月初めの新商品6
心地よいまどろみの中で、すうと意識が浮上した。
――ああ、今日は土曜日か
それだけ頭の中でつぶやくと、三春はまた心地よいまどろみの中に自らの意識を落とし込んだ。ふよふよと揺られながら落ちていく。もう、毛布はいらない季節だ。冬眠中のツキノワグマのように丸くなって眠る必要は無い。羽毛の布団一枚をばっさりと体にかけて、腕も足も投げ出したままで眠る。しかも二度寝。なんと心地の良い時間なのだろうか。出来るならいつまでも続けばいいのに……そう思ってしまう程に。
心地の良いそれが終わりを告げたのは、三春の腹時計が限界を訴えた頃だった。警報音がぎゅるぎゅると鳴り、続けて腹痛にも似た不快感が三春のお腹を襲う。
「あー……腹減った」
うつ伏せで枕をぎゅっと抱いたまま、そうつぶやく。また腹部がぎゅうううううと空腹を訴えた。三春はうーっと唸り声を上げると、もそもそと体を動かす。そうしてようやく、ベッドからはいずり出て行くのだった。
ぼさぼさの髪を軽く手ですきつつ、台所の方へと向かう。何を食べようか。三春の頭はそれでいっぱいだ。別になんでもいいんだけど。賞味期限間近のカップラーメンとか。こういう日にそういうの消費しとかないと、減らないからなあ。
家の中には三春以外の気配はない。今日は母親が出勤する土曜日だ。だからこそこうして昼時になるまで眠りこけていられた。
台所につくと、戸棚の中を調べる。案の定賞味期限が間近のカップラーメンを見つけた。単身赴任の父親が買ってきたマレーシア土産だ。父親のために言っておくが、別にまずいから賞味期限間近まで放置されていたわけではない。ただ母親との二人暮らしには量が多かったと言うだけだ。それに、たまに食べると美味しい。これにするか、と決めると三春はやかんに水を溜めて火にかける。お湯が沸くのを待つ間に、とマグカップを用意すると冷蔵庫から取り出した牛乳を注いだ。それをちびちびと飲みつつ、食卓へ箸を用意しておく。
やがてお湯が沸くと用意しておいたカップラーメンに注いだ。少し待つ間にそういえばと思い出して、テレビをつけた。丁度、再放送の二時間サスペンスドラマが始まるところだった。三春はふんふーんと鼻歌交じりにカップラーメンと箸をソファ前のテーブルに移動させると、ソファに浅く腰掛ける。休日に再放送の二時間サスペンスドラマを観賞するのは、お菓子に次ぐ三春の趣味だ。
「ふ、ふふ、やっぱりこいつが犯人だった」
主人公が犯人を崖に追い詰める頃には、すっかりカップラーメンはからっぽになっていた。その代わりに三春の手にあるのは、スナック菓子だ。それをジュースで流し込みながら笑う。画面の中では崖の上で女性に拳銃を突きつけた男と、駆け付けた主人公が対峙していた。もはや犯人役の設定どころか犯人役の俳優までワンパターン化してきている。が、そのワンパターンさが逆に安心するのだ。
エンドロールが流れるのを見送って、三春は机の上に散らかしたものを片付け始める。ああ休日を楽しんだ、という充実感がそこにはあった。その充実感のままふふんふーんと鼻歌交じりに洗い物をする。そんな中でふと頭によぎる。
――そういや、あいつ、今日はどうしてんのかな
なにがしのことだ。三春は一瞬はっとしたが、充実感で落ち着いていたせいか、まあいいやと半ば諦めたように思い直す。
例に漏れず、なにがしは昨日も「またな」と言った。明日も来い、とは言っていない。
あいつは、今日が学校が休みだと知っているのだろうか。今日も来ると、思ってんのかな。
「待ってるんだろうか……」
思わずそうつぶやいた。そうなるとなにがしのことが気になって仕方がなくなってしまう。そういえば、戸棚に美味しそうなチョコパイがあった。チラシでチェックしていた新商品だ、母親が買ってきていたのだろう。三春のために、だ。それは自惚れとかではなく、先例に照合して導き出される事実である。つまり持っていくおやつはあるのだ。
「これから面白いテレビも無いし……散歩がてら、うん、散歩のついで……ついでだから」
そう自分に言い訳をしながら、三春はさくさくと身支度を済ませていく。
なにがしのことが気になるから、という気持ちをまったく否定しているわけではない。しかし、ついそう言い訳をつぶやいてしまうのは葛藤の表れである。一匹狼を気取っていたプライドと言おうか、見栄と言おうか、他人を――なにがしは人ではないのだが――気にかけるというのは、なんとも恥ずかしいことだ。
すぐには素直になれない。それほど、三春が一匹狼を気取っていた時間は長かったのである。
土曜日の公園は、平日の夕方よりも賑わっている。賑わいの多くはおじいちゃんおばあちゃんが占めてはいるものの、週末になるとそこに親子連れも増えていた。
それでもジンチョウゲの並木に開いた隙間に目を留める人は誰もいない。その先にあるものを知る人は、ほとんどいないのだ。
「……あれ?」
細い小道を進んだ先にあるその場所に、なにがしは居なかった。
三春は数度瞬きをすると、はあと息をついた。肩から力が抜けていく。いないのかよ、そりゃあ、まあ、いつもと時間は違うけど。
「あー……何やってんだろわたし」
言いながら、ふらふらといつもの置石に腰掛ける。どうして、なんだいないのか、などと落胆してしまうというのか。まるであれに会えるのを、期待していたようではないか。一匹狼気取りが聞いて呆れる。
「はあ、とりあえずおやつ食べよう」
カバンから小分けにして持ってきたチョコパイを取り出す。ぴり、と袋を破くとふわりと香ったのは甘酸っぱいラズベリーの香りだ。思わず「うまそう」と口をついて出る。一瞬前まで落ち込んでいた気分など吹き飛んでしまうようだった。
我ながら簡単だよなあ、とは思いつつも三春はその香りにごくりと唾をのみ、ぱくとかぶりつく。甘いチョコレート。それから甘酸っぱいラズベリーのクリーム。ああ、鉄板の組み合わせだ、美味しくないはずがない。
「あー、うまあ……」
感嘆のため息とともにそうつぶやいた瞬間、がさっと音がして三春は肩を震わせる。
「お? 来てたのか」
「あ」
振り向いた先に居たのは、驚いた顔をしたなにがしだった。何やら足元に猫を従えている。
「おお、うまそうなものを食っているじゃないか、休みの日でも来るのだな」
なにがしの言ったことに、三春は「えっ」と言う。
「休みの日とか、そういうのわかってんの?」
「長くここで人間の営みを見ていればわかるようになる、お前が”こうこう”に通う”こうこうせい”だということぐらいはわかる。こうこうせいは”どにち”が休みなのだろう」
「見ていれば、って」
「俺は一日中この祠の傍にいるわけではないぞ、”こうえん”の中を歩き回って人間の営みを眺めて回っているのだ」
「……暇なんだ」
懐から取り出した鈴で猫をじゃらしながら答えるなにがしに、三春は呆れたようにそう言って寄越した。多少からかう意図があった。
「そうだな、だからお前と話の出来るこの時間は楽しみのひとつだ」
しかし返ってきたのは反論ではなく、笑顔で言われたそんな言葉だった。
思いがけないその答えに、三春はどきとして目を伏せた。そう言われて嬉しいなんてまさか、浮かれてるなよ……と言い聞かせる。期待なんてしても無駄だと、知っているじゃないか。
「それに、お前はうまい菓子を持ってくるからな、それも楽しみにしている」
ああ違う。嬉しいなんて、まやかしだ。
三春がそう思うと、心臓のあたりがぎゅっとした。
自分は人間関係を楽しめるような人間ではない。それは、十六年という短い人生ながらもすでに思い知ったことだ。他人に興味が無くて、相手の事は思いやれない。だからやがて、誰もが去って行くのだ。そうなることがわかっているから、三春は求めない。嬉しいなんて一時の感情に流されて、求めてしまえば、後に待っているのは惨めな未来だ。
「あんたのために、持って来てるわけじゃないし、あんたのために、ここに来てるわけでもない」
そう、強がりを言った。強がりといっても、言ったことは事実であり本心だ。それなのに、なぜだか三春の心臓は苦しかった。
しばしの沈黙が流れる。いつの間にやら、なにがしが猫をじゃらしていた鈴の音は聞こえなくなっていた。
「俺が見える人間は、これまでにも何人かいたと前に言ったな」
なにがしは、突然そんなことを言った。
「そのどれもが、俺を一目見て逃げ出すか、次の日からまったく姿を現さないかのどちらかだ」
言われてみればそんなことを聞かされたかもしれないが、三春はよく覚えていなかった。聞き流していたのだろう。
「俺から逃げなかった人間はお前が初めてだ、そのことに俺は少々浮かれているらしい。たとえついででも、お前が菓子を持ってここに来ることが、嬉しい」
だから、違う。浮かれちゃだめだと、そう思っているのに。
「俺はお前を、友人だとさえ思っているぞ」
ああだめだ、と思うのと同時に目頭のあたりがじわと熱くなった。三春は慌てて目元を拭うが、一度溢れたそれは簡単には止まらない。それどころか頭が勝手に浮かれていた自分を思い出して感情が加速する。
ついでだと言い訳をして、でも本当は、寂しいという気持ちを埋めようとおばけの存在にすがっていた。
寂しいけれど、一人でいる方が楽だから一人でいる。そういう自分は強い、孤高だと、心のどこかで思っていた。周りを見くだして、それで心の均衡を保っているつもりだった。それなのに、寂しさを埋めたいと思ってしまってはもう終わりだ。群れなけりゃ生きていけない弱虫とは、まさに今の自分の事ではないか。
惨めで、格好悪い、弱虫。
「どうした、嬉し泣きか」
優しい声がして、頭に何か乗せられた。
「……まあ、そんなわけは無いな」
体温はまったく感じられない、それはなにがしの手らしかった。優しく頭を撫でられている。優しい。悔しい。
「うう、くやじい……」
子供のような声が出た。なにがしが笑う声が聞こえると、不思議と感情の波が凪いで行くようだった。それでも涙は止まらない。
「ははは、悔しいか」
緊張の糸が切れたように涙があふれたのを、三春はぐいと拭った。悔しい。自分は、惨めで、格好悪い、弱虫だ。
おばけに、なにがしに、『うまいな』と言われて、嬉しかった。浮かれた。『美味しい』を共有できたからだ。だから次の日も、今日も、この公園に、会いに来たのだ。寂しさを埋めるために。嬉しさにすがるように。それはなんて惨めで、格好悪いのだろうか。悔しい。
「友だちとか、そんなもん、いらないって思ってたのに」
「うん」
なにがしが優しく相槌をうつから、また悔しい。
「友人とか言われて、嬉しいとか、悔しいし、かっこわるすぎ……」
惨めで、格好悪い、弱虫。孤高の一匹狼などでは、まったく無かった。悔しい、惨めだ、格好悪い。
それなのにようやく涙が止まった時、三春はどこかで、何かから解放されたような、清々しいという気持ちがあることに気づいていた。久しぶりに、思い切り泣いたせいかもしれない。あるいは。三春はなにがしをちらりと見る。
「そういえば、今日もうまそうな菓子を持っているな」
そんなことを言われた。なんだか、肩の力が抜けるようだった。それからいろんなことを思いだす。あ、米、研いでない。今何時だろう、お母さん帰ってくる前にやっとかないと怒られる。
三春は一口食べただけだったチョコパイをぽいと口に放り込むと、それをもぐもぐとしながらカバンからチョコパイを一つ取り出した。
「はい、あげる」
「おお」
「そんでわたし、帰るから」
「そうか」
「明日は、こないけど、また、月曜日、来るから」
「ああ、待っているぞ」
三春はなにがしに背を向け、小道に一歩足を踏み入れる。しかしそこで一度足を止めると、ちらとなにがしを振り返った。うんといった表情のなにがしに、三春は一言。
「じゃあ、またね」
と、少し照れくさそうに言うと、返事を待たずに駆け出すのだった。




