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魔王が世界を手に入れるまで 前

4月2日の書籍発売に合わせて、記念番外編。

キリ視点。本編と後日談の間。



 ずっと、ずっと待っていた。

 かけがえのないぬくもりをこの手で葬り去ってしまったその日から。

 人々の嘆きを、苦しみを、凪いだ瞳に映して。

 ただただ、待ち望んでいた。『僕』にとって唯一の希望を。

 凍った心ごとすべてを燃やし尽くしてくれるほどの、まばゆい太陽を。





「ゆめ、か……」


 意識が浮上すると共に、意味もなくそうつぶやいていた。

 また、アラームより先に目が覚めてしまった。

 少し前から頻繁に見る、妙にリアルな夢のせいだ。

 夢の中の自分は、その世界に破滅をもたらす魔王という存在で、幼いころから優しそうな老人と二人で広い城に住んでいた。

 そして、ずっとずっと待ち望んでいた。

 唯一魔王を打ち倒すことのできる、勇者――マリアを。


 マリアは一つ年上の先輩で、家もご近所だ。

 養父母と交流があったつながりで、僕もお世話になっている。

 僕が施設から幸松家に引き取られたのが夏のこと。マリアとはそのときから、まだ数ヶ月ほどの付き合いだ。

 ……そのはず、なのに。


 西洋の町並みを一緒に歩いた記憶がある。昔の王様が寝るような広いベッドで一緒に寝た記憶がある。高い塔の上で、語り合った記憶がある。

 最近はとみに、現実と夢の混濁が激しい。

 夢で見たことを、まるで本当にあったことのように無意識に考えてしまっているときがある。

 どこまでが夢でどこからが現実か、ふとした瞬間に境界が曖昧になる。

 心を凍らせずにはいられなかった絶望も、縋るように焦がれ続けていた希望も。

『魔王キリ』の感じていたすべてを自分のこととして理解できてしまう。


 僕には施設に来る前の記憶がない。そして、施設での記憶もひどくあやふやだ。

 それこそ、現実にあったことか自信を持てないほどに。

 頻繁に見る夢も、記憶障害の弊害なのかもしれないと最初は思った。記憶がないことによる不安が夢として現れているのかもしれないと。

 それならマリアが夢に『勇者』として出てくることも説明がつく気がする。

 養父母に引き取られてからずっと、一番近くで僕を支えてくれたのは彼女だったから。

 けれど……『もしかしたら』というもうひとつの可能性が思い浮かぶほどに、日に日に夢は現実味を増していた。


 もしかしたら、本当に僕は魔王だったのかもしれない。

 もしかしたら、本当にマリアは勇者だったのかもしれない。


 万一、そうだったとして。

 それならなぜ僕は今ここに幸松希理として存在しているのかと、また新たな疑問が出てくるだけだけれど。



  * * * *



「キリ、大丈夫? なんかぼんやりしてるね」


 登校途中、隣を歩くマリアは心配そうに僕を覗き込んできた。

 マリアは案外目敏くて、僕のちょっとした不調や感情の動きをすぐに悟られてしまう。

 それだけ僕を見てくれているのだと思えばうれしいけれど、こういうときは少し厄介だ。


「大丈夫、ちょっと寝不足なだけ。友だちの貸してくれた漫画がおもしろくて」

「キリが夜更かしなんてめずらしいね」

「……そうかな」


 マリアと知り合ってから、まだ四ヶ月ほど。

 たしかに仲のいい人として一番に思い浮かぶのはマリアだけれど、一緒にいる時間はそれほど長くない。近所付き合いはあれど学年も違うし、部活も委員会も別だ。

 他愛のない言葉ひとつでも、ふと違和感を覚えることがある。

 マリアは、もっと前から僕を知っていたんじゃないかと。

 そうだったらいいと、僕が望んでしまっているからかもしれないけれど。


「ねえ、マリア」


 続ける言葉も思いつかないまま、聖母と同じ名前を呼んだ。

『魔王キリ』は知らなかった名前の意味を、今の僕は知っている。そのことに妙な喜びと優越感を覚える。

 ふとした瞬間に僕を浸食する『彼』は、限りなく僕に近い存在でありながら、まだ完全に僕と重なっているわけじゃない。

 こと、マリアに関しては……うまくは言えないけれど、ライバルのような気持ちになることがある。

 ただの夢でしかないかもしれない存在に馬鹿らしい、と今の僕には笑い飛ばせない。それほど夢は現実に迫ってきていた。


「キリ……?」


 きょとんとした顔で、マリアは僕を見上げてくる。

 それから、おもむろに伸びてきた手が僕の前髪を掻き上げた。


「もしかして、具合悪い? 学校ついたら保健室行く?」


 いたわりの気持ちだけが込められたぬくもりが、優しく僕に触れる。

 それだけで満たされていく心が、僕のものか、『彼』のものかわからない。

 出会ったときから、マリアは特別だった。

 向けられた笑顔はとてもきれいで、握った手はあたたかくて。

 こうして一緒にいるだけで、言葉にならないほどの想いがあふれそうになる。

 一目惚れ、というならそうなのかもしれない。

 ただ、自分でも持て余すこの想いこそ、『もしかしたら』と考える最たる理由でもあった。


「……大丈夫。心配してくれてありがとう」


 額に触れていたマリアの手を、包むようにして握り込む。

 これ以上心配かけないように微笑んでみせれば、マリアは完全には納得していないようだったけれど笑い返してくれた。

 僕がこの世界に――いや、間違えた。僕がこの土地になじめるよう、いつも気にかけてくれる優しいマリア。

 夢の中の彼女も、僕のために必死になってくれた。僕以上に僕のことを考えてくれていた。

 ひとつ年上だということもあるのか、マリアは僕の『頼りになるお姉ちゃん』のような立場にいてくれる。

 ……僕が勝手に、それだけでは満足できないだけで。


 君は、異世界で勇者をやっていたの?


 なんて聞いたところで、普通なら笑い飛ばされるか心配されるかのどちらかだろう。

 それに、仮にあの夢が現実だったとして、マリアが覚えているという保証はどこにもない。

 もし覚えているとしたら、今度はなぜ僕は今まで忘れていたのか、なぜマリアは何も言わないのか、という疑問も残る。

 過去なのか、前世なのか、パラレルワールドなのか、それとも本当にただの夢なのか。

 少しずつ現実を浸食してくる記憶の正体は、まだ何もわからない。







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