2 女神が逆鱗に触れた
「わたし、『ユメイロブレンド』大好きなんですぅ〜」
──その瞬間、布団の中に沈んでいた俺の脳内で、警報が鳴り響いた。
直感が叫んでいた。
こいつ、ヤバい。
しかも、喋り方がもう致命的。
一発でわかる。これは絶対、無自覚に人の傷をえぐるタイプだ。
笑顔は満点、語尾はふにゃふにゃ。
でもこっちとしては、まるで戦車が笑いながら自宅に突っ込んできたような衝撃である。
……いや、てか、なんで天井から降ってきたんだ?
物理法則? 知らんのか? ここ、二階なんですけど?
──まあ、そこはもういい。今の問題はそんなことじゃない。
「……誰? 警察呼びますよ……?」
顔は愛らしいけど、目の前のこいつが何者なのかがわからない。
その不確定さが、一番怖い。
金髪、ふわふわワンピース、謎の光輪。
あまつさえ胸がでかい。
──見た目はどう見ても「女神です」って言ってる女が、俺の部屋のど真ん中に堂々と立っていた。
「あっ、申し遅れました。私、ユルディアという世界の女神をしているエリシアと申します。よろしくお願いねっ」
女神を名乗るエリシアは、満面の笑顔でぺこりとお辞儀してきた。
なんていうか、その……アホそう。
──いや、そうじゃない。
冷静になれ俺。落ち着いて整理しろ。
つまりこれは……異世界転移?
勇者に選ばれたとか? 魔王討伐? チート付与?
あ、普通に無理だわ。今そんな元気ない。ユメイロブレンドの傷、癒えてないんですけど。
あと、そもそも働きたくない。てかまず、布団から出たくない。
「実は、私もユメイロブレンドが大好きで……よかったら、お話したいと思いまして〜」
──あ、なんだ。異世界転移じゃなかったんだ。
なら、よかった。
……って、いやなんで俺なんだよ!?
女神様、選ぶ相手完全に間違えてない!?普通原作者のとこ行くだろ!?完成されたニートのとこに来るのは間違いだろ!
「いや、話すことなんてないんですけど……」
「まぁまぁ、そう言わずに! 最終話から5年たってますが……なかなかにいいラストでしたよね!
いきなり新キャラ出てきて混乱しちゃいましたけど、私はアユミちゃんに恋人ができてよかったと思いました〜!」
──その瞬間だった。
勝手に語り出した女神の言葉に、俺の中で理性のすべてが焼き尽くされた。
あ、こいつ殺そう。
「……なんつった?」
ゆっくりと身を起こす。
布団を払い、リモコンを手に取った。
エリシアは、そんな俺の殺気に気づくこともなく、にこにこと微笑んでいる。
──その笑顔、俺にとっては地獄の門番の顔にしか見えなかった。
「まさか……女神様……ユウト派?」
「え? もちろんですよ? “公式”が決めたカップルですし?ハッピーエンドだと思います!」
……脳が、フリーズした。
“公式”という名の鈍器が、俺の心に致命傷を与える。
ちょっと待て、何言ってんのこいつ。
お前、神なんだろ?
神なら、もうちょっと空気読めよ。
人の心、ないのか?
「ユイちゃんの……目線、わからなかったのか?」
俺は、声の震えを押し殺しながら問いかけた。
「図書室の窓際。アユミちゃんが“本読むのが好きだから”って笑ったあのシーン。
ユイちゃんは何も言わずに本を差し出したんだよ。
あの瞬間、二人の間に流れた空気……感じなかったのかよ……!」
「え〜? あれは“友情”ですよぉ〜? 女の子同士の、優しいやつ〜」
──優しいやつ、じゃねぇよ!!!!!!
もう、駄目だ。
俺の右手には、リモコン。
握りしめるだけで人は強くなれる。
これは剣。魂の槍。二人の少女を守るための意思表示。
「あんなモブ急に出しといて、いい最終回? ふざけんな! こちとらあんなの見せつけられてトラウマになったわ!」
「え、えぇ……そんなに怒らなくても……」
女神はしゅんとしながら、ぷくっと頬をふくらませた。
……いや、待て。
なんでこっちが悪いみたいな空気出してんの?
被害者、俺だからな!? あぁ、くそ!もう、こいつとはとにかく話したくない。
「とにかく、トロそうに見える女神様と話すことなんかないから。取り柄、でかい乳だけだろ? さっさと出てってくれ」
その瞬間──空気が変わった。
ピタリと、エリシアの動きが止まる。
「……酷い……それ、私が一番気にしてることなんですよ……?」
その声は震えていて、やけに静かで──怖かった。
あ、これはやばいのでは?
「え、いや、今のはその……勢いというか。
別に胸の話じゃなくて、もっとこう、思想のズレ的な──」
なんとかフォローしようとしたけど、もう遅い。
「わたし、ずっと言われてきたんです……
“神様なのにバランス悪い”とか、“知性より脂肪が勝ってる”とか……」
いや、そういう過去話出されると困るんだよ!!
急に重いの投げてくんなって!
「だから、優しい信者さんに語り合ってもらえると思って来たのに……ぐすっ……そんな風に思われてたなんて……」
──これが、“泣いてる奴が一番強い”理論である。
俺は、ただ震えながら布団を抱いた。
「……てか、そもそも神様が部屋に勝手に侵入してきて、布団の上で泣くってどういうこと?
こっちだって被害者なんだけど!?寝取られ被害者だからな!?」
「もう……もう許しませんっ!!」
エリシアは涙をぬぐって、くるりと背を向けた。
「あなたには異世界で、反省してもらいます!!」
は??? 理解不能すぎて耳がエラー起こしたんだけど?
それ、私情混ざってない? 神の特権乱用してるだろ?
「ユメイロブレンドの“公式派”に刃を向けたからですっ!!」
「思想弾圧じゃん!!!」
「そして、私の胸を侮辱しました……」
「いや、あれは“トロそう”な雰囲気の──ていうか、そんなに根に持つ!?」
まばゆい光が、部屋を呑み込む。
「待て待て、まだ話せばわかるって! 推しは推しでも解釈は自由で──!」
「さようならっ、天野レンさん! 異世界では働いて下さいねっ!ばーか、ばーか!無職!」
──おい、ふざけんな……
勝手に語って、事実言われたら異世界送り……? ふざけんな!
反射的に、俺は腕を伸ばした。
「だったら──お前も来い!!」
俺はエリシアの手首を掴んでいた。
驚いた顔のまま、彼女の体がぶるんと震える。
「……え?」
「事実言われて異世界に飛ばすとかふざけんな! お前も道連れだ!!」
「えっ……えっ、ちょっ、待って──いや私は転移対象じゃ──!」
エリシアがもがくが、遅い。
俺の手は離さない。5年間ニートを極めたオタクの握力、なめんな。
そして──
「うわああああああああああああああああああああ!!!」
「ちょっ、引っ張らないでぇえええええええええええええ!!!」
爆音と共に、二人そろって光の中に吸い込まれた。
そして──
異世界に、女神とアニオタニートが落ちた。