8.母の願いだから
あれから3日間。ひたすらにベッドの住人でした。
「ナタリー。今日はさすがにお風呂に入らせて。体が腐るわ」
「ちゃんと拭いていましたから腐りません。
マルクさんに魔法も掛けて貰っていたではありませんか」
そしてナタリーが過保護になりました。
まあ、こんなにも寝込んだのは初めてだから仕方がないのかしら。
それと、マルクはとっても有能でした。彼は浄化魔法が使えたのです。
洗浄魔法とは、表皮の汚れを落として清潔に保つ魔法です。ようするにお風呂の代わりですね。
遠征が多い騎士や冒険者達がよく使う魔法なのですって。
私も今後のために習得しようと心に誓いました。だって、お風呂に入れないって苦痛ですもの。
「今日は魔法塔のエルフェ様がいらっしゃるのよ?失礼があっては困るから」
「……分かりました。具合が悪いと思ったらすぐに教えてくださいね」
「うん」
「絶対ですよ?」
そしてナタリーの私への信用がちょっと無くなったみたいで悲しい。
「お嬢様、お運びいたします」
マルクは私の移動手段では無かったはずなのですが。どうしてすぐに抱えて行こうとするのでしょう。
「大丈夫。少しは動かないと筋肉が萎えちゃうわ」
「では、私に掴まってください。4日も動いていなかったのですから危ないです」
マルクの言葉は本当でした。
何だか足がぷるぷるします。寝込むのは本当に駄目だと実感しました。
「今日からお散歩するわ」
「そうですね。子どもは元気が一番です」
彼の中の子供とはかなり腕白そうですね。
「淑女と元気は相容れないと思うの」
「では、健康的な淑女を目ざしましょう」
「ぷはっ!何それ!」
何だか久しぶりに笑った気がします。
「あなた達がいてくれて本当によかった」
「むぅ、ぽっと出のマルクさんが私と同列なんですかぁ?」
あら、ナタリーがむくれています。
「だってほら、あの時話した理想の、」
「寡黙な騎士様よ」「……忠実な犬?」
ナタリーと同時に思い浮かべたものはお互いの理想の人物像です。改めて聞くと、忠実な犬ってどうかと思うわね。
「……なんですか、今のは」
マルクが訝しげにこちらを見ています。犬という単語が良くなかったのかも。
「乙女の会話には口を挟んでは駄目よ?」
「……承知いたしました」
お風呂は天国。二度と手放さないわ。
やはり魔法は万能では無いのだと実感しました。この充足感は洗浄魔法だけでは味わえないもの。
◇◇◇
「改めてご挨拶を。ブランシュ・ノディエと申します」
今度はきちんとカーテシーでの挨拶です。
萎えた筋肉のせいでスカートの中では足がぷるぷるですが、そんなことはおくびにも出しません。
「では私もだね。シルヴァン・エルフェだ」
「はい。魔法塔教育学部主任ですわね」
「ちゃんと覚えていたか、えらいな」
この程度のことで褒められるのはどうなの。紫紺の瞳が優しく見つめてくるのが面映い。
「早速だが今回の事件のことを話そう」
「はい、お願いします」
今回問題になったのは、私という魔法未習得者であり、さらには9歳という子供に魔法を使うことを強要したことが一番大きな事案だったそうです。
ただ、夫人はおまじないとして少しでもミュリエルが楽になればという程度の気持ちであって、まさか魔力回路のリンク治療を行うとは思わなかったという行き違いがあったことも考慮されているみたい。
「確認なのだが、夫人に何を頼まれたのかもう一度教えてくれるか」
「はい。最初はミュリエルを助けて欲しいと言われました。ですが、医師でも無い私には無理だと伝えると、あなたは治癒魔法が使えるだろうと言われました」
「……治癒魔法と言ったのですね?」
「はい。それは、ここにいるマルクとナタリーも聞いています」
マルク達に視線を向ければ、
「はい、間違いありません。私はあの日初めてブランシュお嬢様にお会いしました。まだこのようにお小さく、魔法など習っていないはずなのに、奥様は何を言っているのだろうと驚愕いたしました」
「……初めて会っただと?」
「はい。私はこのノディエ家に勤めて9年半になりますが、お嬢様が本館にお越しになったことは一度もありません。ですので、別館にお住まいなのは知っておりましたが、お姿を見たのは初めてでした」
あら、マルクったらいい仕事をするわね。
さり気なく私が別館で育てられたことを暴露するだなんて。
「……君だけがこの別館で暮らしているのか」
「一人ではありません。使用人達がいてくれています」
「ご家族は?」
「父と母が年に数回訪問してくれていました。
兄達に会ったのは先日が初めてで、妹がいることは噂では聞いていましたが、治療の際に初めて両親から聞きました」
「妹がいることを知らなかったのか?!」
「ん~、一応は家庭教師からは聞きましたよ?魔力過多症で可哀想だと言っていたので、いつの間に妹が生まれていたのかと驚いたんです」
エルフェ様が凄いお顔になっています。あれが青筋と言うものなのでしょうか?せっかくのお綺麗なお顔が台無しですね。
「……それでリンク治療を知っていたのか」
「はい。魔力過多症の治療法が気になって調べました。近い血縁者なら可能だと書いてありましたので、どうして両親は行わないのだろうと不思議に思っていました」
「それは」
「双方に命の危険があるから、ですよね?」
「……知っていて行ったのか」
もちろん知っていたわ。ちゃんと勉強したもの。でも、仕方がないじゃない?
「だってお母様にお願いされましたから」
そうです。健気な娘は、母親の願いを叶えるために命を懸けてしまったのよ。