーっ♪」

 作詞作曲、おれ。タイトル「終焉の歌」。

 ああ、くそっ。笑いたければ笑えばいいさ。おれにはもう、トチ狂うしか安らかになる方法がないんだよっ!

「へえぇ、この唐揚げ、ベッツィーだったんだぁ」

 ユキエ……、感想はそれだけかい? すべての元凶はキミにあるのだよ。

「意外と食えるもんだな、ワニ」

 イデ……、所詮は他人事だと思ってるだろう。

「兄貴の料理はみんな美味いわよ」

 メイリン……、ペットっぽいと思うなら、どうして李さんが調理するのを止めなかったんだ。

 おれはもう駄目だ。東京湾行き決定だ。いや、それじゃ済まないんだった。ああ、おれはいったいどうなるんだ。いっそのこと、ここでベッツィーと同じように唐揚げにしてもらおうか。

「まあタク、ひとまず落ち着け。ワニでも食って気分を安らげろ」

 イデは椅子を引いて、おれを座らせた。ベッツィーを食ったところで気分が休まるわけがなかったが、おれはもう自暴自棄になっていた。

 ベッツィーの唐揚げをわしづかみにすると、おれはそれを口の中に突っ込んだ。

 これがおれの最後の晩餐になるかもしれない……。最後の食事がワニだなんて、それも何か嫌だ……。しかし、噂はどうあれ、李さんの腕前は確かだ。

 ベッツィーは美味かった。




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