別れのあやめだんご2
それは、突然のことだった。
「あれ?」
翌日、三春がいつものように祠のある場所へ行くと、そこになにがしはいなかった。しかし三春がおかしいなと声をあげた理由は、それだけではない。
祠の周りにはカラーコーンが立てられ、なにやらテープで立ち入りを制限されている。昨日はまったく何も無かったというのに、昨日の今日でいったい何があったというのか。三春が困惑した様子でその場に立ち尽くしていると、背中の方から誰かが小道を歩いてくる音がした。三春は、なにがしが来たのか、と思って振り返る。
「あ、こんにちわ」
振り返った先に居たのは、なにがしではなかった。なにやら作業服のようなものに身を包んだ、若い男性。三春を見てそう言った男性に、三春は小さく会釈をした。とはいえ、まったく知らない男性だ。
作業服の男性はそのまま三春の横を通り過ぎると、まっすぐ祠へ向かった。そうしてポケットからカメラを取り出して祠の写真を撮ったり、状態を確認するように触れてみたりしている。
「あの」
三春はその男性の背中に声をかけた。男性が不思議そうに「はい」と返事をして三春の方を見る。
「その祠、えっと、何かするんですか」
「ああ、この祠古くて、野良猫とかタヌキのねぐらになっちゃってるんですよ、管理してる人もいないし、市の方でひとまず撤去するってことになって」
「撤去」
その単語に、思わずどきとした。無くなってしまう、のか。
「あ、何か思い出がある?」
三春が悲しげに眉根を寄せた表情からそう察したのか、男性が親しげな笑みを浮かべてそう聞いた。
「思い出、っていうか、ここでよく休んでたから……無くなっちゃうんですね」
三春がそう答えると、男性は「うん」と言って感慨深げに祠を眺めた。
「案外この祠に思い出があるって人多いみたいだね」
「そうなんですか」
男性の口から語られたことに、三春は少し驚いたようにそう言った。しかしすぐに、昨日の老人のことを思いだす。そうか、ああいう人が、他にもいるのかもしれない。そういえばあの人は、この祠が無くなってしまうことを知っているのだろうか。明日引っ越すと言っていたから、もしかすると知らないまま引っ越していってしまったのかもしれない。そう思うと、少し切ない気持ちになる。
「無くなるって話が出てから市にいろいろ意見が寄せられてね、戦争の時にお参りをしたとか、運動会の前にお参りをしたとか、そういう思い出のある人が実は多かったらしくてさ」
「ああ……」
三春が納得したように相槌をうつ。やはり昨日の老人のような人が他にも居たのだ。運動会の前というのは、必勝祈願だろうか。戦神だもんな。
「そう言われてみれば、俺もばあちゃんにそういう話聞かされたこともあったなあ、小学校で初めての運動会のとき、ばあちゃんに城址公園の戦神様にお祈りしたらいいって言われたっけ、まあ、行かなかったけど……どこにあるかもわからなかったし」
独り言のようにそう言って、男性は少し目を伏せた。男性にとって、悲しい思い出だったのかもしれない。はっと気づいたように顔をあげて「ああごめん、変な話して」と言った顔に浮かぶ笑顔も、どこかぎこちないようだ。三春は「いいえ」と首を横に振った。
「ああ、一度ちゃんとお参りしておこうかな」
それから男性はそう言って祠に向き直ると、パンパンと柏手を打ち数秒拝む。ちゃんと、というには雑な作法だったが、恐らくなにがしなら気にしないのだろう。その背中を見つめて、三春はそう思っていた。
ちゃんと、ではなかったが、拝み終えた男性はまた三春の方を振り返る。
「でもそういう話ってやっぱり、無くなるって決まってから出て来るんだよね、まあそれで一応撤去した後に別の場所に建て直すって話も出てはいるけど、それもまだどうなるかわかんないし」
「やっぱり、撤去するのは決まってるんですね」
「ああ、うん、残念ながら」
男性は申し訳ない、といったように肩を竦めた。それから「それじゃあ」と言って三春に軽く会釈をすると、元来た小道の方へと去って行く。三春もまた小さく会釈を返してそれを見送った。
すると小道からは入れ替わりに、なにがしが現れたのだった。思わず「あ」と声が出た。
「来たか」
「ああ……うん」
「今の男から、聞いたのだな、祠が無くなると」
なにがしは三春の浮かない表情から察したのか、そう言った。三春はうんと頷く。
「祠が無くなったら、どうなるの?」
それから三春は、なにがしにそう聞いた。祠が無くなれば、なにがしはどうなってしまうのか。それは、あの男性から祠が撤去されると聞かされてからずっと三春の胸に引っかかっていたことだった。
もしかすると何も影響など無いのかもしれない。しかし、もしかすると。そうした不安が、三春を苦しめていた。
なにがしの答えは
「恐らく、消滅するのだろう」
というものだ。『わからん』ではなかった。ぎゅっと、三春の胸が苦しくなる。
「消滅って」
「俺を祀った祠が壊され、無くなるのだ、俺も消えて然るべきだろう」
「何で、そんな、落ち着いてんの」
消えてしまうと、わかっているのに。それともおばけは……いや、おばけではない、神様というやつは、消えることなんて怖くないというのか。
三春はなにがしをじっと見つめ、いや、と思う。
なにがしの表情は沈んでいる。それは、昨日の別れ際に見たそれと何も変わっていなかった。目を伏せたその表情は、何とも言えず悲しげだ。やっぱりあれだけのラングドシャでは足りなかった。
「俺は、佐々木の何某という武士であった頃、多くの人間を斬った。戦神になるとは、そういうことだ」
なにがしがそう語り始めた声もまた、昨日と同じだった。悲しげな響きをしている。
「戦神としてこの祠に祀られて、長い時を過ごした。今のように姿を持ちはしなかったが、この場所で、多くの人間を見てきた」
なにがしの伏せた目は、どこか虚空を見つめている。三春はただ息を潜めて、なにがしの語ることを聞いていた。
「多くは勝利を祈願する人間だ、戦、そして、戦争に」
それは、心臓のあたりをぎゅうと締め付ける言葉だ。
「時には俺に、勇気をくれと祈る人間も居た、若い、男だったな。俺は何も言わないが、そいつは勇気をもらったと礼を言って去って行った。そういう人間は珍しいからな、顔を覚えてはいたんだが……二度と、現れることは無かった。これから戦地へ向かうと言っていたから、恐らく、そこで死んだのだろう」
はあ、と息をつく。それは、聞いたことが無いほどに重たい。
「戦神とは、そういう存在だ」
なにがしの言葉は、弱弱しく三春の耳に聞こえた。
「この時代は平和なようだ、戦神というのは必要が無い、いや……むしろ、戦神がいてはいけないのかもしれん。俺は、消えるべきなのだろう」
それは、なにがしの建前だった。その証拠になにがしの目はまだ悲しげに伏せられていて、両の拳は固く握られている。頼り無げにさえ見えるなにがしの姿に、三春もまた拳をぎゅうと握った。すると、手に持っていたビニールの袋がかさりと音を立てる。三春は音のした方を見下ろし、ああ、と思う。
三春はビニール袋を持っている方の手を持ち上げ、なにがしに向ってずいと突き出した。
「とりあえず、これ食べて、話そう」
気合いを入れたせいか、きっと睨み付けるようになってしまった。しかしそれを気にしている余裕は無い。三春は昨日と同じように驚いたような顔でこちらを見るなにがしを睨むような目つきで見つめ、それから置石に視線を移すとそちらに向かって歩き出した。
いつものようにカバンは下に置いて、置石に腰掛ける。そうしてビニール袋から三春が取り出したのは、何かの入った透明なパック容器だ。中身は、真っ黒な姿から白く細い棒が短く出ているものが二本。三春は慣れた手つきでパック容器の輪ゴムを外してふたを開けた。
パコ、と開いたふたにはべったりと黒い蜜がついている。もったいない、とは思うが、それはむしろ蜜がたっぷりついているという証である。ふわりと香るのは黒糖だ。思わず唾液が出てごくりと喉を鳴らす。
「これ、あやめだんご、っていうの」
「あやめだんご、か」
なにがしが繰り返した声が聞こえた。横文字ではないので、流ちょうな発音だ。むしろなにがしの声で言われた方がしっくりくる響きである。
三春はあやめだんごの入った容器をなにがしへずいと突き出した。
「ほら、取って」
また、睨み付けるようになってしまった。なにがしは三春の顔からあやめだんごへを視線を移し、手を伸ばした。くしをつまんで、ひょいと持ち上げる。しっかりとした蜜は白いだんごにぴったりとくっついて離れない。つやとしたその表面に光が反射して黒光りする様は、何とも言えず美味しそうではないか。
「ああ、うまそうだ」
かすかにその口元に笑顔を浮かべて、なにがしがそう言う。それを見た三春もまたかすかに笑みを浮かべると、あやめだんごのくしをつまんでひょいと持ち上げた。




