月初めの新商品2
「え、ほんとに、おばけ?」
おばけだ、と確信した三春の第一声はなんとも頼り無いそんな一言だった。なぜ質問をしてしまったのかはわからない。しかし、たぶん、安心と恐怖が化学反応を起こして別種の何かに昇華したせいだ。昇華した何かが、三春をやけに冷静にさせていた。怖いもの見たさとは、こういう感情のことを言うのかもしれない。
三春の一言に、おばけは不快そうに眉をひそめた。
「おい、遠からずとは言ったが俺はおばけなんて俗なものじゃあないぞ」
おばけは、どうやらおばけと呼ばれることが不服なようだった。
しかし明らかな時代錯誤の恰好をして「俺がみえるのか」と言った存在が、おばけではなくて何だというのか。妖怪か?
おばけと信じていたそれに迷惑そうに否定されると困惑を通り越して、何か苛立ってくる。三春がその苛立ちを隠しきれない口調で「じゃあ何なの?」と聞いた。
おばけの答えは
「わからん」
というものだった。
三春の口からは思わず「は?」と声が出る。眉をひそめたその態度は到底初対面のおばけにしていいものではないが、幸いにもそれは三春の失礼な態度を気にしたようでは無かった。
「わからんが、おばけでも、お前たちのように人間でもないことだけは確かだ」
何を根拠に。というのが三春の正直な気持ちだった。
しかし、百聞は一見にしかずということわざがある。まあ確かに、おばけというにはその姿はくっきりと見えている。見えすぎているといってもいいだろう。その体にぺたりと触れることが出来そうなくらいだ。実際そうしてみる勇気は無いけれど。
妖怪か?
いや、やはり妖怪というよりもおばけの感が強い。たぶん、その武将とも武士ともつかないような格好のせいだろう。落ち武者のおばけ感が強すぎるのだ。とはいえ落ち武者のおばけというには、その見た目はわりと立派である。黒く長い髪はきちんと後ろでひとつに結ばれているし、てっぺんもハゲていない。身なりが立派な落ち武者か、あるいは悲劇の最期を迎えた剣豪か。おばけとはいえ、その見た目はただのおばけではないことを語っている……のかもしれない。
しかしそうだとしても、やっぱりおばけではないか。
「いや、やっぱりおばけだよ……」
独り言のように、口をついて出る。
「違うと言っとるだろうが」
「だってわからないんでしょ?」
「まあ、そうだが……」
三春の反論に、おばけは『違う』の他に言い返す言葉が無いのか表情が曇る。
「わからんというか、忘れてしまったのだ」
三春がおばけの言葉を繰り返して「忘れた?」と言う。
「気が付けば、この祠の傍で目を覚ましていた。それ以前の記憶があったような気がするのだが、何も思い出せない」
それは、おばけの思いがけない深刻な告白だった。おばけにも記憶喪失とかあるのか、と思いつつ三春はそれを口に出すことはしない。それを言えばまた「おばけじゃない」「いやおばけだって」の押し問答を繰り返すだけだ。それに、深刻な顔で告白するおばけに茶々を入れるほど三春は人の心に鈍感ではない。
「しかし体が覚えているのか、何か矜持のようなものが俺はおばけではないと言う。もちろん人間でもなければ、付喪のようなものでもない、と」
おばけは言葉の最後に三春の知らない言葉を言ったが、三春の頭はそれを聞き流した。
そんな事情を聞かされてしまっては、さすがにおばけとは呼びづらい。では、何と呼びかければいいのか。いや、別に呼びかける必要は無いのでは。そもそもどうして自分はこの場に留まっておばけと会話しているのか。おばけの身の上話なんかどうでもいいものではないか。もう足も動きそうだし、逃げ出していいのだ。いやむしろ、逃げ出すべきか。
三春はようやく我に返ってそんなことを思う。
しかしそう思っても三春の足はすぐには動かない。この場から逃げるにもだっと駆け出して逃げ切れる保証は無いのだ。理由をつけて逃げ出そうとしても、うまくいくかどうか。
三春がじっと見つめる視線を同情と感じたのか、おばけは気まずげに眼を伏せた。
「いや、まあ、俺の身の上話はどうでもいいな」
どき、とした。
確かにそう思ったが、本人……本おばけの口から同じ言葉が出ると気まずい。また逃げづらくなった。
「お前の持ってる、それだ」
それ、と指されたのは三春の手にあるチョコレートケーキだ。三春は思わず守るように抱き寄せた。二つ目まで持って行かれるわけにはいかない、まだ一つも食べていないというのに。
いつの間にやらにいと笑ったおばけの手は腰に当てられていて、幸いにもこちらに伸びてくる気配はない。
「それはうまいな、明日もまた持って来い」
また「は?」と声が出る。
「何、お前の菓子をすべて取ろうと言うんじゃない、一つでいいんだ」
ああそれならば……と、どうして承諾できるというのか。初対面のおばけに明日もまた一つやる理由も義理もない。だいたい誰が好んでおばけとまた会う約束をするんだ。
「なにせその菓子は、うまい」
そうは思うのだが、繰り返された『それはうまい』に三春はなぜだか、どき、とした。これがうまいのなんて当たり前だ。経験上チョコレートのお菓子に外れは無いし、なにせプレミアム。美味しくないはずがない。当たり前のことを言っているだけ。
それなのにどうして、『うまい』の一言にこんなにも心がざわつくのか。
おばけの言葉に三春が返事を出来ずにいると、遠くの方で夕方の音楽が鳴り始めたのが聞こえた。チャイムに似た電子音で奏でられるメロディは夕方の哀愁を帯びている。
「あ、やばい……」
思わずそうつぶやく。
いつの間にそんなに時間が経っていたのか。もう帰らなくては、と思うと三春の足はすんなり動いた。
「ああ、この音が鳴ると皆家路を急ぐ、お前もそうか」
三春は一瞬「え?」と聞き返し、それが『帰る時間か』という意味だとわかると気もそぞろながら「ああ、うん」と返事をする。返事をしてから、はっと気が付く。いつの間にやらなんとも自然な流れで帰ることが出来ているではないか。
カバンを肩にかけ、急いで駆け出そうとする。一応小さく「それじゃあ」と声をかけた。
「どれ、公園の入口まで送ってやるかな」
「はっ?」
三度目のそれは、一番勢い良く三春の口から飛び出た。
武士っぽい格好をして、何をいきなり紳士みたいなことを言うのか。
「いやいや、いい……」
「何、遠慮するな、うまい菓子の礼だと思え」
遠慮じゃねえよ、と言いたいのは飲み込んだ。夕方の音楽はすっかり鳴りやみ、押し問答を続けている時間は無い。母親が帰宅する前に家に帰って炊飯器のスイッチを押さなければ、明日の昼食代百円減額のペナルティを受ける。百円といったら安いおやつがひとつ買えるではないか、大金だ。
数秒間の葛藤の末、三春は「わかった」と言うと細い小道に向ってさっさと歩き出した。言い方が随分とぶっきらぼうになってしまったが、気にしない。
おばけは「おっと」と言うとさっさと歩き出してしまった三春を追ってゆったりと歩き出す。
隣を母親ではない誰かが歩いている、というのは三春にとって実に変な気分だ。
まあその正体はおばけとも何ともわからないものなので、はたして『誰か』と表していいものかどうかはわからないが。
何か話題をふったほうがいいだろうか、と思う。いやいや相手はおばけなんだから気を遣う必要なんてないだろう、とも思う。三春が結局黙って歩いていると、おばけの方から話題をふる声がした。
「わかるか、通り過ぎる人間の誰一人として俺の姿に驚き振り返ることは無いだろう」
言われて、三春は思わず通り過ぎていく通行人をちらりと見る。散歩を終えたのだろうおじいちゃん、おばあちゃん。仕事を終えたのだろうスーツ姿の男女。三春とは違う制服を着た高校生もちらほら見える。
その誰もがちらりと向けられた三春の視線など意に介さないというように、真っ直ぐ前だけを見て足早に通り過ぎていく。ましてや三春の隣を歩く奇妙な何かに驚く素振りなど、まったく無い。
「ここに俺という珍妙な姿の何かがあるというのに、見向きもしない」
ああ、変な格好の何かという自覚はあるのか。そう思いつつ三春がちらりと隣のおばけを見ると、おばけが三春に視線を合わせた。
「つまり俺は、お前にしか見えていないという証だ」
その言葉に驚くことは無かった。ただ何となく肩を落としてため息をつきたい気分にはなる。別に疑っていたわけではないし、おばけだと確信はしていた。しかし改めて現実を突きつけられるようなことを言われると――それも本人……本おばけに――肩を落としたくもなるというものだ。
公園の入口までの道のりは短く、あっという間だった。
「では明日、待っているぞ」
その言葉に、また心がざわついた。
そうなってしまうと三春は、もう来ない、と突っぱねることも出来ない。かといって、わかった、とも言えない三春はその反面黙って去ることもできず、「それじゃ」とだけ言って公園の外へと足を踏み出した。
しばらく歩いてから、三春はようやく自分の心臓がどきどきとしていることに気が付いたのだった。




