2. オッドアイの白猫
兼六園でゆっくりとした時間を味わった晴継は、今度は深緑色の周遊バスに乗って橋場町で下車した。次の目的地は、ひがし茶屋街。こちらも金沢を代表する観光地である。
バスを降りた晴継は道なりに進んでいくと、大きな橋に差し掛かった。橋の床が石畳みたいで、街灯もレトロチックでオシャレだ。この橋は浅野川大橋で、橋の下と流れる川は浅野川だ。その緩やかな流れから、地元の人は“女川”と呼んでいる。反対に、金沢市内を流れる有名な川に犀川があるが、こちらは流れが急な事から“男川”と呼ばれている。
晴継が渡っている橋の左側にも、お茶屋さんの建物が並んでいる。一瞬「これがひがし茶屋街か」と思ったが、ちょっと規模が小さい。この一角は“主計町”で、“ひがし”“にし”と並んで金沢の三つの茶屋街の一つに挙げられる。浅野川沿いに趣ある街並みが並んでいるので、観光客にも人気のスポットだ。
浅野川大橋を渡り終えると……道路の向こう側に石造りのオシャレなレストランだったり歴史を感じさせる木造の薬屋さんがあったりと、なんだか雰囲気が少しだけ変わったのが晴継の目にも分かった。晴継が歩く側の方にもクラフトビールを出すお店や歴史を感じさせるお茶屋さんがあったり。
そして……『ひがし茶屋街』の交差点を渡ると、カラフルな石畳が目に入ってきた。この石畳の道を進んでいけば、目的地である“ひがし茶屋街”だ。
地鶏の卵を使ったカステラ屋さん、金箔を使ったお土産を取り扱うお店、焼き物を中心に土産物を売っているお店、和菓子を売っているお店……見ているとなんだかウキウキしてくる。ただ、兼六園の時もそうだったけれど、普通の住宅地から急に観光地! って感じになるのがなんだか不思議な気分。実際、お土産物屋さんが立ち並んでいる中に普通の家が混じっている。
そんな感じで歩いていると――開けた場所に到達した。ここから先が、俗に“ひがし茶屋街”と言われているエリアだ。
細い路地も幾つかあるが大きい道の方に進んでいくと、両側にずらりと茶屋が立ち並んでいる。先程の浅野川大橋もそうだが、街灯もレトロチックなもので統一されていて、街の雰囲気とマッチしている。
ここに並ぶ茶屋の建物全てが料亭だったり芸妓さんが住んでいる場所かなと思ったが、よくよく見てみると外観は茶屋だけど中はカフェだったり土産物屋さんだったりと、周囲の景観を損ねないよう配慮がなされていた。
カラフルな石畳、歴史ある街並み、遠くから聞こえてくる三味線の音。自然と晴継のテンションも上がり、スマホであちこち撮影する。他の観光客も着物を着て街並みを散策していたり、目抜き通りをバックに肩を並べてスマホで自撮りしたりしている。
「キャー!! カワイイー!!」
突然、近くから女性の歓声が上がった。晴継もその声に釣られてそちらを向くと……細い路地から一匹の白い三毛猫がゆったりと歩いてきた。スラリとした体躯、お団子のように丸い尻尾、そして一番の特徴は――左目は青・右目は黄色で両目の色がそれぞれ異なる、オッドアイ。
こんな歴史ある街並みに、高貴な雰囲気を醸し出すオッドアイの白猫がモデル顔負けのウォーキングをしていたら、皆の注目を集めるのは当然の事だ。周りに居た他の観光客も非常に珍しい猫の登場に、手持ちのスマホやカメラで撮影を始める。
晴継も同じように貴重な白猫を写真に収めようズボンのポケットからスマホを取り出そうとしたら……スマホと一緒のポケットに入れてあった家のカギが出した拍子に落っこちてしまった。地面に落ちた衝撃で、カギに付けてあった鈴がチリンと鳴る。
すると――鈴の音を聞いた白猫は、驚いたのかパニックになったのか、俊敏な動きで地面に落ちたカギを銜えると一目散に逃げ出してしまった!
「あ! 待って!」
流石に家のカギを持って行かれると困る。晴継は急いで白猫を追いかけるが、なかなかすばしっこいせいで姿を見失わないだけで精一杯だ。人混みをうまく避けながら、白猫は目抜き通りから裏の路地へと逃げていく。
十字路を曲がると、白猫は一軒の家の前でちょこんと座っていた。晴継を待っていたのか、それとも晴継があまりに遅いからおちょくっているのか。どちらにしても、じっとしているのなら好都合。一気に追いついて、カギを返してもらおう。
晴継が距離を詰めようと走り出した瞬間――白猫はカギを銜えたまま頭を大きく横へ振りかぶった。
(まさか……)
遠くに見える白猫の奇妙な行動に、嫌な予感がする晴継。
頼むから、やってくれるな。脳裏を掠めたものが現実にならないように心の中で願うが――。
白猫は頭を勢いよく振り上げると共に、銜えていたカギを口から放した。カギは放物線を描きながら、空いていた玄関の隙間を通って家の中に入っていってしまった。
「はぁ……」
図らずも嫌な予感が的中してしまい、嗟嘆の溜め息が漏れる。白猫は仕事が終わったとばかりに、また走り出して路地の裏に消えていった。
カギは玄関からかなり中に入った場所に落ちていた。これでは体を乗り出してこっそり取り出す事は出来ない。家主に事情を説明した上で、中に入らせてもらうしかない。
改めて、建物に目を移す。紅殻で統一された壁や出格子は、歴史を感じさせるお茶屋さん。しかし、格子の隙間から見える建物の内側はカウンターやテーブル、イスなどがあり、棚にはグラスやワインのボトルみたいな物が置かれている。見た感じ、高級レストランみたいだ。ただ、まだ営業前らしく人影は全くなくて少しホッとする。
玄関の引き戸の横に、“Trattoria・Gatto・Bianca”と書かれたプレートの看板が掛けられている。……店名からしてオシャレで、さらに気が引ける。
こんなラフな格好で入るのも億劫に思ったが、あのカギが無いと家に帰れない。晴継は意を決して、中に入る事にした。