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貧乏女子大生、空腹すぎて都市伝説を捕食する

作者: SAIKAI
掲載日:2026/02/16

 グゥゥゥゥ……。


 深夜二時。東京の片隅にある築四十年の木造アパートの一室で、地獄の釜が開くような音が響いた。それは悪霊の呻き声ではない。女子大生、稲葉泊里いなばとまりの腹の虫である。


「……限界だ」


 泊里は天井のシミを見つめながら呟いた。


 彼女の胃袋はブラックホールだ。食べても食べても満たされないごうを背負っている。それなのに、今の彼女の財布の中身は三百円。これではブラックホールに投げ込む塵芥ちりあくたさえ買えない。


 文芸部の活動費、教科書代、そして何より食費。


 普通のバイトでは追いつかない。もっと、こう、短時間で高額な、あぶく銭が必要なのだ。


 彼女はスマホの画面をスワイプした。SNSの裏垢で流れてきた、怪しげな求人広告。


『急募!【都市伝説倶楽部】調査アシスタント。日給三万円(手渡し)。経験不問。ただし、常識を捨てられる者に限る』


 怪しい。あまりにも怪しい。

 

 昨今、普通なら「臓器を持っていかれる」と警戒する案件だ。トー横キッズやインフルエンサーがカンボジアに送られた話は記憶に新しい。

 

 だが、泊里の脳裏には、三万円分の焼肉、寿司、ラーメンの映像が走馬灯のように駆け巡った。



「……常識なら、しかし食欲の前では無力ぅ」



 彼女は迷わず「応募する」のボタンを押した。


 それが、彼女とあの男――天神あまがみやしろとの、奇妙な日々の始まりだった。


        ◆


 指定された住所は、世田谷区の外れにある「天神コーポ」というボロアパートだった。


 外壁は蔦に覆われ、郵便受けはガムテープで補修されている。まさに都市伝説が生まれそうな佇まいだ。


 泊里は202号室のチャイムを鳴らした。


「……入れ。鍵は開いている」


 インターホン越しに、低く、落ち着いた男の声が響く。


 ガチャリ、とドアを開ける。


 部屋の中は、薄暗かった。


 遮光カーテンが閉め切られ、部屋の四隅には盛り塩ならぬ「盛り砂糖」が置かれている(砂糖の袋が散乱している)。壁一面には「口裂け女の逃走ルート」「人面犬の目撃地点」などが赤い糸で繋がれた古地図が貼られ、まるで刑事ドラマの捜査本部のようだ。


 その中心にある革張りのソファ(所々破れている)に、一人の男が脚を組んで座っていた。


 黒のタートルネックに、ヨレヨレのトレンチコート。無精髭を生やした彫りの深い顔立ち。手には分厚い洋書を持ち、部屋の中でサングラスをかけている。


「ようこそ、真実の境界線へ。……待っていたよ、アレクサンダーくん」


 男は本を閉じ、サングラスを指で押し上げた。


 カッコつけているが、足元は健康サンダルだ。


「稲葉です。あの、ここ靴脱ぐんですか?」


「土足で構わない。この部屋は既に『結界』の内側だ。常識的なマナーなど、霊的磁場の前では無意味だからね」


 男は立ち上がり、大げさな仕草で手を広げた。


「我が名は天神やしろ。この世の闇に葬られた都市伝説を『採集』し、ファイリングすることを生業とする者だ」


「生業って、儲かるんですか?」


「金?フッ……愚問だな。真実の探求に値段はつけられない。……まあ、家賃収入が主な収入源だが」


「大家さんなんですね」


 泊里は部屋を見渡した。


 本棚にはオカルト雑誌と民俗学の専門書がびっしり。机の上には怪しげな護符や、通販で買ったとおぼしき「ダウジングロッド」が散乱している。


「単刀直入に言おう。今回、君に依頼したいのは『花子さん』の捕獲だ」


「捕獲?」


「そうだ。近年、都市伝説はネットの海を漂い、急速な進化を遂げている。もはや『トイレにいる幽霊』ではない。彼女は人々の恐怖を統べる、絶対的な『女王』へと変貌した」


 やしろは机の引き出しから、一枚の写真を取り出した。


 心霊写真のようだが、トイレの個室に赤い光が写っているだけだ。


「これが先日、私が命がけで撮影した『ネオ・ハナコ』の影だ。……美しいだろう?」


「ただの赤ランプに見えますけど」


「君にはそう見えるか。だが、私には聞こえるのだよ。彼女の冷徹な支配の足音が……」


 やしろは陶酔したように天井を仰いだ。


 この人、面倒くさいタイプだ。泊里は直感した。


「で、三万円もらえるなら何でもいいです。具体的に何をすれば?」


「これを持ってくれ」


 やしろが渡してきたのは、重厚な金属製のケースに入った物体だった。


 開けると、中には「業務用の掃除機」が入っていた。ただし、ホースの先端にはお札が何枚も貼られ、数珠がぐるぐると巻き付けられている。


「これは?」


「『バキューム・エクソシスト初号機』だ。ダイソンの吸引力とお祓いの霊力を融合させた、対・都市伝説用決戦兵器だ」


「……掃除機ですよね?」


「兵器だ。君はこれを背負い、花子さんが現れた瞬間にスイッチを入れる係だ。私は後方から、その様子をビデオカメラで記録しつつ、詩的な実況解説を行う」


「つまり私は囮兼、掃除係ですか」


「人聞きが悪いな。『パートナー』と呼んでくれたまえ」


 泊里はため息をついた。だが、背に腹は代えられない。三万円があれば、駅前の焼肉食べ放題に十回行ける。


「わかりました。行きましょう、オーナー」


「フッ……オーナーはやめてくれ。『プロフェッサー』と呼べ」


「はいオーナー」


「うぉい!」


        ◆


 深夜一時。二人は廃校となった「旧・赤塚小学校」の前に立っていた。


 錆びついた校門、割れた窓ガラス。湿った風が肌を撫でる。


「……感じる」


 やしろがトレンチコートの襟を立て、険しい顔で校舎を睨んだ。


「この濃密な湿度……。霊たちが歓迎の宴を開いているようだ」


「雨上がりだからじゃないですか?」


「君はロマンがないな。……行くぞ」


 二人は校舎内へ侵入した。


 カビ臭い廊下を歩く。やしろは懐中電灯で足元を照らしながら、一歩進むごとに何かをメモ帳に書き留めている。「廊下のシミ、人の顔に見える(要検証)」「ラップ音、二回確認(恐らく配管ではない)」などとブツブツ言っている。


 泊里は背負った掃除機の重さに辟易していた。そして何より、空腹だった。さっきから廊下の壁のシミが霜降り肉に見え始めている。


「ここだ」


 三階の女子トイレ。


 ドアのない入り口からは、深い闇が覗いている。


 ここだけ、明らかに空気が違った。肌にまとわりつくような、冷たく、そしてどこか高貴な気配。


「……稲葉くん。プランBだ」


「プランAは何だったんですか」


「私が先陣を切る予定だったが、この瘴気は予想以上だ。私の繊細な霊感アンテナがショートする恐れがある」


 やしろはビデオカメラを構え、一歩下がった。


「君が先に行け。私はここから、君の勇姿を後世に残す」


「ビビってるだけですよね」


 泊里は呆れながら、トイレの中へと足を踏み入れた。


 一番手前、開いている。


 二番目、開いている。


 三番目――閉まっている。


 赤い落書きだらけの個室。


 泊里は掃除機のノズルを構えた。


(さっさと終わらせて、牛丼特盛……いや、特盛二杯……)



 コン、コン、コン。



 乾いたノックの音が響く。


「花子さん、遊びましょ」


 一瞬の静寂。

 

 ――キィィィィ……。


 ゆっくりと、重々しくドアが開いた。


 そこには、異様な光景が広がっていた。


 ただの薄汚れた個室のはずなのに、そこだけ空間が歪み、まるで宮殿のような深紅のカーペットと、黄金の玉座(便器)が見える。


 そして、その玉座に足を組んで座る、一人の少女がいた。


 おかっぱ頭に、赤い吊りスカート。ここまでは普通の花子さんだ。


 だが、その瞳は氷のように冷たく、見下すような光を宿していた。


「……無礼者が。誰の許可を得て、わたくしの聖域をノックしているのですか?」


 少女――花子さんは、手にした扇子(なぜかトイレットペーパー製ではない)で口元を隠し、冷ややかな視線を泊里に向けた。


「身の程を知りなさい、下等生物。……不愉快ですわ」


 その瞬間、トイレ全体の空気が凍りついた。


 圧倒的なプレッシャー。


 それは恐怖というより、「格の違い」を見せつけられるような精神的重圧だった。


「す、凄い……!」


 後方でやしろが震えている。


「あれこそネオ・ハナコ……!『怪異の女王』クラスだ!あの見下すような視線、ゾクゾクするほどエレガントだぁ!」


「喜んでないで助けてくださいよ!」


 泊里が叫ぶと、花子さんはフッと鼻で笑った。


「助け?無駄ですわ。貴方たちがここから生きて帰れる確率は、わたくしの計算ではゼロに等しい。恐怖に歪む顔を見せなさい。それが、わたくしへの唯一の貢物です」


 花子さんが指をパチンと鳴らすと、個室の壁から無数の黒い手が伸び、泊里の退路を塞いだ。


「さあ、跪きなさい。そして、己の無力さを嘆きながら、わたくしの養分となりなさい」


 完璧なまでの支配。


 普通の人間なら、この高圧的な態度と超常現象の前にひれ伏していただろう。


 だが、泊里は違った。


 グゥゥゥゥ……。


 泊里の腹の虫が、女王の嘲笑を遮るように鳴り響いた。


「……え?」


 花子さんの優雅な眉がピクリと動いた。


「な、何ですの今の音は。……まさか、この神聖な場で空腹を訴えるなど、品性下劣にも程がありますわよ」


「……ねえ、オーナー」


 泊里は花子さんの言葉を無視し、後ろのやしろに話しかけた。


 その目は、獲物を狙う獣のようにギラギラと輝いている。


「あいつ、すごく……美味しそうに見えませんか?」


「は?」


 やしろと花子さんの声が重なった。


「見てください、あのツヤツヤした赤いスカート。まるで最高級のイチゴ飴……いや、ザクロのジュレみたいだ」


「なっ、何を……」


 花子さんがたじろぐ。泊里は一歩踏み出した。


「それに、あの透き通るような白い肌。あれはきっと、極上の求肥ぎゅうひだわ。中にはきっと、甘いあんこが詰まってる」


 泊里の脳内で、ネオ・ハナコという「恐怖の女王」は、「最高級和菓子セット」へと変換されていた。


 空腹ってのは、理性を普通に踏み潰してくる。マジで。


 彼女にとって、目の前の存在は「怪異」ではなく「カロリー」だった。


「ちょ、ちょっと待ちなさい!貴方、わたくしを何だと思っていますの!?わたくしはトイレの支配者、第三個室の絶対君主ですわよ!?」


 花子さんの余裕が崩れた。計算外だ。彼女の勝利の方程式に、「捕食対象として見られる」というパターンなんて存在しなかった。そりゃそうだ。


「あ、あっちへお行きなさい!不潔!野蛮!わたくしに触れていいのは選ばれた人間だけ……」


「いただきます!!」


 泊里が飛びかかった。


 背負っていた掃除機を投げ捨て、素手で花子さんの「概念」へと掴みかかる。


「きゃあああああ!離しなさい!えっち!すけべ!へんたい!わたくしのスカートは特注品……ギャアア!」


 ガブッ!!


 泊里の歯が、花子さんの霊体に突き刺さった。


「んんっ!……思ってたより上品な味!イチゴじゃない、これは高級ラズベリーの風味!」


「痛い!痛いですわ!物理的には効かないはずなのに、精神的ダメージが甚大ですわ!……というか減ってますわ私の霊子が!」


 花子さんはパニックに陥った。


 彼女の武器である「知的な支配」も「高圧的な態度」も、空腹の野獣の前では無力だった。


「わ、わたくしを誰だと思って……ヒィッ!二口目!?野蛮人!けだもの!義務教育の敗北ですわーッ!」


 花子さんは涙目になりながら、トイレのタンクの中へ逃げ込もうとする。


 だが、泊里は逃がさない。


「逃げるな。食べ残しはマナー違反だ」


「マナー違反は貴方ですわよーッ!!」


 泊里はタンクに頭を突っ込み、花子さんの足を掴んで引きずり出した。


 そして、まるで高級フレンチを堪能するように、怪異を「コース料理」として平らげていく。


 後方でカメラを回していたやしろは、口をあんぐりと開けていた。


「……信じられん。彼女は、霊的ヒエラルキーの頂点に立つ女王を、ただの『甘味』として認識し、概念ごと消化しているのか……?こ、これが新人類ニュータイプの力……!」



 十分後。



 そこには、満足げに手を合わせる泊里と、完全に消滅した花子さんの残滓(キラキラした金粉のようなもの)だけがあった。


「ごちそうさまでした。……ちょっと上品すぎて、食べ応えが足りなかったかな」


 泊里はペロリと唇を舐めた。


「……君は、何者だ?」


 やしろが恐る恐る近づいてくる。


 泊里はケロッとして答えた。


「女子大生です。……さあオーナー、仕事は終わりましたよ。焼肉です。これはデザートにしかなりませんでしたから」


        ◆


 朝日が昇る頃、二人は駅前の焼肉屋にいた。


 網の上では、上カルビが景気のいい音を立てている。


「……ふむ。君の胃袋は異次元に繋がっているのかもしれないな」


 やしろはトレンチコートを脱ぎ、メモ帳に必死に何かを書き込んでいた。「被験者イナバ、怪異を捕食。味は高級ラズベリー」などと書かれている。


「異次元じゃありません。失礼です。ぷんぷん」


 泊里は白飯をかき込みながら言った。


「しかし、驚いたよ。君のような逸材が埋もれていたとは。……これなら、『テケテケ』の高速移動も、『人面犬』の噛みつきも、君なら完食できるかもしれん」


「食べ物扱いしないでください。……でおいくらですか?」


 泊里が手を出すと、やしろは封筒を差し出した。


 三万円。


 そして、もう一封。


「これは契約金だ。君を『都市伝説倶楽部』の特別顧問兼、美食ハンターとして正式にスカウトしたい」


「美食じゃありません」


「次は『口裂け女』だ。彼女のポマード漬けの髪が、君の舌に合うか検証したい」


 泊里は肉を飲み込み、封筒の中身を確認した。厚い。五万円はある。これがあれば、来週発売の期間限定パフェが全種類買える。


 彼女はため息をつき、新しい肉を網に乗せた。


「……条件があります」


「なんだね?」


「次は口直しのシャーベットを持参します。あと、掃除機はもう背負いませんからね」


「フッ……交渉成立だ、パートナー」


 やしろは満足げにサングラスをかけ直した(店内なのに)。


 稲葉泊里の奇妙なバイト生活は、どうやらもう少し続きそうである。都市伝説が尽きるか、彼女の胃袋が満たされるか。

 

 勝負の行方は、まだ誰にも分からない。

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