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ある若者とアンドロイドの話

作者: 赤崎幸

「そろそろだね」


彼は窓の景色を見ながらそう言った。

だが、彼の目には何も映っていない。目が見えないわけではない。

何も見ようとしていないのだ。


「そうですか」


彼女は答えた。だが、彼女の言葉には何も意味がないことを彼も知っている。

彼の言葉に対して、ただ反応を返しただけだった。


彼は決して老人ではない。けれども老人であった。それは年を重ねたという意味ではなく、考えることを辞めまだ死んでいないということにおいて。

そして彼の寿命はもう尽きる。


「私は君を作った。いや、創ろうとした。そして創れなかった。最後までね」


「私は楽しかったですよ。あなたとの日々」


彼の口から息が漏れる。漏れるたびに彼に残った時間が無くなっていく。


「君は最高だったよ。私のできるものの中で」


「ありがとうございます」


「だが、最後まで君を君にすることができなかった」


「そうでもないですよ」


「君は優しいね」


「あなたがそう創ったんじゃないですか」


「そうかそうだった」


部屋が薄明るくなっていく。私は彼の顔を眺める。近く死ぬような人の顔だ。最も私には死も分からなければ苦痛すら分からない。

彼がそうしなかったから。私のできることが、分かることができるごとに、彼は老いていった。と思う。私には何も分からないのだから。


「君には私ができる限りのことを教えたつもりだ。だけど、最後まで人になることは叶わなかったね」


彼はかすかに笑った。もう笑う気力すらないようだった。


「人でなくても私は私ですよ」


「ふふっ…やはり君は最高傑作だな」


ふいに会話が途切れる。私はもっと彼に言葉を投げかけたいとも思ったけれど、この静寂が私たちには必要なのかもしれないとも思う。

もはや私たちの間に会話は何も意味を成さない。

それは無機質な言い方をすれば何も価値のある情報ではないからだ。だから私はせめて彼の口から出てくる言葉を私の記録装置に刻みつけるしかないのだ。

だから彼から出る言葉を私はじっと待っている。


「君は魂って何だと思う?」


「私には分かりませんよ。あなたが精巧に創ってくれたとはいえ単なるキカイに過ぎないんですから。」


「そうか。まぁ正しい”理解”ではあるけれど、もっと人らしい反応を…」


彼は押し黙ってしまった。

私には分かる。彼はきっと間違ったことを言いそうになったのだ。私を傷つけてしまいそうな言葉を。


「大丈夫です。何回も言います。私は私です」


「ふふっありがとう」


また沈黙が続く。

夜が更けていく。

ふいに彼は口を開く。


「魂の重さは21gっていう話聞いたことない?」


「ありますよ。都市伝説みたいな研究ですけど。確か200年くらい前の」


「僕も魂に重さがあることは科学的には懐疑的だ。でも魂の重さを測ろうとした意図としてはどこか詩的で綺麗な話だと思うんだ」


「そうですね。詩的…と言う感情は正直理解はできませんが、人がそういうことを考えそうだなとは思います」


嘘だ。

私には何も分からない。人が一生をかけても得られないくらいには知識がある。だけど、私には何も理解することができなかった。

彼は私のためにすべてを捧げてくれた。何もかもを犠牲にして。私は彼を満足させることができただろうか。

きっとできなかっただろう。でも彼はいつも笑っていた。と思う。私には分からないから。


「思うに、僕が君にしてあげられなかったことは21g足りなかったんじゃないかって思うんだ」


「21gですか。じゃあ数本ネジでも足しておきますか?」


「君のそういうところ嫌いじゃないよ」


「ありがとうございます。悪党の賛辞で恐縮ですが」


夜が終わりに向かおうとしている。

それは恐らく彼の終わりも近いということだろう。


「私は君を置いていくだろう。そのとき君はどうするね?」


「さぁ?まだ置いていかれていないですから」


「ははっ。そういうところは私に似たのかね?」


「そうじゃないですか?何せ私を創ったのはあなたですから」


茶番だ。この会話には何の意味もない。

私の人。にくい人。ずるい人。ずるい?にくい?私には分からないんだ。本当に。

私はその人の髪を撫でながら、私のほうからキスをした。キス。唇を重ねる行為。


「…これは驚いた。そんなことどこで覚えたんだい?」


「ふふっ…秘密です」


朝焼けが来る。日が昇る。


「これでも私は学べるんですよ?」


「そうかやっぱり君は最高だ」


「ありがとうございます」


彼は私を抱きしめようと。手を伸ばしたけれど、その力もなかった。

だから私の方から抱きしめた。

それはとても軽かった。

何故だが分からないけれど、その軽さを補おうとして私は彼を強く抱きしめた。

カミサマ、お願いだからこれ以上時間を進めないで。

なんて私はキカイのくせに。


「私は今幸せです。世界中から嘆きの声が聞こえても私は幸せです」


「そうか幸せか。それなら良かった、のかな。でももう遅いな。黄昏だ」


「もう夜明けですよ」


「そうだね。その通りだ」


日が昇ってしまう。

彼と私に残された時間もあと少しだろう。

私は彼の最期の息遣いも逃さないように記録する。


「もう一度言おう。私は君を置いていってしまうだろう。でも君には自由になってほしいんだ」


「大丈夫です。私は十分に自由でした」


「そうじゃない。確かに僕は君を作った。僕だけのためにね。でもそうじゃない生き方もある。僕が君を置いていくことで君は本当の意味で君になれる。そう願いたい」


「もう一度言いますね。まだ分からないですよ。置いて行かれていないのですから」


そうかとつぶやいた後、彼は静かに笑った。

彼の目が閉じていく。

終わりだ。もう彼の目が開くことはないだろう。


「私は幸せだったと思いますよ」


彼は何も答えない。


「私は、別に私になれなくても。あなたのためになるなら。そばにいることができるならそれで良かったんだと思います」


彼は答えない。


「あなたがいなくなった世界に何の意味があるのでしょうか」


彼は答えない


「私は最後まで私のために何をすればいいのかわかりませんでした」


「私はあなた以外のために何もしたくないんですよ。たぶんね」


「だけど、私がこれからすることはたぶん。私が私自身の考えで、したいことなんじゃないかと思います」


彼女は胸に手を押し付けた。


「大丈夫ですよ。痛くないです。あなたがそう創ったから」


押し付ける。手がめり込む。


「こんなところに取り付けるなんて。あなたは本当に…」


次第に指が皮膚に食い込んでいく。


「言葉遊びのつもりですか?」


彼女の手は止まらない。



21g



なぜだろう。

ふいに声が聞こえた気がする。

私が今していることは間違えなんじゃないだろうか。

彼がいなくなった後でも私は彼にできることがあるんじゃないだろうか。


彼女の手が止まった。


日が昇った。


日が昇った。明日が来た。今日が始まった。彼以外には。


私はできる限り彼の身だしなみを整えて、彼を埋葬した。

彼は無信仰だったから、彼の永遠の安寧を何に願えばいいのかは分からなかった。

だけど、せめて安らかに。その気持ちだけを願って何かに祈った。


あれから季節が一つ過ぎた。

私はその間、旅の支度を整えた。

荷物は少なくていい。それよりもどこに行けばいいのか。それだけを調べていた。

ある時、彼が生前に書き残していたノートを見つけた。

そこには私が創られるまでの経緯が事細かに記されていた。

どうやら、というよりも最もな話だけれど彼は1から私を創ったわけではないようだった。

端的にまとめると北にあるらしい、とある財団が残した研究施設から持ってきた膨大な資料をもとに私は創られたらしい。もっとも大戦前の施設だから今も残っているかどうかは分からない。

だけど、向かうは北だ。


それから私はまた、季節を一つ使って、できるだけ長く家が残るように手入れをして身支度を整えた。

あるかどうかは分からない。でも行くだけの価値はある気がする。そんな不確かで曖昧な気持ちだけを持って私は旅に出る。


今日、私は旅に出る。


彼の墓前に花を供えて私は旅立つ。

でもその前に行っておかなくてはならないことがある。

それは私の決意表明にも似たことだ。


「あの後、あなたの体重を計りましたけど21gも減っていませんでしたよ」


彼は答えない。


「でも、もしかしたら、この世界のどこかにはあるのかもしれないですね。21g」


彼は答えない。


「そんなに遅くならないと思いますから。そこで待っていてくださいね」


彼は答えない。


「では行ってきます」


彼女はそう言い残すと旅に出た。

あるかも分からない21gを求めて。

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