SCENE18 セージ その3
ほら、良く百メートル走とかマラソンとかのスタートの時に、ピストルを鳴らすだろう?
俺は倒れる葛木を見ながら、そのことを思い出していた。
葛木を撃った銃声と、スタートを知らせるピストルの音が、俺の中でひとつになったからだ。もちろんスタートを知らせる方は、本物の銃を使っているわけじゃないけれど、それでも俺は耳を打つ銃声に、それを思い出した。
今鳴り響いたばかりの銃声もまた、始まりを告げる音だったから。
何の始まりかは、この島のものならば分かるだろう。
捨島の終焉。その始まり。
その銃声と共に吐き出された弾丸は、葛木の体にめり込み、彼を地に伏せさせた。葛木がこのまま力を失えば――、つまり死んでしまえば、捨島は本土のあらゆる勢力から守ってきた壁を失うことになる。それは捨島の終わりと同義だ。
「葛木!」
何故かそこにいたメイリンがそう叫んだ。
「パパ!」
セコンドについていた撫子が、悲痛な声を上げて、葛木へと駆け寄っていく。
倒れた葛木の向こうに、銃を構えた男がいた。鼻にピアスを開けた、軽薄そうな男。顔を真っ青にして、小刻みに震えている。動けないでいるようだ。間違いなく、こいつが葛木を撃った犯人だ。絵に描いたような鉄砲玉である。
「捕まえろ!」
撫子の傍にいた秘書のムコーダ(ムカイダだったか?)が、珍しく声を張り上げる。その声に弾かれたように、鼻ピアスの周りにいた奴らが一斉に踊りかかっていく。
またこの場に喧騒が戻った。鼻ピアスはまだ動けないでいたから、簡単に取り押さえられた。
「オイオイオイ、ちょっと待てよ! 葛木が死んだら、誰が金払ってくれるってんだ!」
イデが俺を押しのけ、ロープから身を乗り出すようにして言った。
「状況が状況だ。試合は中止だろう」
「冗談だろお~」
イデはそう嘆いて、ロープをつかんだまましゃがみ込んだ。しかし、すぐにシャキンと立ち上がり、
「誰だ! こんな真似をしやがった馬鹿は!」
と目くじらを立てる。
その時、この工場跡にある北と東と南西にある各入り口から、男たちの団体がなだれ込んできた。
「警察だ! 全員その場から動くな!」
そういう怒鳴り声と共に。
「おい、セージ……」
「ああ……」
イデの目が鋭くなる。俺もまた睨むように、銃を構えながら入り込んできた男たちを見た。
「どうやら、本土の馬鹿だったらしいな」
いくらなんでも手回しが良すぎる。葛木が凶弾に倒れ、まだ一分も経っていない。このタイミングで警察が乗り込んでくるなんて、偶然ではあり得ない。
おそらくあの鼻ピアスは本土の回し者。そして警察の団体さんは、鼻ピアスが葛木を始末するのを見計らって、乱入してきたに違いない。
「セージ、どーするよ?」
「どうするも、こうするも、逃げるしかないだろう」
「逃げんのか?」
「どちらかといえば、捕まりたくはないからな」
「捕まるか? やっぱり」
「捕まるだろう。立派な賭博法違反だ」
「でもオレは金賭けてねえぜ」
「確かにそうだが、この場合……、賭博開帳罪になるんじゃないのか?」
「ふーん」
イデは罪名には興味なさそうに、リング内からリング外の狂騒を眺めている。
工場内はにわかに慌しくなっていた。警察は「動くな!」と言うものの、その言葉に従っているものは皆無に等しい。だいたい、ここに集っている奴らは、公僕と聞けば無条件に反抗したくなってしまうような奴らばかりだ。悲鳴を上げてただ逃げ回っている奴もいるが、そのほとんどが抵抗して殴りかかっている。
「まあ、どうでもいいや。どっちみち、公務執行妨害にはなるんだろうし」
「公務執行妨害って……、まさか……」
ニヤリと口元を歪めて、イデが俺を振り返る。
「まさか何事もなく逃げだせるとか思ってるわけじゃねえよな」
確かにそうだ。警察の面々は、ざっと見ただけでも二十人以上はいるだろうことが確認出来る。それにこの乱痴気騒ぎの中、何もせず無事に脱出できるとは思えない。
「仕方ないな……」
とにかく、今は逃げることが先決だ。そのために何人か張り倒すぐらいは大目に見てもらいたい。
出来るだけ早く、この場から逃げなくては。いや、この場だけではない、この島から出なくては同じだ。いずれ本格的な手入れが始まることだろう。今はこの工場跡を出て、そのまま港へ行くのがベストだ。上手い具合に船が捕まらなくても、泳いで逃げるくらいのことはしなくてはならない。
「そんじゃま、行きますか」
こういうときのイデは実に生き生きしている。
俺たちは一度視線を交わすと、それを合図にロープを跳び越えていった。




