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月初めの新商品5

 わたしはいったい何やってんだ?という言葉が三春の頭をよぎったのは、帰宅して炊飯器のスイッチを押した後にソファに横たわった瞬間だった。


 なんだかんだでまたおばけに会いに行って、チーズケーキを与えて、あげく『なにがし』なんて呼び名までつけた。しかもいい名前だなんて言われて、ちょっと嬉しくなってしまった。一匹狼を気取っておいてこのザマか、と思うと格好悪いやら情けないやら、何ともいえない感情が湧き上がってくる。たまらず足をばたつかせたが、すぐに疲れたのでやめた。

 そうしてだらりと体の力を抜くと、途端になんだかどうでもいいやという気になってくる。

 まあいいや、どうせおやつのついでだと思えばいい。そう、ついでだ。あれに会いに行くのが目的と思うからいけない。わたしはいつものお気に入りの場所でおやつを食べる習慣を続けているだけ。あれがたまたまあそこにいるだけ。

 偶然そこにいる、ただの顔見知りというか、おばけなんだから顔見知りとカウントするのも変か。野良猫がいつもそこにいるみたいな、そうだ、それと同じ。だからあまり気にしないでいい。決して、人恋しさなんて理由じゃない。そんなんじゃない。そんなんじゃないんだからな。ソファに横たわりながら、三春はそう自分に言い聞かせるのだった。





 翌日は、朝から雨だった。天気予報によると、一日中降り続くらしい。

 傘に落ちる雨音を聞きながら学校への道のりを歩く三春の関心ごとは、湿気でうねる己の髪だった。まとまらない毛先が見えると、なんだかうっとうしい気分になる。かといって後ろでひとつに縛ってしまうと少し寒いし、我慢するしかない。

 三春が、はたとおばけのことを気にかけたのは、購買でおかずを買った帰りに廊下を歩いている時だった。

 窓の外へ目を向けると、雨はまだざあざあと音を立てて降っている。雨粒は緑生い茂る樹木に降り注ぎ、その葉に自らの身をばちばちと打ち付けていた。青々とした葉はそのたびに大きく身をしならせて雨粒の力を受け流す。その姿はまるで、合気道の達人のようである。

 それとも、若さゆえの柔軟性というものなのだろうか。

 たとえば三春が目当てのフライセットが売り切れなことがわかるやいなや、煮物セットへと標的を変更することができるように。



――そういやおばけ、雨降ってるときはどうしてんだろ



 雨音を聞きながら、そんなことを思ってしまう。

 あの場所にいて雨ざらしになっているのだろうか。それとも、祠の中で雨宿りでもしているのか。そもそもおばけって、雨に濡れたりするのだろうか。あれ、そういや、なにがしって名前つけたんだっけ。そう呼ばないと怒るんだろうな。実はちゃんと傘とか、持ってたりするのかな。あの格好に合う和傘とか……。



――いやいや、別に、関係ないし



 教室に戻り、買ってきた煮物セットとおにぎりとお茶を机に広げたところではっと気が付く。ほんのわずか、首を横に振った。

 雨が降った日、三春は公園に寄り道はせずにまっすぐ家に帰る。雨ざらしのあの場所では、雨が降ればあの座り心地のいい置石が濡れてしまう。つまり座ることができないのだ。そうなると公園に寄ってわざわざ屋根のある場所でのおやつを強行する理由は無く、諦めてとっとと帰る方が賢明である。

 なにがしのことは、おやつのついでだ。昨日己の中でそう答えを出した。それなら別に、公園に寄って帰る必要は無い。雨の日はいつもそうしているように、真っ直ぐ家に帰っていいのだ。

 だからこそ三春は関係ないしと心の中でつぶやいて、首を横に振ったのだ。

 おにぎりを一口ほおばる。今日のおにぎりの具は一口サイズのクリームコロッケだった。中々どうして悪くは無い。しかし、三春の頭からなにがしのことを吹き飛ばすほどの衝撃ではなかった。



――でも、ちょっと見に行くだけ、してみようかな



 関係ないとつぶやいた舌の根も乾かぬうちに――つぶやいたのは心の中で、なのだけれど――そうつぶやく。――これも、心の中で――



――こう、もやもやしたままじゃ、帰ってから食べるおやつも美味しくないだろうし、仕方なく、うん、仕方ないから……



 おにぎりを食べ進めながら、心の中では言い訳を続けた。いったい誰に対する言い訳なのか。それは他でもない、自分自身への言い訳であった。








 踏み出した足元で、小さな水たまりが跳ねてぱちゃりと音を立てる。

 雨の日の公園はまったく人気が無い。それは、三春が初めて知ることだった。石畳の地面は水はけがわるくなっているのか、ところどころに水たまりを作っている。水たまりは踏み込んでもたいしたこともなさそうな小さなものから、うっかり踏み込めば一気に靴の中までびしょ濡れになってしまうだろう大きなものまであった。

 三春はしばしその場に立ち止まり、来てしまった、と軽く後悔をしていた。傘に雨粒が当たってばたばたと鳴る音が後悔に拍車をかけるようである。しかし反面、ここまで来ては引き返せないとも思う。やがて三春は大きな水たまりを避けるようにゆっくりと、しかし確実に桜並木を公園の奥に向って歩き出した。

 ジンチョウゲの並木にたどり着くと、いつものように植木の隙間に足を踏み入れる。雨の日にここを通るのは初めてだ。人が一人やっと通れる隙間は狭く、通り抜けようとするとどうしても腰のあたりにジンチョウゲの枝葉が当たる。



「うへえ、濡れた……」



 当然、雨で濡れたそれが当たれば制服に水がつく。すぐにぱっぱと払いのければ制服はたいしたこと無いが、気分へのダメージは著しい。なにやってんだろう、と思うと苛立つやら情けないやらで思わずため息が出た。しかしやっぱり、ここまで来てはもう引き返せないのだ。三春はふうっと息をつくと前を向き、そのまま細い小道を歩いていった。


 三春を出迎えたのは昨日と同様、なにがしの驚いた顔だった。



「来たのか、こんな雨の日に」



 今日こそは、そっちが来いと言ったからという言い訳は使えない。昨日の別れ際に「またな」とは言われたけれど……。ていうか、雨でもここにいるのかよ。三春は再び、なにやってんだろう、と思うと今度は恥ずかしさがこみあげてきた。



「……雨、の日は、どうしてるんだろうと思って」



 三春がええいもうやけだという思いでそう言うと、なにがしは何か察したような顔をしてから、にいと笑った。



「なんだ、俺のことを心配して来たのか?」

「ち、違う、そういうんじゃないから」



 慌てて言った否定の言葉は照れ隠しだけではなく、その実自分に言い聞かせたものだった。心配したわけじゃないから。ただ、ただ気になるから確かめにきただけっていうか。心配とか、そういうんじゃないから。

 突き放すような言い方になったが、なにがしは不快感を示すことはなく、それどころか何がおかしいのかにまにまと笑ったままだ。



「安心しろ、俺は人間のように雨に濡れて震えたりはしない、ほら」



 なにがしはそう言うと、三春の空いている方の手をひょいと掬い上げた。

 初めて触れたなにがしの手は、不思議な感触だ。体温というものはよく感じられず、冷たくもなければ温かくもない。滑らかで柔らかい木に触れたような感覚。それでも人に触れたようにどきとして、なんとなく緊張してしまう。



「俺の手は濡れていないだろう」



 三春は、言われてようやく気付く。なにがしは雨ざらしになっていたはずである。いや、今だって雨ざらしだ。それなのに三春の手に触れたなにがしの手はさらりとしていて、濡れたような感じはまるで無い。



「まあ、確かに……」



 三春がそう言うと、なにがしは「だろう」と言って笑う。



「だから心配は無用だ」

「だから、心配したわけじゃ、ないし」



 そう反論しながら、三春は視線を地面に落とした。このあたりはむき出しの地面で、雨を吸い込んだそれはぬかるんでいる。ああ、ローファーに泥が跳ねているではないか。わざわざこんな足元の悪いところに来たからだ。どうして来てしまったんだろう。いいや、それは。



「……気になって来てみただけだから、でも、気にして損した」



 続いて三春の口から出たのは、照れくさそうに言うそんな言葉だった。



「損をさせて、すまないな」



 なにがしが笑って言うそれは到底謝罪の言葉には聞こえない。しかし不快になるかといえばそうではなく、心地よい呆れと言ってはおかしいだろうか。思わず笑ってしまいそうですらあるが、それも恥ずかしいので耐えた。悔し紛れに「今日はおやつ、無いから」と言うと「わかっている」と笑われた。悔しい。



「いつまで手、握ってんの」

「ああすまんな、しかしお前の手は冷たいぞ、雨の中歩いてきたから冷えたのだろう」

「いや、別に……」

「帰ったらよく体を温めておけ、風邪でも引かれては困る」

「このぐらいじゃ風邪なんてひかないし……」



 ようやく手を離され、なにがしの忠告にそう返事をしつつ三春はなにがしに背中を向けた。帰り際になにがしに言われた言葉は、今日もまた「では、またな」であった。










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