月中ごろの定番商品3
今日の三春の気分は、バタークッキーだった。これも、定番である。基本と言ってもいいかもしれない。大きさは拳ぐらいで、十枚入り。子どもの頃はもう少し大きく見えた気がするなあ、と懐かしさも誘う一品だ。それを手にした三春が向かうのは、今日も今日とて公園の奥にあるあの祠である。
しかしながらその途中、三春はぴたと足を止めた。
「んっ?」
視線の先のそれに、思わずそう声が出る。見間違いか、と改めて目を細めてじっと見るが、どうやら見間違いなどではなさそうだった。
――何やってんだ、あいつ
三春の視線の先にいたのは、なにがしである。あの時代錯誤の服装は間違いない。幸い周囲に人はおらず、なにがしに声をかけても不審そうに見られることは無いだろう。三春は大木の傍で何やら踏ん張っている様子のなにがしの方へと歩き出した。
「……んん、んん!」
人目は無いとはいえ、こうも開放的な場所であからさまに声をかけることはためらわれた。その結果、三春は表情と咳払いでなにがしに訴える。呆れたように『何してんの』と。幸いなにがしはそれに気づいて三春の方を振り返った。
「ん? ああ、お前か、もうそんな時間になっていたのか」
直前までふんぬふんぬと踏ん張っていたせいか、息が少し荒い。おばけでも疲れたりするのか。そう思うが、声には出さない。
「見られたくないわけではないが、妙なところを見られたものだな、ああ、何をしていたのか聞きたいのだったか。これを切ろうとしていたのだ、……まあ、少しも傷ついてすらいないようだが」
なにがしがそう言ったのを聞いて、三春は初めてなにがしの手に何か握られていることに気が付いた。ちゃら、と音を立てたそれは真っ黒な、鎖のようだ。思わず人目の事も忘れて「なにそれ」と声が出る。そんなもの今まであったっけ。なにがしの答えは
「俺にもよくわからん」
だった。もはや呆れはすまい。
真っ黒な鎖のようなそれは、なにがしの背中から伸びているようだった。
「わからんが、これがあるせいで俺はこのこうえんから出ることが出来ないことは確かだ」
なにがしは手の中の鎖を睨み付け、いかにも不満げといった表情だ。その姿に、三春はなんとなく杭につながれた大型犬を想像してしまって口元を押さえた。吹きだしてしまいそうになったのをこらえたのだ。前から思っていたが、なにがしは大型犬っぽい。おやつを分け与えるのも、餌付けしている様な錯覚を覚えることもあった。まあそれをなにがしの前で言えば怒りそうなので三春は決して言わないのだが。
笑いをこらえるためにちらと視線をそらすと、黒い鎖の巻き付いた木が見えた。どうやらこれに巻き付けて鎖を切ろうとしていたらしい。木は表皮が傷ついて、ささくれている。
「とりあえず、木でやるのはやめたら? 木が傷ついてるし」
「ん? ああ……傷つけてしまったか、悪いことをしてしまったな」
三春の指摘になにがしも木に視線をやり、巻き付いた鎖に傷つけられた表皮を見ると痛々しさに顔をしかめた。しかしそれは自分がやったことだと思えばすぐに巻き付いた鎖をほどいて、申し訳無げにその傷に手を添える。なにがしはそうしたままで、じっとその傷を見つめた。
「……本当に、悪いことをした」
小さくつぶやいたそれは、やけに頼り無い響きをもって三春の耳を通り抜ける。いや、頼り無げなのはその声だけではない。傷に触れる手。傷を見つめるその表情。すべてをもってして頼り無げで、落ち込んでいるようではないか。
「……まあ、公園の管理してる人が、気づいて治してくれるよ」
そんな姿を見ていると、三春はつい慰めるような言葉をかけてしまった。言ってから照れくさくなり、なにがしから視線をそらす。
「そうだな、人間は治すことも得意だ、得意なものに任せるとしよう」
聞こえたそれは頼り無げではなかったが、それでも何か三春の知らない感情をはらんでいる気がした。
「さて、それではいつもの場所で菓子をいただくとするか」
しかしなにがしが笑顔に隠したその感情を暴く勇気は三春にはまったく無い。三春は小さくうなずいて、歩き出したなにがしを追って一歩踏み出すことしかできないのだった。
いつもの場所で三春となにがしを出迎えたのは、にゃあと鳴く存在だった。
「おお、来ていたのか、わざわざ俺に会いに来るとは愛い奴だなあ」
言いながらなにがしが両手を広げて置石に横たわる虎猫に寄っていく。虎猫はまったく冷静な瞳でじっと見つめ、静かに立ち上がると迷いの無い足取りで置石を降りてなにがしの足元を通り抜けていった。その迷いの無さといったら、まるでなにがしがまったく見えていないようではないか。
なにがしの動きがびしりと固まったのが見えて、三春はばっと口元を押さえた。笑ってしまいそうになるのを、こらえたのだ。それでも少しこらえきれず、肩が震えた。ぶぶ、無視されてやんの。
「……ま、まあ、猫というものは気分屋だからな、今はそういう気分ではなかったのだろう、そういう気分のときならば俺の腕に飛び乗ってくるのだぞ」
「……へえ、そう」
ゆっくりと振り返ったなにがしの言ったことに三春がそう返事をするが、感情が伴っていないのが明らかである。なにがしもそれはわかっていたが、自分の言ったことが強がりであることも自覚しているためにそれ以上は何も言えず、「それよりも菓子だ」と話題をそらすことで精いっぱいであった。
「まあこれ食べて元気出しなよ、今日のはバタークッキー」
「ばたあ、くっきいか」
なにがしのぎこちない発音を聞きながら、三春は置石に腰掛けていつものようにお菓子の封を開ける。昨日のココアクッキーよりも濃い甘い香りがふわりと漂い、三春の鼻をくすぐった。
「これは、一段とうまそうなにおいだな」
「バタークッキーの匂いは最強だよ、はい」
三春はそう答えつつ、取り出したクッキーをなにがしに差し出した。
「お、でかいな」
「ああ、今までのに比べたらね」
「ふむ、楽しみだ、ではいただくか」
ざく、と一口かぶりつく。もぐもぐと口を動かして、ごくんと飲み込んだ。
「おお、これはうまい」
なにがしはぱっと表情を明るくさせて、そう言った。そうして残った分をひょいと口に放り込んで食べてしまう。満足げなその表情がまた大型犬に見えて、三春はぶっと吹きだしてしまわないようきゅっと唇をかんだ。そうしてようやく笑いをのみこむと、バタークッキーに手を伸ばす。
一枚つまんだそれを口元に持ってくるだけで、バターの香りが鼻をくすぐった。さすがその名にバターの名を冠するだけのことはある。その香りまでをも食べてしまうように、ざく、と一口かぶりつく。バタークッキーはかぶりついたときのこのざくりとした食感がたまらない。それなのに口の中ではほろほろと溶けていき、じんわりと甘さが広がるのだ。追いかけるのは、バターのコク。
「あー、うまあ……」
安定の美味しさである。美味しくないはずが無い。
ひたっていると、がさっと音がして三春となにがしがほぼ同時に音のした方に顔を向けた。現れたそれは、にゃあと鳴いた。
「なんだ、戻ってきたのか」
なにがしが親しげに声をかける。それは、さきほどなにがしのことをガン無視して茂みに消えていった虎猫だった。虎猫はなにがしの声に反応を示す……ことはなく、真っ直ぐ三春の方へ歩いてくると、ぴょんとその膝に飛び乗った。
「わっ」
「な」
両者、驚きの声が出る。次いでぐうと悔しげな唸り声をあげたのは、なにがしだ。
「貴様は所詮若い雄……俺の腕よりもじょしこうこうせいとやらの膝が好きか……ぐぬう」
「うわ、めっちゃ猫の毛がつく」
二者二様の反応があるが、虎猫はそのどちらも意に介さないというように三春の膝にどでんと陣取る。三春は別に猫が嫌いというわけではない。しかし特別好きというわけでもないのだ。手放しかつ無責任に「うわあかわいい~」なんて言って可愛がるようなことはしない。むしろ制服に猫の毛がべったりつくことを考えると、早急に膝の上からどいてもらいたい。あと野良のくせに恰幅がよく、結構重い。
「もー、ちょっと、どいてよね」
ぺし、とその尻を軽く叩いてやると、虎猫は仕方ないとばかりににゃあと鳴き、のたのたと立ち上がって三春の膝の上からひょいと飛び降りた。それに三春がほっとしたのも束の間、地面に降り立った虎猫が次に興味を向けたのは、三春のカバンについていたマスコットだ。
「あ、もう」
虎猫が猫パンチでべしべしとそれを叩き始めたので三春はカバンに手を伸ばし、持ち上げた。しかし三春がカバンを持ち上げるのと同時に虎猫がマスコットに飛びつく。重みでぐいとマスコットが引っ張られ、ボールチェーンが、パキン、と悲鳴をあげた。三春が「あっ」と声をあげるよりも早く、虎猫は手に入れたそれをかぷりとくわえてすいと背を向けて走り出した。
「ああ、こらあ!」
三春は声をあげ、立ち上がると虎猫を追いかけるべく走り出す。虎猫は茂みに隠れようとはせず、祠の周りをぐるぐると逃げ回った。三春も「返せってば」と言いつつそれを追いかけ、狭い場所を走り回る。
なにがしは虎猫が自分を差し置いて三春に構っていることにまだ拗ねているようで、その様子を腕組みをしてじっと見ているだけである。その背側に虎猫が逃げ込み、三春もそれを追ってなにがしの背中の方へ回り込んだ。
「わっ!」
そうして駆け抜けようと足を踏み出した途端、何かに足を取られて三春は悲鳴をあげる。転ぶ、と思った。しかしその瞬間、キン、と高い音がする。足に引っかかった何かが切れたらしい。三春の足は駆け抜けようとした勢いのままに前に出た。
「お、っとっと」
前に出た足でだんと地面を踏みしめて、三春はなんとか転ぶことを阻止出来た。ひとまずほっと息をつく。
「……鎖が、切れた?」
「え?」
聞こえたその声に、三春は首を横に向けた。見ると、なにがしが驚いたような表情で足元をじっと見つめている。その視線を追って三春も己の足元に視線を向けた。そこに見えたのは、何か黒いものの残骸。見覚えがある。
それは、なにがしの背中から伸びていたはずの鎖だ。
「えっ、今ので?」
「ああ……俺があれだけふんばって切れなかったものが、お前が足を引っかけただけで切れたのか」
「ええー……」
思わず脱力したような声が出る。押してだめならにもほどがあるだろう。
「まあ簡単に切れた理由はわからんが……切れたのならよしとしよう」
「よしとするんかい」
呆れたようにつっこみを入れるが、三春がその後すぐに思ったのは、まあ『わからん』もんは仕方ないか、ということだった。




