月中ごろの定番商品4
三春は授業中に居眠りをするタイプではない。しかし眠気が襲ってこないかと言えばそんなことはなく、集中しているつもりでも時たま小さなあくびが出てしまう。
――お腹空いたな
三春がそんなことを思ったのは、四時限目の数学の時間があと十分で終わるという頃だった。もはや授業としての時間は終わり、あとは各自問題を解きながらチャイムが鳴るのを待っているという状況だ。
――今日はフライセットよりは煮物セットの気分かな
だからこそ三春は時々窓の外をぼうっと眺めて、そんなことを考える余裕があるのだった。三春の席は窓際だ。ぼうっと窓の外を眺めるのは、窓際席の特権である。
――そういえば、購買で売ってるパンってすごい美味しそうなんだよなあ、一回食べてみたいけど、おにぎりのおかずにパンはさすがに……
問題を解き終えたわけではないのだが、一度お腹が空いたなと自覚してしまえばもはや問題の方には集中できない。頭に浮かぶのは購買で、いつも横目に見るだけしかできない美味しそうなパンの数々である。
――まあ、でも、パン食べてから間飲み物挟んで、おにぎり食べるとか、そういうことならいいのかな、もしくは菓子パンをデザートにするとか、メロンパンもチョココロネも美味しそうだもんなあ
頭に浮かぶそれをノートの端に描いた。そういえばアップルパイもあったっけ、とアップルパイも追加したところで、授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。
「じゃあ、今やってるところは宿題にするから、次回までに終わらせてくること」
教師はそう言い、授業の終了を告げると教室を出て行く。
途端に、教室はざわめきに満たされた。終わった、と授業からの解放を喜ぶ声。腹減った、と空腹を訴える声。様々な声が混じり合う。三春はその喧騒から逃れるように財布だけを持って立ち上がると、早々と教室を出て行った。
――決めた、何か、ひとつパンを買おう
心の中では、そうつぶやいて。
それは、購買でバタークリームパンを買った帰り道のことだ。
「んん?」
前方に見えたその姿に、思わず声が出た。三春はすぐにしまったと思い、咳払いをしてごまかす。廊下には数人の生徒が歩いていた。しかし誰一人として廊下に佇む珍妙な存在を気に留めることは無い。まるで、まったく見えていないかのように。
「おお、やっと見つけたぞ」
時代錯誤の和服に身を包んだ珍妙な姿のそれ……なにがしは、非常に険しい表情でこちらを見つめる三春に気が付くとそう声をかけた。
「がっこうとは広いうえに複雑な場所なのだな、隅々まで散策しているうちに少し迷ってしまった。偶然にもお前と会えたのは幸運だった」
はは、と笑いながら言うなにがしを尚も険しい表情で睨み付けながら、三春は無言で窓際に移動していく。さすがに廊下の真ん中で立ち止まっていては通行の邪魔になるし目立ってしまう。なにがしも三春のそういう意図を察したのか窓際に寄り三春の隣に立った。
「何故ここにいるのか、という顔だな」
三春の方を向いたなにがしが、にいと笑って言う。こちらの訴えたいことをわかっていてその態度か、と思うと三春の表情はますます険しくなった。
もちろん、驚きもある。しかしそれ以上に三春が感じていたのは、腹立たしいということだ。
学校という場所は、三春にとっていわば戦場である。命をかけているのだ。そのために狼の皮を被り、その爪をもって武装もしている。そんなところにひょうひょうとして現れたなにがしは、言ってしまえば身の程知らず。さしずめ武器も防具も持たないピースメーカー気取りといったところか。そんなのが突如としてへらへらとしながら戦場に現れたなら、命をかけている側は腹立たしいことこのうえないだろう。
「お前のおかげで背中の鎖が切れたからな、自由に好きなところへ行けるようになった。一度がっこうとやらに来てみたかったんだ」
観光地じゃねえんだぞ、と言いたいのを三春はぐっとこらえた。廊下を通る生徒は途切れることが無い。虚空に向って話しかけている姿を目撃されるのは、この戦場における死と同義である。一匹狼を気取っておきながら周囲の視線を気にかけるとは、とは言ってくれるな。虚空に向って独り言を言っている人間が目に入れば、三春だって二度見してしまう。そしてちょっと関わりたくないと思ってしまうだろう。それは一匹狼ではなく、変人だ。
なにがしもまた三春が声を出せない、ということは理解しているようで一方的に話し続けた。
しかし三春にとって声の出せない状況というのは、もどかしい。昼休みは短いのだ。このままなにがしに付き合っていては昼食を食べ損ねてしまう。迷った末に、三春はなにがしの手をがしりと掴んだ。なにがしが驚いた顔をしたが、無視して三春はそのまま歩き出した。少し早足だ。幸いにもなにがしは何も言うことなく、大人しく着いてくるのだった。
教室に戻って、三春は自分の席の前に来るとようやくなにがしの手を離した。そうしてなにがしの方を一瞥することも無く席に座る。
「なるほど、昼餉の時間か」
教室を見回したなにがしは、そこかしこで食事が行われている風景にそう理解をした。
三春はそう言ったなにがしの言葉も無視してカバンからケイタイを取り出すと、新規作成したメールの本文に何か打ち込む。そうしてその作業を終えるとケイタイを机の上に置き、傍に居たなにがしの体をべしんと叩いた。なにがしが「どうした」と言ったのが聞こえると、三春は机の上に置いたケイタイに手を添えて少し振ってみせる。なにがしがその画面を覗き込むと、そこには文章が映し出されていた。
『お昼ご飯食べるから、ジャマしないでよね』
短いそれをぱっと読んだなにがしは「ああ、すまないな」と言い、すうと三春の傍から離れる。三春はそれを感じ取るとはあと息をついて、いつものようにカバンから水筒と保冷バッグを取り出した。
「しかしがっこうというのは不思議な場所だな。皆が同じ制服を着ている。それで同じことをしているかと思えば、実は思い思いに時間を過ごしている」
なにがしがそう言う声が聞こえた。ジャマするなと言ったのに。しかし別に、返事を求めているわけではないだろう。話したいだけなら勝手にそうさせておけばいいか、と三春は無視しておにぎりを一口食べた。今日は珍しく蜂蜜漬けの梅干しというまともな具だった。
「なんだ、つまらない顔で食っているな、うまくないのか?」
だからジャマすんなって言ってんのに。心の中でそう文句をつぶやきつつ、三春は右手でケイタイを手繰り寄せた。電源を入れるとぱっと画面が明るくなって、先ほど新規作成したメールの画面が映し出される。三春はその本文を編集して先の一文を消すと、新しい一文を打ちこんだ。
『こんな場所でへらへら笑って食えないし、あと、お母さんのおにぎり美味しいから』
それを覗き込んだなにがしは「ほう」と言う。
「そのおにぎりはうまいのか」
そっちかよ。三春は眉をひそめ、それから言いたいことをまた打ちこんだ。
『食べたいならあげる』
「いいのか」
予想外だ、というような顔をしてなにがしが言うので、三春はすぐさま『いいよ』と打って返した。半ば投げやりな返事である。どうせ買ってきたパンがあるし、むしろそれを美味しく食べるためにはひとつ食べてもらった方がありがたいかもしれない。
三春のそんな思惑などは知る由も無く、嬉しそうに笑ったなにがしはひょいとおにぎりを持ち上げた。器用にラップをはがす姿に感じるのは、やはり違和感だ。ラップをはがしているのもそうだが、教室になにがしがいるという光景がまったくもっておかしい。三春が思わず顔をしかめてしまうほどだ。
おかげで三春は、せっかく楽しみにしていたバタークリームパンの味を、ほとんど覚えていない。




