月中ごろの定番商品2
道路を彩る街路樹に緑が増え、街はなんとなく目に優しい季節を迎えていた。
生い茂った枝葉は日の光を求めて高く伸び、電線に迫る勢いである。しかしその枝葉は、本格的な夏が来る前に切り落とされてしまうだろう。毎年の出来事だ。大きく育った街路樹はその茂りっぷりに木陰を期待した矢先に、電線に引っかかっては危ないからと枝葉を切り落とされてしまうのである。いったい何のための街路樹なのか……、と辟易する人は少なくない。
しかしながら通学路歴ひと月と少しの三春には街路樹の未来など知るべくも無く、のんきにその木陰に涼しさを感じながら歩いていく。そうして三春はいつものコンビニにたどり着いた。観音扉を手前に引いて中に入るといつものメロディが鳴る。三春は狭い店内を迷いなく歩いていくと、いつもの棚の前で立ち止まった。目の前に並ぶのは、一口サイズがシリーズのコンセプトである商品だ。三春が選ぶ定番のおやつである。
――今日は、これの気分かな
いくつも並んだうちのひとつに手を伸ばす。選んだそれをレジへ持っていき、会計した。百円でおつりがくる値段だ。いつものようにレジ袋は入らないと告げ、シールを張られたそれを握って三春は観音扉を出て行く。手の中のそれをちらと見て、心が弾む。上機嫌のまま、三春は歩き出した。いつもの公園の、いつもの場所に向って。
公園の緑もますます勢いを増し、それは大変に目に優しい光景だ。桜並木を進み、ジンチョウゲの並木へとたどり着く。ジンチョウゲの植木の隙間を進んでいくと、なにがしは一枚の葉を頭の上へ持ち上げ、日の光に透かして見ていた。
「何してんの?」
三春が声をかけると、なにがしは手を下ろして三春に顔を向ける。
「ああ、三春か」
なにがしが三春の名前を呼ぶ。つい先日に、「そういえばお前の名前を聞いていなかったな」と言われたので教えたのだ。始め呼ばれたころはなにかむずがゆかったが、数日で慣れた。
「こうして葉の筋を見ていたのだ」
「ふうん、楽しい?」
「まあ他にすることもなければ、こんなことでも楽しいものだ」
なにがしは笑って、まるで隠居生活を送るじじいかのようなことを言う。まあ実際に誰にも見えず、だから誰にも気に留められず、特にこれといってすることもない生活は隠居のようなものなのだろう。
「やっぱり暇なんだね」
とは嫌味などではなく、三春の素直な感想である。だからこそなにがしも顔をしかめることはなく、しかし困ったように「暇だ」と返すのだった。
「お前が来てからはより退屈が気になるようになった気がするな」
なにがしの言葉に、三春はただ「ふうん」と返した。少し照れくさいのを、ごまかしたのだった。
三春は話題をそらすように「ほらこれ」と言うと、手に持っていた今日のおやつをなにがしに見せる。
「ほう、それが今日の菓子か」
「うん、ココアクッキー」
なにがしとおやつを食べる放課後は、続いている。ただし雨の日は帰るし、休みの日は三春のきまぐれだ。おやつだって三春が食べたいものを選ぶ。今日はココアクッキーだ。
「ここあくっきい」
と、なにがしがぎこちない発音で繰り返す。ここ数日で知ったこと。それは、どうやらなにがしは横文字が苦手のようだということである。しかし驚きの発見というわけではなかった。見た目通りの要素だ。始めのうちは面白かったが、今となってはもう聞き慣れたものである。
三春はなにがしのぎこちないここあくっきいを聞き流すと置石に腰をかけ、カバンから取り出したハサミでココアクッキーの封を切った。
ふわっと香る、甘い匂い。思わず笑みが浮かぶ。なにせココアクッキーは定番の中でも、三春のお気に入りなのだ。小さなころから親しんだ味である。
三春は一口サイズのそれをひとつつまんで、なにがしに差し出した。なにがしはそれを受け取り、ひょいと口に入れる。
「うん、うまいな」
なにがしが笑みを浮かべてそう言うと、三春はその顔を見上げてふふと笑った。
三春もひとつつまむとひょいと口に放り込み、さくりと噛む。甘いけれどほろ苦いココアクッキー。後からじわっと広がるのは間に挟まれたミルククリームの濃厚な甘さだ。クッキーをはがして別々に味わうのも好きだが、やはり一口に放り込んで味わうのが一番だ。それこそが一口サイズであるこの商品の醍醐味ではないか。
「んー、うまっ」
美味しいことは知っていても、ついそうつぶやいてしまう。自然と笑みが浮かぶと、しあわせ、なんて言葉が頭をよぎる。なんて安い幸せなのか。いいや、そもそも幸せというものは、安くていいのではないだろうか。些細なことに幸せを感じられることが、一番の幸せなのだ。
「相変わらず幸せそうに食うのだな」
聞こえたそれに、三春はぱっと表情をひきしめた。しまった、あんまり気を抜きすぎた。
見ればなにがしが、こちらを見下ろして笑っているではないか。馬鹿にしたように笑っているわけではないが、むしろそれが恥ずかしい。
「だから、そういうの恥ずかしいって言ってんでしょ」
「思ったことがつい口に出るのだ、仕方がないだろう」
三春が抗議するが、なにがしは笑ってそう言うだけである。さっきと違って今度はからかうように笑っている。三春は心の中で、ちくしょう、とつぶやいた。大変に悔しいが、こういうときは折れた方が勝ちである。それは、なにがしと出会ったこの数日で悟ったことだった。
三春はなにがしから視線をそらしてふうと息をつくと、ココアクッキーをもうひとつ口に入れた。ああ、美味しい。
「ところで、お前の持ってくる菓子はどれも甘いな、お前は甘い菓子が好きなのか」
聞かれたが、三春はなにがしに視線を向けなかった。
「まあ好きだし、学校で疲れるから、甘いものが食べたくなるんだよね」
三春がそう答えると、なにがしが「ほう」と言う。
「”がっこう”か……がっこうとは、疲れる場所なのか」
「んー……まあ、人によるんじゃない、わたしは疲れることしかないけど」
そう答えれば思い出したくも無いのに学校のことを思いだして、ついため息が出てしまう。今日は疲れていたのか、お喋りの声がやけに耳について苛々した。ぺちゃくちゃと飽きもせずによく喋っていられるものだ……。
「人間とは難儀なものだな、がっこうやかいしゃとは疲れる場所だというのに、行かねばならない場所でもあるのだろう」
「難儀って……」
いちいち言い回しが古いなあ、と三春はなにがしにちらと視線を向けた。なにがしは腕を組み、眉間にしわを寄せた表情をしていた。
「こうえんを歩いて回っていると、そういう場所で疲れたのだろうという人間を多く見る。そのほとんどが項垂れ、ひたすらはあと息をつく」
どき、とした。なにがしの言ったことは、三春にも覚えがあるのだ。毎日ではないがたまに、今日はいつもよりずっと疲れたと思った日。この場所でそうしたことがある。
「だがそのどれもが、やがて顔を上げて歩いていく、きっと次の日もがっこうやかいしゃに向かうのだろう」
「まあ、そうやって、皆生きてんだよね」
なんとなくしみじみとそうつぶやく。
「本当に人間とは難儀なものだ、しかし、だからこそ人間の営みは愛おしく見えるのだろう」
「営みって、何神様みたいなこと言ってんの」
三春が少し呆れたように笑ってそう言うと、なにがしもははと笑った。
「思ったことを言っただけだ」
なにがしの言ったことに「ふうん」と返して、三春はココアクッキーの袋をカバンにしまうと立ち上がる。
「じゃ、わたしそろそろ帰るわ、じゃあね」
「ああ、またな」
互いに別れの言葉を告げて、なにがしは小道に消えていく三春の背中を見送った。
そうして一人になった祠の傍で、なにがしがふむと顎に手を当てる。何か考え込んでいるようだ。
「がっこう、か」
ゆっくりとそうつぶやき、再びしばし考え込む。やがて小さくうんと頷くと、三春が来たのとは反対の方向にある茂みへと歩いていくのだった。




