月末のシュークリーム1
今日の三春はいたく上機嫌だ。どれほど上機嫌なのかといえば、うっかり気を抜けば人前でにやにやしてしまいそうなほど上機嫌である。
――明日はシュークリーム、明日はシュークリーム……
授業を受けながら、呪文のように心の中で唱える。
明日は月に一度の、シュークリームの日だ。これは、三春が中学生のころから続けていることである。ふわふわの皮に甘いクリームがたっぷり詰まったシュークリームは、一か月苦痛の学校生活をのりきった自分に対するご褒美だ。誰も褒めてくれやしないのだから、自分でご褒美をやるぐらいしなければやっていられない。三春は中学生のころ、それに気が付いたのである。
最近のお気に入りはコンビニで買う、カスタードクリームがいっぱいに入ったシュークリームだ。近頃流行りの生クリームが入ったものや、生クリームとカスタードクリームが半分ずつ入ったようなのも嫌いではないが、やはり好きなのはカスタードクリームでいっぱいにした方である。満足感と言おうか、あのねっとりとした甘さの重たいクリームでお腹を満たす感じがなんとも言えずたまらない。それをあえて簡潔な言葉で表すとすれば、しあわせ、である。
間も無く来たるしあわせに向けて上機嫌な三春は、すぐ傍に迫る異変に気がついてはいなかったのである。
カタカタ、と何か揺れる音がした。しかし上機嫌な三春はすぐ傍で聞こえたその音は気にも留めず、じっと黒板を見ている。どうせ風で窓が揺れているだけだろう、とすら思わない。
次の瞬間。
三春のすぐ傍で、パリイン!という耳をつんざくような音がした。同時にきゃあ!と高い悲鳴が上がったのが聞こえ、ガタガタと何人もが椅子から勢いよく立ち上がる音がした。三春は「わっ!」と驚き、反射的に椅子から立ち上がるとその場を離れた。勢いよく立ち上がったせいで、椅子ががたんと音を立てて倒れる。三春は窓際から離れるように後ずさると、そこに広がった光景をじっと見つめた。
先ほどまで三春が居たすぐ傍の窓ガラスは壊れ、床に割れたガラスが散乱して光を乱反射させていた。
「前島さん! 大丈夫?」
教師が慌てた様子で寄ってきて三春にそう声をかける。三春は目の前の光景に呆然としながらも「はい」と短く返事をした。返事をしてからそういえばと自分の体を触ると、左の手の甲に触れた途端、ぴりと痛みが走る。見れば、そこには赤い線が走っていた。かすり傷ではあるが、そこに傷があると自覚した途端にぴりぴりと痛み出す。
「誰か、職員室行って教頭先生に知らせてきて」
教師がそう言う声が教室に響く。教室の中はざわめきで満ちていた。なにせ突然窓ガラスが割れたのだ。教室を満たすざわめきは、困惑と恐怖が入り混じるものだった。
「ついに窓ガラスが割れたか……」
ざわめきの中には、そんなつぶやきがあった。近くで聞こえたそれは、やけに三春の耳についた。ついに、とはどういうことなのか。三春はざわめきに耳を傾けようとすると、それを遮る声がした。
「ああ、前島さんそこ切れてるじゃない! 保健室に行って、手当てしてもらって」
それは、三春の手の甲に出来た傷を見つけた教師の言葉だった。かすり傷だけど、とは思うが、反論するのも面倒か。三春はそう思い、「はい」と返事をすると、言われた通り保健室に向かうことにするのだった。
「ってことがあったんだよね」
放課後、三春はいつもの場所で今日の出来事をなにがしに話して聞かせていた。今日のおやつは定番の一口サイズのシリーズから、チョコチップ入りのクッキーだ。
三春の手の甲の傷は本当にかすり傷で、保健室で消毒をしてもらった傷跡はもうかさぶたになっている。
「ほう、それは危ないな、”がらす”というのは硬く、割れてしまえば鋭利な刃物になると聞くからな」
話を聞いたなにがしはふむと唸るとそう言った。毎度思うが、なにがしはそういう知識をいったいどこで得ているのか。しかし三春はあえてその疑問を口にすることはしない。疑問には思うが、率先して解決したいものではないのだ。それに、今はそれよりも先に解決したい疑問がある。
「先生たちは風で割れたんだろうとか言ってたけど、どう考えても変だよね」
今日は、別に風が強い日だったというわけではない。突風が吹く、というのはありえないことではないが、窓ガラスが割れた瞬間に強い風が吹き込んだというわけでもなかったのだ。
とはいえ、なにがしと知り合っていなければ三春はこの出来事に疑問を抱くことは無かっただろう。なにがしと知り合い、そして、先日のあの出来事があったからこそ、三春は疑問を抱いたのだ。
「だからさ、何にも見えなかったけど、こないだ言ってた付喪が関係してるんじゃないかなって思うんだよね」
三春の仮説に、なにがしは納得したというように「ああ」と言う。
「それに思い返してみれば、ここ一週間ぐらい何かしらが壊れてるらしいし」
窓ガラスが割れた後、教室での話題はそういったことでもちきりであった。三春が持っている情報はそういう噂話を又聞きしたに過ぎないのだが、どうやらここ一週間の間、校内で何かが突然破損することが多いらしいのだ。
小さなものだと、黒板消しが突然落ちてプラスチックの部分が欠けたりだとか。大きなものだと、誰も居ない教室の蛍光灯が割れたりしているらしい。そして今日の窓ガラスである。さすがに人為的、もしくは超常現象的な何かを疑わずにはいられないのだろう。教室内は様々な噂話があふれていた。
噂話の中には学校七不思議のひとつに数えられる、妖怪ニノキンゾウの仕業説があった。妖怪ニノキンゾウとは、過去に高校に存在した二宮金次郎像が撤去される際に妖怪化したものが高校に住み着いているらしい、というものだ。今年は二宮金次郎像が撤去されてから五十年という節目の年だから、何か凶暴化して校内を荒らして回っているらしい……という噂だ。
噂はそれだけではない。三年生にたった一人でオカルト研究会の会長を名乗る人物がいるらしいのだが、その先輩の仕業説もまことしやかにささやかれていた。噂によるとその先輩がなにか悪魔的なナニカを召喚することに成功して、その悪魔的なナニカが一連の器物破損事件を起こしているのだとか。その先輩はとある財閥の御曹司であるため、先生たちもことを荒立てることができず野放しになっているらしい……と、いう噂である。
三春が自らの聞いたそうした説をなにがしに話して聞かせると、なにがしはふむと唸って
「楽しそうに話すなあ」
と言う。
「は? 楽しくないし」
思わず気恥ずかしさにそう反論する。しかしそう言われてみると、今までは雑音でしかなかった教室のざわめきが今日は少しだけ興味深いものに聞こえていた……かもしれない。
それは、自分の目の前で窓ガラスが割れて、超常現象の当事者になったからか。あるいは。
「……でも、まあ、前よりは退屈じゃなくなったかもね」
今自分の目の前にいる、なにがしという超常現象的な存在の為か。後者だとしたら、なんとなく気恥ずかしい。一匹狼のはずだった自分が他人に――人ではなくおばけのようなものだが――感化されて、何かに関心を寄せるとは、形無しではないか。ましてや生活に色が増えたような、新鮮さを感じているかもしれないなど、決してなにがしの前では言えないことだ。情けないし恥ずかしい。
「それで、お前の説は付喪の仕業説ということか」
「でも、前みたいに付喪の姿は見えなかったんだよね、姿を消すとかできないでしょ?」
「まあ、それは付喪の力がどれだけあるかによるだろう」
「付喪にも、個体差があるってこと?」
「そうだな、それに……」
なにがしはそこで言葉を止めると、きょろと周りを見回した。そうして目的のものを見つけたのか、なにがしは宙に向って指をさす。
「あれが見えるか」
「え、あれ……って、何? 葉っぱ?」
「やはり、見えんか」
三春が「えっ」と言うと、なにがしは指さした方へと歩いて行った。
「しっかり見ていろよ」
そうして三春に一言告げると、そこにあった葉に手を伸ばす。
その途端。
「あ!」
「見えたか」
三春は思わず声をあげた。なにがしが手を伸ばして掴んだのは、葉ではなかった。その手には、いつか教室で見たような小さい子どもがいる。付喪だ。
「どうやら俺が触らなければ、お前には見えないらしいな」
なにがしが付喪を離しつつ、そう言う。なにがしが離した付喪は、三春の目に見えたままだった。
「じゃあ、仮に付喪の仕業だったとしても、わたしじゃわかんないじゃん」
「そうだな、お前ではわからないだろう」
「じゃあどうすればいいんだろ……」
ごほん、と咳ばらいが聞こえる。見れば、なにがしが何やら笑みを浮かべてこちらを見ているではないか。意図が分からず三春が顔をしかめると、なにがしは仕方がないといったように口を開いた。
「俺がいるだろう。つまり、俺ががっこうに行って、付喪の仕業かどうかを見極めればいいということだ」
その言葉に三春は、ああ、と納得し、そしてすぐに、ああ?と顔をしかめる。こいつ、また学校に来るつもりか。
「何だその顔は、問題解決のために力を貸してやろうと言うのに」
「え、あ、ああ……ごめん、つい条件反射で」
言われて、三春は眉間のしわを伸ばすように指を当てた。また学校に来るつもりかと思ってしまったらつい顔をしかめてしまった。しかしなにがしの言うことが正しいのである。なにがしに付喪の仕業か見極めてもらい、あわよくば退治までしてもらえれば万事解決だ。
「えっと、じゃあ、よろしく」
三春がそう言えば、なにがしは不機嫌そうな顔からうってかわってにんまりとした笑顔で「任せろ」と言って寄越すのだった。




