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失楽の予見者  作者: 桐央琴巳
第一部 「失楽の予見者」
2/13

第一章 「後朝」2

「よう、新婚」

 アルセイアスがいつものように、書庫の蔵書に埋もれて古書の整理をしていると、背後からからかうような声がかかった。

「ラシオンですか、何の用です?」

「つれない言いようだな、セイアス。首尾はどうだ?」

「どうって、別に」

 羊皮紙の巻き物を棚に戻しながら、アルセイアスはすげなく答えた。


 癖の強い硬い髪を短く刈り上げた、琥珀の双眸のキセラシオンは、読書を楽しみに来たわけではないようだ。手近な椅子を引いて、背を前にして跨ると懲りずに聞いた。

「慣れたものか。どうだ、三人の妻を持つ気分は?」

「気苦労が多いばかりで疲れそうですね。よかったら代わって差し上げます」

 仕事の手を休めて、アルセイアスはそこでようやくキセラシオンを振り返った。その言葉を裏付けるようにして、億劫そうに書架の端に寄りかかる。


「お前、そんなこと、他の連中には絶対言うなよ。そうでなくてもやっかまれているんだからな」

 脅すような低い声音でキセラシオンは忠告した。彼を含めて、アルセイアスと同年代の青年たちは半数以上が独身である。一夫多妻の――場合によっては一妻多夫もありうる――結婚は、彼らが住まうアテンハルダの里では決して珍しいことではないが、十四歳という早さで第一夫人を迎え、十八歳になった現在、第二、第三の妻のもとにも通うというアルセイアスの状況は、極めて異例なものであるといえた。


「何が羨ましいのでしょうね? 複数の妻をかまうのがどれだけ面倒か、少しの想像力があればわかりそうなものですけれど」

「そんなに大変なのか?」

「ええ。細心の注意を払って等しく扱っているつもりでも、何かと周りの方々からも煩く言われますからね。近頃では、家同士が妙な対抗意識を持つようになってしまって……、本当に困ったものです」

 得心したように頷いて、キセラシオンは、愚痴を零すアルセイアスに謝罪した。

「悪いなあ。煽っているのはうちだろう?」

「よくおわかりではありませんか」

 アルセイアスの第二夫人は、キセラシオンと同族である。


「パキラリウムは、絶対自分が最初にお前の子を産むんだって息巻いているからなあ。まあ、あとの二人はそんなことないんだろうが」

「本人たちはそうなんですけどね……」

 アルセイアスは深々と溜め息を落とした。心の底からうんざりとしているらしい友人の顔つきに、キセラシオンは事情を察する。

「代わりに取り巻きどもがかしましいというわけか。だが、それを差し引いたとしても贅沢な悩みだな。マリアセリアは、あと数年もすればとびきりの美人になるぞ。セルクシイルも、パキラリウムも……」

 言いながら、キセラシオンは、アルセイアスの顔をまじまじと見つめた。


「みな綺麗だが、どこかお前に似ているな」

「気色の悪いことを言わないで下さい」

「血が近い女ばかりだものなあ、仕方がないか」

 キセラシオンは悪びれずに続けた。


「ただそれだけの理由で、選び出された妻たちですからね。みな、【知】(シルヴ)の瞳などを持って生まれたばかりに、私のような不実な男に嫁がされて、哀れなことです」

 シルヴの瞳、シルヴ氏族の証とされる、深青の双眸を翳らせて、アルセイアスはまるで他人事であるかのように自らの妻たちに同情した。

「自分で言うことではないだろう。そう思うのなら大事にしてやればいいのに」

 キセラシオンの助言をありがたく受け止めつつも、アルセイアスはやるせなく首を横に振った。

「複数の女性に、同時に実を尽くせるほど、私は器用ではありませんよ、キセラシオン。あなたこそ、どうなのですか? 縁談が持ち上がっていると聞きましたが」

「そうなのか!?」

 キセラシオンは本気で驚いたものらしく、頓狂な声を上げた。


「おや、ご自分のことなのにご存知なかったんですか?」

「……そういえば、父に、氏族の中に気に入った娘がいるかと聞かれたなあ」

「何と答えたんです?」

【力】(キリス)の娘は、みな気が強くておっかないから、考えたこともない、と」

「それは、お気の毒に」

 アルセイアスは声をあげて笑った。

「キセラシオン、あなたはいずれキリスの(おさ)を継ぐ方だ。あなたにはおそらく、同眸(どうぼう)のキリスの娘が娶せられるでしょう」

「冗談じゃない! 私は絶対他家の娘と結婚するぞ!!」

 キリスの瞳、琥珀色の双眸を大きく見開いて、キセラシオンは決意と共に拳を固めた。


「ラシオンにも、意中の女性くらいいるのでしょう? ご自身で吾妹を選びたいならば、父君に申し上げてみてはいかがです」

「言ってどうにかなるような相手だったら、一族や(おびと)の意向など気にせずに、とうに求婚しているさ」

 答えてキセラシオンは、自らの迂闊さに気がついた様子である。キセラシオンの片恋の相手など、わざわざ問い質さずともわかっていたが、アルセイアスは性悪く突っつくことにした。


「キセラシオン、私と違ってあなたには、妻とする女性に絶対的な条件が求められるわけではないでしょう。互いの気持ちさえあれば、望めない娘などいないでしょうに」

「……いるだろう。特別な呼び名で呼ばれる、選ばれた娘が」

「ああ、巫女嗣(みこつぎ)をお望みですか。困った人だ、禁断の恋ですね」

「いや、そんな、恐れ多いことは……!」

 慌てるキセラシオンが心を落ち着かせるのを、アルセイアスは涼しい顔で待った。キセラシオンはそんな彼を小憎らしく思いながら、額に噴き出した嫌な汗をぐいと拭った。


「あの人は、既に大神へ奉じられたも同然の方だ。理想の女性で憧れてはいるが、吾妹にはできないと、はなから諦めているよ」

「至極まっとうなお答えですね」

「そりゃそうだろう。大神と花嫁を争えるものではないからな」

 きっぱりとキセラシオンは言い切った。その程度の恋慕であるのか、彼の信心深さが想いを止めるのか、どちらにせよ、羨ましい事だとアルセイアスは思う。



「ところでラシオン、いつまでもここで時間を潰していていいんですか? もうすぐ昼になりますよ」

「何か都合が悪いのか?」

「私は別段、気にはしないのですけれど」

 アルセイアスがそう言っていると、岩壁にぽっかり空いた入口の向こうから、青と琥珀の色違いの目をした白金髪の娘が、両手で丸い籠を抱えてひょっこりと顔を覗かせた。


「セイアス、お昼をお持ちしたわ、一緒に食べましょう」

「ありがとう、リウム」

 アルセイアスは柔らかく微笑みながら、第二夫人パキラリウムを書庫の中へと迎え入れた。

「あなたは早く出て行ってね、キセラシオン」

 アルセイアスに対する時とは天と地ほども違う、つんけんとした冷たい言い様で、パキラリウムはキセラシオンに向けて、しっしと追い払うような手振りをしてみせた。常日頃から受けている扱いなので、キセラシオンは今更傷つくこともない。やれやれと呟きながら立ち上がった。


「何だ、昼餉時(ひるげどき)にあまり見かけないと思っていたら、お前セイアスの世話を焼きに来ていたのか」

「そうよ、セイアスは大切な吾兄ですもの」

 籠を食卓代わりの机の上において、パキラリウムは得意げに胸を張った。

「食えるのか? これ」

「失礼ねっ!」

 籠を覆った布の端を摘まんで、ぺろりと捲ろうとしたキセラシオンの手を、パキラリウムはぺしりと(はた)いた。

「あなたの分は無いんだから、さっさと食堂に行きなさいよ!」

「わかったよ、邪魔したな。またな、セイアス」

「ええ」

 叩かれた手を大仰にさするふりをしながら、キセラシオンはのんびりと去っていった。



*****



 キセラシオンの足音が確かに遠ざかり、聞こえなくなるのを待ってから、パキラリウムは怒ったような表情のまま、アルセイアスの胸に額をぎゅうと押し付けた。

「どうしました?」

 大輪の花を思わせる華やかな容貌でありながら、癇癪持ちの子供のように独占欲が強い、同い年の妻の身体を、アルセイアスは片腕で抱き留めた。

「気安いのはわかりますが、あのようにラシオンに当たるのは感心しませんね。一体何を拗ねているんです?」

「わかっているくせに、酷い人ね!」

 眉を寄せて睨み上げるようにしながら、パキラリウムは噛み付くようにそう言った。

 彼女の不安定な心の起伏を映したように、青い右目はどこまでも深く沈み、対照的に、琥珀色の左目は燃え上がるように輝いて見えた。


 その激しさを持て余しながら、アルセイアスは言葉を返すかわりにパキラリウムの髪を優しく撫でつけた。

 パキラリウムの不機嫌の原因が、自分とマリアセリアとの結婚にあることなど、わかりきっている。申し訳なく後ろめたく思いながらも、もう少し理解を持って貰えないものかという苛立ちが、アルセイアスにはある。


「あなた、は……」

 なだめるような愛撫に、ごまかされ、心を蕩かされてしまいそうになりつつも、今朝方アルセイアスがマリアセリアと取り換えてきた、女物の上襲を憎らしく掴みながら、パキラリウムは恨み言を口にせずにはおれなかった。

「あなたは、今までも、あたしだけの()の君でいてくれたことはなかったけれど、これからはもっと、もっと、遠くなってしまうのでしょうね」

「新しく妻を持ったからといって、あなたをないがしろにするつもりはありませんよ、リウム」

「だけど、あたしの室にいらっしゃるのが、三日に一度に減ってしまうんだわ」

「そればかりは……、納得して頂かないと」


 よほどの事情がない限り、アルセイアスは妻たちのもとで交互に休むことにしていた。

 その習慣は今後も続けてゆくつもりなので、妻が二人から三人に増えれば、考えるまでもなく、一人の妻との逢瀬は三日ごとにせざるをえない。


「冷たい人」

 唇を噛んで、パキラリウムはアルセイアスの胸に再び顔を埋めた。熱のこもらぬ言葉とは裏腹に、包み込む腕はいつもいつも温かい。

「……ずるい人」

「酷くて冷たくてずるい、最低の夫ですか、私は?」

「そうね、だけど……、セイアスじゃなきゃ、嫌だわ」

 キセラシオンは決して知り得ぬであろうしおらしい風情で、パキラリウムは消え入るように打ち明けた。


「あなたのそういうところは、とても()くて好きですよ、吾妹」

 耳元をくすぐるように囁いて、アルセイアスはパキラリウムを上向かせ、深い口付けでその唇を塞いだ。

 それ以上の託言(かごと)を、封じた。

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