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prolog

 少年は忘れないだろう。右腕に感じた重みと、指先に感じた温もりの消失を。生命の流れ出る感触を。


「なんて顔、してるの……」


 微かな声が、少年の耳に届く。

 声の主は少年の右腕の中にいる女性だ。床に横たわり上半身を起こした女性の体を、少年は必死で支えていた。


「泣きそうよ、おまえ」


 頼りない少年の右腕に支えられたまま、女性は淡い笑みを浮かべた。

 流れ落ちる黄金の滝を彷彿とさせる金色(こんじき)の髪。どこまでも透き通るように白い肌。美しい女性だった。街を歩けば男が振り向かずにはいられない。そんな蠱惑的な女性だ。

 但し、深紅の瞳と、同じくらい赤く扇情的な唇から覗く牙さえなければだが。それは夜の眷属である証だ。


「これはおまえが望んだことでしょう?」


 少年は答えない。ただその瞳から雫がひとつ流れ落ちるのみだ。

 二人がいるのは廃墟と化した館の中だった。ほんの数時間前までは、石造りの立派な館だった。なのに今は見る影もない。

 崩れた天井から満月が見えた。太陽の光と違い、月光はすべてを優しく包むように照らす。廃墟も、そこにいる二人も。


 月明かりに照らし出された女性の胸には、大人の拳大(こぶしだい)の穴が穿たれていた。その穴は心臓をえぐり取られた痕だ。黒を基調としたドレスは所々焼け落ちていたが、胸の穴を除いて傷は見あたらない。ただ、心臓だけが欠けている。

 それでも絶命しないのは、夜の眷属の王たる吸血鬼故か。だが吸血鬼の力の源である心臓を奪われては、彼女を不死たらしめている強靱な回復力も働かない。


「おかしな子。誰よりもわたしの死を望んでいたのは、おまえでしょう?」


 そうだ。少年は目の前の女性の死を願った。たった一人の肉親である、最愛の姉をその牙にかけられた時から、少年はこの吸血鬼を憎んでいたはずだった。

 そして自ら仇をとるのだとこの一年間思い続け、同時に自分の力のなさを思い知らされてきた。

 少年は粗末な武器を手に、何度もこの吸血鬼へと挑んだ。だがそれ自体が退屈しのぎであるかのように、彼女は少年をあしらい続けた。猫が鼠をいたぶるように、でも決して命を奪わぬように。時には死にそうになった少年を助けさえもした。


 それは彼にとって屈辱だった。目の前で息絶えようとしている吸血鬼は仇であり、憎むべき対象だ。決して少年が好意を持つような対象ではない。

 なのに――

 吸血鬼はほっそりとした指を少年の左頬に這わせた。指はそのまま首筋を撫で左肩を掠めると、二の腕の半ばで止まった。


「っ!」


 少年の顔を苦痛に歪む。吸血鬼の指は少年の傷口に触れていた。二の腕の半ばで千切れてしまった、左腕の傷口。焼けて炭化した傷口に。


「莫迦な子」


 そう言って指は傷口を更に撫でる。


「くっ……っ」


 白く細い指が踊る度に、少年は苦痛に呻いた。彼女の爪が炭化した皮膚を引っ掻き、血が流れ出す。逃げもせず敢えて苦痛に身を晒しているのは、自ら招いたことへのせめてのも贖罪か。


「本当に莫迦な子。おまえごとき、あの魔術師に敵うわけなどないのに」


 指が離れた。白い指に赤色が、淫靡な液体のように絡みついている。苦痛から解放された少年の表情が和らいだ。

 血の絡まった指を、吸血鬼は自らの口元へと運ぶ。それから愛おしそうに口づけをすると、紅を()くかのように指で唇を彩った。形の良い唇の間から舌が現れ、血の赤をゆっくりと舐めとる。


「思ったとおりね。おまえの血は美味しいわ」


 死の際にありながらも、吸血鬼は恍惚とした表情を浮かべてみせた。深紅の瞳に妖しい光を湛えて少年を見つめる。


「じっくり味わってやろうと思っていたのに、これでお別れね」


 その言葉に少年の目が見開かれた。

 目に前の吸血鬼を間違いなく憎んでいた。身を焦がすほどの憎悪に。大切な者を失った悲しみに。さいなまれ、悩み続け、憎み続けていた。

 なのに――

 なぜ自分は悲しむのか。なぜ自ら呼び寄せたはずの吸血鬼の最期が嬉しくないのか。なぜこの吸血鬼を滅ぼすために魔術師を連れてきたことを後悔しているのか。なぜ自分は最後の最後で、吸血鬼を庇おうとしたのか。


「でも、おまえはわたしのものよ。誰にも渡さない」


 吸血鬼の指が、再び少年の頬に触れる。愛おしそうに頬を撫でる指。それは少年が大好きだった姉と同じ仕草で、優しく切なく。

 少年の瞳から涙が零れる。またひとりになるのだ。自分、ひとりに。


「可愛い子。おまえはわたしのもの。忘れさせないわ。永遠に――わたしをおまえに刻んであげる」


 その言葉は絶対。永遠の呪縛。牙で証をたてるよりもずっと強く、少年の心に打ち込まれる(くさび)

 そして想い。

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