特別なプリン3
日暮れを迎えようとしている街中を、三春は井上さんと並んで歩いていた。日ごとに日は長くなり、この時間でもまだ日は人々を照らしている。
なにがしと付喪はいなかった。なにがしがニノキンゾウにことの顛末を知らせると言って、付喪を連れて行ったのだ。つまり三春と井上さんは、正真正銘、二人きりである。
二人きりで並んで歩く三春と井上さんに、会話は無かった。どちらも何も言いださないのだ。しかし両者の間に気まずい雰囲気が流れているかといえば、そうではないようだった。肩を並べて歩く二人には、下手な会話は必要無いという雰囲気だ。
ようやく両者の間に会話があったのは、三春がいつも利用するコンビニの前にさしかかったときだった。
「井上さん」
「あ、うん」
三春が立ち止まり、井上さんの名前を呼ぶ。
「時間ある? えっと、ちょっと、付き合ってもらいたいことがあって」
「あ、う、うん、大丈夫」
三春は井上さんの答えを聞くと「ありがとう」と言った。
「じゃあちょっと、コンビニで買い物あるから、待ってて」
「あ……うん」
それから井上さんにそう言い残し、コンビニへ入っていく。
いつものメロディと「いらっしゃいませー」という少し気の抜けたような声。三春が迷いの無い足取りで向かったのは、いつもとは違う棚だった。それの前に立つと、ひやりとした冷気を感じる。三春は冷蔵棚を数秒眺めると、手を伸ばした。
三春が選んだのは、手のひらに収まるサイズのプリンだ。それを、二つ。今日は小さなビニール袋に入れてもらった。プラスチックのスプーンも忘れない。
会計をして外に出ると、井上さんは別れたそのままの場所で待っていた。
「お待たせ、じゃあ、公園まで行こうか」
そう声をかけ、また井上さんと歩き出す。公園までは、およそ五分の道のりだ。
五分の道のりを、また会話も無く歩いていく。たどり着いた公園でも、三春と井上さんはまた会話も無く緑の生い茂る桜並木を進んでいった。そうして公園の道を歩いていくと、三春はツツジの並木道で足を止めた。その場所は、いつもの場所ではない。
「こっち」
そう言って三春は、井上さんをツツジの並木の向こうにある芝生へと誘う。三春が迷いの無い足取りで向かう先に見えるのは藤棚と、その下に設置された木製のベンチだ。
その場所にたどり着くと、三春は先に腰掛けてから井上さんにも座るよう促した。そうして井上さんが隣に座ると、三春はすうと息を吸い込んだ。
「わたしもさ、学校なんて爆発して無くなればいいのにとか、よく思ってたよ、ていうか、今でも思うこともあるし」
井上さんが「えっ」と言う声が聞こえた。
「だってつまんないし、友だちいないし、友だちがいる奴らはバカみたいに笑ってるし、うるさいし。自分が惨めみたいで、本当、学校なんて明日爆発しちゃえばいいのにね」
友だちいないし、のあたりで止めるつもりだったが止まらなかった。そういえば、こういう愚痴を誰かに話すなんてことは無かったかもしれない。言いすぎてしまったなとは思うが、少しすっきりした気分だったのでまあいいかと思う。三春が井上さんをちらと見ると、井上さんはなにか驚いたような顔で三春を見ていた。
「あー、えっと、だから、たぶん、学校なんて無くなればいいのにとか思うのって、普通だよ、落ち込んだり、反省したりすることじゃないと思う、気にしないでいいよ」
三春は井上さんを慰めた、つもりだった。慰め方が合っているのかは、わからない。だからこそ三春は井上さんの方をあまり見ることはできず、膝に置いたプリンの入った袋に視線を落としていた。これを井上さんに差し出すタイミングも計りかねているのだ。
三春が考えあぐねていると、小さな声が三春の鼓膜を震わせた。
「……前島さんは、すごい、と思う」
それは、隣に座る井上さんの声だった。
「わたし、ずっと、友だちがいなくて、それが恥ずかしいことだと思って、ずっと、隠れるみたいにして生きてたから。前島さんは堂々としてて、一人でいてもわたしとは全然違って、すごい、格好良くて、憧れてたの」
突然の告白に、三春は一瞬息が止まる。格好いいとか、憧れてたとか、嬉しいというよりも恥ずかしい。少し、頬が熱くなるのがわかった。そんな言葉には慣れていないのだ。
「本当はわたし、前島さんと、友だちになれたらいいのにって思ってた」
井上さんの告白は、そう続いた。
「でも、前島さんは、友だちなんて必要じゃないんだろうなって思って、全然声もかけられなくて、今も、こうやって前島さんと話せて、わたし、すごく緊張してる」
三春が井上さんの手を見れば、震えているのがわかった。確かに、緊張している。井上さんの告白を受けて、三春は第一に恥ずかしかった。なんというか、買いかぶりすぎている。三春はまずその思いを口にした。
「たぶん、わたしは井上さんが思ってるような人間じゃないよ」
恥ずかしい思いをごまかすかのように、三春の口元には自嘲めいた笑みが浮かぶ。格好よくなんてない、憧れるような、人間ではない。
「わたしだって友だちのいない自分は惨めだなって思うし、周りでみんなが友だちと話してる中一人でいるのは恥ずかしいこともある」
三春の告白に、井上さんが「えっ」と言うのが聞こえた。
「一人でいるのは、仕方ないっていうのもあるし、結局他人に気を遣ったりっていう人付き合いが苦手だから、一人でいる方が楽なんだよね」
言ってすぐに三春は、いや、でも、と思う。
「でも、それは結局、苦手な事から逃げてるだけなのかも。友だちは必要じゃないっていうより、無理だってわかってるから、諦めてるだけだし」
そう言ったとき、三春の頭に浮かんだのはなにがしだった。ああそうだ、と思う。
友だちなんていらない、自分は一匹狼だと、そういう強がりから解放されて、自分が惨めで、格好悪い弱虫だと受け入れることができたのは、なにがしと出会ったからだ。なにがしと出会って、そして、放課後におやつを一緒に食べる友だちになったから。
かさ、と音がした。プリンの入ったビニール袋の音だ。
三春は袋から二つのプリンを取り出すと、ひとつを井上さんに差し出した。
「これ、食べて」
「え?」
三春が押し付けるようにして渡すと、井上さんは戸惑いながらもプリンを受け取った。次いでプラスチックのスプーンも渡す。
「わたし、こういう甘いのでいつもストレス発散してるんだ、プリンは特に疲れた時に食べるやつ、美味しいから、大抵の事はどうでもよくなるんだよね。だから井上さんも、試してみて」
三春は井上さんの顔を見て、そう言う。言葉で慰めるのは得意ではなかった、と、ようやく気が付いた。これこそが、自分が得意とする慰め方だ。そもそもこのために、プリンを二つ買ったんじゃないか。
三春が先んじて、慣れた手つきでプリンのふたをはがす。ふんわり、と卵の香りがした。それを見て井上さんもプリンのふたをはがしたようだった。三春はそれを見届けてから、プラスチックのスプーンをプリンの滑らかな表面に突き立てる。少しの抵抗があってから、する、と沈んだ。
卵をたっぷり使ったこだわりのプリンは、少し固めだ。だがそれがいい。スプーンですくうと、残った方にはすくった跡がくっきりと残る。そうしてすくったそれを口へ運んで、ぱくりと食べた。するとしっかりと形を保っていたそれが、口の中の体温で初めてとろりと溶け出すのだ。卵の香り、砂糖の甘味。舌の上に広がるそれはまさに幸せの味である。
「うまあ……」
「おいしい……」
三春のそれに一拍遅れて、もう一つの喜びの声があがった。井上さんだ。
「なんか、ほっとする……」
井上さんは、続けてそんな感想を言った。三春が「よかった」と言えば、微笑みさえ見せるではないか。そういえば笑った顔は初めて見た、と思うと三春は少し驚いたような顔をしてしまう。幸いにも、プリンに視線を落としていた井上さんには気づかれなかった。
三春は、もう一口プリンを食べた。ああ、やっぱり美味しい。三春はその余韻が残る口で、声を出した。
「えっと、少し話戻すけど、わたしは人付き合いってのが苦手で、周りがやってるみたいにいつも一緒にいるとか、そういうのはたぶんできないんだよね。でも、さっきの、なにがしって紹介したでしょ」
覚えてる?と三春が聞くと、井上さんはうんと頷いた。
「あれは放課後にこの公園で、一緒にお菓子食べるだけの友だちでさ、だから、実はそういうのだけでも友だちって言えるんだと思うんだ」
だから、と言って、三春は一度言葉を止めた。その先の言葉を言うのには、少し勇気がいる。
他人に寄り添うことなど、できないと思っていた。いや、それは今でも思っている。憧れていたとか、友だちになりたかったとか、言われて少し浮かれたのも事実だ。しかしそれと同時に、期待してはいけないとも思った。
それでも三春が少しの勇気を出してその先の言葉を言おうとしているのは、なにがしの顔が頭をよぎったからだ。やっぱり、友だちがいれば、嬉しい。寂しくない。その先どうなろうと、今そう思えていればいいじゃないか。なにがしといるうち、三春は知らずの内にそう思うようになっていたのだ。
「だからさ、朝、おはようって言い合ったり、それだけでも、友だちって言えると思うんだよね」
三春はそう言って、井上さんの顔を見る。井上さんは、驚いたような顔をしていた。次第に頬に赤みが差して、それからきゅっと唇を結ぶと井上さんは大きくうなずいた。
「う、うん、わたし、おはようって言う、言うよ」
それは、緊張していた三春の心をじわりと溶かす言葉だった。嬉しくて、思わず笑みが浮かぶ。少し恥ずかしいが、三春は頬が緩むのをおさえようとはしなかった。にこりと微笑む。
「うん、じゃあ、よろしくね」
そのままでそう言えば、井上さんもまたぎこちないながらも笑顔を見せてくれた。
そうして笑い合った後に食べたプリンは、少しだけ特別な味がする。三春はそう感じたのだった。




