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別れのあやめだんご3

 あやめだんごを、一口ほおばった。

 とろりとした蜜が唇に触れ、もっちりとした団子に歯が沈んでいく。そうして団子を、もち、とかみ切った。唇についた蜜をぺろりと舐めとる。蜜に黒糖を使うのが、このあやめだんごの特徴だ。それが蜜の黒さを生み、また深い味わいを生む。それが閉じ込められた蜜はとろりとして、その甘さが口の中にべったり張り付くように広がった。



「んまー……」



 もちもち、と口の中で団子をかみ切りながらそうつぶやいたのは三春だ。これを食べるのは、久しぶりだった。変わらないなあ、と思う。子どものころに食べたのと同じ味だ。これを食べたときの思い出が鮮明によみがえるようだった。

 嫌と思うほどに、鮮明によみがえるのだ。



「うん、うまいな」



 隣では、なにがしがそう言った。その声を聞くと、なんだか安心するようだ。三春は深く息を吸うと、静かに口を開いた。



「これはさ、思い出の味っていうか、本当に、特別で」

「ぷりんよりも特別なのか」



 なにがしの問いかけに、三春はうんと頷いた。

 あやめだんごは、三春にとって特別なおやつだ。特別になった理由がある。しかしその理由を話すのには少し勇気がいる。いや、もしかすると少しどころではなく、もっと、ずっと勇気のいることかもしれない。

 しかし次の一言は、思いのほかすんなりと三春の口から出て行った。



「まあ、わたしにも、友だちっていうのがいたこともあってさ」



 なにがしが「うん」と相槌を打つ。ああ、優しい声だ。



「でも、ある日急に無視され始めたわけ。まあ今になって思えば、わたしが全然愛想無いっていうか、その子たちに興味無さそうにしてたからだろうなって思うけどさ、当時はわけわかんなくて、泣きながら帰ってたんだ」



 話せば、泣いてしまうと思っていた。しかし三春は思いのほか冷静でいられた。

 それは、三春が小学生のころだった。高学年になった年だ。前の日まで仲良く話していたと思っていた女の子たちが、その翌日にいきなり三春を無視したのだ。今でもあのときのことは時々思い出してしまう。なんとなく気分が落ち込んだような日。なんとなく寝つきが悪いような日。それは水に落ちた真っ黒なインクのようにじわりと広がり、三春の心をむしばんだ。

 けれど今は、何かがインクが広がるのをせき止めているような気がした。そして、それは何か、安心するような心地だった。



「そのときの通学路ってすぐそこなんだけど、途中に和菓子屋さんがあって、歩いてたらそこのお姉さんに呼び止められたんだよね。ほら、子どもが泣きながら歩いてるから、心配してくれて。それで、そのお姉さんがくれたのが、あやめだんごだったの」



 食べかけのあやめだんごを、じっと見つめる。そういえば、あの時はもっと大きく見えたっけ。子どもだったから。



「一口食べたら、もう美味しくて、その瞬間だけやなこと全部忘れたんだよね」



 それは本当に、あやめだんごを食べている間だけだったけれど。それでも十分だった。翌日以降もまた無視は続いたが、あやめだんごの味を思い出せば多少気持ちが落ち着いたのだ。



「ああ、美味しいおやつを食べれば平気なんだって思って、まあ、今に至るってわけかな」



 そうして、三春はやがて一匹狼として生きる道を選んだ。美味しいおやつがあれば、一人だって平気だ。そもそも、そういう方が向いている。群れなければ生きていけないあの弱虫どもとは違うんだ。そう、自分に言い聞かせて。

 あやめだんごを、もう一口食べた。やっぱり、濃い黒蜜が何とも言えず美味しい。しかし美味しいのは黒蜜だけではない。その下にある白い団子も、ほんのりと甘い。日本人の遺伝子に刻まれたその甘さは、食べる人の心を優しく包み込むようではないか。

 いいや、実際に、優しく包み込まれたのだ。そして、だから、なにがしに食べさせるのに、これを選んだ。



「だからさ、昨日あんたが落ち込んでるみたいだったから、これ食べたら一瞬だけでもやなこと忘れられるかなって」



 そう言うのは、少し照れくさかった。こんなこと言うのは柄じゃないのに。だいたいこの間の井上さんの件だってそうだ、人を慰めるのは得意じゃない。得意じゃないことには、手を出さないできた。失敗するのがわかっているから。

 それなのに今、三春はこうして必死になにがしを慰めようとしている。そのためにあやめだんごまで用意して、過去の忘れたい思い出まで語って。何をしているのだろう、恥ずかしい。それもこれも全部、なにがしのせいだ。



「ああ、嫌な事を、忘れられるようだな」



 なにがしが、そう言う声が聞こえた。



「お前のおかげだ」



 次いで聞こえたのは、感謝の言葉。恥ずかしい。なにがしは、そういうことを恥ずかしげも無く言う。何度恥ずかしいと思ったことか。

 ああ、でも。三春の頭が、急にかんと冴えた。



「……本当に、消えるの?」



 思いのほか、小さい声になってしまった。

 なにがしは、今、消えてしまうかもしれないのだ。



「消えるだろうな」



 なにがしは、きっぱりと言った。

 ああ、やっぱり、消えるらしい。



「自分が戦神だったってこと、気にしてんの?」

「……まあ、気にして、いるのだろうな」



 なにがしは、歯切れ悪く言った。ああやっぱり、気にしているんだ。だからこんなに、落ち込んでいるんだ。



「……わたしはさ、戦とか、戦争とかのことには口出せないけど、それでもわたしにとっては、なにがしはなにがしだから、本当は戦神だったとか、関係ないよ」



 三春はあやめだんごに視線を向けながら、そう言う。言葉で慰めるのは苦手だ。だからあやめだんごを用意した。それでも、これだけは伝えたいと思っていた。三春にとっては、なにがしはなにがしだから。おばけでも、付喪でもない。神様でも、ないのだ。



「だから、わたしには、なにがしは友だちだから、本当は、消えてほしくないよ」



 少し、胸が苦しくなった。喉の奥に、何かつかえているような感じだ。ああ、苦しい。



「むしろやだよ……、何で急に、いなくなるとか、そういうことになるわけ」



 ああ、だめだ、と思う。目頭のあたりがじわりと熱くなった。あやめだんごをもってしてもだめだった。なにがしが消えてしまうという事実に立ち向かえない。結局こうなるんじゃないか。友だちだと思っていても、急にいなくなってしまうのだ。急に、失ってしまう。そんなことばかり頭に浮かんで、涙がこぼれた。

 どうせ、消えてしまうんじゃないか。こんなことになるなら、初めからなにがしとなんて、関わらなければよかった。

 涙で滲んだ三春の視界に、食べかけのあやめだんごが映る。

 その途端、三春は、いや、でも、と思う。



「……そうだな、俺は、戦神として消えるべきだと思って、お前の友人であることを忘れていたようだ」



 なにがしがそう言う声が聞こえた。三春は涙を拭うと、ちらとなにがしの顔を見上げる。なにがしはこちらを見ていて、その意志の強い瞳と目が合った。



「俺はお前の、三春の友人としては、まだまだこの場所に居たいと思う。三春の友人で、有り続けたい」



 三春の胸が、きゅうと苦しくなる。その言葉は、嬉しい。ああ、そういう言葉を素直に嬉しいと思えるのも、なにがしと出会ったからだ。

 そうだ、なにがしと出会ってから起きた様々なこと。そのどれもについて、三春は後悔していない。むしろ良かったと思うし、今までにない充実感すら感じていたように思う。少し悔しいけれど、楽しかったのだ。

 なにがしと出会わなければ、その経験は、無かった。

 三春は目元に溜まった涙を、ぐいと拭った。もう、涙は溢れてこない。そうしてなにがしに視線を向けると、その名を呼んだ。こちらを見たなにがしの目を、じっと見つめる。



「わたし、なにがしに会えてよかった」



 笑うことは、まだできなかった。きっと睨み付けるように見えてしまっているのかもしれない。しかし、それでも構わなかった。そう伝えることが大事なのだ。

 三春がそう伝えると、なにがしは驚いたような顔をした。それから、ふっと微笑む。



「ああ、俺も三春に会えてよかったと思っているぞ」



 その言葉に、三春の胸はまた嬉しいという感情にきゅうとなった。



「おかげで、うまい菓子をたくさん食えた」



 なにがしがにまりとした笑みを浮かべてそう言えば、三春の顔にもようやく笑みが浮かんだ。



「うん、たくさん食わせてやったよ」



 笑ってそう言い返す。

 あやめだんごはもう、過去の思い出だけの味ではない。きっと、なにがしを思い出す味だった。










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