別れのあやめだんご1
翌日の放課後。いつもの場所で三春がおやつを披露すると、なにがしはうんと眉間にしわを寄せた。
「昨日の”ぷりん”とやらではないのか」
「あ?」
思わず乱暴な返事をしてしまう。だがしまったとは思わない。なにがしの言葉はつまり、昨日の三春と井上さんのやりとりを陰で見ていたということである。なにがしを睨む三春の表情は険しい。
「どこで見てたの」
「いや、お前たちのことが心配でな、遠くから見ていたのだ、そうしたら何やら見たことも無いうまそうなものを二人して食っているではないか」
三春が険しい表情で問いただすが、なにがしは悪びれた様子も無くそう答える。その堂々たる態度といったらない。結果三春の方が、ああこういうやつだった、と折れるしか無いのである。
「あのプリンは特別なときのおやつだから、まあ、また次の特別な機会にね」
「ふむ、まあ、そういうことなら次の機会とするか」
なにがしはこういう切り替えも早い。すっかりそれを思い知った三春は、自分もさっさと切り替えることにした。置石に腰掛け、カバンから取り出したハサミで今日のおやつの封を切る。今日のおやつは、定番の一口サイズのシリーズから、ラングドシャだ。ホワイトチョコレートの強い香り。黒いチョコレートよりも柔らかいそれは口の中ですぐに溶けて、薄いサクサクとしたクッキー生地と混ざり合う。またホワイトチョコレートは黒いチョコレートよりも甘味がしつこい。だがそれがいい。
「井上さんから聞いたけど、あいつ、また埋められたんだって?」
ラングドシャを口に放り込みつつ、三春はそう話題をふった。あいつ、とは昨日の黒い付喪のことである。井上さんの言葉で言えば、くろちゃんだ。
「ああ、ニノキンゾウと話してな、充分反省はしているが、何か罰が無ければ示しがつかないだろうということで、もう一度半分埋めてやろうということになったのだ」
「ああ……」
ニノキンゾウ、と聞いて三春の頭に嫌な記憶がよみがえる。あの野郎、その内懲らしめてやるからな。三春が顔をしかめたのでなにがしが「どうした」と聞くが、三春は「何でもない」と言ってその理由は答えなかった。だから、こんなこと説明できないって。ちなみに今日は青の縞々だった。
なにがしとそんな会話をしていると、突如後方からがさりという音がした。なにがしと三春が同時に、音のした方を振り向く。なにがしも三春も、いつもの虎猫だろう、と思っていた。
しかし小道に続く方から現れたそれは、まったく猫の大きさではない。
「おや、こんにちは」
「あ、こんにちは……」
三春に気付いて挨拶をしたそれは、人間だ。それも、老人の男性。なにがしのことは見えていないようで、まったく驚くような様子は無い。むしろ驚いているのは、三春の方だ。
この場所に、人が来るのは初めてである。そもそも、人が来ないから三春はここをお気に入りの場所として使っていたのだ。
老人は迷い込んだというようではなかった。三春に挨拶をした後、しっかりとした足取りで祠の方へと歩いていく。そうしてその前で手を合わせると、深々と頭を下げるのだった。
三春は置石に腰掛けたままで、その背中をじっと見つめる。老人はしばしの間、祠の前で拝み続けた。ぶつぶつと何かつぶやいているようだったが、その声は小さく、聞き取ることは出来なかった。
やがて老人は下げていた頭を上げて、振り返った。一瞬、目が合う。老人がにこりと笑った。
「この祠には、何が祀られとるか知っとるかい」
「あ、いいえ」
突然の問いかけに、三春は驚きながらもそう答えて首を横に振った。
「そうかい、この祠にはね、昔の武士が祀られとるんよ」
「武士……?」
三春がちらとなにがしを見ると、なにがしは首をかしげた。なにがしも、この祠のことについては知らないらしい。いや、『わからん』のか。
「ここは、城址公園やろ? 昔はここにお城があったんよ」
「ああ」
納得したように相槌をうつ。そういえば、城址公園という名前が当たり前すぎて、考えたことも無かった。老人の言うとおり、城址というからには城があったのには違いないのだろう。
「そんでな、そのお城に強い武士がおってな、戦でたくさん活躍したんや。その武士が死んだあと、戦神としてこの祠に祀られたんや」
いくさがみ、と口の中でつぶやいた。聞き慣れない言葉だ。
「わしは昔戦争に行ってな、ここらの人は戦争に行く前、皆この祠にお参りしてから行った。戦神のように、戦場で活躍できるように、と」
戦争。それは、聞き慣れない言葉ではない。しかし、三春にとっては遠い言葉だった。しかし遠い言葉だが、なぜか心臓のあたりがきゅっとなる。
「でもな、というんは建前で、皆、本当は戦神に、お守りくださいと祈ったんやと思う、少なくともわしはそうやった。死んだ仲間もおるけど、わしはここの神様のおかげで、生きて帰ってこれたんやと思うんや」
老人はそう言うと、ははと軽く笑った。
「若い人にはつまらん話やったかね?」
「あ、いいえ、聞けて良かったです」
思わず、「本当に」と付け加える。本音だと伝えたかったのだ。それが伝わったのか、老人は「よかった」と言う。
「今日はな、別れの挨拶に来たんや、もう明日引っ越してしまうんでな」
「引っ越すんですか」
「ああ、息子夫婦と同居や、この年で生まれ育った場所から離れるんも嫌やけど、一人で死んで迷惑もかけられんし、仕方ない」
「そう、ですか」
老人はその場で祠の方を向いて、手を合わせた。
「佐々木様、その節は本当に、ありがとうございました」
佐々木。それが神様の名前だろうか。
「神様は、佐々木って言うんですか?」
「ああ、佐々木何某という武士やと」
「なにがし?」
聞いてみると、思いがけない答えが返ってくる。
「ああ、昔の武士で名前がわからんときは、苗字の後になにがしってつけるんや、佐々木の一族の誰々さんみたいにな」
三春が驚いたように繰り返したのを、老人は『なにがし』の意味が分からないものと思ったのか説明を返した。しかし、三春が『なにがし』を繰り返したのはそういう理由ではない。
「佐々木の、何某……」
なにがしが小さくつぶやいた声が聞こえた。三春がなにがしを見ると、なにがしもまた、驚いたような顔をしていた。
「まあ管理しとる人もおらんし、詳しいことはようわからんけどな」
老人はそう言うと、祠に背を向ける。それから「たまにはお参りしてあげてな、それじゃ」と言うと、小道の方へと歩いて去って行くのだった。
三春はその背中を視線だけで追い、見送る。そうして訪れた静寂の中で、第一声を発したのは、なにがしだった。
「……わかった」
「え?」
三春がなにがしを見上げると、なにか茫然としたような表情で宙を見つめている。『わからん』が常のなにがしが『わかった』と言った。それは、三春にとって驚くべきことだ。しかし茫然としたような表情のなにがしは、更に驚くべきことを続けた。
「俺が、何者なのか」
三春は小さく息をのむ。それは、驚きの感情のためだ。
「佐々木の何某、それが、俺の名だ」
それでも、もしかして、という思いはあった。だからその言葉を聞いて三春が思ったのは、やっぱり、ということだった。
「まあ、名もわからぬ佐々木の武士として祀られていた時間が長かったためか本来の名は忘れてしまったがな」
この祠に祀られているという戦神。それこそが、なにがしの正体だった。
たしかにおばけではない。付喪でもない。神様だ。
「そうか、戦神……」
正体がわかった。だというのになにがしの表情には、己が何者かわかった喜びはまったく見えない。それどころか目を伏せ、どこか悲しげにさえ見えるではないか。
「通りで、俺は傷つけることばかり得意なのだな」
ぽつりとつぶやいたそれも、やはり悲しげな響きをしている。三春はそんななにがしにどう声をかけていいのかわからず、ただその顔をじっと見つめていた。思わず手に力が入ったのか、持っていたお菓子の袋がシャクと鳴る音が聞こえる。その音に三春は自分の手元に視線をやり、そして、ああ、と気が付く。
そうだ、自分の得意な慰め方は、これだった。
三春は持っていたそれを、なにがしにずいと突き出す。
「これあげるから、とりあえず、食べて」
なにがしが三春の方を見て、驚いたような表情に変わる。三春はなにがしのその顔をじっと見つめた。顔に力が入っているのがわかるので、睨み付けているようにも見えるかもしれない。しかしそう思っても、顔から力を抜くことはできなかった。
「食べてからいろいろ考えなよ、その方が、深刻にはなりにくいから」
その表情のまま、そう言う。なにがしはそれでも驚いたような顔で三春を見つめていたが、やがて目を伏せ、差し出されたラングドシャの袋を受け取った。
「ああ、これを食べてから、考えることにするか」
そう言ったなにがしの表情は、まだ悲しげに沈んでいた。
小道を抜けて、ジンチョウゲの並木道に戻ってきた三春は後ろを振り返った。悲しげに目を伏せたなにがしの顔が、まだ頭から離れない。
ずっとわからなかった自分の正体がわかったというのに、なにがしはなぜああも沈んでいるのだろうか。そのことが気にかかって仕方がない。戦神とは、いったいどういうことなのか。元は佐々木の何某という武士だったのか。そんなにも前から、あの場所にいたのか。なにがしについて判明した事実が頭の中をぐるぐると廻った。考えれば考えるほどわからない。どうしてこんなに、なにがしのことで思い悩んでいるのか。
三春は、いいや、と思う。そうだ、なにがしのことが心配なのだ。自分の正体がわかって、なぜだか悲しげに沈んでしまったなにがしのことが。だから残りのラングドシャを、全部押し付けた。
三春はしばしその場に立つくしていたが、やがて夕方を知らせる音楽が聞こえてきたのに気が付くと慌てて歩き出した。
足早に歩きながら三春が考えることは、やはりなにがしのことだ。
慰めようとラングドシャを押し付けたが、きっとあれだけでは足りていないだろう。もっと特別なものを用意しよう。プリンか。
三春はまた、いいや、と思う。
プリンよりももっと特別なものがある。月初めの新商品よりも、いつもの定番商品よりも、食べ損ねた月末のシュークリームよりも、もっと、ずっと特別なものがあるのだ。
三春は少し、視線をあげた。
そうだ、明日はそれを持って、なにがしに会いに行こう。
きっと、少しは慰められるはずだ。




