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真昼の月  作者: 赤垣 源一郎
10/19

heavy duty baby

東征開始の暫く前の事らしい。

或る宴席で、西郷は桂ひとり、わざわざ料亭の離れに別室を用意させてそちらへ呼び出したと言う。

時は宴も酣、他の者は遠慮なく酔い騒ぐ中、いかにも内密にと言った風情で呼ばれ、念入りに人払いをさせた後、

ーーー非礼は何卒おゆるし願いたくごわす。短刀直入に伺いもすが、木戸殿にはオメガにあられる旨の風聞を耳にいたし、この事、真実にごわりもすか。

おっそろしく深刻そうな糞真面目づらで、西郷はそう聞いて来た。

いまさら誤魔化しても仕方がない。桂が、その通りである旨を答えると、西郷は天を仰いで長嘆息し、なにやらその後、うつむいて肩を震わせはじめた。

桂は、さすがに面喰らった。西郷は、声を殺して男泣きに泣いているのだ。

ーーーこげん、いたましか事があって良かもんか。

こん西郷、心ん底から御同情申し上ぐ、世が平らかならば然るべきお方んもとで平穏な日々を送って過ごすっもんを、こげん乱れた時代のせいでオメガだてらに藩をからって(背負って)戦わんなならんなど、悲劇以外んなにもんでもござらん。

「そいじゃっどん、少なかどんもう数年は桂殿んお力添えが必要でごわす。どうかもうしばらくはご辛抱あって皇国んためにご尽力下され」

桂は、唖然とするほかない。

罵倒でもされるなら、嬉しくはないが、まだしも話はわかる。しかし、西郷のこの反応は全くもって意味不明である。焦りつつもなんとかそう伝えると、ばかなはなしで、今度は西郷が驚いた。

しばらくの間、噛み合わぬ押し問答が続いたが、結局のところ西郷は、桂が、養子に入った桂家の家督相続問題と、たまたま政治の才にめぐまれて生まれてきてしまった事が重なって、当人が望みもせぬ重圧を無理矢理背負わされて今に至るーーーとそう解釈しているらしかった。

「西郷殿、あまりきつい言葉を使って申し上げたくはないのだが、今のお話、私に対する侮辱であると受け取らせていただくが、如何か」

口調は静かだが、激怒のあまり貌を蒼褪めさせた桂にそう言われて、西郷は飛び上がるほど驚き、めっそうもなか、そげんつもりは一切ござりませなんじゃ、と弁解したが、ではなぜ自分が怒っているか理由はおわかりか、と問われると、途方にくれたような貌になった。わからないらしい。

本日のお話は聞かなかったことに致す、とだけ告げて、その日は問答無用で帰ってきた。

ところが、馬鹿馬鹿しいことにその翌日、また薩摩の宴席に招ばれたという。

今度は、待っていたのは西郷ではなく、大久保だった。

ーーーこれは、いかなる仕儀に御座候や。

桂は、案内された座敷の襖が開かれるなりそう言ったきり、廊下に突っ立ったままどう勧められても座敷に足を踏み入れようとしなかったと言う。

剃刀と渾名されるほどの切れ者たる大久保も、これには閉口した。

やむなく桂の足元ににじりより、桂の左右でおろおろしていた店の者に人を遠ざけるよう命じ、その後、畳に手をついて平伏した。

ーーー彼ん者になりかわりお詫び申し上ぐ。我が薩摩は古来より、身分ん上下に長幼ん順、男女ん別、立場による違いに誠に厳しゅうごわす。

確かに、そう言う話は聞いている。薩摩は古風な国柄で、特に、子を産み育てる機能と責務を持つ女とオメガに対しては、ひときわ厳しいらしい。

これはこれで仕方のないことではあるだろう。ことさらに女子供やオメガをおとしめるためにそうなのではない。医療技術の未発達な時代、乳幼児の死亡率は極めて高い。どんな家でも産めるだけ産むのが当たり前であった。でなければ、家が絶える。

どこの国でも同じことで、出産育児は生半可なしごとではないし、女やオメガを家に閉じこめて外に出さず、よけいな仕事はさせぬというのは、逆に言うなら、ただでも重労働を課せられている彼らにこれ以上負担をかけぬという配慮でもあるのだった。

日本国どころか今現在の地球上どこへ行っても桂のような存在は特殊に違いなく、風当たりが強いのは当たり前で、しかし桂は実績でもってそれを黙らせてきた。しかし、まさかこんな反応が待っているとは思いもしなかった。

西郷の常識では、オメガにとっての幸福な人生とは、しかるべきアルファの番となって子を産み育てる生活以外にありえず、そうではない人生を送っている者がいるとすれば、それは当人の意思に反してそういう生き方を強いられているものであり、不幸以外のなにものでもない、としか解釈出来ぬらしい。

西郷は弱者に優しく、困っている者がいれば黙って見過せぬ性分で、若い頃などは貧乏人を搾取する不浄役人とたびたび軋轢を起こしたという。そういった時に、当の弱者や貧乏人たちから感謝されたことはあっても怒りを買ったことなどない。西郷の思考では、たとえ桂であってもオメガである以上、守るべき弱者であり、望みもせぬ(としか思えない)境遇にある者に同情を示しただけであり、西郷は西郷で、激怒されるなど想像もしなかったようだった。

「要するに、西郷殿は私が不幸な人生を強いられていると、そう勘違いされておられるのですな」

果たしてその辺の勘違いは是正されておられるのであろうか。でなければ、どれほど貴殿に詫びていただいたところで詮なき事。

「敢えて念を押させていただく。私の人生は、全てではないにしろ、概ね私が自らの意思で選び取ったものにござる」

色々と幸運にも恵まれた。理解者も沢山居る。はじめからアルファにでも生まれておれば確かに面倒は少なかっただろうが、ハンデはあれどもそれを補う対策は取れているし、まさかその場にただ居るだけで周囲の迷惑ということもござるまい。

そう言われて、大久保は、苦虫を噛み潰したような貌で目をそらした。

「その御様子ですと、西郷殿は、ご理解いただけたわけでも反省なされたわけでもなさそうですな」

「…お恥ずかしながら、そん通りでごわ」

大久保は西郷に、子供に噛んで含めるような説教を垂れたらしい。

その甲斐あってか、”当人が望んで”今に至る、という所までは、なんとか理解させたと言う。

が、

ーーーじゃとすっと桂殿は、一度もオメガらしい生活ちゅうもんをしたこつがなかとじゃろう。であればそんた、そもそも単にオメガとしてん平凡な幸せちゅうもんをご存知なかだけじゃなかんか。

特殊な例ではあるが、向いた道に進んで当人は充実しており成果も出せて周囲もよろこび、一見たれもが幸福であるように見える。が、当人も周囲もそうと気づかぬだけで、もし桂が実際に普通のオメガらしい静かな生活を送ってみたとしたら、その方がずっと幸せであった、という可能性もゼロではなかろう。

結局西郷は、そう勝手に結論づけてしまったきり、その後は大久保が何をどう言っても聞かぬとやら。

「呆れた石頭でありますな」

大久保は大久保で、申し訳なか、と重ねて詫び、

「西郷ん頑固ぶりは、藩主ん実父に喧嘩を売る程んもんで、誰にも手がつけられのうごわす」

と、にがにがしげにつぶやいた。

西郷は過去に、藩の罪人として二度遠島を食らっている。最初は、西郷を重用してくれていた前藩主島津斉彬の急死に伴う失脚だったが、それが赦されてようやく帰還叶った僅か数ヶ月後、斉彬の弟で現藩主の実父、島津久光を公衆の面前で地五郎(田舎者、世間知らず)と暴言を放ち、目出度く二度目の遠島と相成ったのであった。

この通り、とにかく保身など徹底して頭になく、いっさい己を偽ろうとせぬ性分は、周囲から崇拝を集める一因でもある。確かにこれはこれで人格的美点にはちがいない。しかし大久保は盲目的に西郷を崇め従っておれば済むような軽い立場ではないのだった。時にはこのように苦言を呈さねばならぬ事もあり、おかげで、ことほど左様に苦労の絶えぬ日々であるようだ。

もしこれで今後桂と西郷が没交渉ですむのなら、西郷は重々反省致し申したと適当なことを言って誤魔化しても良いが、これからも協力体制を続けていかねばならぬ以上は当然、頻繁に顔を合わせる必要がある。西郷本人の性格が変わることもなかろうし、それゆえ正直に全てを申し上ぐる次第に御座候とのこと。

「心中はお察し致す。しかし大久保殿の気苦労の種を増やすようで残念ではありますが、やはり饗応をお受けするわけには行かぬ」

饗応を受ければ和解したことになる。西郷の本心が聞いた通りである以上、いくら長州が薩摩に対して弱い立場であったとしても、これは譲歩してはならぬ種類の事柄である。

「私の同志の殆どは私がオメガと知った上で私を支えてくれている。私個人としても、長州全体としても、納得のいく御返答がいただけるまでは、全ての同志の面子にかけて謝罪は受け入れられぬ」

無論、協力体制には支障を来すつもりはない、そのへんはご安心あれ。

そう言って、ついに座敷には一歩も足を踏み入れぬまま帰って来たーーーのだそうだ。

大久保はすさまじい表情のまま、黙って桂の後姿を見送るしかなかったという。

桂はこの一件で、私的にではあるが、西郷という人物に対して強烈な嫌悪感を抱いてしまったらしい。

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