一夜
室内は漆黒の闇に包まれている。
蒲団の中で身動きをする気配があった。衣摺れの音が静かに響く。
「御迷惑をお掛け申しました」
静かな声が低く響き、ほどなくして襖を引く音が聞こえ、すぐに廊下を歩む足音が奥へと去る。
いつのまにか、室内には沈香に似た香りが漂っていた。
しばらく布団の中でぼんやりしていると、今度は障子の向こうに灯が見えた。
「御苦労様に存じます。…この後、今宵は如何なさいますか。このままお泊まりになられても結構ですが」
障子越しに、別の男の声がそう言った。
「…いや、帰宅しよう」
障子を開けぬまま、承知致しましたと声が聞こえ、廊下に灯を置いて人影は一度去った。
その灯を室内に引き入れ、ごそごそと身支度を終えて廊下に出る。
玄関先に、若手の藩士らしき男がひとり平伏していた。伊藤何某と言ったか。新参者の蔵六は藩士達の顔も名前もまだあまり良く分からない。
「御自宅までお供つかまつります」
なにやら見張られているような気分である。実際、監視だろう。
(当然と言えば当然だが、よほど事を内密に運びたいらしい)
とんだ鶴女房もあったものだ、と蔵六は薄っすら思う。
いや、鶴女房でも当の女房の姿そのものを見ることを一切許されないなどと言う事はあるまい。蔵六は、たったいま抱いた青年の顔も姿も素性も一切教えられていなかった。
蘭学者、村田蔵六は長州藩に仕官が決まっている。
あとは国許の決裁を待つばかりという或る日、蔵六は藩からさる高級料亭に呼び出された。
(なんだこれは)
正直、最初は驚いた。
要人の接待でもあるまいに、そんな所に呼ばれる心当りはなにひとつない。たかが蘭学者の仕官話で一体何事であろうか。
いささか混乱しつつも指定の日時に暖簾を潜ると、座敷に待っていたのは藩の高級官僚周布政之助であった。すでに山海の珍味と銘酒が運ばれている。
その周布に曰く。
−−−さるオメガ青年の番になってはくれまいか。
萩城下の或る家中に生まれて育ったオメガの青年が居る。長じてのちは、しかるべきアルファと番の契りを交わしているが、その番のアルファが現在、命旦夕に迫っていると言う。
「要するにに、後添いを探しておるのだ」
(ああ、そういう事か)
一般人ならば面食らったやもしれぬが、蔵六はこれでも一応蘭医の端くれである。この種の話は初耳ではない。
アルファにもベータにもなく、オメガにのみ起こる
発情期、この厄介なモノをどうにかおさめるために採られる手段である。
番のおらぬオメガの発情期は激烈で、状況によっては周囲に迷惑をかけてしまう危険性があるが、番のいるオメガならば発情期の影響をうけるのは番の相手のアルファひとりで、すくなくとも無関係の周囲を無差別に誘惑してしまうようなことはなくなる。よって、番のアルファの生前から、オメガの「後添い」を探しておくことは習慣としてままあった。
−−−貴公にはなんの得もなく、迷惑なばかりの話である事は承知している。無論、嫌なら断ってくれて一向構わぬ。
ただし当然ながら他言無用だ、とのこと。なるほどこんな大層もない料亭で接待などされる謎が解けた。
おそらくその青年がオメガであることは世間には秘されているのであろう。よくある話で、どう綺麗事を述べたところで、オメガという存在に向けられる目は、無知による偏見と迷信に充ち満ちているのが現実というものである。身内にオメガが居る場合、その存在を隠したがる家人も多い。周布のような大物がみずから動くからには、おそらく萩城下のさる家中というのはそれなりの家柄であろうと思われるが、であれば尚更、可能な限り、余人に知られたくない種類の話である。藩邸という所は存外秘密が守れぬもので、万全を期したいならば、このように外で密談をする他ない。
命旦夕に迫っているという番のアルファは、なんらかの不治の病でも患っているのか、でなければ手の施しようのない重傷でも負ったのか、これも色々と事情があってまだ詳しくは話せぬとやら。
それは良いが、
(なぜわざわざ自分なのか)
それは何と言っても貴公は優秀な蘭医であるからだ、と周布は言う。
実際、無知と偏見の所為で心身の危険にさらされるオメガは少なくない。なるほど蔵六のような仕官の手続もまだ済まぬ新参者が「後添い」候補に選ばれたのは、一にも二にもそれが理由であるようだ。つまり番であると同時に主治医にもなって欲しい、と言うわけである。
実のところ、残念ながら蔵六とてもオメガを直接診た経験があるわけではなかった。
オメガとはそれほどに圧倒的少数派である。ただし、それでも蔵六は幾多の文献で様々な症例を知っている。それだけでも素人よりは余程ましであろう。それに、なんと言っても蔵六は蘭学の名門、大阪適塾で塾頭をつとめた程の腕である。
蔵六は、さすがに即答は避けた。
アルファとオメガの番は死別以外の別離がない。普通の輿入れなら事情次第で離縁もあるだろうが、アルファとオメガの番はなにしろ物理的な繫りである。どんな事情があろうがなかろうが、物理的に離れることができないとなれば、日常的にも職務的にも様々に支障があろうかと思われる。
更に幾つかの質問をした上で、数日の猶予を願い出ると、周布は快く了承してくれた。
が。
同じ料亭で数日後、承諾の返事をすると、周布はよろこびつつも、
−−−さてここからが頼み事の本題なのだが。
そう前置きして言ったのが、例の仕儀であった。
−−−同衾時に姿を見てはならぬ。全てを暗闇の中で済ます。可能な限り言葉も交わさぬ。身分姓名その他の素性も当分の間明かさぬ。
これには、さすがに呆気にとられた。
そんな訳のわからぬことをして一体なんの意味があるのか、とつい無遠慮に問うてしまったが、周布は周布で非礼をとがめもせず、にがい貌で、
−−−赦せよ、馬鹿馬鹿しいのは承知の上だ。
世の中にはどうにも井の中の蛙な輩が結構多くて困る、などと言う。
−−−先祖代々一族郎党、生まれ育った土地しか知らず、江戸勤番の経験もなく、物見遊山にすらろくに出たことがないのだから話にならぬ。
そういうのがただ居るだけならまだ良いが、そんな輩が得てして藩の要職に就いていたりするから門閥などと言うものは度しがたい、余所者といえば得体の知れぬ怪物同然にしか思うておらぬ、等々。なにやら周布個人の愚痴めいてきた。
要するに藩上層部が、新参者の蔵六を信用しておらず、くだんのオメガ青年の素性をあかすことに躊躇している、という。
蔵六は周防国出身であるから、厳密には余所者ではないのだが、士分にあらず百姓医の出身である。
そして長州ではなく、まず宇和島藩につかえて士籍を得た。
そのうちに参勤交代に従って江戸に出、宇和島藩士のままで幕府にも召し出され、いくばくかの名声めいたものを得るに至り、そしてこのたび生まれ故郷であるところの長州藩に正式仕官をしたのである。今後も、長州だけでなく宇和島藩と幕府にも仕え続けるのが条件で、そのため定府(江戸在住)が必須であった。
このように卑賤の出で、複数の藩に仕え、また幕臣でもあり、というような在り方は、国事多端の昨今そう珍しいことではないのだが、いまだ太平の世と変わらぬつもりで居る人種からすると随分と不審の念を抱くらしい。
(しかし、それならば尚更自分でなくとも)
腕の良し悪しは措くとして、長州に医者が他におらぬわけでもあるまいに、そもそも蔵六など後添い候補にしなければ良さそうなものである。
−−−貴公が無礼に感ずるのは当然のことだ、許せ。
周布が渋々白状したところによると、なんと蔵六を後添いに指名したのは、当のオメガ青年本人であるそうな。
普通ならば、番の相手など親や周囲が勝手に決めるもので、当事者の意思など反映されることは滅多にない。これはオメガでなくとも普通の縁談でもおなじことだが、どんな事情か知らぬが今回は逆で、当人の意思に周囲が逆らえない状況にあるらしい。
しかし相手が得体の知れぬ新参者であるから、周囲の抵抗がなかなか頑強で、折衷案として頓珍漢な手段を誰ぞが考えついた、という辺りか。
なるほど馬鹿馬鹿しい話ではある。不安顔の周布に、今後の職務に悪影響さえなければ自分は構わぬ旨を伝えると、周布はこんどこそ心底安心した風情で、礼だか詫びだか知らぬがやれ酒だ料理だ芸妓だと騒ぎはじめた。
蔵六はこれを苦労して固辞した。それよりも、周布に話しておかねばならぬ事がある。
国許から正式な辞令が届き、晴れて蔵六が長州藩士となったのは半月ほど後であった。
「あらためまして先生、このたびは我が藩に招て頂き誠に有難う御座居ます」
若手藩士たちの兄貴株、桂小五郎が、畳の上に端然と手をつき深々と頭を下げてくれた。
このところ多忙とのことで、久々に顔を合わせる。蔵六はこの男とさる場で知り合い、意気投合し、彼の推挙で長州への仕官が叶った。言うなれば恩人である。
今後は彼の手駒として働く事になるだろう。
が、たったいま現在の蔵六にとっては、そんなことは思案の外であった。
(…これは)
対面した座敷は藩邸の一室であったが、障子も襖も開け放しだというのに薫香が漂い、何度風が吹き抜けても香の散る気配がない。そのくせ室内の何処を見渡しても香炉など見当たらぬ。
背中に脂汗が流れる。口腔内がからからに干上がっている。心拍と体温の上昇、耳鳴り、眩暈。手足の先に異様な冷えを感ずる一方、頭はまるで首から上だけ蒸風呂にでも入れられたかのように逆上せる。
意識が途切れる数歩手前をうろつくような気分で、ほんの数分が永劫にも思えた。
(なるほど聞きしにまさる苦行だ)
そんな状態だというのに、それでも頭の隅が不思議とどこか醒めたままで、薄っすらとそんな事を考えていた。