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失楽の予見者  作者: 桐央琴巳
第一部 「失楽の予見者」
9/13

第二章 「使命」4

 狩人たちはなかなか戻らず、状況を報告するような伝令もなく、アテンハルダの里は平穏さの下に、言いようのない不安を淀ませているようだった。

 それでもアルセイアスは、自分が誰かの不幸を予見していない以上は――という楽観のもと、日中は書庫に籠って司書を務め、夜は順を守って妻問いをするという日常を崩すことはしなかった。ただ楽を奏で、文字を読み書きし、ごくまれに大神から悪夢のような予見を下される程度の能しかない自分に、狩人たちが心配だからと言って、何をできるわけでもないという割り切りもある。


 共に夜を明かしたばかりであったマリアセリアとは、だから、仲違いをして以来逢えていない――。


 こういったところがつまり、パキラリウムにむごいだの冷たいだのと恨まれてしまう所以だろう。パキラリウムはパキラリウムで、逢瀬を三日ごとに減らされて以来、苛立ちや不満を山と溜めてきた彼女を、宥めすかして落ち着かせるのに苦労した。

 アルセイアスが妻問いの順を変えることをしないのは、一度でもそうしてしまえば、嫉妬深いパキラリウムの室ばかりに、通い詰めねばならなくなるのが目に見えているためでもある。

 そうなった場合に身を引こうとするのは、疑いもなくセルクシイルであり、今回のことも相談すれば、自分の番など抜かしていいから、マリアセリアのもとへ行ってやれと、アルセイアスの背中を強く押し出してくれたと思われる。

 しかしアルセイアスは、三日に一度、セルクシイルに身を寄せて眠る安らぎを放棄する気にはなれなかった。マリアセリアやパキラリウムの機嫌を取るよりも、セルクシイルを離さずにいることが、アルセイアスには大切なことだった。


 心のほとんどを、アクタイオンに捧げたままにしているセルクシイルだが、綺麗な寝顔を見せてくれている間だけはアルセイアスのものだった。手に入らないから欲しいのか? 罪から逃れたく願う気持ちが錯覚させようとしているのか? セルクシイルに触れていると、アルセイアスは時折、今でも自分はこのひとを、誰より愛していると思うのだ……。

 マルシレスラに逢ってしまえば、すぐさまそちらに翻されてしまうのだから、結局は、薄れてしまった初恋の、残滓でしかないのかもしれないが。



*****



「今晩は、セリア」

 声をかけて垂れ(ぎぬ)を潜り、三日ぶりにマリアセリアの室に入ると、寝具と彼女自身の上襲を被った強張った身体が、寝台に横たわり背中を向けて、無言のままにアルセイアスを拒絶していた。

「お顔を見せても下さらないのですか? 吾妹」

 しゅるしゅると帯を解き、手早く脱いだ上襲をさらにその上に掛けかけて、下襲だけの姿になったアルセイアスは、構わずマリアセリアの隣に潜り込んだ。背後から幼妻の首筋に口付けて、離れようとする身体を包むように抱き寄せる。


「吾兄に、お見せできるような顔をしていませんから」

「おかしなことを、セリア、あなたのお顔はとても愛らしいのに。私は里の男どもから、また()い妻を娶わせてもらってと羨まれているのですよ」

「他の方から、どう見られていましょうと関係のないことです。今の私は不細工ですもの。お憎らしい吾兄には、不細工にしかなれませんもの……!」

「セリア」

 一昨日、昨日、今日と、ずっと夫とのことばかりを考え続け、拗ね通しでいたらしいマリアセリアの、他の男などどうでもいいとする訴えは、アルセイアスの心に、ああ、自分のものだ――という独善的な火を付けた。


「吾兄……? ああっ、やあっ……!」

 ぐいと肩先まで、強引に襟元を開けられて、マリアセリアが身を捩った。脚を絡めて押さえ込み、剥き出しになった肩にかぶり付き、ささやかな膨らみに手をやりながら、アルセイアスは理性を遠く彼方へと追いやった。

 これまでマリアセリアには、心身ともに未発達な十四歳の彼女が、男の欲望を怖がることのないように優しく優しく触れてきたが、今宵はもう、自分のしたいままにしてしまえとアルセイアスは思った。

 冷ややかに寝台に広がる銀の髪が、甘い蜜を零すようになった華奢な身体が、たどたどしく快を伝える高い声が、まるで禁忌を犯しているかのような罪の意識を刺激して、どれほど自分の劣情を煽っているか、その身をもって思い知ればいい。


「嫌、嫌っ、セイアス……!」

 子を生すために営んでいるのではなく、襲われていると感じるような夫の所業に、マリアセリアが悲鳴を上げた。

「嫌? 嫌ですか? 本当に? あなたを今、たまらなく欲しいと思うからこうしているのに。セリアは私に、シイルやリウムと隔てられ、子供扱いをされることの方が、もっと嫌なのではありませんか?」

「……意地悪、です……」

 図星を突かれ、瞳に涙を滲ませながら、肩越しにマリアセリアが振り返った。喰らわれる覚悟を決めた、悲壮な生贄のようでもあった。


「あなたがそうさせているのですよ、可愛い吾妹。不細工どころか……、私だけに見せてくれる閨のお顔は、こんなにも美しいではありませんか」

 マリアセリアのおとがいを捉え、零れかけた涙を啜ってから、アルセイアスはその唇を塞いだ。ついばむように軽く始めながら、やがては貪るような、濃厚な口付けを教えてゆく。

「吾兄……、駄目、苦し……」

 灯したままの蝋燭の火で、濡れた唇を光らせながらマリアセリアが喘いだ。はあはあと息を継ぐ、細く開かれたマリアセリアの目の奥から、マルシレスラの【心】(イオス)の瞳に咎められているような気がした。


 視るなら視て、いればいい。

 大神の花嫁には縁のない、男と女のことを全て――。

 汗ばみ火照らされたマリアセリアの身から、既に乱しに乱していた下襲を剥ぎ取り、自分もまた見せつけるように裸になると、アルセイアスは諸共に大神の花嫁を汚すような気持ちで、マリアセリアと深く身体を重ねていった。

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