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真昼の月  作者: 赤垣 源一郎
13/19

no one knows

さる薩摩人に案内されて、大村は刻限通りに現れた。西郷はその少し前に現れて着座で待っていた。

「大村さァとはこれまで腹を割って談ずる機会がなく残念なことでごわした。この際、一切の遠慮というものを棄てて語り合いとうごわす」

「それは結構ですが、ならばこのような贅沢は不要でありましたな。肴は豆腐が一丁あれば結構」

「ハ、こいは、不調法でごわした」

「まあ出されたものに手をつけぬほど不作法にはなれませぬゆえ頂くだけは頂きましょう。しかし今後は御無用に。戦費は決して潤沢ではござりませぬ」

もし周囲にひそむのが大隈ら佐賀人でなく薩摩人であったなら激怒したであろう。佐賀人たちは内心快哉を感じた。倒幕の最大派閥たる薩摩勢に対し反感を持つ他藩出身者は多いが、それを率直に口や態度に出せる者は居ない。いまのところ、こうも露骨に大西郷に対し言いたいことを言うのは大村ぐらいのものである。

しかし大隈は、短い付き合いながら、大村という男を多少なりとも知っているつもりである。それゆえ単に痛快がるだけの気にもならず複雑であった。

大村は西郷に対し、別に嫌味を言っているつもりはあるまい。単にものの道理を解いているだけであろう。これがたとえ西郷であってもなくても他の誰かであろうとも同じと思われる。しかし周囲はそうは思うまい。この空気を読まなさ、薩摩人でなくても、そのあたりを理解する者は決して多くないだろう。

ともあれ、西郷である。

襖の隙間から隣室をうかがう。大隈がが陣取った場所はたまたま大村の真後ろで、彼の背中と後頭部しか見えず表情は全くわからない。そのかわりその正面に座した西郷の貌は良く見えた。あいかわらずの柔和な微笑みを絶やさない。

大村が、こちらもあいかわらず、無愛想な声音でさて御用の向きはと問うた。

西郷は口元の微笑みを絶やさぬまま、えびす顔をこころもちひきしめ、おもむろに膳を横に退けた。

そして、その場に平伏する。

「大村さァ、ことを秘密裏にはこびたいお気持ちはこの西郷、重々わかり申す。しかしここはひとつ、この西郷を御信頼あってオイにのみ彰義隊討滅の日取をお教え願えませぬか」

畳に手をつき、深々と頭を垂れた。

(あほうめが、どう問おうが大村が答えるはずがあるまいに)

なぜそれがわからぬか、大隈は腹立たしい。

実際、大村は表情こそわからぬが、その後姿は寸分の変化も見せず声音も変わらず、

「決めておりませぬ」

「は?」

「これでお察し願えないお方には、たとえ決していてもお伝えは出来ませぬな」

(全くだ)

やはり人には向き不向きがある、西郷は政治の才こそ余人の追随を許さぬが、軍事の才は人並かそれ以下であろう。物事を一から十まで説明されねば理解出来ぬでは困ることも多いのである。これが軍事でなく政治であれば西郷もこんな間抜けな真似はすまい。

「オイを信用してはいただけぬとあらば、そいは是非もごわりもはんが。…」

惚れた女に振られでもしたような情けない顔である。これにほだされる者も多かろうが、大村はまるで動じた様子がないまま杯を傾けつつ、

「たとえば先刻私は貴藩の方に案内されてここへ来ましたが」

お誘いを受けた時にも周囲には多くの人がいた。つまり今あなたと私がこのように余人をまじえず二人きりで語り合っていることは多くの者が知っている。今この時期に東征軍でしかるべき地位にある者ふたりがそのように語り合うとなればさぞかし重要事項にかかわる話であろうとたれもが思うだろう。

「そして先刻まではまさに彰義隊総攻撃についての軍議が開かれていた。その直後の密談となれば、たとえ事実として違う話題であったとしても、総攻撃の日取に関する話であったと皆が思いましょう。たとえあなたが後々それを否定したとしても、聞く耳持たぬ者も多かろうと思います。そして憶測を語る」

総攻撃はいつか、3日後ではないか、いやあるいはひと月後ではないか、いやいや実は総攻撃はせず戦場を別の場に遷すのではないか、等々、人から人の口に伝わるうちに憶測がいつのまにか真実のようになる。末端の兵卒の耳に入るころにはそれが真実ということになっている。

そのうちに江戸市民や彰義隊員にも伝わる、市民はそれを信じて避難疎開し彰義隊も総攻撃に備えて準備をしよう、しかしそれが事実でなかったとするならさぞかし市中は混乱に陥るであろう。

「勝てる戦に、これが原因で負けるやもしれませぬ」

流言飛語とはそのようにして生まれるものだ、従って自分が未定と言ったものを敢えて詮索するような事は本来ならば厳に慎まねばならぬ、あなたのような高官ならばなおさらである。

「こ、こいは、オイが悪うごわした」

西郷は、今度は親に叱られた子供のような顔になった。

「まあ今更しかたがありますまい。あなたには後刻、いま私が申しあげた主張を残らず周囲の方々にお伝え頂きましょう、そうすれば混乱は起きてもなんとか最小限に済みましょう」

西郷にとってはまたも面目丸潰れの事態であるが、背に腹は変えられぬ。なによりも自業自得というものである。まだしも逆切れなどせず素直に誤りを認めるだけ有象無象どもより幾分ましであろうか。西郷の美点などその程度のものだ、などと大隈は辛辣なことを思った。

(しかし、西郷は一体なぜこんな愚問をわざわざ)

西郷は大きな身体をちぢこめて恐縮している。こうも徹底的にやりこめられるとまでは予想しなかっただろうが、それにしても総攻撃の日程など、聞いたところで大村がそう簡単に口を割るなどと本気で思ったのであろうか。

が、大村本人はと言えば、一体何を思ったか、

「それはそれとして、良い機会ですから私の方からも些か伺いたき儀がござる」

などと言い出した。

「は、それは構いもはんが、一体何でごわすか」

「大した事ではありませぬ。御陵衛士の一件にござる」

なにやら妙な方向に話が飛んだ。





西郷は無論のこと、隣室で盗み聞きをしている大隈も佐賀藩士たちも意味がわからず目を点にしている。

御陵衛士なる役職は、慶応3年に成立した。それ以前にはない。新設の役職なのは当然で、前年に薨去した孝明帝の陵墓を警護するのが表向きの任である。

当然ながら墓守などは口実であり、志士活動が本義であった。所属は朝廷であったから、つまりは倒幕側である。

この役職は、なんと新撰組をふたつに割って離脱してきた伊東甲子太郎一派のために創設されたのであった。

伊東一派は新撰組入隊後、弁舌と人格的魅力で確実に心酔者をふやしていたらしい。離脱時かれについて行った者は総勢15人程だったと言うが、のち御陵衛士に合流をめざしてさらに10名ほどの脱走者が出た。

放っておけば隊士を根こそぎ持って行かれてしまうと危惧したのであろう、しばらくのちに油小路の変で伊東はじめ大半の衛士が新撰組によって斬られて粛清された。組織としての御陵衛士は消滅したが、しかしさらに後、生き残り数名が新撰組局長近藤勇を狙撃する事件が起こる。近藤は肩の骨を撃ち砕かれる重傷で、ついに完治せず、この狙撃によって剣客生命を絶たれ、このことはもっと後、近藤が流山で投降した動機に至るとも言う。

尚、狙撃犯たる御陵衛士生き残りは新政府東征軍に合流している。流山で近藤の面体を確認したのは彼らであったと言う。



「この御陵衛士なる役職、貴藩の肝煎と仄聞したが、まことにござろうか」

大村は杯を重ねつつ、そう聞いた。

「ハア、それはマア、あるいはそうかも知りもはんが」

西郷は、戸惑っている。無理もあるまい。

とはいえ、大村の問いは、意図こそ意味不明なものの、それ自体はそうおかしなものではない。

真偽はともかくとして、多くの者は御陵衛士は薩摩の紐付きと認識していたのは事実である。慶応3年頃の朝廷にとって、薩摩藩は巨大な金主にほかならない。表向きはどうあれ朝廷直属の新設組織が出来たとなれば薩摩の手下と同義にとられても当然ではある。

徳川300年を通して京の公家と朝廷は徳川幕府により貧乏を強いられて来た。禄高はしごく低く抑えられ、下級の公家など副業に励まねば日々の米塩にも事欠くような生活であった。幕末になって唐突に朝廷尊しと持ち上げられ、薩長はじめ活動家たちがふんだんに金品を貢ぐようになったから、公家たちは金の出元に対しては言いなり同然であった。

無理からぬ事であろう。活動家たちはそれを最大限に利用して新時代を切り開いて来たのである。

ただし、それはそれとして、西郷は、彼自身の申告によれば、このころは別件の仕事が多忙で御陵衛士には全くかかわっていない、存在を知っているくらいだ、実際に薩摩藩が御陵衛士の実質的な後ろ盾になっていたのかどうかもわからぬ、仮にそうだったとしても自分はなにも知らぬ、とのこと。

これは、その通りであろう。そんな端下仕事の段取りを手ずからするほど当時の西郷は暇ではあるまい。

新撰組の離脱者などと言っても、そもそも新撰組がどれほど強かろうが、所詮は多い時でも総勢200名程度、京の街で警察権を与えられていたというだけの剣客集団である。局長近藤勇などは随分と政治に色気をみせていたらしいが、当人のやる気と周囲の評価は別問題で、まわりからは世辞にも相手にされてはおらず、そんな所から10人や20人が袂を別って来たからと言って大した事を知っているわけではないからそう大層な扱いはされない。かと言って他所に奔られても困るので、もっともらしい肩書きだけを与えて飼い殺しにしていたのが現実である。

実際、西郷はその御陵衛士なる者達がどげんしもしたか、と不思議そうである。

大村は、

―――弊藩の桂が。

と、幾松から伝え聞いた京脱出の際の談話を語って聞かせた。

無論、詳細は語らぬ。新撰組と伊東なにがしなる人物について、桂がこのように評価していた、という事を説明しただけである。

「なるほどさすがは桂ドンにごわすな。真っ事て卓見」

桂は、藩の後盾を持たぬ者が志士活動を通じて栄達を欲して奇計を弄すれば碌な末路を辿らぬ旨を説いていた。藩が頼りにならぬ境遇に生まれた不運は気の毒だが、所詮世の中は運も実力のうちである。時が経って伊東某は桂が予言した通りの最期を迎えた。

が、大村はさらに唐突に、

「仮の話ですが、これでもし、伊東某とその一派が早いうちに殺される事なく永らえたとしたら、薩摩としてはどのような仕事を与えましたか」

と、ますます意図のわからぬ奇妙な仮定の話を始めた。

「さて、難かしゅうごわすな。その時になってみないと何とも言えもはん」

それはそうだろう。西郷としてはそう答えるより他あるまい。

大村は、さようでござるか、と言って深く追及はしなかった。

ただ、その後ひと呼吸おいて、これは本当にありえぬ話ではありますが、と前置きをし、

「もし将来、仮に、わが新政府軍が敗北し、徳川幕府の天下が戻って来るような未来があったとして」

本当にそんな未来があってもらっては困るが、あくまで仮定の話だ、とし、

「その徳川の復権に、新撰組がどれほどの武功を挙げたとしても、彼らが厚遇されるようなことは決してありますまい」

と言った。

「ハア、それは何故でごわりもすかな」

西郷は困惑している。

が、襖一枚へだてて、大隈は僅かではあるが、なぜ大村がこんな話題を出したか、薄々察しがついて来た。

「彼らは、いまだに刀に固執しております」

大村いわく、新撰組も小銃は導入しているが、ただし戦法はやはり古い、小銃隊は切り込み部隊の援護が中心で、こんな戦法は戦国時代で終わっている、と言う。

「これは必ずしも旧幕勢力に限った話ではありません。おこがましい話をするようですが、我が長州に於いても、ほかならぬ私自身が随分苦労致しました」

近代軍隊は集団で動く。全体の勝利のためには陽動であるとか偵察であるとか、直接敵を斃す功はない任を負わねばならぬ者も当然居る。しかし、そのことに不満を述べてはいかぬものだし、その功は敵を直接斃した者と変らぬ。

しかし武士教育を受けた者は、とかくこれに納得しようとしない。

何を措いても直接自分が敵を斃す功に固執するのである。それが武士の名誉たるもので、鉄砲すら足軽の持つもの、武士たる者が持つなど不名誉と称し、大村は百姓医出身ゆえにそういう横紙破りが平気なのだ、などと陰口を叩き、とにかく、旧来の戦法を捨てさせ散兵戦術を叩き込むのが大層面倒であった、とのこと。

「最終的には藩主敬親公から直接布告を出していただくことでどうにか従わせましたが、しかしそれでもやはり我が長州軍の主力は、今は亡き高杉晋作提唱の奇兵隊を嚆矢とする諸隊、庶民出身者からなる部隊です」

旧幕軍の最精鋭たるフランス式陸軍歩兵部隊も同様だと言う。俗に言う、徳川直参の旗本八万騎などと言う者たちは、軒並み都会暮らしで腰が抜けて使い物にならず、ほとんどは江戸の街の破落戸や臥煙(火消人足)などから選抜されているという。

庶民出身兵は使えるが武士出身は使えぬ。それが現実であった。

「旧幕勢力のことだから関係ない、とは思うてはなりませぬ。我々新政府軍でも同じこと」

旧幕勢力であろうが自分達新政府軍であろうが、勝った方が新時代を担う。となれば、その軍隊はただ内戦に勝利できれば良いというわけではない。諸外国と戦って勝てる軍でなければ意味がない。

内戦が終了すればその後の課題はなによりも、いわゆる富国強兵であった。産業を興し商業に力を入れ開拓をする。好きこのんで他国に喧嘩を売りに行くような暇も余裕もあるはずはないのだが、貪欲な西洋列強が、日本が豊かになるのを大人しく指をくわえて見ていてくれるはずはあるまい。いつどんな機会をとらえて押し込んで来ぬとも解らず、国防のために精強な―――西洋列強と戦って勝てるレベルの―――軍隊は、新時代の担い手が新政府側であろうが旧幕側であろうが関係なく、間違いなく必要なのである。

「繰り返しますが、軍隊を持つなら、西洋列強に伍する力を持つ軍でなければ意味がありませぬ」

大村は、一見、当たり前の話しかしていないように聞こえる。実際大隈の周囲の佐賀人たちは、それがどうした、と言った風情で当惑顔である。

が、一方で西郷の表情はと言えば、いつもの柔和さを失いはじめつつあった。

佐賀人たちには、それが不可解なようである。当然の話で、仮にも大西郷ともあろう者が、いくら純軍事的な事には疎いとは言え政治の才の方は天下無双であるというのに、この程度の事が―――奔走家ならば常識レベルの(狂信的攘夷主義者ならば別だが)―――あらためて説明されねばわからない、などと言う事はあるまいに、この妙な顔色はなんなのだろう。

しかし大隈には、その理由が概ね見当がつく。

大村は大村で、

「それと、私はこの旧幕軍掃討のいくさを、可能な限り早く終わらせるべく努力しています」

これまた、ますます当然の話をはじめた。

内戦であるから、これはどちらが勝とうが長引けば長引くほど国力が疲弊する。さっさと決着をつけてしまわねば、それこそいつなんどき諸外国につけこまれるかわからず、そうなれば文字通り清国と阿片戦争の二の舞で、これもまた奔走家ならば殊更に語るまでもない常識であった。

道端の水の流れを見るたびに、この水流は高きより低きに流れゆく、などといちいち当たり前の講釈を垂れる阿呆もおるまいし、いたとしても周囲の方が耳を貸すほど暇ではなかろう。

しかし西郷は、さらに表情を硬くして沈黙している。

大村いわく、

「そのように陰口を叩かれた通り、私は百姓医の出ですから、お武家さまの武辺誇りには全く関心がございませぬ」

内戦であれ外征であれ、戦争などせずに済むならそれに越した事はない。しかしどうでもせねばならぬとなればかならず勝つ。そして、可能なかぎり早期に被害少なく終わらせる。これが鉄則であり、ひいては自分のの仕事である、と言う。

「もう一度申し上げます。戦争はするなら可能な限り早期に終わらせるべきです。もし、何処かの誰ぞが何らかの思惑で、意図的に引き伸ばしたり損害を拡大したりするなど言語道断」

大村はそう言って杯をあおった。

西郷は当初とは別人のように口が重くなり、下を向いてしばらく杯をなめていたが、ほどなく碌にものもいわずに退座してしまった。

隣室では、佐賀藩士たちが禅問答でも聞かされたような風情で戸惑っていた。

大隈ひとり、硬い貌で沈黙している。

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