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特別なプリン2

「くろちゃんと出会ったのは、ちょっと前の事で、そこに埋まってたのを、引っこ抜いてあげて……」



 井上さんの告白は、やはりそれから始まった。くろちゃん、というのは井上さんがつけた付喪の名前らしい。全身黒づくめだから、くろちゃん。そのくろちゃんこと付喪が下半身が地面に埋まり、上半身だけを地上に出して必死に「助けてくれ」と叫んでいたのを、井上さんが引っこ抜いたのだという。



「声が聞こえたのか」



 となにがしが少し驚いたように言うと、井上さんは戸惑ったように頷いた。



「まあ、俺が見える人間がいるのだ、付喪が見える人間がいてもおかしくはないか」



 なにがしはふむと唸ってそう言うと、井上さんに話を続けるよう促した。



「えっと、初めは、ついに幻聴が聞こえるようになっちゃったのかなって怖くなって、逃げたんだけど、次の日も聞こえて、それで、声のする方に行ってみたの、そうしたら、助けてくれって言うくろちゃんがいたから」

「怖くなかったの?」



 三春は、思わずそう聞いた。井上さんの話すことが、なんとなく他人事とは思えなかったせいだ。未知の事に遭遇して、怖くて。それでもそちらのほうへと歩み寄った。

 三春の問いに、井上さんは少し首をかしげて答えた。



「声が、聞こえたときは怖かったけど、でも、くろちゃんの姿を見たら、その、……かわいくて、怖いのなんて、忘れちゃって」



 最後の言葉は、少し照れたように言う。この全身が黒い付喪がかわいい、とは。井上さんは案外ただ者ではないのかもしれない、と三春は絶句した。



「それに、くろちゃんは、わたしの話し相手になってくれた、友だちはいなかったけど、くろちゃんが、友だちになってくれた……」



 次いで三春は、ぎゅうと胸が締め付けられる思いがした。俯いてそう話す井上さんの姿は、自分を見ているようではないか。人ではないものが、唯一の友だち。



「くろちゃんが、物を壊すのは、わたしのせいなの」



 井上さんの声が震えていたのはわかっていた。それがついに限界を迎えたのか、井上さんの目からぽろりと涙が落ちる。焦ったように涙を拭うが、溢れるそれが止まらないらしい。言葉は止まり、ぐすぐすという声だけが聞こえる。

 三春はさすがに心配そうな表情をするが、どうしていいやらわからず声をかけられずにいた。すると、なにがしが三春の背を軽く叩いた。三春はなにがしに視線をやり、その目を見る。瞬間、三春はああと思う。

 三春の足が動いた。井上さんの方へと歩いていくと、その背中に優しく手を添える。



「大丈夫、ゆっくりでいいから」



 そうして、優しく声をかけた。それは、なにがしがあの日、泣いた三春にしてくれたことだ。井上さんが小さくうなずくのが見えた。



「わたしが、くろちゃんに、学校なんて無くなればいいのにって言ったから」



 やがて少し落ち着いたらしい井上さんは、そう言った。



「そうしたら次の日から、学校の中で何か壊れることが多いって、噂が立つようになって、でも、始めはくろちゃんがやってるなんて思ってなくて」



 三春は井上さんの背中に手を添えたままで、言葉の続きを待った。



「気が付いたのは、昨日、教室で、前島さんの傍で、窓ガラスが割れたとき」



 あのとき、と、三春の記憶が蘇る。手の甲には、まだ一文字の形にかさぶたが残っていた。



「窓ガラスのところに、くろちゃんが見えて」

「だ、だって、俺」



 なにがしに首根っこを掴まれている付喪が、声をあげた。その声は先ほどまでとはまったく違って、小さく、か弱い。



「めぐみ、すごい、悲しい顔してたから、だからがっこう壊したら、喜ぶと思って」



 井上さんは顔をあげて付喪を見ると、悲しげに首を横に振った。



「……ううん、喜ばないよ、くろちゃん」

「でも、だって俺」



 付喪は、うう、と言葉を詰まらせる。その姿はまるで叱られて、それでも必死に言い訳をする子どものようだ。先ほどまでは流ちょうに聞こえていたはずの言葉も、どこか舌足らずに聞こえた。

 井上さんはまた目を伏せ、自分のスカートをぎゅうと握った。



「今日、保健室の前で、ガラスを割ったのもくろちゃんなの」



 三春は、ああ、と息をのむ。そういえば、井上さんはあの時「危ない」と言ったような気がする。付喪の姿を見ていたのだとしたら納得がいく。井上さんが小さく「ごめんなさい」と言う声が聞こえた。謝ることは無い、と言葉をかける代わりに、三春は井上さんの背中に添えた手をそっと上下に動かして撫でる。

 付喪が、「うう」と唸る声が聞こえた。井上さんが、顔を上げる。



「だって、俺、めぐみに、ありがとうって、言ってもらいたいだけなのに、めぐみ、怒るんだもん」



 付喪は尚もそう必死に言い訳をした。泣くのを必死に堪えながら言葉を絞り出している。その言葉の切ない響きといったら、やはり叱られた子どもそのものだ。母性本能の目覚めを促すようではないか。母の胸に抱きこんでやりたい、そう思わせるようである。

 しかし、井上さんは悲しげな顔で、しっかりと首を横に振った。



「だめだよくろちゃん、だって、くろちゃんが壊した窓ガラスで、前島さんは、怪我したんだよ。もっと大きな怪我、するかもしれなかった」

「う……めぐみは、俺よりそいつが好きだから、怒るんだ」

「そういうことじゃないの」



 気弱な声ながらも、井上さんの言葉がぴしゃりと叱りつけた。



「前島さんじゃなくたって、誰かが大きな怪我をしたかもしれないんだよ、そういうことを、くろちゃんが反省しなくちゃ、わたし、くろちゃんにありがとうって言えないよ」



 付喪をじっと見つめながら、井上さんがそう言い切った。付喪は言葉を詰まらせ、ううっと唸る。顔がこわばり、その目にはじわっと大粒の涙が溜まった。



「ううっ……じゃあ、じゃあ俺は、どうやったらめぐみの役に立てるんだよお! うわあああああん!」

「うわっ」



 突然大声をあげて泣き出した付喪に、なにがしが驚いたように声をあげた。



「おれ、おれ、こわすことしか、できなくて、ほかのこと、なんにもできないから、だから、めぐみをいじめるがっこう、こわしたくて、でも、こわすとめぐみはおこるから、だから、おれ、なんにもできなくて、めぐみのやくにたてない、でもおれ、めぐみのやくにたちたい」



 泣きじゃくりながら、付喪がそう叫ぶ。その言葉は拍車をかけて舌足らずで、それでも必死な心の叫びである。

 誰かの役に立ちたい。それは、人の心をうつ純粋な思いだ。しかし純粋な思いゆえに、それはほんの些細なことで歪んでしまうものだった。歪んで、ねじれて、元に戻らないこともある。

 しかし付喪の思いは、まだ元に戻るはずだ。



「くろちゃんは!」



 井上さんが初めて大声をあげ、三春が驚く。驚いたのは三春だけではなく、泣きわめいていた付喪もまた驚いて鳴き声をぴたりと止めた。



「くろちゃんは、もう、役に立ってくれてるよ」



 井上さんは付喪をじっと見つめたままで言った。



「わたし、くろちゃんと会って、話を聞いてもらって、すごく嬉しかった。だからそれだけで、くろちゃんは、役に立ってくれてるんだよ」



 付喪にそう言葉をかける井上さんに、相手を安心させるような笑顔は無い。眉を八の字にしたその表情に見えるのは、必死さだ。それは、あるいは笑顔よりも、言葉が伝わる表情だったかもしれない。

 付喪が「うう」と唸る声が聞こえた。それから、すん、という音。なにがしは見下ろした付喪のつむじあたりをじっと見つめ、それから静かに膝を折って付喪の体を地面に降ろした。首根っこを捕まえていた手を、ぱっと離す。

 付喪はゆっくりと歩きだし、井上さんの方へ歩きはじめた。目からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。それを乱暴に拭いながら時々「うえっ」と息がもれる姿は、泣きながらも必死に前に進む子どもそのものだ。

 井上さんは自分も堪えきれず涙を流しながら、膝をついて付喪に手を伸ばした。三春もまたそんな井上さんに付き添うように、膝を折る。小さな付喪の手がすがるように、井上さんの手を掴んだ。



「ごめ、ごめん、ごめんなさいい……」



 天を仰いでそう言ったのは、涙やら鼻水やらよだれやら、顔から出るものをほぼ出した付喪である。それを優しく受け入れた井上さんもまた、目から涙をこぼしていた。



「おれ、めぐみ、すき、きらいじゃないいいい」

「うん、くろちゃん、ありがとう、わたしも、くろちゃんが大好きだよ」



 井上さんがそう言って、付喪の頭を優しく撫でる。

 三春は井上さんの背中から手を離すと、立ち上がってなにがしの方へ戻った。もう、必要ないだろうと思ったからだ。



「まあ、充分に反省したようだな、それならばもう、仕置きの必要は無い」



 なにがしが腕を組んで言う。三春が見上げたその表情には付喪を見守るような、穏やかな笑みがあった。

 三春もまた、ああ、よかった、ということを思っていた。それは、嬉しい、とはまた違う気がする。安心、だろうか。よかった、とは思うが、その実三春はこの感情が何者なのか、よくわかっていなかった。それでも三春に、戸惑いは無い。

 少しして落ち着いたらしい井上さんは、すっかりおとなしくなった付喪を抱えて立ち上がった。



「あの、前島さん」



 そうして、三春に呼びかける。三春は少し驚いたような顔をした。



「えっと、……ごめんなさい」



 井上さんは何を言おうか迷った末に、それを選んだようだった。その表情はなんとも頼り無げだ。三春は、小さく首を横に振った。



「ううん、いいよ、っていうのも変か、井上さんは悪くないし、まあ、気にしないで」



 三春がそう言うが、井上さんはますます肩を竦めてまだだいぶ『気にした』ようである。三春は心の中で、ああ、とつぶやいた。

 別に、三春にはこれ以上井上さんを慰める義理があるわけではない。クラスメイトではあるが、それだけである。その心の中に踏み込む資格が、あるわけではない。

 しかし次に三春の口から出てきたのは、こんな言葉だった。



「……井上さん、帰り道、城址公園通る?」



 井上さんが「えっ」と言い、顔を上げた。それから戸惑ったように、しかし「うん」と言って頷く。



「じゃあ、一緒に帰ろう」



 三春がそう言うと、井上さんはまた「えっ」と驚いたような顔をするのだった。









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