カルミラの幻想
どういうわけか昔から吸血鬼に酷く惹かれた。
初めてその存在を知ったのは吸血鬼物語の原典とも言える女吸血鬼カルミラの物語だ。美しく耽美なその物語に、強く心を奪われたのは僅か八歳の時だった。同じ歳の友達に、その本を貸したら、酷く怖い物語だったといわれたけれども、私には未だにそれが理解できない。
なぜ、彼女を恐れるのか私には理解できなかった。
カルミラを恐れる気持ちなんてちっとも理解できない。
そして、死を恐れる気持ちが理解できなかった。
カルミラはきちんと私たちに教えてくれている。
生きることは、すなわち食べることだと。
死を恐れる人たちは、もしかしたら飢えることに怯えているのかもしれないと、近頃は考えるようになった。
食欲というのは自分では抑えることのできない衝動だと感じている。食べなければ生命は終わる。すなわち生きることは食べることそのものだ。
食べたものはそのまま自分自身になる。つまり私になるのだ。
どういうわけか、動くものを見ると腹が減る。
お母さんは、近所のペロちゃんは可愛いというけれど、私はあのヨークシャテリアがおいしそうに見える。いつか食べたいと常日頃から考えている。
学校で飼っていたアヒルの卵は何度か食べたことがあるけれど、未だにアヒル本体を食べるチャンスがない。
お腹が空いた。
昨日蛇を食べた。
予想以上に淡白でおいしかった。
動くものなら何でもいいような気がしてきた。
鼠を食べたこともある。
意外と脂っこかったが食べられないことはない味だ。
蜘蛛も食べたことはあるけれど、あれでは食べた気がしない。
もっと大きなものが食べたい。
そう考えたとき、すれ違った猫を捕まえていた。
これも食べられるかもしれない。
動物の皮を剥ぐのは少し面倒だけれど、コツを掴めば難しくは無い。
滴る血は美しい。
この美しいものが私を生かすのだと知ればいっそう愛おしく感じられる。
血液には魔力があるのかもしれないとさえ思う。
断末魔の悲鳴も愛おしく、永遠にその響きを刻みつけたい。
おいしい。
私を生かす命の味が広がる。
けれども、私の中の飢えは治まることがない。
むしろ、食べれば食べただけ、更にもっとと欲してしまう。
もっと食べたい。
私はその命によって生き永らえる。
そもそも生物にとって必要な行為だ。決して責められる事ではない。
私はただ、生きるための食事をしているだけなのだから。
帰り道、ヨークシャテリアのペロと目が合う。
生意気にも私に威嚇しているようだ。
飼い主の佐々木夫人は居ない。
ペロが一匹で居る。
お・い・し・そ・う
気づけば涎が垂れていた。
ゆっくりとペロに近づく。
日に日に食欲が増えているのは気づいていた。
けれど、今日はいつも以上にお腹が空く。
どうしてだろう。
食べれば食べた分だけ。いや、それ以上に強い強い空腹を感じる。
ペロを捕まえれば逃げ出そうともがく。
必死に私を噛もうとしていたけれど、所詮は小型犬だ。
一捻り。
最早私には食材にしか見えない。
生で食べるのも悪くないけれど、じっくり煮込むのも悪くない。
半分、今食べて、残りは帰ってから調理しようか。
そう考えながら、犬の皮を剥ぐ。
あかあかがおいしそうなにおいを醸し出していた。
肉塊をコンビニのビニール袋に押し込んで、真っ直ぐ家に向かう。
片手で、ひとかけら口に押し込み、その赤を味わう。
命を口にすると、何故かほっとする。
しかし、それと同時に不安になる。
食べ終わってしまう。
食べ終えたらどうしたらいいのかわからない。もっとずっと食べていたい。もっと別なものを確保しないといけない。
少し前まで、それはスナック菓子やチョコレートだった。お母さんにいつも「あんた食べすぎじゃないの? 太るわよ」なんて言われていたけれど、身長も体重も標準未満だ。
けれど、常に空腹。
授業中にお腹が空きすぎてハンカチをかじっているのはいつものことだ。
冷蔵庫を漁り生肉のパックを引きちぎるように開けてそのまま齧り付く。ごくりと咽を通る塊。滴る赤い液。
寧ろこの赤が重要なのではないかとさえ思えるほど愛おしい感覚。
口の中に押し込めば、とくりと自分の鼓動を感じる気がする。
食べることは生きること。食べている瞬間こそ生きていると自覚できる。
もっと、もっと食べたい。
手当たり次第に冷蔵庫の中身をひっくり返し胃に収めていく。
最早味などわからない。もっと濃厚な、酔いしれるようなあの味が欲しい。
そう、肉が食べたい。もっと何か肉が。
そう考えたとき、物音がする。
ゆっくりと振り向く。
「あら、帰ってたの。冷蔵庫なんて開けて卑しい子だね。そんなんだからぶくぶく太るんだよ」
おいしそうな、丸々と太った獲物の声。
「ちょっと、聞いてるの?」
「いただきます」
「え?」
獲物の咽元に喰らいつく。
鮮血が滴る。
獲物が何かもがいているような気がするけれど、そんなことはどうでもいい。
ただ、お腹が空いた。
そのことしか考えられない。




