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カナブン  作者: 高田 朔実
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後半

 なんでこんなものが見えているのだろう。どこで間違えてしまったのだろうか。

 彼女のブログでこんな場面を読んだことがある気がして、記憶の中に探りを入れてみる。 本来であればプライベートな領域である頭の中だか心の中だかに、勝手に入り込んでくるよくわからないものたち。それらは彼女の代わりに、自由に思考を展開していた。勝手気ままに言いたいことを言って、ときには、勝手に行動に移した。彼女はただそれを、黙って正座して見ているしかなかった。そういうことは、ただの妄想や思い込みか、あるいは想像力が逞しいのだろう、くらいに思っていた。しかし、少なくとも今の私には、こういったものが見えてしまっている。私の場合はまだ、部屋の中を飛び回っているだけで、向き合われたり話しかけられるよりましではあるが。しかし私は、寝そべっているだけで、立ち上がって穴を塞ごうという気にはならない。現状に甘んじて解決策をとろうとしない。この状態も、今はまだ「なにもしない」の範疇にあるが、このまま放置しておけば、知らぬ間に「なにもできない」になっているのではないか。手遅れになる前に行動を起こすべきなのか。

 もしくは、私は期待でもしているのだろうか。そのうちあれらが、彼女を連れてくるのではないかと。しかし、連れて来られたところでなにを話すというのか。生きている間だって、話すことなどほとんどなかった。高校の仲間で集まったとき、彼女はなにを話していたのだろう。思い出そうとしても、静かに微笑んでいる様子しか浮かんでこない。

 彼女は、一度は正社員として就職したものの、数か月で退職することになった。退職後は、次々と職場を変えながらアルバイトを続けた。しかしどれも長くは続かず、徐々に引きこもるようになっていった。ブログにはそう書かれていたものの、みんなの前ではそんなことおくびにも出さなかった。そんな自分は少数派であることはわかっているし、少数派であるがゆえの珍しい話を面白おかしく笑って話す余裕は、もはや彼女にはなかった。二十代初期、あるいは半ばの、就職したばかりの若者たちの話題に上がるのは、九割がた職場の愚痴だった。昔はよかった、あのころは楽しかった、それに比べて今はねぇ。お金をもらう代償がこれだ、まったくやんなっちゃうよ、そんなことを言いながらもみんなどこか楽しそうだった。どこかに雇ってもらってくびになっていない、それだけで、自分は社会から必要とされていると思える。やってらんないけど、まあしょうがないよねという思いを共有できる。そんな中で、彼女だけは、その輪に入れない。

 高校生のころは、私よりも頭がよくて、笑うときの声も可愛くて、誰よりも敏感に周りの気配を察して立ち振る舞っていたというのに。どうしたらよかったのだろう。もう少し強ければよかったのだろうか。もう少し頭が悪ければよかったのだろうか。もう少し鈍感だったらよかったのだろうか。働き始めたら、周りに迷惑をかけるなんて当然で、気にしないのが社会でやっていくためのルールとでも言わんばかりの日々。同じことを別の人にも頼んでいたのに、すっかり忘れて私にもやらせて、一日がかりで準備していたら「あ、それもう終わってるよ」と言われる。頼んだ本人は「ごめん」の一言ですべて忘れる。そんな中、みんな上手にババを押しつけ合って、自分が最後にならないように、逃げるときだけは見事にやってのける。ババを引いたほうも、「ああ来ちゃったねえ」くらいの感覚で、特にショックを受けているようでもない。当初は戸惑っていた私も、ここでお金をもらい続けるためには、多かれ少なかれ、似たようなことをしないといけないとわかってきた。なんだかんだきれいごとを言いながら、私だって結局は同じ穴のムジナなのだ。だから辞めもせず、だらだらと勤め続けられるのだ。外部から見たらLさんとなんの違いがあるのだろう。私がやらなくたって誰かがやるんだ、と念仏のように唱えながら、灰色のバトンを回し続ける。確かに彼女は、そんな世界ではやっていけなかったかもしれない。「そんなのおかしいです」とはっきり言って、「じゃあいいよ、君、もう仲間じゃないから」と言われて、いにくくなって、辞めたかもしれない。あまりの愚かさに冷ややかな視線だけを残して去っていったかもしれない。事務処理能力や人を慮る気持ちなんて、二の次なのだ。一番必要とされるのは鈍感力だとしたら、たしかに、彼女にはそれが足りなかったと言えるのだろう。純粋なままで生きていかれるのなんて、せいぜい学生の間だけなのだ。

 彼女がいなくなってから、なんでそれが私じゃなかったのだろうと、しばらく考えた時期があった。それは私でもよかったはずだった。彼女がつつがなく大学に通っていたころ、私はなにもかもが嫌になって、アパートに引きこもっていた時期があった。日がな一日、六畳の部屋の中だけでときを過ごしていた。ほかにも自称引きこもりの知人がいたが、彼のアパートは、「引きこもりにしては娯楽のない部屋だ」と評されつつも、少なくともテレビとゲーム機があった。私の部屋にはテレビはなく、ラジオすら満足に聴けない状況だった。古本屋で数十円で買った文庫本の数々が小さい本棚一つ分置いてあるだけだった。いずれにせよ一日寝転んで、反故紙に殴り書きする値打ちもないような不平不満をちまちまと育てていただけだったのだから、娯楽なんて必要なかった。外部から入る情報といえば、ガラパゴス携帯を介してのものだけだった。それも常にサイレントモードにしていて、気が向いたときにメールを読んだり留守電を聞いたり無視したりしているだけで、外部と直接やりとりすることもなかった。そんな日々が一月ほど続いた。

 なんだかよくわからないうちに、新学期なんだから来なよ、と周りの人がそれとなく気を使ってくれて、いつの間にか学校に戻っていて、形式的に大学を卒業して、紹介で入った会社で働き始めていた。人手が足りずに困っているときだったので必要以上に優遇されて、そして少し慣れてくると、ここにい続けるためにはみんなの仲間に入らないといけないことがわかってきた。納得できなくても、とりあえず毎日人が集まるところに必ず溜まっていく黒いもやもやしたものを少しずつみんなで引き受けて、回していかないといけないことに気づいていった。それがあまりに自然に回っていたのか、タイミングがよかったのか、ずるいとか汚らしいと感じる隙もないくらいに、新しいことを覚えるのに必死で、会社に慣れるのに必死で、考えたり吟味したりする余裕もなくて、ただお金が欲しかった。引きこもっている間、ただ生きているだけでお金が消えていく状況を知って、恐ろしくなったのかもしれない。そうしてなぜだか私はまだ生きているのだ。もし私が必死になりながらも、感性を研ぎ澄ますことを忘れずにいたら、自尊心を失わないでいたら、同じようになっていたのではないか。彼女だったらこんな日々に甘んじてはいないはずだ。そんな彼女だから、私は常に負い目を感じ続けて、彼女のようになりたいと思ってみたりして、自分には無理だと悟って、妬むこともなかったとは言えなくて。理想であるかと思えば近づきたくない、そういう位置に、彼女はい続けた。そしてある日、忽然と消えた。

 いつの間に入ってきたのか、灯りの下では人魚が泳いでいる。そんなに大きくはない。池でぶらぶらしている鯉程度の大きさだ。仮面はつけていないので、直視すれば顔はわかりそうだが、見る気にならない。人魚のほうも、特に私を見ようとはしない。ベッドから彼らを見上げているだけなので、呼びかけない限り視線が交わることはない。

 人魚のお供でもしているのか、数匹のカラスアゲハの姿も見られる。半透明な翅は、透けて向こうが見えている。表面には、あの偏光パウダーを塗ったようなエメラルドグリーンのきらめきも見える。思わずこんな飾りが部屋にあったらほしいと思うような、きれいな物体だ。そう、物体であって、生き物のようには感じられない。これらはまるで映画のスクリーンでも見ているかのようで、実態があるように思えない。いつの間にか虫たちの羽音もしなくなっている。飛び方も、さっきよりもゆるりとしてきている。

目を閉じてしまえば、気配だって感じられないかもしれない。このまま時間の流れがおかしくなっていくのだろうか。私はどこへ連れていかれるのだろう。

 こんなのが部屋の中に普通にいて、見ているだけでも気分がいいとは言えないのに。彼女の場合にはこういうものたちが近寄ってきて、やることなすことに口出しして、だめ出ししていたのだとしたら、そんな生活、私だって耐えられそうにない。今だって、彼らは灯りに夢中だから私なんて眼中にないだけで、なにかの拍子で灯りが消えてしまったら、どうなるというのだ。我に返って、出て行ってくれればいいけれど、もし私に興味を持ってしまって、ちょっかい出してきたら、どうしていいかわからない。

 さらに恐ろしいのは、私がこの状況に早くも慣れてきてしまっていることだ。十分前はカナブンすらいなかったはずなのに、次はなにが現れるのだろうと、怯えながらもどこか楽しみですらある。

 最初のうちは新鮮でまあいいのかもしれないが、これが日常になったらどうなるのだろう。おそらく、彼女にはこれ以上のことが日々起きていて、逃げようがなかった。いつまで続くのか、どこまで続くのかわからなかった。一見終わりがないように見える日々の仕事も、「お疲れ様です」と言って職場を出れば、とりあえず追ってはこない。貯金は欠かしていないし、本当に嫌になったらいつでも辞められる。新たな職場のほうがいいところだという保証はないが、少なくとも今の状況からは逃げられる。しかし、自分の中にあるものからは逃げられない。

 ふと、私はなぜあの半透明の蝶を見てカラスアゲハを連想したのかと思い、はっとした。黒くもなんともないし、形だけで名称がわかるほど蝶に興味はないのにそういう発想が出たのには、理由があった。これらにそっくりな、白っぽい透明な素材でできた翅に偏光パウダーが塗してある、そうやって作られた蝶が四匹くらいついている、そんな飾りを以前見たことがあったからだった。いつのことだったか、みんなで遊んだ帰りに、駅ビルの雑貨屋さんをぶらぶらしていたときだった。彼女は立ち止まって、じっとそれを見ていた。私が近づくと気配を察して振り返り、笑顔を見せ、またその飾りに目を向けた。値札には、「カラスアゲハのモービル」と書かれたシールが貼られていた。もしかしてというべきか、やはりというべきか、人魚は彼女なのだろうか。そう思えば、そう思えなくもない。しかし、違うと思えば違って見える。こういうときは、呼び止めて、向かい合って、確かめるべきなのだろうか。

 きっと声をかけてしまったら、私も無傷のままではいられない。なにかが決定的に変わってしまうだろう。でも、確かめたい、話してみたい、今さらなにを話すのか、影が薄かった私のことなんて忘れているのではないか、それに生前の記憶なんてないかもしれない。もし違ったら単なる骨折り損になるかもしれなくて――なんでこの状況でそんなことをいちいち気にしているのだろう、無駄に終わったらそれに費やした労力が惜しいとでもいうのか、どれだけケチなんだ、でもやっぱり怖いし、人違いだったら気まずいし、どうしよう、どうしたものか――。

 そのとき、玄関のベルが鳴った。人魚も、カラスアゲハも、人面鳥もテントウムシも、一瞬にして消えた。

 なにかの勧誘だろうか。二度目のベルが鳴るが、寝巻きなので出られない。そもそもこんな時間にアポなしで来た人に対して、この物騒な世の中、誰が馬鹿正直に出るというのだ。

 しかし、彼らが姿を消したのは好都合かもしれない。このチャンスを逃すまいと、ベッドから床に下り、カナブンに手を差し伸べる。カナブンも実は疲れていたのか、すぐに手にとまる。逃げられないように、つぶさないように、軽く手の指を握り、カナブンを包み込む。それにしても警戒心がなさすぎる。握りつぶされたらどうするつもりなのか。まあカナブンは、最近の人間にはそんな根性などないことはわかっているのかもしれないが。

 ふと、このまま逃がさないで飼ってみてはどうかという考えが頭をよぎる。虫籠や、カブトムシ用の餌を買えば、しばらくの間死なせないで置いておけるかもしれない。

 飼ってどうするというのか。また変なものを呼ばれてしまうかもしれないのに。もしや、日を改めてもう一度今の光景を見てみたいだなんて、私はそんなことを考えているのだろうか。カナブンは私の手の中でじっと息を潜めている。こんなカナブンとだったら、うまくやっていけるかもしれないと思う。

 ドアの向こうにいる人が、今度は三度ノックをする。小さなアパートでは、そんなノックでさえも内蔵に振動が伝わるようだ。つい「やめてください」と出たくなってしまうが、油断してはいけない。出たら最後、なにを押しつけられるかわからない。

 三度のノックが再び繰り返される。私が出るまで続けるつもりなのかもしれないが、こういうことは当然ながら、待っていれば過ぎ去っていく。もし本当に宅急便の人だったら申し訳ないが、今ドアを開けるわけにはいかない。改めて、ちゃんとした時間に来てもらったほうがお互いのためだと思い、そのままにしておく。

 手の中を覗こうとすると、カナブンがむずむずし始めた。普段堅い木の幹や枝をつかんでいる手足は、弾力のある肌を踏むのは心もとないのか、落ち着かない様子だ。カナブンにとって、人の手の中は不快な場所なのだ。虫籠の中だってやはりそうだろう。偶然飛び込んできてしまったからといって、やはり私たちは一緒には暮らせない。

 窓辺へ行き、カーテンと網戸を開けて、ベランダにあるクチナシの木に、そっとカナブンをとまらせる。カナブンが小枝にしがみついて落ち着くのを見届けると、ガラス戸を閉めた。

 カーテンを閉めて振り返ると、いつの間にかノックの音も止んでいた。


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