24.公爵夫人(2)
事実は1つなのに、見る人、それを体験した人によって真実は大きく変わってしまう。
お祖父様は正しく我が国の英雄で国民に愛されていて。でも、お祖母様にとっては簒奪者であり、敗戦国からしたら悪魔のような存在なのでしょう。
──では、お母様は?
「オレリーは私達のせいで男性不信だったわ」
「……お母様が?」
「あの子はあれでも勉強熱心だったの。それに、そばにはいないけれど英雄と呼ばれる父のことを知りたいと思ったのでしょうね。
最初は図書館で、そして、家庭教師に。でも、得られるのは上辺だけの評価でしょう?
あの子は公爵家の騎士達にも話を聞くようになって。ある下世話な話を耳にしてしまったのよ」
「下世話、ですか?」
チラリとマルクを見ると、これでもかと眉間にシワが寄っています。
「マルク。分かりやすい騎士の下世話な話を教えて」
「……戦場での男性特有の性的な問題ではないでしょうか」
ミュリエルの治療法を調べるために医学書にも目を通したから、男性の体の仕組みなどは理解しています。
でも、それと戦場にどんな関係があるのかよく分かりません。
男性特有の性的な……ああ、定期的に子種を放出しないといけないことかしら。
「人間は命の危機に瀕すると、子孫を残そうとする本能が高まると言われています。
あとは、人の体温に癒やしを求めたり……ですかね」
子孫を残す。ということは、一人での処理ではないということ?
……絶対にもっと悪い内容もあるわね?続きを言うようにと視線で促すと、マルクにしては珍しく、途轍もなく嫌そうな顔をして渋々口を開きました。
「……辛い現実から少しでも逃げるために女性との快楽に縋る者もいるのでしょう」
「かいらく」
「ブランシュ。それ以上は可哀想ですよ」
「はい…、あ、マルクありがとう。でも、要するに不貞があったということですか?」
「さあ。戦場に娼婦が来ることがあることは私も聞いたことがあります。ですが、あの男が利用していたかどうかは知りませんし興味も無いわ。
とりあえず、愛人や赤子を連れ帰っては来なかったから良しとしました」
「赤子……」
「…でも、オレリーはその話を聞いて、男は不潔だと吐き捨てていましたね」
それは仕方がないのかも。だってマルクに理由を聞いてもやっぱり嫌だなと思うもの。
常に死と隣り合わせの生活には必要だったと言われたらそれまでだけど、自分の父親が、それも英雄と呼ばれていて内心尊敬していたのであれば、余計にその反動は大きかったのかもしれません。
「あの子が13歳の時に、王太子殿下の婚約者候補になったわ。それは、英雄のために我が家を利用したことへの謝罪の意味もあったのでしょう」
「王家からの打診だったのですか」
「ええ。最終的には本人の資質を見て判断するため、ひとまずは候補とするのだと仰っていたわ」
勝手に岡惚れして、公爵家の力で婚約者候補に無理矢理ねじ込んでいたのかと思っていました。私の中でお母様のイメージが悪過ぎたと反省します。
「当時の王太子殿下は何というか、大変お美しかったわ。まだ少年の域を出たばかりで男性味が薄くて。あの子はすっかりと恋をしてしまったの」
「お祖父様とは正反対の方だったのですか」
「そうね。それが良かったのでしょう」
やっぱり何かがおかしいわ。
だって、コンスタンス様はお母様に苦労させられたと仰っていたのに、お祖母様の語るお母様は、勉強熱心で父親の裏切りに苦しみながらも、王家の采配で王子様の婚約者候補になり、運良く恋も芽生えた良識のある令嬢です。
その先には輝かしい未来しか見えないのに、一体何があったと言うの?
「婚約者選びで何があったのですか?」
お祖母様は一口紅茶を飲み、軽くため息を吐くと、忌々しそうに続きを話してくださいました。
「簡単なことです。王家の心変わりですよ」
「……王子殿下の、ではなく?」
「ブランシュ。王子が恋をしたからといって簡単に妻にできると思いますか?」
「でも、お二人は恋愛結婚だったと聞いておりますわ」
情報網はナタリーなので、平民やメイド達の間での知識にはなりますが、でも、家庭教師の先生だってそう教えてくださいました。
「恋愛感情はあったのかもしれません。ですが、それだけでは王子妃、後の王妃にはなれません。
知っていますか?彼女の家はまだ歴史も浅く、資産なども我が家とは比べるのも烏滸がましいほどに低い、伯爵家の中でも中堅程度の家でしかありませんでした」
確かに、英雄を生み出すために利用した公爵家を差し置いて、爵位の低い令嬢を恋心だけで妻に迎えるのは難しいのかも。
「では、どうやって伯爵令嬢は王太子の妻の座を得たのか。
それはあなたの兄が王都に留め置かれている理由と同じだと私は思っていますよ」
どうしてここでシルヴァン兄様の名前が出て来るの?
まさか──
「……魔力?」
「そうです。あの娘がオレリーより勝っていたのは、魔力量でした。グラティアとまではいきませんが、それでも、彼女は治癒魔法などの高度な魔法が使えたのです」
グラティアとは、魔法塔の最上位の魔法使いに与えられる称号のことです。現在は3人だけしかいないはず。
でも、それに近いほどとなれば王子妃としての資格を満たしたことになったのね。
「確かにオレリーは愚かだった。
選ばれなかったことを恨み、その娘を口撃していたのですから。でも、私はまるで自分を見ているようで、あまり強くは止められなかった。
私自身、我が家への謝意ではなかったのかと腹を立てていましたしね」
本当なら出来レースのはずだったのに、土壇場で仕掛けた本人達に潰されたのだ。怒るなと言う方がおかしいと、そう思っても仕方がない。
「あの子だって婚約者候補になってからの3年間、必死に努力していたのです。王子に相応しい女性になりたいから、と。
それを突然現れた、それも爵位の低い令嬢にその場を奪われ、笑顔でおめでとうと言えだなんて、どうして言えるかしら。
だって、これは契約のはずだった。
……確かに、正式に書面を交わしたわけではなかったもの。王家を信じてしまった私が甘かったのでしょう」
お母様もまだ16歳だったんだ。恋した王子を突然奪われて、婚約はやっぱり白紙だなんて、ダンドリュー公爵家の娘は何か呪われているのではないかと思えてしまうわ。




