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SCENE3 メイリン


 街中にワニ。シュールだわ。


 さらに奇抜なのが、しゃがみこんでそのワニと見詰め合っているウチの兄貴。もうバックに点描や花が散っていないのが不思議なくらいに見詰め合っている。

 そもそも、何でこんなところにワニがいるのかが理解できない。ここは別に川辺でもなんでもないし、それ以前にここは東京だ。本土とは隔絶してしまっている捨島といえども、一応は東京の一部であるはずなのに。

「兄貴、何なのそのワニ?」

 ゼェゼェと乱れる息と共に問いを吐き出した。あたしと兄貴は、いま買出しの帰りだ。両手にはパンパンに膨らんだスーパーのビニール袋を持っている。兄貴と違ってか弱いあたしは半ば引きずるようにして袋を運んでいたのだ。兄貴は普段から鍛えているから、スーパーの袋なんか軽々と運んでしまう。自然と歩調に差が出てきてしまい、あたしは兄貴に大分遅れを取っていた。それでも必死に歩き、ようやっと追いついたと思ったら、兄貴はワニと見詰め合っていたというわけだ。


「美味そうなワニだ……」

 ボソっと兄貴は口にする。何だかじっくりと見つめていると思ったら、兄貴はワニを食材として見ていたらしい。

 兄貴は料理人だ。捨島の片隅で中華料理店を開いている。今日の買出しも店のためのものだ。店で使う食材ぐらい、業者に運んでもらえ、と思わないでもないが、悲しいことに兄貴の店はそこまで大きくない。まあ早い話が貧乏だってことよ。

 貧乏だからこそ、街中を闊歩している珍しい食材に気を引かれたのだろう。でなければ、さすがにおそらく人様のものであろうワニを美味そうだと見つめることもない。と、思う。

 何故、そのワニが人様のものであると思うのか。それは簡単だ。ワニには引き綱がついていたから。ただそれだけのこと。たすきがけをしているみたいに前足にベルトを通してある。それと、ワニの首には(どこがワニの首なのか、判断に迷うところだけど、まあ一般的に首だと思われるところに)黄色いリボンが巻かれていた。これもこのワニが愛玩動物であることを示しているんだろう、たぶん。だがしかし、引き綱の先には当然いるべき飼い主の姿がなかった。

「まさか、持って帰るの? そのワニ」

「……そうしよう」

 兄貴はワニを小脇に抱え込む。そして二つのビニール袋を片手で持ち直して、さっさと歩いていく。

 捨島では「落し物はもう二度と手元に戻ってこないものと思え」が鉄則とはいえ、ためらいもなく人様のものであろうと思われるワニを持っていってしまう兄貴は、やっぱり捨島の住人だった。


 さて、自己紹介が遅れた。

 あたしの名前はメイリン。兄貴の中華料理店の隅っこで占い師をしている。暇なときは兄貴の店のウェイトレスも兼ねているけど、兄貴の中華料理店と違ってこっちはまあまあ繁盛している。

 でも何故か依頼される内容というのが、『LSDはどこで買える?』とか『誰々の居場所は何処だ?』とか『どこどこの組織の動向は?』とかそんな内容ばっかりだ。たまには『カレとワタシの相性は?』とかいった可愛い占いもしてみたいのだけれど、そんな依頼はとんと舞い込んでこない。どうしてだろうと首をひねっていたら、「お前、情報屋じゃなかったのか……」と兄貴に言われた。失礼な。


 兄貴は『李さん』と呼ばれている。兄貴の中華料理店には特に名前がなく、ただ周囲からは『李さんの店』とだけ認識されていた。兄貴の中華料理店が繁盛しないのはどうしてだろうか、とあたしは常に思っていた。兄貴の料理は美味いし、こんなに可愛いウェイトレスもいるっていうのに。

 だが最近耳にした話によると、どうやら捨島のみんなは「李さんの店では何を食わされるか分からない」と思っているらしい。まあ確かに兄貴が選ぶ食材には、ときたま良く分からないものが混じっていたりするし、今だってこうしてワニを抱えている。あたしは一応肉親だし、兄貴の出す料理にヘンなものなどないと思っているから平気だけど、赤の他人はそうも思えないのかもしれない。


 ちなみに、『李さん』と呼ばれているからといって、兄貴は中国人なわけではない。『李さん』というのはただの通り名だ。中華料理イコール中国人。中国人によくある名前イコール李さん。という実に安直な考えから、いつしかそう呼ばれるようになっただけだ。もちろん妹であるあたしだってそうだ。メイリンという名は、兄貴が『李さん』と呼ばれるようになったから、それに便乗して中国っぽい響きの名前を自分でつけてみただけのこと。本名はヒミツ。この島では本名を名乗っている奴のほうが珍しいのだ。

 さらに言うなら、『李さん』という名前は『李さん』でなければ駄目らしい。『李くん』でも『李ちゃん』でも『李』と呼び捨てでもいけない。何故かは知らないけれど、周りの人間はそう呼ぶのだった。



 兄貴の店は小さな貸しビルの一階に存在している。本当に小さなビルで、しかもちょっと入り組んだところにあるもんだから、あまり人目につかなかったりする。それも兄貴の店が流行らない理由のひとつかもしれない。まあその分、根強い常連がいることも事実なのだけれど。

 ワニを引き連れたあたしたちが店に帰り着くと、店の前には一人の男が待ち構えていた。窓から店の中をうかがうようにしていたから、間違いなくウチの店に用事があるものだと思われる。買出しに行く際、店にはキッチリと鍵をかけてきたから、中に入れないのだ。ウチの店に従業員などはいない。いるのは店主兼料理人兼ウェイターの兄貴と臨時ウェイトレスのあたしだけ。その二人がこぞって買出しに出てしまったのだから、鍵を閉めるのは当たり前なのである。

 男は歩いているあたしたちに気づき、こっちを見た。そしてあたしたちが近づいてくるのを見計らって、兄貴に声をかけてくる。

「ひょっとして、君が『李さん』?」

 兄貴は黙ったまま肯いた。兄貴は無口だ。あたし以外の人間には饒舌になることがない。それが見ず知らずの相手となると、本当に必要以上のことは語らなくなる。

 兄貴が肯いたのを見て、男は満足そうに微笑んだ。男はだいたい三十代後半ぐらいだろうか。痩せてはいるが、頼りない感じは一切しない。今日は気温が高くてムシムシしているというのに、スーツをきっちりと着込んでいる。もっとも、そのスーツは大分くたびれてはいたけれど。

「中、いいかな?」

 男は顎を振って、店の中を示した。中に入れてくれと言うのだ。やはり外は暑いらしい。でも、ウチの店にはクーラーがないんだけど。男がそれを知ったら、きっと悲嘆に暮れること間違いなしだ。

 兄貴はやはり黙ったまま、ビニール袋を地面に下ろし、店の鍵を開けた。店の入り口を開けると、中からはモワッとした空気が流れ出てきた。店内の気温はどこまで上がっていることだろう。いくらか風がある分、まだ外のほうがマシかもしれない。

 兄貴は無言のまま男を促し、男は店内へと入る。さすがに男は顔をしかめてスーツの上着を脱いだ。兄貴はまっすぐ厨房へと姿を消す。あたしはカウンターに荷物を置いて、店のテーブルのひとつへ着いた。

「あのワニは何なんだい?」

 男は厨房へと視線を送りながら、あたしの向かいの席へと腰を下ろした。

「食材よ」

「食べるの?」

「まあ、そのうちね」

 やはり男もあのワニが気になるらしい。

「君は? この店の人?」

「あたしは『李さん』の妹で占い師。知らない? メイリンの占いって言えば、良く当たるって評判なんだけど」

「へぇー、それじゃあ今度占ってもらおうかな」

 男は笑った。


 あたしは男を値踏みする。

「あなた、捨島の人間じゃないでしょ」

 あたしは感じたことを口にしてみた。男はわずかに目を見開く。

「……どうして、そう思う?」

「占い師のカンってやつよ」

 男の目に剣呑な光が宿っていたことを、あたしは見逃さなかった。それに男の動きには隙がなく、ある種の鋭さみたいなものまで感じさせる。堅気の職業についていないだろうことはすぐに分かった。まあこの島では堅気の者を探すほうが難しいのだけれど。

 それでも男がこの島の者ではないと思ったのは、何と言うか、この島の住人独特の薄汚さみたいなものが、男からは感じられなかったからだ。

 それと、男がこの店へ兄貴を訪ねてきた理由、それを考えてみれば分かる。

 基本的に、この店へとやってくる人間には三種類いる。

 ひとつは飯を食いに来る奴。でもこの男は兄貴の料理を求めてきたのではないと思う。カウンターの上に貼られたメニューに一瞥もくれないからだ。

 もうひとつはあたしに占ってもらいたい奴。でもこの男は、あたしが占い師だということを知らなかった。

 とすれば、残るはひとつ。

「それで、誰を暗殺して欲しいの?」

 兄貴の裏の顔。それは暗殺者。

 捨島の奴らはそのことを知らない。兄貴はこの副業を決して捨島ではやらないからだ。そのことを知っているならば、やはりこの男は捨島の住人ではないことになる。

「話が、早いね」

 男はニヤリと口元を歪めた。

 そこへ兄貴が両手に麦茶の入ったグラスを持って、厨房から出てきた。あたしと男の前にグラスを置いた兄貴は、あたしの隣へと座る。あたしはこの暑いさなか、重い荷物を引きずっただけあって喉がカラカラだったから、その麦茶を一気に呷る。それから、

「で?」

 と、男に先を促した。


 男は脱いだ上着の内ポケットを探り、そこから一枚の写真を取り出した。

「標的はこいつだ」

 テーブルの上に放り出された写真を、あたしは手に取る。

「こいつは……!」

 その写真に写っていた人物を見て、あたしは驚いた。兄貴も眉を寄せている。

「君たちなら良く知っているだろう? 葛木だよ」

 その通りだった。この島に住んでいる者の中に、葛木の存在を知らない奴はいない。

 葛木はこの島のトップだ。あらゆる賭け事の元締めをしており、それによって巨万の富を得た人物。捨島により成り立ち、また捨島もこの男によって成り立っている。

 それを……暗殺?

 読めた。あたしは上目遣いで男を見る。

 この男は間違いなく本土の人間だ。捨島の人間ならば葛木を暗殺しようなどとは決して思わないだろう。よほどのバカでない限りは。

 葛木はこの島の防波堤なのだ。葛木が本土とこの島のバランスを保っている。この島が本土の干渉をほとんど受けずに済んでいるのは、裏で葛木が暗躍しているからである。でなければ、本土の警察がこの犯罪天国を放っておくわけがない。

 そしてこの男はおそらく、本土の警察関係者。

 あたしは逐一、ニュースや新聞をチェックしているから知っている。今、本土で捨島弾圧の動きが出ていることを。本土の人間は、いつか捨島の者たちが本土の生活を脅かすのではないかと怯えているのだ。

 捨島の住人側から言わせてもらうならば、それは杞憂に過ぎない。

 捨島の奴らは、この捨島を気にっている。わざわざ捨島を出ようとする奴なんかいやしない。この島に楽園を見た者が、ここに住みつくのだ。この島の人間にとって、本土はただ窮屈な場所でしかないということを、本土の奴らは分かっていないのだ。

 本土の警察は、葛木を排除することで、この島に干渉しようとしている。その先駆けを、兄貴に作れと言っているのだ。


「バッカじゃない? あたしも兄貴もこの島の住人だってこと、分かってる? わざわざ住処を失うようなこと、するわけないじゃない」

 あたしは写真を投げ返した。ふわり、と飛んだ写真は、男の前に落ちる。

「報酬ははずむよ」

「へえ、いくら?」

「望むままに」

 へえ、大分気前がいいじゃない。それでも捨島を見捨てるような真似、兄貴がするわけ――

「分かった」

「えっ!」

 思いがけない兄貴の声に、あたしは叫びをあげてしまった。

「報酬は一億」

「それでいいのかい? 君が望むならもっと出してもいいよ」

「充分だ」

「ちょっと待ってよ!」

 あたしは椅子を倒して立ち上がった。

「兄貴、気は確か? 葛木を殺すってことが、どういうことだか分かってるでしょ?」

「ああ」

「だったらどうして!」

「メイリン」

 低く、しっかりした声。

 ああ、駄目だ。兄貴はもう決めてしまった。

 兄貴は普段、我を張ることがない。その分、一度決めたことは頑としてでも変えないのだ。

「……方法は君に任せる。何か必要なものがあるなら、言ってくれていい。すべてこちらで手配しよう」

 男は小さな紙切れを上着の内ポケットから出すと、それをテーブルの上で滑らせた。その紙切れにはケータイの電話番号と、『後藤』という名前が記されている。後藤というのが、この男の名前なのだろう。

「それじゃ」

 男は――後藤は立ち上がると、麦茶を一気に飲み干した。そして空になったグラスをタン、と音を立てて置くと、

「ごちそうさん。……今度は料理を食べに来るよ」

 と言って、店を後にした。


 あたしは倒れた椅子を元に戻して座りなおす。兄貴は空のグラスを手に、厨房へと戻っていった。

「分かんないよ、兄貴」

 カウンターの向こうの兄貴に問いかける。

「何でこの依頼を受けたの? 兄貴は、この島を見捨てる気? それに裏の仕事は捨島ではやらないんじゃなかったの?」

 兄貴はグラスを洗っている。ザーッという水音だけが店内に響いた。

 充分すぎるほどの沈黙の後に、兄貴はようやく口を開いた。

「もう終わりにしようと思う」

「どういうこと?」

「もう、この島から出るべきだと思う。……特にお前は」

「あたしのためだって言いたいの?」

 兄貴はまた沈黙する。

「あたし、この島好きよ。確かに犯罪ばっかりだし、薄汚れてるし、落ち着かない所だけど。でも離れたいとは思わない」

 兄貴はやはり答えない。変わりに別の言葉を口にする。

「裏の仕事は、これで最後だ。この報酬で、本土に新しく店を建てよう。お前はそこで占いを続ければいい。本土でなら……恋占いだって出来るだろうよ」

 本土での平和で穏やかな暮らし。それに憧れる気持ちがまったくないわけではない。兄貴があたしのためを思ってくれているってのも分かる。捨島では、いつなんどき、どんな犯罪に巻き込まれるか分からない。だから少しでもそういった環境から離したいと思っているのだろう。あたしたちはたった二人きりの兄妹だから。

 でも、あたしはそれを望んでいない。捨島を嫌いにはなれない。

 兄貴には……、あたしの気持ちが伝わらないのだろうか。




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