SCENE21 メイリン その3
どうして? 何故?
あたしは充分すぎるぐらいに混乱していた。
何故、葛木を撃ったのが兄貴じゃなかったのか。どうしてすぐに警察が乱入してきたのか。そして、兄貴はいったい何処にいるのか。
何もかもが分からない。事態をしっかりと把握するには、あたしの頭は浮つきすぎていた。それでも、すぐさまあの工場跡から抜け出したのは、自分でも素早く、正しい行動だったと思う。
兄貴が今どこにいようと、葛木が撃たれてしまった以上、もうこの島にはいられない。あたしが出来ることといえば、今すぐに「つくも丸」へと戻ることだ。そこで兄貴と落ち合い、島を出なくては。
でも、兄貴がもし、動けない状態にあったらどうしよう。
だって、葛木は兄貴が撃つはずだった。なのに、それを為したのは兄貴じゃなかった。
じゃあ、兄貴はどうしているのか。どうして兄貴は葛木を撃たなかったのか。撃てない状況に追い込まれているのではないか。
不安ばかりが増大していく。自然と歩く足は速まり、半ば走っているかのようになる。
あたしはいつの間にか繁華街に足を踏み入れていた。そこはいつものようにネオンが氾濫し、落ち着きのない様相を見せている。あたしは「しまった」と内心焦りながら、速かった足運びをもっと速める。こんな場所、女が一人で歩く場所じゃない。今も道端にたむろしている男たちが、通り過ぎるあたしをニヤニヤとした下品な表情で見送っている。
まずかった。もっと道を選べば良かった。やっぱりあたしは動揺していたのかもしれない。普段なら、こんな時間にこんな道を通ったりは絶対しないのに。
あたしの背後で誰かが動く気配がした。さっきの男たちだ。
「おねーちゃん、ドコ行くの?」
男たちのひとりが、あたしの前に回りこんで来て言う。あたしはそれを無視してさらに歩き続ける。
「おいおい、無視するなよ~」
もう一人が右側に立った。すぐ後ろにも気配を感じる。周りをガッチリと囲まれてしまった。唇をかみしめ、それでも歩みを止めずに進む。
「オイコラ、止まれよ!」
後ろにいた奴があたしの肩をつかんで引きとめる。その力があまりにも強かったから、あたしはバランスを崩してたたらを踏んだ。あたしの歩みは、とうとう止まってしまった。
「そんな荷物抱えて、ドコ行くの?」
「家出か何か?」
「どうでもいいよ、そんなコト。いいからどっか連れ込もうぜ」
男の一人があたしの腕をつかんで引っ張る。
「ちょっと! 離しなさいよ! あたし急いでるんだから、あんたたちなんかに構っている暇なんてないのよ!」
恐怖よりも、焦りが先にたって、あたしはそう怒鳴りつけた。けれども、のれんに腕押しである。
「離しなさいよ~!」
「急いでるんだからあ~」
男たちはあたしの口調を真似てふざけている。頭に血が上った。
「あんたたち……!」
あたしがさらに怒鳴りつけようとしたとき、そこに予想外の人物が現れ、予想外の声をかけてきた。
「あれ、占い師さんじゃないの?」
あたしは怒鳴り声を詰まらせ、声のした方を見る。そこにいたのは本土の男、後藤だった。
「何だテメエ?」
男たちは一斉に不機嫌そうに顔をしかめ、後藤を見ている。しかし後藤はリラックスしきった顔を崩さずに、こちらへ近づいてくる。
「いやあ、しがない警察だよ」
「警察だあ?」
「そう、ハイこれ証拠ね」
後藤は懐から警察手帳をのぞかせた。男たちはそれを認めて、わずかにたじろぐ。しかしすぐに強気を取り戻したのか、
「警察には用はねえよ。とっとと消えな」
と言い放つ。
「そう言われましてもね。こっちもそのお嬢さんに用事があるんもんで」
後藤もまったくひるまずに言葉を続け、そして今度は懐から拳銃を取り出した。
「そっちこそ、とっとと消えな」
これにはさすがに強気に出ることが出来なかったのだろう。男たちは、わずかに顔を見合わせた後に、「ちくしょう」と呟きながら、あたしのそばを離れていく。
「やあ、良かったね、占い師さ……」
「ちょっと! いったいどういうことなの?」
あたしは、男たちの手から逃れられて良かった。とか考える間もなく、後藤に詰め寄っていた。兄貴に葛木の暗殺を依頼したのは後藤である。後藤ならば、兄貴が今どうしているのか知っているかもしれない。
「どういうこと、とは?」
「とぼけないで! 兄貴のことよ。兄貴はドコ?」
「ああ、それね。それはこっちが聞きたいことでね」
「なに?」
「こっちも今、君のお兄さんを探しているところなんだ。でも……」
後藤は手にしていた拳銃を、今度はあたしへと向けた。あたしは息を呑む。
「君を捕まえておけば、向こうから現れてくれるかもね」
後藤は笑った。それはさっきの男たちと何ら変わるところがない、いやらしい笑みだった。
こいつは敵だ。あたしは直感的にそう思った。
何が敵で、何が味方なのか。そんなことは分からない。でも、こいつはあたしに、いやあたしと兄貴に害しかもたらさない。
あたしは後藤に背を向けて走り出した。こいつの傍にいてはならない。あたしの本能がそう訴えていた。
パン、と乾いた破裂音がする。
途端にあたしは足に熱さを覚え、走るどころか立っていることすらままならずに膝をつく。見ると、あたしの左足、そのふくらばきの辺りから出血していた。
「逃げないでくれるかなあ」
後藤が呑気そうな口ぶりで言った。こいつが撃ったんだ。あたしを撃ったんだ。
周囲が騒がしくなった。客引きの男や、酔っ払いの若者、角に立つ娼婦などが皆驚いた顔で、こちらを見ているのが分かる。
「僕はね、君のお兄さんに対して、腹が立って仕方がないんだ。奴は我々をコケにしてくれたからね。どっちみち、君たち兄妹には消えてもらわないといけないんだ。どうせなら、ここでその頭に風穴を開けても構わないんだよ。コッチとしては」
口調はあくまでものどかだ。でも言っていることは異常だ。ついでに言うなら、その目つきも異常だ。ゾッとする。あたしは足の痛みも忘れて青くなった。
兄貴、兄貴……! ドコにいるの? 何をしてるの?
あたしは、この島にやって来たばかりの頃みたいに、ただの幼い子供になっていた。あの頃は、兄貴がちょっと留守にするだけで、この世界にたった一人ぼっちになってしまったように心細かった。もう二度と兄貴に会えなくなるんじゃないかと思って、あたしは脇目も振らずに泣き喚いて、見ず知らずの大人たちに怒鳴られていた。
あの頃と、ちっとも変わらない。
さすがに泣き喚きはしないけれども、あたしの心は兄貴を求めてやまなかった。
兄貴――――!
またもや破裂音。あたしは反射的に目を閉じる。どこか撃たれたのではないかと思ったが、痛いのはさっき撃たれたふくらはぎだけで、新たな痛みはやってこなかった。
あたしはおそるおそる目を開ける。
血を流していたのは後藤だった。後藤は銃を握っていた右手を押さえている。取り落としたのか、銃は後藤の足元に転がっていた。
「メイリン!」
兄貴だ……! 銃を手にした兄貴が、こちらへと走ってくる。
後藤が舌打ちをして、無傷の左手を落とした銃へと伸ばす。それを見たあたしは、とっさに手にした荷物を後藤へ投げつけた。わずか
にひるんだ隙に、あたしは落ちた後藤の銃へ飛びつく。足が気が遠くなるほどに痛んだけれども、そんなことに構ってはいられなかった。
「この小娘!」
後藤が銃を取り上げようと、あたしの手を引っ張る。あたしは意地でも放すもんかと食いついた。
「後藤!」
兄貴の声に、後藤の動きが止まった。兄貴はもうすぐそこまで来ている。構えた銃は、真っ直ぐに後藤を指し示していた。
「妹から離れろ」
後藤はあたしから手を離して、その両手をあげた。
「出血がひどくならないうちに、ここから消えろ。工場跡の方へ行けば、お仲間が助けてくれるだろう?」
「殺さないのか? 俺を」
後藤はニヤリと笑う。兄貴は眉をしかめた。
「俺はもう誰も殺さない」
その声は重々しく響いた。しかし後藤はそれを聞くと、鼻を鳴らしてさらに笑う。
「『もう誰も殺さない』か。何を今さら。……皆さあん! この男はとんでもない殺人鬼です! 今までに数え切れないほどの人間を殺してきたんですよ! 信じられませんねえ!」
街行く人々に聞こえるように、後藤はわざとらしい言葉を吐く。
「いくつもの人生をぶち壊してきたくせに、自分はのうのうと生きていこうとしているんですよ! いったいどういう神経をしているのでしょうねえ!」
「黙りなさいよ!」
あたしは後藤の言葉を聞いていられなくて、叫んだ。ここまで兄貴を否定されて、あたしは悲しく、……それ以上に激昂していた。
「何も知らないくせに! あたしたちのこと、何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」
「ほう、君たちの何を知っていれば、君たちを批判することを許してもらえるのかね。勝手なことを言っているのは君のほうだろう? 君は、同じ事を兄さんが殺した人たちやその家族に言えるのか?」
言葉に詰まった。何かを言いたいのに、何も口から出てこない。悔しくて、あたしは歯を食いしばることしか出来なかった。
「何とでも言えばいい」
口を開いたのは兄貴だった。兄貴はいつもと変わらない静かな顔で、後藤に銃を向けていた。
「今まで俺がしてきたことから目をそむけるつもりはないし、いつかは罰を受けるべきだとも思っている。……でも、今はまだ駄目だ」
兄貴はチラリとあたしを見た。
そうだ。兄貴はいつでもあたしのことを真っ先に考えてくれていた。
裏稼業に手をつけてしまったのも、あたしのため。この島から出ようとしたのも、あたしのため。今、罰を受けられないのも、あたしのため。
涙が出そうになる。
「綺麗事を……」
「早く行け! 傷を増やされたくなかったらな」
後藤が何かを言おうとしているのをさえぎって、兄貴が怒鳴った。
「死なない程度に撃つことなんか簡単だ。この距離なら、俺は外さない」
兄貴も後藤も動かなかった。どのくらい、そのままにらみ合っていただろうか。先に動いたのは後藤の方だった。
「これから先、ずっと怯えて暮らすがいい。我々が本気になれば、貴様などすぐにでも始末できるのだからな」
負け惜しみだとしか思えなかった。後藤はそれだけを言うと、あたしたちに背を向けて歩き出す。兄貴が言ったとおりに、工場跡の方へ向かうみたいだ。兄貴は後藤の姿が見えなくなるまで、ずっと銃を構えたまま動かなかった。
「平気か?」
後藤がいなくなると、兄貴は銃を下ろしてあたしにそう言った。
「うん、平気」
本当はすごく痛かった。でも銃弾はかすっただけだったし、それほど大騒ぎするほどでもないと思ったのだ。
でも、兄貴の手を借りて立ち上がってみると、思いのほか足に力が入らない。それでも何とか立とうとしたけど、それは無理なようだった。
兄貴は「仕方ないな」といった風に息をつくと、あたしに背を向けて、しゃがみこんだ。
「ほら」
あたしはキョトンとする。何が「ほら」なのか分からなかったからだ。そんなあたしに、兄貴は急かすように重ねて言う。
「早く、おぶされよ」
「おぶっ……! ちょ、ちょっと、あたしもう子供じゃないんだから! おんぶなんかしなくても大丈夫よ!」
「大丈夫じゃないから言ってるんだ。見栄張ってる場合じゃないだろう」
「でも……」
人目が気になった。先ほどの後藤とのやり取りで、あたしたちは充分過ぎるほどに注目されていた。
「いいから。早く船まで戻らないと」
あたしはずいぶんと逡巡した。でも結局は兄貴の言うとおりにするしかないようだった。足は痛むし、港まで歩いて行くのは無理そうだし、時間もないし。どうせ島から出てしまうんだ。どうにでもなれ! と思い切って、あたしは背後から兄貴の首筋にしがみついた。
兄貴は反動をつけながら立ち上がる。
「お前、重くなったな」
「……それ、年頃の女の子に言う台詞じゃない」
「それもそうだ」
兄貴が微笑んだのが分かった。おぶさった今の状態では、兄貴の表情をうかがうことなんて出来ないけど、それでも兄貴が微笑んだのが伝わってきた。
そういえば、昔はこうやってよくおんぶしてもらったっけ。よく大泣きして兄貴を困らせもしたし、いっぱいわがままも言った。あたしはさぞかし手のかかる妹だったことだろう。
「兄貴……、ありがと……」
「何が?」
「ん? 何だろね」
あたしも微笑んだ。
あたしは心に決めた。ううん、本当はずっと前から決めていたことだ。
世界中のすべてが兄貴を糾弾したとしても、あたしだけは兄貴の味方でいよう。
確かに兄貴のやってきたことは、決して誉められたことじゃない。命を落とした人ばかりでなく、その家族や友人など多くの人を悲しませてきたことだろう。後藤の言うとおり、あたしたちの言い分は勝手で、何もなかったみたいに本土で生きていこうだなんて虫のいい話なのかもしれない。
……でも、一人ぐらい、兄貴の味方がいてもいいよね。
………………いいよね?




