月末のシュークリーム6
放課後になった。なにがしは、あれから教室には姿を現していない。
――待ち伏せするって言って、どうなったんだろ
三春はまだ賑わう教室の中、椅子に座ったままでそんなことを思った。なにがしは理科室で待ち伏せをすると言って出て行ったきりだ。無事に付喪を退治したならば三春に何か報告があってしかるべきだろう。しかし報告は無く、それどころか姿も現さないところを見ると、まだ付喪を退治できていないのかもしれない。それとも逃げられて、まだ学校の中を追い回しているのか。
もしかするとこのまま教室で待っていればひょいと姿を現すかもしれない。そう思って三春はしばらく教室に残っていた。何もしないでぼうっと座っていても仕方がないので、なんとなくケイタイをいじってみる。しかしなにがしのことが気にかかって、どうにも落ち着かない。
ふう、と息をついた。
――仕方ない、ちょっと見に行ってみるか
そう決めて、三春は席を立つ。たぶん理科室にいるのだろう。理科室にいなければ、また教室に戻ってくればいい。
理科室に面した廊下には、誰も居ない。念を入れてきょろきょろと辺りをうかがってみるが、誰かが来る気配も無いようだ。三春はそれを確認してから、理科室の扉に手をかけた。
「んっ?」
がたり、と音がするだけだった。開かない。どうやら内側から鍵がかけられているらしい。三春が開けようとしたのは、後ろ側の扉だった。
「じゃあ前かあ」
人気が無いことを確認して気が抜けていたのか、独り言が声に出た。そうして前の扉の方へ歩いて行き、今度こそ、と三春は扉に手をかけた。
扉は、がら、と音を立ててゆっくりと動いた。開いている、と確信して三春は扉をがらりと開ける。
「どわっ!」
その途端、ぐわ、と眼前に何かが迫り来て、三春は大きく悲鳴をあげた。反射的に上半身をのけぞらせる。何とも素早い動きで伸びてきたそれは、三春に触れる直前でぴたりと止まった。
「ああ、お前か、すまない」
そう声が聞こえて、眼前に迫った何かがひょいと三春の視界から消える。次いで呆然としている三春の視界に移ったのは、驚いたような顔をしたなにがしだった。
「び、びっくりした」
のけぞった上半身を起こしつつ、三春は深く呼吸した。まだ心臓が落ち着かないのがわかる。
「すまない、ようやく付喪が現れたかと思ったのでな」
「あ、ああ……そういうこと」
なにがしが開いた扉を閉めながら申し訳無げに言うと、三春はようやく先ほどの状況を理解した。
ぐわ、と伸びてきたのはなにがしの手だったらしい。三春を付喪と勘違いして、その首根っこを捉えようとしたのだろう。直前でぴたりと止まったのはなにがしの反射神経の良さか。
そうとわかれば三春の心臓は次第に落ち着いていくようだった。はあと息をつく。
「まだ捕まえてなかったんだ」
そうして、気づいた事実を告げる。ようやく、と言うからにはまだ付喪は現れていないのだろう。昼休みからずっとここに張っていると考えると大分長い間待ち伏せしていたようである。
「ああ、まあ、まずはこっちに来い」
なにがしはそう言って三春を扉の傍に呼んだ。三春は呼ばれたままにそちらへ行くと、なにがしが床に膝をついたのをみてそれに倣った。
「確かに中々現れはしないが、あれはここに現れるはずだ。追っているうちに、あれは自分が壊したものを見に来る習性があるらしいということがわかったからな」
「愉快犯は現場に戻る的な……」
そう語るなにがしの横顔は、さながら組織からはぐれた刑事のようである。なんとなく二時間ドラマ好きの心をくすぐるそれに、三春はまんざらでもない様子だ。もちろんそれを前面に出すのは恥ずかしいので、しかめっ面でごまかしている。
「後ろの扉は鍵を閉めた、後は奴がこの扉から入ってくるところを狙うだけだ。できるだけ息を潜めろよ」
そう言って、なにがしはしん、と気配を消した。待つのだ、と察した三春は言われた通りにできるだけ息を潜めた。
どれだけ時間が経っただろうか。それが現れたのは、突然だった。
耳を澄ましていたなにがしの耳に、ぺた、という足音が聞こえる。裸足で、それも小さな足が廊下を踏みしめる音だ。気配と、それから殺気も忘れずに消す。いや、殺気は己の内に隠したという方が正しいかもしれない。
カタ、と小さな音がした。
それは、三春の耳にも聞こえた。できるだけ潜めていた息をさらに潜める。
そして、ガララとまた小さな音がした。
それは瞬間的だった。
「ふきゃっ!」
子どもの甲高い悲鳴のような声が聞こえて、三春は大きく息を吸い込んだ。そうしてなにがしに視線を向ける。
そこには、黒い子どもの首根っこを捕まえて持ち上げるなにがしの姿があった。黒い子どものような付喪は手足をばたばたさせて必死に抵抗している。しかし地面から足が浮いてしまっては自慢の俊足も役に立たないらしい。まったく逃げ出せそうにないようだ。
なにがしは立ち上がって、棚の前に立った。三春もそれを追って立ち上がり、棚の前へと移動する。
「うわ、なんか、この間のよりでかくない?」
「ああ、大分成長しているようだな、おかげでてこずった」
「はなせよー! ばーか! ばーか!」
改めてしっかりと見る黒い付喪は、小型犬ぐらいの大きさがあった。しかも、言葉を話している。この間三春がみた黒板消しの付喪とは、まったく違うようだ。
「あっ!」
「え?」
三春がそれと目が合った瞬間、大きな声をあげられた。
「ちくしょー! こいつはお前の仲間かよ! ひきょーだぞ!」
「はあ?」
いきなりそう言われ、三春は不快感に顔をしかめた。初対面の、それも付喪に、まるで知り合いのようなことを言われたのだ。まあお前呼ばわりはまだ許そう。しかし卑怯と言われる理由はまったくもってどこにも無い。付喪をじろりと睨みつけ、自然と三春の返す言葉も喧嘩腰になる。
「あんたに卑怯呼ばわりされる覚えは無いんだけど」
「ひきょーだ! だから俺はお前が嫌いだー!」
「ああ?」
「まあ落ち着け」
なにがしがそんな言葉で制したのは、三春の方だった。そう言われ、三春は悔しげに唇を結ぶ。付喪が勝ち誇ったように笑ったのがまた腹が立つが、直後になにがしに「大人しくしろ」と叱りつけられた姿を見ると少し腹の虫が収まる気がした。
「どうしてこんなことをした」
なにがしが厳しい声色で問いただす。付喪は黙ってしまうが、なにがしが「言え」とさらに問いただすと、やがて口を開いた。
「……俺は、物を壊して、いっぱい壊せば、それだけ力がつくんだ」
「力をつけてどうする気だ」
「ここを、がっこうを、壊すんだよ! がっこうなんてなくすんだ!」
思いがけない過激な発言に三春が「は?」と言う。随分突拍子の無い大胆な発言である。付喪であるから許されるような発言だ。これを制服に身を包んだような人間の若者が言えば病気扱いされるそれである。
しかし付喪が言うからにはそれは病気とも冗談ととらえることは出来ない。本気、なのだろう。
「何のためにそうする」
「だってそうすれば、めぐみの役に立てるんだよ!」
「そいつが壊せと、そう言ったのか」
「それは……で、でも、がっこうなんてなくなればいいのにって言った! めぐみは悲しそうにそう言ったんだよ! めぐみが悲しいのはいやだ! だから俺は壊すんだ!」
なにがしが、はあとため息をつく。ニノキンゾウの助言通りに憤りをこらえて話を聞いてみれば、ニノキンゾウの言う通りであった。付喪が物を壊すのは力を溜めるためだったが、その根本は、役に立ちたいという思いであるらしい。
付喪は威勢よく叫ぶと、なぜだか悲しげに項垂れた。
「……なのに、めぐみ、なんで怒るんだよ……」
直前までとはうってかわって、小さな声でそうつぶやく。どうやらその人物との間には行き違いが生じているようだった。
「お前のせいだ!」
「え」
突然怒りの矛先を向けられ、三春がまた顔をしかめる。
「お前がいるから! めぐみが怒るんだ! めぐみは、俺よりお前が好きだから! お前のせいで俺が怒られるんだあ!」
「はあ?」
次々に言われのない罪を責められ、三春は苛立ちを隠せない。だいたい、仮に言われのある罪だったとしてもその内容は完全に言いがかりである。いったいどこのヤンデレの理論だ。
「勝手にこっちに責任なすりつけないでよね」
「うるさいうるさい!」
「わっ」
ひときわ大きな叫び声に、三春は思わず両耳を押さえた。
「お前のせいだあ!」
付喪が続けてそう叫ぶと、ぶわっと突風が起きた。驚きの声をあげる間も無く吹き荒れたそれに、三春はぎゅっと目を閉じる。窓枠がガタガタと揺れる音がする。それから、なにかガラスの器がカタカタとぶつかりあう音がしたと思うと、鋭い叫び声が三春の耳を突き抜けた。




