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失楽の予見者  作者: 桐央琴巳
第一部 「失楽の予見者」
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第一章 「後朝」5

 婚礼に先立つ三日夜(みかよ)通いは滞りなく終了した。

 マリアセリアの室で迎えた三度目の朝、新妻の隣で目覚めたアルセイアスは、沐浴場で禊をした後に、花嫁と共に粛として、アテンハルダの里の祭神である、大神アウルの神殿へと向かった。


 大神アウルは天空の神にして、神々の頂点に立つ統治の神だ。

 遠い神話の時代に、アウルは人の子の乙女を娶り妻とした。さらにアウルは三人の若者を選んで『花嫁』の守護者に据えた。

 神との婚姻という契約によって、未来永劫の忠誠と引き換えに、大神の寵と力を授けられた、アテンハルダ――白く輝く者――と呼ばれる部族のこれが始まりである。

 以来、アテンハルダの民は、『大神の花嫁』とも呼称される代々の巫女を守り上げ、アウルの選民として生きることを誇りに、他部族の血を交えることなく代を重ねてきた。神々のまします(うま)し国が滅ぼされ、異民族より迫害を受け、潮騒が鳴る父祖の地から追われて、深淵なる森に囲まれた、霊峰の裾野に隠れ棲むようになった後も――。


 祭政一致のアテンハルダの里で、(おびと)を兼ねる巫女の住居でもあるアウルの神殿は、巨大な奇岩に穿たれた天然の岩窟を利用し、それを何代も何十代もかけて広く深く掘り繋げて、城塞のように築き上げられた里の最も高い場所にある。屋上広場の南側にある、神殿正面の階を上った天辺には、大神がおわす蒼穹へと、繋がりゆく祭壇が据えられていた。

 屋上広場には、アルセイアスとマリアセリアの婚礼を祝する為、既に里人たちが大勢集っていた。セルクシイルはおそらく顔を出しているのだろうが、パキラリウムはひょっとしたら、自室に籠って一人拗ねているのかもしれないと、アルセイアスはちらりと思う。


 緊張で身を固めているマリアセリアの手を引いて、アルセイアスは一段おきに里の要人が立ち並ぶ階を上った。長老の地位にある八人の老爺、【力】(キリス)【命】(アロウ)の家の二人の長嗣(おさつぎ)、さらに現巫女の守護者でもある、【知】(シルヴ)、キリス、アロウの三家の長が、過ぎゆく二人を順に見送ってゆく。

 そうして辿り着いた祭壇の前に、長い銀髪を背に流し、二対の紫の瞳を輝かせた、麗しい双子の姉妹が待ち構えていた。

 アウルの巫女マルシレスラと巫女嗣(みこつぎ)リテセラシア。大神に仕え、アテンハルダの里を統べる、うら若き首とその後継者である。



「これより巫女が祝詞(のりと)を下さいます」

 リテセラシアが僅かに進み出て、アルセイアスとマリアセリアに声をかけた。

「花嫁花婿は御前にお直りなさい」

「はい」

 従順に答えて、二人はその場に跪く。

 妹が脇に退くのと入れ替わるようにして、マルシレスラは銀細工で装飾された杖を片手に花嫁花婿に近づいた。俯いたアルセイアスの視界に、揺れる藤色の裳裾が飛び込んでくる。その下から僅かに覗く、白い爪先は――裸足だ。


「我らが主なる、天空のアウルよ――」

 杖を両手で高々と差し上げて、マルシレスラは頭上に広がる蒼穹を仰いだ。

「大神に選ばれし民の末裔の、新たなる門出をご照覧あれ」

 マルシレスラは杖を立てながら地に下ろし、カツンとそれで床を打った。

 続けて杖の上部に埋め込まれた水晶球をアルセイアスの肩に当て、マルシレスラは彼の系図を大神に知らしめた。

「これなる若者、古の知の守護者ミカリミオンに連なる者、アルセイアス」

 同様にマリアセリアの肩にも当てて、花嫁の出自を明らかにする。

「これなる乙女、巫女母シリシエルダとミカリミオンの血を継ぐ者、マリアセリア」

 身体の前に杖を引き戻し、マルシレスラは再び蒼穹を見上げる。

「天空におわすアウルに意を問う。契約の神ペシラ、愛の女神エペリアの名において、この結び合わせに異存なきか?」

 しん、と静まりかえったままの蒼天に、マルシレスラは満足げに微笑んだ。天変の起こらぬ穏やかな空は、大神の認め給いし婚姻の証だ。

「大神の御心のままに、アウルの忠節なる巫女、マルシレスラがここに祝福を与える」

 カツンカツンと今度は二度床を打ち鳴らして、マルシレスラは厳かに命じた。

「立ちなさい、二人とも」


 おもむろに立ち上がったアルセイアスとマリアセリアの前に杖を立て、マルシレスラはさらに言い付けた。

「花婿は右手を、花嫁は左手をこの玉の上へ」

 水晶球の上に重ねられた、二人の手を押さえるようにして自らも手を置き、マルシレスラは彼らの瞳を交互に覗き込んだ。

「これにて、シルヴの家のアルセイアスと、【心】(イオス)の家のマリアセリアは婚姻し、晴れて妹兄(いもせ)となった。互いを愛しみ、支え合い――、しっかりと、子孫繁栄に励めよ」

 最後にかけられた言葉に、うろたえたマリアセリアの頬がさっと染まる。


「姉上様! そんな文言は……!」

 リテセラシアが小声で諌めたが後の祭りだ。マルシレスラはマリアセリアの手を放し、アルセイアスの手のひらの下からさっと杖を引き抜いて、ぐいと胸を反らすように伸びをしたかと思うと、首を左に傾け杖の水晶球を使ってとんとんと肩を叩いた。

「さてと、儀式はこれで(しま)いだ。あいかわらず肩が凝るな」

「首!」


 青ざめる長たち、長老たちをものともせずに、マルシレスラは階を一息に中ほどまで下ると、あっけにとられた里人たちを見渡して、朗とした声を響かせた。

「さあ、この後は宴だ! 花嫁花婿を祝ってやるもよし、己が愉楽にうつつを抜かすもまたよしだ! みな存分に楽しめよ!」

 両手を広げ、紫の双眸を鮮やかに煌かせて、マルシレスラは艶やかに笑んだ。

 わっと歓声が上がり、里人たちはぞろぞろと宴会場に移動する。



「首! 何ですか先ほどの態度は! 不真面目にも程がございますぞ!」

 詰め寄る長老たちに肩をすくめて、マルシレスラは逃げるように階を駆け上がった。

「固いことを言うな。それより爺たちも、さっさと下に行って遊んで来い。もしも短い老い先を、添い遂げたい吾妹を得たら、我がいくらでも祝詞を贈ってやるから」

「首っ!!」

 顔を赤くしたり青くしたりして、さらに説教を足れようとする長老たちを捨て置いて、マルシレスラは祭壇の前で立ち尽くしているアルセイアスに近づくと、上機嫌で笑みかけた。


「アルセイアス、お前の婚礼を祝してやるのはこれで三度目だな。此度は流石に堂々としたものだったぞ」

「あなたの祝詞は、だんだんと杜撰になってきているように思いますが……」

 アルセイアスは呆れた様子を隠すことなく答えた。

「それは心外だな。お前がいい加減に飽いているだろうと思って、せっかく趣向を凝らしてやったのに」

「でも、レスラ姉様、あのお言葉はあんまりです」

 アルセイアスの半歩後ろに隠れるようにして、マリアセリアが赤い顔で訴えた。

「あんな、露骨な……。恥ずかしいじゃありませんか」

「我なりの激励だったのだが気に食わなかったか? 悪かったな、セリア」

 マルシレスラは少しばかり困ったような表情をして、一人だけ年が離れた末妹に謝罪した。


「だがなあ、セリア、我が言わなくとも、じきに爺たちにやかましくせっつかれるようになるぞ。なあ、セイアス」

「それだけは間違いありませんね。首の権限で、どうにかしてもらえませんか?」

「まあそう言うな。我やお前が面倒をかけてやらないと、爺たちはしょぼくれて、明日にも耄碌してしまいそうだからな。多少のことは大目に見てやれ」

「ええ、多少、でしたらね」

 アルセイアスの嫌味は軽く無視して、マルシレスラはマリアセリアに向き直った。


「爺たちはみな、シルヴの血筋が絶えることばかりを懸念しているようだが、それはセルクシイルかパキラリウムにまかせて、セリアはイオスの同眸の娘を早く産んでやってくれ。でないとラシアが行き遅れてしまうからな」

「レスラ姉様、またそんな不謹慎なことをおっしゃって……。ラシア姉様に叱られますよ」

 マリアセリアは眉を寄せ、声を潜めて忠告した。マルシレスラは懲りずにぼやく。

「全く口煩いな、セリアもラシアも」

「聞こえていますよ、姉上様」

 マルシレスラの発言を聞きとがめて、リテセラシアが渋い顔つきで姉の傍にやって来た。


「それに、行き遅れるって何ですか」

「いや、大神の現在の妻である我が、お前と年が同じなわけだからな。我がくたばるのを待っていると、ラシアもすっかり年増になってしまうだろう? 神の花嫁になるのを待たせるよりも、できるだけ早くに生身の男と添わせてやりたいという姉心だよ」

 もっともらしくリテセラシアに言い聞かせて、マルシレスラはその肩越しに、周囲を気にしながらもリテセラシアをちらちらと眺めている、一人の青年に声をかけた。

「そう思わないか? キセラシオン」

「ああ、ええと――。はい、あ、いいえ――」

 キセラシオンはあたふたと、あやふやな返答をした。本人は隠しているつもりなのだろうが、彼のリテセラシアに対する懸想は、多くの里人に見抜かれているところなのだ。リテセラシアは物憂げに表情を雲らせた。


「ラシオンを困らせて、楽しいですか? 首」

「ああ。あいつは、お前と違って可愛げのある男だからな」

 冷ややかに自分を見下ろすアルセイアスに答えて、マルシレスラは挑むように口の端を上げた。

「セイアスのような(じつ)の無い男に、愛しい妹を委ねねばならんのはいささか不憫かと思っていたが、セリアはお前で満足なようだな。セルクシイルやパキラリウムを知るお前には、物慣れぬことの多い幼い娘に見えるだろうが、どうか大切にしてやってくれ」

「勿論。あなたのお心は、真摯に受け止めさせて頂きますよ、首」

 アルセイアスはそう言って、幼妻の小さな肩を抱き寄せた。初々しく薔薇色に頬を染めて、幸福そうに夫を見上げるマリアセリアを、花嫁の姉たちは眩しげに見つめた。

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