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魔王が世界を手に入れるまで 中



 ふ、と。

 目の前の霧が一瞬にして晴れるような心地がした。


『私は真理亜。あなたは?』


 彼女は僕にとって、まさしく希望の光だった。


『リーフェ……』


 僕のために流される涙を、とてもきれいだと思った。


『キリの願いを教えて。私はそれを叶えたい』


 まっすぐに僕を映すその瞳が、本当にうれしくて。


『私は絶対に、あなたを殺さない。あなたに生きていてほしいから』


 衝動的に組み敷いた華奢な身体は、けれどずっとずっと強く大きく、あたたかく。


『キリの大切なものごと、キリを救ってあげる』


 凍った心を丸ごと包み込むようなぬくもりに、僕はきっとすでに救われていた。


『夢じゃ、ないんだよ』


 優しい彼女は泣きそうな顔で告げた。

 そうして、夢よりも夢のような、未来をくれた。


『好きだよ、キリ。それだけは、覚えてて』


 大丈夫、ちゃんと覚えていた。

 記憶にはなかったけれど心が覚えていた。

 だからこそ、一目見たときから僕は彼女を受け入れていた。彼女の傍は不思議なほど心地よかった。

 それこそ、雛鳥の刷り込みのように。


『はじめまして、希理。よろしく』


 ああ、そうか。

 君は僕に、新たな生と新たな出会いを与えてくれて。


 僕は君に、二度目の初恋をしたんだ。



  * * * *



「キリ……っ!!」


 目を覚ますと、光があった。

 思わず眩しさに瞳を細め、遅れて脳が視覚情報を把握する。

 ここは保健室で、窓から差し込む陽の光を背にしたマリアが、泣きそうな顔で僕を覗き込んでいた。


「おはよう、マリア」

「おはよう……じゃ、ないよ……」


 覚醒しきっていない声で挨拶すれば、マリアは深くため息をついた。

 脱力してベッド脇の椅子にぽすんと座る様子を見るに、ずっとついていてくれたのかもしれない。


「もう……っ! どれだけ心配したと思ってるの!? ドッジボール中にぼんやりしてたとか、危ないに決まってるでしょ!? そんな子に育てた覚えはありません!」


 マリアは椅子から身を乗り出してすごい剣幕でまくし立てる。

 ほっとした反動で、今度は怒りが込み上げてきたんだろう。

 たくさん心配してくれたからこそだと思えば、どうしても笑みが浮かんでしまう。

 そんな彼女の心の動きを正確に読み取れるようになったのは、こちらでの交流だけでなく、この世界に来る前の記憶を思い出したからでもある。


 気を失う一瞬前に感じたのは、僕の名前を叫ぶ声と、脳を揺さぶる衝撃。

 お昼休みに級友と遊んでいる最中、お馴染みとなった“あちらの世界”の白昼夢を見た。

 我に返ったときにはボールは目の前に迫っていて、避けようがなかった。

 頭を打ったからなのか、白昼夢から続いた回想のおかげなのか、これまでたびたび見ていた夢が現実にあったことだと確信を得たわけだけれど。

 そのせいでマリアに心配をかけてしまったなら、もう少し穏便な手段でどうにかならなかったんだろうかと思わなくもない。


「マリア、お母さんみたいだ」


 僕は身体を起こしつつ、くすくすと笑った。

 前にもほとんど同じ言葉を言ったことがあったと気づいたのは、マリアが一瞬だけ驚いた顔をしたからだ。

 あれはたしか、あちらの世界での初対面。

 今まで忘れていたせいもあるのか、もうずいぶんと昔のように感じた。


「……そうだね、優しすぎるおばさんの代わりに、怒るときだけはキリのお母さんになったげる」


 マリアは少し複雑そうな苦笑いを浮かべてそう言った。

 あちらでも、マリアは僕の母親代わりになってくれると言っていた。

 怒るときだけと限定したのは、養母に遠慮してのことだろうか。

 その気配りがくすぐったくもあり、かすかに開いた距離が寂しくもある。


「冗談だよ。こんなにかわいいお母さんがいたら困る」

「かわ……っ」


 本心をそのまま告げれば、彼女の頬が一瞬にしてりんごのように真っ赤に染まった。

 かわいい。好き。いとしい。

 想いがあとからあとからあふれて止まらなくなる。

 希理として抱いていた思慕に、キリとしての土台が現れて、それは揺るぎないものとなった。


「そ、そんなんでごまかされないからね! ほら、早く帰る支度する!」

「あれ、もう放課後?」

「ううん、まだ五限目の途中。養護の先生は報告にってちょっと席外してる。怪我とかはないけど、頭打ったんだし一応病院で検査したほうがいいって言ってたよ。おばさん迎えに来てくれるらしいから」

「そっか、大事になっちゃったね。ごめん」


 なんだかんだで真面目なマリアが、授業が始まってもついていてくれたことがうれしい。

 それに、弱っているときに頼ることのできる“家族”という存在が、今さらながらに面映ゆくもある。

 謝ったところで頬がゆるんでいるのは隠しようがないだろう。

 あちらの世界の僕を知っているマリアには、そんな心の動きにも気づかれているかもしれない。


「謝らなくていいから、これからは調子悪いときはすぐ言うこと! 誘われたら断りづらいのもわかるけど、それで怪我したら相手だって気に病むでしょ」

「うん、気をつける。マリアに心配かけたくはないから」

「友だちと、家族にもね」

「わかってる」


 そうやってマリアはいつも、僕に大事なことを教えてくれる。

 彼女にとっての“普通”を惜しみなく分け与えてくれる。

 あちらの世界でも、彼女のぬくもりに触れているうちに、凍らせたはずの心は気づけば氷解していた。

 笑顔で騙して、最悪の形で裏切って、きっとマリアをひどく傷つけたのに。

 まっすぐに伸ばされた手に導かれ、僕はこの世界までやってきた。


「……キリ、どうかした?」

「ん?」

「なんか、いつもとちょっと違う気がして」


 首を傾げる僕を、マリアは訝しげな表情で覗き込んでくる。

 探るような視線の中には、心配の色もにじんでいた。

 頭を打ったことで何かあったのでは、とでも思っているんだろうか。


「そうかな。変わらないよ」


 変わらない。

 記憶がなくても、あっても。

 変わらず、僕はマリアが好きで、何よりも大切で。

 ずっと解き方のわからなかった問題に当てはめる公式が閃いたときのような、とてもすっきりとした気持ちだ。


「心配してくれてありがとう、マリア」

「別に、お礼言うようなことでもないでしょ」

「そんなことない。マリアの優しさに、いつも救われてる」


 キリにとっても、希理にとっても。

 マリアはいつも僕の光で、道しるべで、大事な大事なおんなのこだ。

 あちらの世界では、その感情に名前をつけることができずにいたけれど。

 今なら、正しい答えを出せるような気がする。


「……やっぱり、今日のキリちょっとおかしい」


 マリアはかすかに頬を染めながら、唇をとがらせた。

 そんな顔をしてもかわいいだけだけれど。

 ふと、思った。

 これまでの、記憶を失っていた僕がマリアにとっての“普通”で、記憶を取り戻した僕が“おかしい”のなら。

 マリアが望んでいる僕は、キリと希理、どちらなのだろう、と。


『好きだよ、キリ。それだけは、覚えてて』


 それだけは覚えていた。覚えていた、けれど。

 逆に言えば、それ以外の記憶は、忘れていたほうがよかったんだろうか。

 すべて忘れたまま、まっさらな僕で第二の人生を歩むことがマリアの望みなら。



 この、行き場のない慕わしさは、どこへ向かえばいいんだろう。







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